敵軍がアルビオンに上陸してから数日後、エクトル卿は自分に用意された屋敷の地下室へと訪れていた。
「報告を聞こうか」
地下室には彼以外に誰もいない。だが、声ははっきりと響いた。
『総司令部付き参謀を
「ほう。早いな。どうやって吸血した?」
『ロサイスの街でちょっと誘惑したら宿屋で2人きりにしてくれたから、そこで吸血してあげたわ』
敵軍の高級将校の危険察知能力の低さに半ば呆れるエクトル卿。
いや、この場合は彼女の擬態能力の高さを褒むべきかな。
「タルブで使用された魔法兵器についての詳細。それとダータルネスの幻影の正体だ」
『それが……、ちょっとにわかには信じにくいというか……』
困惑に彩られた声に、エクトル卿は訝しんだ。
エリザベートはたとえわからなくても飄々としている人物であると認識していたからだ。
「よい。言え」
『それが、”虚無”の魔法らしいわ』
「なに? クロムウェルがしているように精霊の力である可能性はないのか?」
『ありえないわ』
エリザベートは断言した。
それを聞いてエクトル卿は考え込む。
吸血鬼である彼女が断言する以上、精霊魔法ではないのだろう。
しかし、風石を消滅させたり艦隊の幻影を出現させるといった芸当が系統魔法ができるとは思えない。
となると失われた伝説の”虚無”ということになるが……、どうも眉唾な話だ。
「”虚無”を扱っているということは、その担い手がいるのだろう? 誰だ?」
『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールとか言うらしいわ』
なんて長い名前……とエリザベートはボソリと漏らす。
エリザベートの言わんとすることはエクトル卿にもわからないではなかったが、貴族、特に大貴族フルネームは長くなるものなのだ。
自分もそうであるように。
「ラ・ヴァリエール? あの家は今回の戦には参加していないのではなかったか?」
エクトル卿は首を傾げてそう問う。
ヴァリエール公爵は名将であるため、今回どう行動するのか貴族議会は関心を持っていた。
だが、ヴァリエール家は多額の軍役免除金を王政府に払い、知らぬ存ぜぬを決め込んだと聞いていたが……
『アンリエッタ陛下直属の女官って身分で、ヴァリエール公爵家とは別口で参加してるそうよ』
「女王直属か。では、”虚無”というのは全くの虚偽というわけではないわけか」
『ええ』
「では、そのルイズ嬢の詳しい情報を教えろ」
『女王の肝いりということもあってか、高級将校として扱われているみたいだわ。
それに一個竜騎士中隊を護衛として指揮下に置いているみたいよ』
「竜騎士中隊を護衛に? 本当か?」
『ええ。と言っても、竜だけ全滅しちゃった竜騎士中隊らしいけど』
「竜だけ全滅か。随分と奇妙な損害を被ったのだな」
エクトル卿は呟いた。
戦闘中に竜が死んだら、その竜に乗っていた竜騎士も死ぬとはいわないが無事ではすまないはずである。
少なくとも普通に考えたら。
「それでルイズ嬢の”虚無”にどんな魔法があるのか総司令部は認識しているのか?」
『していないみたいね』
「では、どうやって戦争に”虚無”を運用している?」
作戦の目的を聞かされたルイズがどのような魔法を使用するか総司令部に申告し、それを受けて参謀達が作戦を立案するという形で”虚無”を運用している。
総司令部の本音を言えば、その”虚無”の詳細を完全に把握した上で運用したいそうだが、女王直属の女官という地位に加えて女王が国家機密として扱えと言われているので、そうできないでいるらしい。
……スペックがまるで掴めない魔法を用いて戦争をしなければならないなど敵軍の首脳部は頭を抱えているに違いない。
「そうか。それで今判明している虚無の魔法はどういうものがあるのだ?」
『今判明しているのは”
”
タルブの戦いで使用した魔法がこれらしいが、そうとうな精神力を必要とするらしく現在使えないとのこと。
