All I need is beat 作:柳之助@バケつ1~4巻発売中
「たぁだぃまぁ……」
「おかえり、今日も遅かった……って汗臭い! 汗臭いよ響!?」
夜がどっぷり更けてから寮の部屋に帰ってきた響は思わず声を上げるほどに汗にまみれていた。トレーニングシャツとズボンという凡そ女子力の欠片もない有様だが、ここ最近はずっとこんなもの。日が昇るよりも早くに部屋を出て、暗くなってから家に帰ってくる。時には外出許可まで取って泊まり込みという具合だ。
未来は非常に心配だが、しかし響が言うことを聞くこともない。
「あーもう、ほら、脱いでそれ、シャワーも浴びてきなよ」
「あーい……あぁ……疲れた……まさか穴の開いた桶に水汲みすることになるなんて……」
「なにそれ」
足を木に括り付けて、腹筋と共に地面の甕から身体と同じようにつりさげた桶に水を入れる。その桶には穴が開いてあるから水が穴から落ちるよりも早く腹筋運動を繰り返して水を汲まなければならない。某映画に出てくる修行のあれだ。
それ以外にも映画に出てくるようなギャグ修行を真面目にやっていたせいで疲労が激しい。そのせいで身体の動きが緩慢な響から服をはぎ取り、シャワー室へ叩き込む。汗まみれになった着替えを洗濯機へと投げ込み、投げ込む前に、
「……影詩さんならいくらで買うかな……?」
あの青年なら買いそうだ。
多分買う。
彼は基本的に響と接触をしたがらないが、それでも常に響への関心は持っている。授業中でも放課後でも夜にでもひっきりなしにメールが来るのだ。
少し前に合ったものを思い出すと、
『響が勉強で頭を悩ませてて可愛い』
『写メ送れや』
『送ってください、でしょ?』
『送れや』
『あぁ! 響が頭抱えて居眠りしちゃった! 寝顔可愛い! 絶対送らないけど!』
『貴様ァ!』
『あ、普通に解らない奴だ』
『問題を送れ、寝顔も送れ』
あれで頭はいいから、今自分たちがやっている問題くらいは鼻歌まじりに解いてしまう。
そんな彼も、ここ数週間全く連絡が取れないのだけど。
「……はぁ」
着替えを洗濯機に放り込み、他の洗濯ものを洗濯機に放り込んでいく。
「……ねぇ未来」
「なに?」
シャワー室の向こう、水音と共に少し籠った響の声が届いてくる。
「……最近さ、影詩と連絡付いた?」
「――」
一瞬だけ、手が止まった。
「どうして?」
けれど、気づかれないように再び手を動かしながら問いを投げ返す。
「あ、あははー、いやぁこの前久しぶりにあって一緒に出掛けようって約束したじゃん? なのに全然連絡来ないからさー。全くなにしてるんだかねぇ、花の女子高生の誘いほったらかしてさぁ」
「……いや、別に私は誘ってないけど」
「おぉっと!?」
扉の向こうで響が滑った音がした。が、すぐに体勢を立て直し、
「全く……未来は影詩に厳しいねぇ」
「あんなチンピラに優しくなんてできません」
何を言ってるんだろうな、と自分で言って自分で思う。
未来の言うチンピラに影詩がなってしまったのは他ならぬ未来自身のせいなのに。
『貴方のッ、影詩さんのせいで! 影詩さんがいたのに、なんで響が傷ついてるんですか! 貴方が、貴方が守ってくれれば響は傷つかなかったかもしれないのに!』
そんなことを、自分が言ってしまったからだ。
違う、違うそうじゃない。今思えば悪いのは彼じゃない。誰が悪かったなんて話ではないし、悪いのを選ぶとすれば間違いなくノイズだ。確かに影詩の落ち度もあったかもしれないが、そんなことを言えば未来も同じだ。あの日自分が二人を誘わなければ、或は自分もちゃんと行っていれば。何度そう思ったのは解らない。
