たった1晩で三万の軍勢を自軍の指揮系統に加えることに成功したホーキンスは翌朝には七万の軍勢を率いてサウスゴータを発っていた。
一方、残ったエクトル卿はというと民を宣撫し、同時に死体処理と瓦礫撤去に取り掛かろうとした。
だが、あまりにもすんなりと民の宣撫に成功してしまったのはエクトル卿にとって少々意外であった。
というのも共和国はシティ・オブ・サスゴータから食料を摘発して焦土戦を展開した過去があるため、民衆の軍への不満は相当なものであろうと推測していたからだ。
しかし市民は不満を持ちながらも従順にこちらの指示に従ってくれたのである。
「ありがたいことに敵は相当派手に争ってくれたようだな……」
エクトル卿は住民が死んで無人化した小さな家の椅子に腰かけてそう呟いた。
アルビオンがこの都市を見捨てた時、市民は亜人の独断と言われても食い物を奪っていった共和政権を憎んだし、解放軍として現れて自分たちに食料を与えて自治を認めてくれたトリステイン・ゲルマニア連合軍を歓迎した。
そんな状況であれば、たとえアルビオンがサウスゴータを奪還しても民が従順に従ってくれるはずがなかろう。
しかし降臨祭の最終日の夜に起こった反乱によって市民の感情は大きく変化したのだ。
いきなり三万もの兵に裏切られた上に反乱軍の先制攻撃で首脳部の大半が戦死した連合軍は指揮系統が乱れに乱れて疲弊するばかりであった。
反乱軍の苛烈な攻勢とそれに必死で対処しようとする連合軍。その戦闘に多数の市民の巻き込まれてしまったのだ。
家が吹き飛ぶとか、敗北を悟った連合軍の兵の一部に財産を奪われるとかはまだかわいいもので、市民を敵と誤認して殺すとか、市民に紛れてやり過ごそうとした兵を撃ち殺さんとする反乱軍の攻撃に巻き込まれたりなどして、数百の市民の屍がこの都市に積みあげられることとなったのだ。
この一件でサスゴータの市民は共和政権より連合軍を憎むようになっていたのだった。
なるほど確かにアルビオンは市民から食料を巻き上げたが殺したりしなかったし、都市が陥落するまでシティ・オブ・サスゴータ防衛にあっていたトライド将軍も市民を傷つけるような者には厳罰をもってあたるような人物であったので、命だけでも守ってくれるアルビオンの方がマシだと市民たちは思ったのだ。
「おまけに物資も有り余るほどある。なんとも運の良いことだ」
敵は相当混乱しながらサウスゴータから撤退したようで、軍需物資の大半がそのまま捨て置かれており、糧食もその例外ではなかった。
降臨祭が明けてから数週間にわたって六万の軍を養うはずだった糧食はエクトル卿が
その時に申し訳なさそうにしながら分配しろというエクトル卿の命令に兵士の多くが従った結果、本当に自分たちが食料を取り上げたのは亜人達の独断だったのではと信じはじめる市民が出始める始末だ。
「そうですな。これが始祖の導きというものやもしれません」
「……ディッガー、クロムウェルにでも毒されたか?
宗教庁の言い分に従えば、悪魔の力たる先住によって今の状況が成立しておるのだぞ」
皮肉気な声でエクトル卿は嗤った。
そして目線を窓の外へと向ける。
「なぁ、エリザベート?」
「……バレないように周りの精霊と契約して気配を消していたのだけど……」
少し困った顔をしてエリザベートは家の中へと入ってきた。
エリザベートは連合軍の進軍に同行していたのだが、サウスゴータで起きた内乱騒ぎの中で抜け出していたのだ。
因みに
「戦場で研ぎ澄まされた俺の勘を舐めるな。
しかし貴様もよく飽きぬことだ。未だに俺の命を狙っておるのか?」
「もうほとんど諦観の領域に突っ込んでるけど、やめる気はないわね」
エリザベートの言葉にディッガーははっきりと嫌悪の目を向ける。
自分の主の慈悲によって生かされている者がとっていい態度とは思えないからだ。
しかしそんなディッガーの想いを余所にエクトル卿は笑みを浮かべただけだった。
「まあよい。どちらも既に聞いておるだろうが、念のための確認をしておこう」
そう言ってエクトル卿は今後の計画を話しはじめた。
ここから北東数リーグにあるブロワ侯爵の領地へ赴き、そこで二千の兵を整えているヨハネと合流する。
そして王党派の旗を掲げてロンディニウムへと進軍し、王都を叛徒どもから”奪回”する。
大筋はそんなところであるが、懸念事項がある。
言うまでもなくクロムウェルのマジックアイテムだ。
あれは死者を従順な下僕にする道具であると思っていたが、サウスゴータにいた敵兵を寝返らしたことを考えると生者を操るだけの力もあるようだ。
故にクロムウェルには十分に注意して動かねばならない。
「そんなところだ。なにか質問はあるか?」
質問を求める声にディッガーが答えた。