まあ、ニ十隻ものフネの風石を消失させ、墜落させたことを考えると相当量の精神力が必要というのも頷けなくもない。
”
系統魔法、先住魔法の差を問わず、魔法の力が働くものならばどんな魔法でも有効らしい。
事実、先日の女王誘拐したゾンビどもはこれはくらって成仏させることに成功したとのこと。
詳細は不明だが、あのゾンビどもはクロムウェルが持つ精霊力の指輪で動かしていたと知っているので、エクトル卿は警戒を強めた。
最後に”
言うまでもなく、ダータルネスに大艦隊の幻影を出現させたのがこの魔法だ。
それら全ての魔法は詠唱に数分必要というデメリットがあるとのことだが、エクトル卿は彼女が本当に”虚無の担い手”であるかどうかはさておき、ルイズを脅威として認識した。
「エリザベート。引き続き連合軍の動向を探れ。またルイズ嬢が少数で出撃した時は早急に連絡を入れろ」
『わかったわ。ぼうや』
了解の言葉を告げられると、響いていた声は消え去った。
そしてエクトル卿は隣にあるブロワ侯爵の手紙に目を落とした。
内容は敵艦隊との交戦における詳細な記録と、二十隻と言われていたのに半分の十隻しか保全できなかったことの詫びである。
本当なら今すぐにでも自分の前に跪いて謝罪したいそうだが、首脳部からダータルネスにて待機せよと命じられて動けずにいるため、こうして手紙をした為とのこと。
が、エリザベートからの報告を聞くに、これは敵が”虚無”というふざけた代物を運用してきた結果であり、風下で消極的な艦隊戦を継続していればニ十隻を保全できたであろうことを考えると侯爵に非があるわけではあるまい。
それに中破した艦艇を修復すれば、二十一隻の戦列艦を確保できることを考えると十分に許容範囲と言える。
そう考えたエクトル卿はブロワ侯爵に非はないという手紙をフクロウに括り付けて飛ばし、そして屋敷を出てハヴィランド宮殿へと向かった。
ルイズという人物の情報を持っているであろう人物と話をするためである。
ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは緊張していた。
彼はトリステインの魔法衛士隊のひとつであるグリフォン隊の隊長であったが、己の目的の為に”レコン・キスタ”に馳せ参じた人物である。
ウェールズを暗殺に成功したことからクロムウェルに気に入られ、親衛隊の一員として重用されている。
そんな彼にとって、エクトル卿は警戒すべき人物であった。
”レコン・キスタ”に馳せ参じる前のエクトル卿の経歴は元傭兵団の首領と言うこと以外は一切不明であるのだが、能力に関しては疑うところは一切ない。
革命戦争で彼が指揮した戦いの記録を見たことがあるが、非凡な戦術家であることは疑いない。
それに政治にも通じており、クロムウェルが片腕として重用するのも頷ける有能ぶりだ。
だが、エクトル卿が何度かクロムウェルを無視して行動したことがあると聞き、実は彼は皇帝に必ずしも忠実ではないのではないかと思ったのだ。
祖国を裏切ったワルドとしては、アルビオンにはなんとしても聖地奪還を成し遂げて貰わないと困るのだ。内部対立の要素などあっては困る。
そんなことを考えながら、ワルドはエクトル卿の待つ部屋の扉を開けた。
「おお。よく来てくれたなワルド子爵」
エクトル卿は部屋の奥の椅子に腰掛けており、その背後に彼の腹心であるディッガーの姿があった。
腰掛けている椅子は安物であったが、ワルドはなぜかそれが煌びやかな玉座であるかのように思えた。
「栄えある護国卿閣下のお呼びとあっては、参上して当然でございましょう」
ワルドの言いようにエクトル卿の唇が弧を描いた。
「して閣下。いったい私に何用でございましょう?」
「おぬしに聞きたいことがあってな」
「聞きたいことでございますか?」
「そうだ。ヴァリエール公爵家の情報を可能な限り教えて欲しい」
ワルドは自分の血の気が引いた気がしたが、それを全く表情に出さずに問う。
「なぜヴァリエール公爵家の情報などを欲するのでしょうか?