けれど、事件を知り病院で影詩と再開し、響が緊急手術中であると知った時、叫んでしまった。その場の感情に任せて彼を糾弾してしまった。そして――まじめだった彼はそれを受け入れてしまった。
それが多分大上影詩と小日向未来の歪な関係の根源だ。
「……」
手を、動かす。
洗濯機の山があったが、所詮それは女子高校生二人分だ。最近は響のトレーニングの衣服のせいで量を増やしているが、それでもたかが知れている。こうして少し喋ったり、考え事をしているだけでもう半分は洗濯機に入れ終わって、あともう半分。数分かけて手を動かせば、すぐに終わるだろう。
過去の傷や心の歪みとは違って。
そういうのはどれだけ足掻いても治ってはくれない。
小日向未来も。
大上影詩も。
似た者同士と解っているから腹立たしいし、どういう風に接すればいいのか解らない。
解らなくて、
「…………なんであんなに罵りあってるんだっけ……」
「親友がすっごく恐ろしい疑問を呟いてる件」
きゅっきゅっシャワーを止める音がして、湯船に足を踏み入れた水音が聞こえ、
「……昔は普通に影詩さんのこと好きだったんだけどなぁ」
「!?」
大きい飛沫の音が上がった。
飛び込みでもしたのかと未来は思ったが、しかしそれは響が驚いて湯船へと落ちた音だった。
「ちょっと響ー? お風呂で暴れたら危ないよ?」
眉を顰めながら声を掛けたら、
「ちょっと未来ぅ!? なにそれ一体どういうこと!?」
ずぶ濡れのままで響が、音を立てて扉を開いた。オレンジ色の短い髪が顔に張り付き目もほとんど見えない。いや、それよりも当たり前だが全裸で、意外に大きい胸が惜しげもなく晒されていた。お湯が滴り、同性でも息を呑むほどに艶めかしい。この写真を取って影詩に売りつけたらいくらぐらいするのだろうか。
「もう上がるの? 髪と身体洗った? ちゃんとトリートメントは? 駄目だよそういう所ちゃんとしないと」
「いやいやいや!? 私の髪より大事な話があるよね!? ものすっごい初耳だけど!? ちょっとちゃんと聞かせてくれない!?」
「別に、大した話じゃないよ?」
そう、大した話ではない。
「だって昔の影詩さんって普通に真面目で頭も良くて面倒見もよくて顔も結構良かったんだよ? そりゃあ好きになるんじゃない? というか、普通に人気あったし」
ついで言えば彼はお金持ちだ。
それはとても大きい。
「……全然気付かなかった……。……え、でも今は……?」
「正直チンピラはないわー」
もしかしたら、二年前の事件さえなければそういう展開もあったかもしれない。影詩は当時から響に惹かれていたはずだし、当時の響は気づいていなかったが、少なからず惹かれていたはずだが、それは無意識のものだった。所謂三角関係のようなものだった。ごく普通の、世界のどこにもでありそうなありふれた関係だ。
なのに、今はどうしようもなく歪んでいる。
「……そ、そう」
断言した未来に響が安堵したように息を吐いた。
安堵したように。
安心したように。
――安堵、安心?
「待って、なんで安心なんかしてるの? なに? ほっ、ってどういう意味?」
「ふぇ、え、……あっ、いや別にそれは」
「ちょっと響! そこに座りなさい!」
「お風呂場だよ!?」
関係ない。
「いいですか響! あんなチンピラ許しませんよ!?」
「えぇ……じゃあどんな相手ならいいの……?」
言われ、考え、
「――私が私を赦す!」
「未来、未来! ちょっと落ち着いて!」
「落ち着いた」
「……それで」
「私は私しか赦さないよ!」
「だめだこりゃ」
小日向未来。
立花響のこととなると我を忘れる傾向がある少女である。