降臨祭明けの最初の日の明朝。
ハヴィランド宮殿前の大広間で神聖アルビオン共和国四万の兵は勝利を確信した好戦的な笑みを浮かべていた。
昨晩、クロムウェルの”虚無”によりサウスゴータ地方にたむろしていた敵軍六万のうち三万が神と始祖への真なる信仰心に目覚め、その信仰心の命じるままにサウスゴータから敵軍を駆逐したと聞かされているからである。
サウスゴータで待つ新たなる同志三万を加えるとアルビオンの全兵力は八万。内、一万が王都の守りのために残ることになっているがそれでも七万の軍勢で既に敗走している敗軍三万を追撃することになるのである。
しかも国土を敵国に侵されて急速に民意を失いつつある貴族議会は侵略者どもを空中大陸から確実に叩きだすべく必勝を期して内乱時に莫大な武功を立てまくったエクトル卿を総司令官、歴戦の名将で将兵の人望が厚いジョン・ホーキンス将軍を副司令官に据えるという完璧すぎる人事を行った。
普通に考えて負ける可能性が皆無の戦いであり、兵士たちは約束された勝利とそれに伴う少なくない報奨金を手に入れて酒場で自分の武勇譚を語って聞かせている姿が既に瞼の裏に浮かんでいる有様であった。
「エクトル卿。吉報を待っているよ」
「はっ。我が軍の勝利に疑いありません。安心してお任せください」
そして神聖皇帝クロムウェルも勝利は疑いないという笑みを浮かべながら手を差し出す。
その手を握り返して握手するエクトル卿は、密書によって目の前の人物が既にジョゼフから見放されていることを知るがゆえに湧き上がってくる嘲笑の笑みを抑えることに努力せねばならなかった。
幸いなことに抑えきれずに笑みを浮かべてしまっても、状況的に自軍の勝利を確信しているが故と周りに思われるであろうことがエクトル卿にとって救いであった。
「ホーキンス将軍。よくエクトル卿を支えてあげたまえ」
「は。御期待に応えられるよう微力を尽くしましょう」
同じようにクロムウェルはホーキンスとも握手を求めた。
ホーキンスは真面目な顔でそれに応えたが、内心では戦う前から戦勝気分の軍隊を率いるという長い軍人人生の中で初めての経験に非常に困惑していた。
なんというかこれでよいのか。窮鼠猫を噛むというように敵軍がもはやこれまでと捨て身の攻勢をかけてきた時に冷静に対処できるのか。対処できずに食い破られ、大損害を受けた挙句敗北したりしないか。
生来の常識人たるホーキンスはそんな思いがまるで噴水が噴き出すように次々と湧き出てきてしかないのであった。
「始祖よ、彼らは神の忠実なる
神よ。この者らは天上の栄光を地上に齎さんとする忠実な神の兵。彼らに神の加護と勝利を」
クロムウェルが祈る仕草をしてそう唱える。
元司教であっただけあってその姿は様になっており、将兵を敬虔な気持ちにさせた。
「全軍出撃!」
クロムウェルの祈りが終わったと同時に、エクトル卿は馬に跨ってそう叫んだ。
因みに使い魔の雷竜はというと、サウスゴータで負傷したという名目でブロワ侯爵の領地で療養させている。
「いよいよですな」
副官ディッガーの言葉にエクトル卿は頷いた。
当日中に到着したシティ・オブ・サウスゴータは悲惨な状態になっていた。
道には兵士や民間人の死体が散乱し、いくつもの家屋が爆破されて瓦礫の山と化している。
これを見て浮かれ気分で進軍してきた者達も多少神妙な気持ちになり、死者を悼む。
そこに、これらの悲劇を引き起こした自分たちの指導者クロムウェルに対する非難は一切ない。
そもそも敵軍が不遜にもこの神聖なアルビオンに攻め込んで来なければこのような事態が起きなかったのだ。
よって、かかる事態の全責任は侵略してきたトリステインとゲルマニアにあり、その被害者たるアルビオンに非は一切ないのであった。
無論、これは貴族議会と軍の言い分であって、トリステインやゲルマニア、実際に被害を受けた民がどう考えるかはまた別の話である。
「これは……不気味な……」
「その通りですな……」
小さく呟いたエクトル卿の言葉にホーキンスも頷く。
彼らの前にはクロムウェルの”虚無”により新たなる同志となった三万の兵がいた。
彼らは一糸乱れることなく整列し、表情を引き締めている。
それは軍人として素晴らしきことであるのだろうが、裏切った直後の兵が一切動揺することなく完璧に統率されていることに不信を感じないエクトル卿とホーキンスではない。
(生者の意思を縛ることのどこが神聖な力なのやら。いや、神聖で間違ってはないか)
これほど自軍が有利になる奇跡的な力を神聖と讃えぬわけがないか。
そんな風なことを思うエクトル卿。
一方、ホーキンスはというと
(本当に彼らは私たちの仲間に加わったのか? 実は裏切ったふりをしているだけという敵の策略ではないのか?)