ヴァリエール家は軍役免除金を支払い、今回の戦には不参加であったと記憶しておりますが」
「その通りだが、ヴァリエール公爵家の三女が敵の陣地にいると私の手の者から報告があってな。
しかも16才という若さであるにも関わらず、敵総司令部にそれなりの影響力を持っているらしいのだ。
そのことを知り、彼女と深い関わりがあったというワルド子爵にその人柄や性格、能力を教授してほしいと思ったのだ」
ワルドは思わず顔を歪めた。
ルイズが”虚無”であることは、可能な限り秘密にしておきたかったのである。
別に彼女の身を慮ってのことではなく、トリステインを制圧した際に彼女を捕らえ、従わせることはできないかと考えたからである。
いかに誇り高い貴族としての矜持を持つ虚無の担い手と言えども、ルイズはまだ子ども。
完膚なきまでに敗北を味あわせれば、服従させることも不可能ではないのではないか。
仮にそれでも服従しなかった場合はルイズを殺し、その死体をクロムウェルに献上して”レコン・キスタ”の戦力増強させ、同時に皇帝に”虚無”を献上した自分の忠誠心の高さを周囲にアピールすることもできるだろうと考えたのだ。
「どうした。顔色が悪いな」
エクトル卿が探るような視線をワルドへと向ける。
「失礼いたしました。元とはいえ、彼女は私の婚約者。
そんな彼女がこの戦争に参加しているとは、予想だにしておりませんでしたので」
本当は予想していた。なにせ伝説の虚無の担い手だ。
だが、エクトル卿はあくまで敵の総司令部に影響力を持っていることに疑問を持っているのであって、ルイズが虚無であると気づいているわけではないのだろう。ならば誤魔化しようはあるはずだ。
しかしエクトル卿はルイズが虚無かどうか半信半疑であるが得体の知れない力の使い手と既に認識しており、ワルドがルイズの力を隠し通したいという思惑が叶うことはありえないのだが、ワルド本人はそんなことは知らない。
「アンリエッタ女王にとってルイズは信頼できる幼馴染。それ故重く用いているのかと」
「幼馴染というだけで何の能力もない奴を戦場に放り込む馬鹿がいてたまるものか」
エクトル卿は呆れたように呟く。
「閣下は先日のアンリエッタ女王、当時は王女でしたが……、ウェールズに送ったラヴレター回収のため、極秘に王党派へ大使を派遣した話をご存知ですか?」
「ああ。クロムウェル閣下から聞いた。それがどうした?」
「その時、私が大使の護衛を任されたのですが、大使がルイズであると知って驚きました」
「……は?」
エクトル卿はワルドが語った内容を飲み下すのに数分かかった。
そしてようやくワルドの語った内容を認識すると大声で叫ぶ。
「いや、まてまて! ルイズ嬢はトリステイン貴族の名門中の名門ヴァリエールの出だ!
そのルイズ嬢を戦争中の、しかも風前の灯である王党派への大使として派遣したというのか?!」
「ええ」
「信じられん……」
呻くエクトル卿。
「クロムウェル閣下からお聞きしてなかったのですか?」
「ああ。王党派に大使を派遣したという話は聞いていたが、ルイズ嬢が大使だったとは知らぬことだ」
現在でもヴァリエール家と王政府の関係それほどよろしくない。
そんな状況で王政府の命令で自分の娘が戦死したと聞かされたらヴァリエール公爵はどう動くか。
極秘に行われたことであるから王政府が”名誉の戦死”として扱わず、アルビオンに対して知らぬ存ぜぬという態度を貫くであろうことを考えると、少なくともヴァリエール公爵家が王政府にとってよからぬ方向へと動くことが容易に想像できる。
完全にヴァリエール家に喧嘩を売っているようにしかエクトル卿には思えない。
(いや、まて。ルイズ嬢とアンリエッタ女王は幼馴染か……)
ここでふとエクトル卿はある可能性が思い当った。
幼馴染であるならば、アンリエッタがルイズの”虚無”に気づいていたとしてもおかしくはない。
とすれば、伝説の虚無ならば戦場を走破できるかもしれないと考えても不思議ではない。
それに失敗したら失敗したで、トリステインの旧弊を一掃する絶好の好機。
そも、トリステインは数年前に先王ヘンリーが崩御してから王位がずっと空位だ。
王国宰相マザリーニはヘンリーの死後、その娘アンリエッタを王位につけようとしたが宮廷貴族達が10歳すぎの女王を抱くなど他国から舐められるので承服しかねると強固に反対した。
そこでマザリーニはアンリエッタを適当な人物と結婚させてその婿を王位につけようと画策したが、今度は二度続けて入り婿をトリステインの玉座に座らせるのはいかがなものかという意見がでたり、貴族達がそれぞれ婿候補を擁立して対立し始めたためにこれは一旦保留となった。
ならばと先々代国王フィリップ3世の娘であり、先王ヘンリーの妻であるマリアンヌを女王にしようとマザリーニは提案し、宮廷貴族達もこれには賛成したため、喪が明け次第、王妃マリアンヌに即位してもらう運びとなった。
が、とうのマリアンヌが王位に就くのを
となれば、アンリエッタの婿を王につけざるを得なくなるのだが、貴族達が対立している間にアルビオンで革命が起こり、アルビオンの王権が打倒されるのが確定的という状況になって貴族達は対立している場合ではないとようやく気づき、妥協に妥協を重ねた産物として、同盟と引き換えにアンリエッタがゲルマニアの皇帝アルブレヒト3世に嫁入りするということを宮廷貴族達は渋々容認しなければならない事態となった。
しかしそれもタルブにおけるトリステイン軍の単独勝利により、ゲルマニアがアンリエッタを嫁によこせという要求を撤回し、対等な同盟を結ぶこととなり、アンリエッタは女王として即位することとなり、現在に至る。
だが、それでも婿争いで対立していた貴族同士の対立感情は癒えておらず、貴族達が王の下に団結しているとはとても言い難い。
今でさえそうなのだから、アンリエッタの王女時代。ゲルマニアの皇帝の妃になるという話が決まった頃はもっとひどかったであろう。
そんな時に王女アンリエッタの無体な命令により、ルイズが戦場に散ったとヴァリエール公爵が宣言すればどうなるか。
貴族達は今の王家が信用できないようになり、こぞってヴァリエール公爵の下で馳せ参じるのではないか。
あとはヴァリエール公爵が旧王家を廃し、ヴァリエール朝トリステインを成立させれば、全てを旧王家のせいにすることによって、貴族達を団結させ、清廉な国家運営を行い、トリステイン単独でアルビオンと渡り合うこともできるのではないか。
そう考えれば、アンリエッタの行動は王家のためではなくとも、王国のためを思っての行動とも解釈できる。
そして”虚無”の力により、ラヴレター奪取に成功した場合はルイズを最大限王家と王国のために利用する腹積もりなのであろう。
ただ、いくら若気の至りと考えても隣国の皇太子に王女の署名と印入りラヴレターを送るような迂闊な人物がそんな思考ができるなど少々考えにくいが。
しかし最近予想外なことが多発しているため、少しでも可能性があるなら考慮するほどエクトル卿は神経質になっていた。
もしアンリエッタがこの推測を聞かされたら、顔が真っ青になるだろう。
その時はルイズが戦場で死ぬという可能性を全く考慮していなかったからだ。
「大使として戦争中の国に送りだせるほど信頼されているということは、ルイズ嬢はよほど優秀なメイジなのだろうな。ワルド子爵。ルイズ嬢が何系統のメイジなのだ?」
何気ない風を装い、ワルド子爵へと尋ねる。
するとワルドは苦笑しながら、答えた。
「言いづらいのですが、ルイズは座学は優秀ですが、メイジとしては無能です。魔法が使えません」
「魔法が使えない? どういうことだ。ルイズ嬢が魔法を使えんなど血統的にありえんはずだ」
「原因は不明ですが、ルイズが魔法を行使すると全て爆発してしまい失敗するのです」
「……なんだそれは」
そう言いながら、エクトル卿はある程度予想がついていた。
ルイズが使える魔法に”
おそらくは自分の系統がばれないようにそれで失敗しているように擬態していたのだろう。
「残念ながらわかりません。
ヴァリエール公爵も原因を解明しようと色々と手を尽くしたそうですが、謎のままです」
申し訳なさそうに言うワルド。
「そうか。だが、そうなると解せんな。
座学が優秀とはいえ、なぜアンリエッタ女王はそんな無能なメイジを大使に選んだのだ?」
「先程も申し上げましたが、ルイズは女王の信頼できる人物です。
それに私が王宮でいた頃、女王は貴族達の忠誠心のなさを嘆いておられてもいました。
偉大なるフィリップ3世の治世には、貴族は皆私のように忠誠を示したに違いないと」
「言わんとすることはわからんではないが、裏切り者であるおぬしにそのようなことを言うとはトリステインの女王はよほど人を見る目がないと見える」
「仰るとおりで。これほど滑稽な喜劇はそうありませんからな」
ワルドはそう冷笑しながらそう言った。
確かにそんな王を小馬鹿にするような喜劇はこのロンディニウムの演劇場でも見ることはできないだろう。
しかしワルドの話を聞く限り、やはりアンリエッタは感情に身を任せる小娘としかエクトル卿には思えない。
いや、仮にそうだとした場合でもアンリエッタの思考をうまく誘導し、ヴァリエール家に天下を握らせようと企んだ者がいる可能性もあるか。
だが、まだ決めつけるのは禁物だと更にアンリエッタがどういう人物であるかをワルドに問うた。
エクトル卿の関心が、ルイズからアンリエッタに移ったことを悟り、ルイズが虚無であることを隠しおおせたとワルドは内心安堵する。
だが、ワルドの演技によってエクトル卿はワルドはルイズが虚無であることを知らないと捉えただけで、ルイズに対する警戒レベルは跳ね上がったことにはワルドは気づかなかった。
オリ主の推測が迷走中。どうしてこなった。