そんな懸念を抱いていた。
”虚無”という超常の力をいまいち信じきれないホーキンスにとってはそれが一番高い可能性であった。
「エクトル卿。お待ちしておりました」
そんな新たなる同志三万を纏めていた黒づくめの女が恭しく礼をするとそう言った。
その女の姿を認めたエクトル卿は首を傾げた。
「ミス・シェフィールド。おぬしはミスタ・ワルドやミス・サウスゴータとともに皇帝直々の極秘任務についていると聞いていたが?」
「ええ。その極秘任務というのが新たなる同志たちの指揮権を速やかに掌握し、命令系統を確立することだったのです」
シェフィールドの説明にエクトル卿は納得した。
確かにクロムウェルの”虚無”とやらで敵軍の半数近くが裏切ることがわかりきっていたのでそういう役目の者は必要だろう。
「そうか。それではその2人もここにおるのか?」
「いえ。彼らは他にも別命があったようで既にここにはおりません」
シェフィールドはそう言ったが、実際のところは違う。
シェフィールドはとある”虚無”の担い手によって
”ミョズニトニルン”とは始祖ブリミルが従えていた4人の使い魔のひとつであり、あらゆるマジック・アイテムを理解し使いこなす”神の頭脳”と呼ばれる存在だ。
クロムウェルに与えていた”虚無”の力――正確にはジョゼフが平民坊主に与えた”アンドバリの指輪”――を回収したシェフィールドはこの辺の地域に詳しいマチルダを道案内役、元近衛隊隊長の凄腕メイジであるワルド子爵を護衛にシティ・オブ・サウスゴータの水源に赴き、その水の精霊力の結晶である”アンドバリの指輪”の力を自分に刻まれた”ミョズニトニルン”のルーンで増幅させて水源に溶け込ませた。
これによりサウスゴータの水を飲んだ者は降臨祭中に少しづつ洗脳されて敵軍の内三万もの兵が降臨祭の最終日に何の前触れもなく組織的な反乱を起こし、敵軍をサウスゴータ地方から叩き出したのである。
しかし、ワルド子爵が自分の正体を看破してきたのだ。
これはシェフィールドにとって予想外なことであった。
虚無の使い魔など、多くの者が興味を示さないような文献にしか載っていない伝説の存在である。
精々、始祖ブリミルが4人の使い魔を使役したことが知られているくらいで、その使い魔の能力や刻まれるルーンなど普通は知らない。
そしてワルドはシェフィールドの主人に会わせるよう杖を向けて脅してきた。
シェフィールドにとって自分が”ミョズニトニルン”であることは絶対に隠さねばならないことであった。
なぜなら彼女の愛する主人がそれを望んでいないからである。
よって口封じすべく、シェフィールドは小型化させていたガーゴイルたちを操ってワルドとマチルダを殺して口封じしようとした。
しかしワルドの方が一枚上手であったようで、ガーゴイルに囲まれ、シェフィールドが油断した瞬間にマチルダを抱きかかえて一番囲みが薄い場所を突破して自分の使い魔であるグリフォンに飛び乗り、空の彼方へと消えていったのである。
このことにシェフィールドはワルドに激怒し、ついで自分の失態を恥じて主人に謝ることとなってしまった。
そんな裏事情満載な出来事を懇切丁寧に説明する気がシェフィールドにはなかったので、そんな風にごまかしたのだ。
どうせ数日中に崩壊する国家である。どのような虚言を弄したとしても問題はあるまい。
「それで私は皇帝閣下から指揮権を委譲次第、ロンディニウムへと帰還せよと命じられております。ですので、この新しい三万の精鋭を預けたいのですが、どちらにお譲りすれば?」
シェフィールドの問いにエクトル卿は暫し顎に手を当てて考え込んだ。
やがて結論がでたのか、大きく頷いた。
「ホーキンス、
「な!?」
とんでもない命令にホーキンスは思わず驚愕の声をあげた。
声をあげなかったシェフィールドも驚きと疑惑の目を向けている。
「何を言っておられるのです?! 皇帝閣下は貴方に敵軍の討伐を命じられたのだぞ!」
ホーキンスの追及にエクトル卿はため息することで応えた。
「あれを見てみるがよい」
総指揮官が指さす方をホーキンスは見た。
指さされた方向にある崩れた建物は物資の集積場であったらしく、大量の武具が瓦礫の隙間から顔を覗かせていた。
「敵軍はここまで運んだ物資の殆どを捨ててまで退却したようだ。
ということは敵軍は武装すら事欠く状態。完全武装している我らに敵う道理がない」
「なのでそんなつまらないことは私に任せると?」
憮然とした顔をするホーキンスにエクトル卿は苦笑する。
「それもないとは言わぬが、ここの瓦礫撤去や死体処理をせねばなるまい。
放っておいては民からの反感を買うし、下手すると疫病の原因になりかねん」
その言葉に納得したのかホーキンスは頷いた。
「にしても、我らが来るまでにそれをする暇はなかったのかミス・シェフィールド」
責めるような視線をシェフィールドに向けるエクトル卿。
それに対してシェフィールドは平然としたものだった。
「申し訳ありませんが、三万もの軍の命令系統を確立させるだけで精いっぱいでしたわ」
「そうか。まあ、おぬしは文官であって武官ではない。
しかも女とあっては軍人から舐められ命令系統構築に時間をかけたとしても致し方なかろうな」
エクトル卿の
互いに睨みあい、ともすれば一瞬で殺し合いがはじまりそうな緊張感が2人の間に漂う。
「……とにかくエクトル卿にここの後処理を任せます。ミス・シェフィールドも皇帝の密命を遂行なされるといい。敵軍は私がしっかりと撃破します故」
流石にこのままにしておいてはまずいと思ってホーキンスが口を挟んだ。
それで白けたのかエクトル卿は軽く鼻を鳴らすとシェフィールドを睨むのをやめた。
そしてホーキンスに了承の意を告げるとディッガーを伴って街の中心部へと消えて行った。
シェフィールドも体面を取り繕って笑みを浮かべたが、まったく目が笑ってなかった。
それを見たホーキンスはため息を吐かずにはいられなかった。
皇帝クロムウェルは国家より理想を重んじてその過程で血を流す民を顧みない。
その皇帝の秘書シェフィールドはこの国のナンバーツーであるエクトル卿を明らかに嫌っており、エクトル卿はそれを承知の上で煽っている節すらある。
そしてその手足となる”有能な貴族”とやらの大半が己の利権拡大に腐心する烏合の集。
そんな状態でこの国は大丈夫であろうかとホーキンスは思わざるを得なかった。
~どこかの空を飛ぶグリフォンの上~
ワルド「ん? どうしたマチルダ? 顔が赤いぞ」
マチルダ「誰のせいだ! 誰の!?」
ワルド「……ひどく錯乱しているな。
あのシェフィールドに変なマジックアイテムでも使われたのか」
マチルダ「……鈍感なんだよ! この唐変木のマザコンがッ!」
ワルド(俺が何か間違えたのだろうか?)
マチルダ(騎士に横抱きされながら守られるなんてどんな絵物語だい!?)