「攻城戦となると敵軍の三倍の兵力を持って初めて互角と言います。
我が方はブロワ侯爵の兵を加えても五千。対する相手は一万が王都に籠っております。
これでは少々厳しいと言わざるを得ないと思うのですが、何か策がおありでしょうか」
「ああ。それに関してはヨーク伯の部隊が内側から門を開ける手はずとなっている」
「確かにロンディニウムは特殊な立地故、城門を開けばなんとでもなりましょうが……
ヨーク伯の兵は確か五百程ではありませんか。一万の敵の中で孤立しては失敗の可能性もありましょう」
「問題ない。なぁ、エリザベート?」
エクトル卿の視線に、エリザベートはにっこりとほほ笑んだ。
「部隊の指揮官の何名かをわたしの仲間が
「そうだと良いのだがな……」
仲間の事を自慢げに言うエリザベートに疑わしげな視線を向けるディッガー。
それを見てエクトル卿は軽くため息をつくが、ディッガーはエリザベートへ警戒の目を向け続ける。
相手は狡猾な吸血鬼である。警戒しても警戒したりないことはない。
自分の主が主としての度量を示すため、吸血鬼どもを信頼しているように振る舞っているならば、そのかわりに吸血鬼に警戒の目を向けるは自分の役目であるとディッガーは思っていた。
そんなディッガーを見てエリザベートは軽く鼻を鳴らして睨み返した。
「お前ら……、仲良くせよとは言わぬが俺の前で対立するな。話を進めにくいだろうが」
エクトル卿の注意で、2人は睨みあうのをやめた。
「それでだ。
1週間我が軍を養う量を除き、敵から奪った糧食はこの都市の有力者に全て譲ってしまえ。
武装や火薬はそのまま持っていき、ブロワ侯爵の領地に置かせてもらうとしよう。
これだけの量があれば国の実権を握った時に軍隊の武装費が浮くし、余った分はトリステインやゲルマニアに返還する形で売り払って国庫を潤わせてやる」
「ですが、武装や火薬はかなりの量になります。
これだけの量をブロワ侯爵の領地に運ぶとなればブロワ侯爵の領地まで数日はかかりますぞ」
「かまわぬ。侯爵の領地で丸1日休養を取り、次の日に王都へ進軍して決戦だ」
「そうなると4日はかかりますな……、その間クロムウェルが気づかなければ良いのですが……」
「気づいてもどうしようもできぬさ。
降臨祭の間に色々と調べてみたが、ガリアが参戦するのは間違いないようだ。
そうなればロサイスにいる七万の兵を王都へ取って返すことはできまい」
「しかしなぜ密書通り我が方に立って参戦してくると言い切れるのです?
共和国側、或いはトリステイン・ゲルマニア側にたって参戦してくる可能性もあります」
ディッガーの疑問にエクトル卿は笑い声をあげた。
「トリステイン・ゲルマニア側に立って参戦はありえぬ。
いや、降臨祭が終わるまでは可能性はありえたが、今となってはな。
そちら側に立って参戦して勝利した場合、敗走した2か国が口挟んでくるのは確実だ。
ハッキリ言って何の役にも立ってないのに戦勝国としての権利だけ主張してな。
そしてジョゼフ王が自国を滅ぼしたいと思っていない限り、共和国側は論外だ。
いくら共和国がジョゼフの傀儡であるとはいえ、表向きの主張が専制国家と相容れぬ。
そんな国と手を組めば、ガリアで派手な内乱が発生することが目に見える。
となれば戦争に介入するために手を組める相手は最早俺しか残ってはおらん」
「そうかもしれませんが……」
「まあ、そうなれば俺に軍事援助の見返りとしてこの空中大陸の四分の一……
いや、空中大陸の半分くらいを寄越せと要求してきそうだが、この際仕方あるまい」
「……そうなると史上初めてこの空中大陸が白以外の色に染まるわけですか」
「そうなるな。まあ、俺が王となるための代償としては安いものだ」
肩を竦めるエクトル卿。
アルビオン史上初めて他国に領土を奪われる辛酸を舐めることを王になる代償として安いと事もなげに言ってのける。
「でも坊やは4年前に王族としての権利を剥奪されている上に、死んだ事にされているのでしょう?
そんな貴方が王党派の旗を掲げて王都を奪還したとして、この国の貴族や他国の首脳が認めるかしら」
「いらん心配だ」
疑問をすげなく切り捨てられてすこしムッとするエリザベート。
「そうかしら?アルビオン人にとってこの空中大陸は神聖不可侵であらねばならないもの。それを容易く他国に譲ってしまう死んだ筈の王族に周りが従うかしら」
エリザベートのいう事はもっともだった。
自衛の延長線上の理由でアルビオンに侵攻してきたトリステインはともかく、空中大陸に魅力を感じてその領土と利権を狙って侵攻してきているゲルマニアはこちらの正統性が疑わしいでっち上げに対して確実に難癖をつけ、アルビオンから富と領土を簒奪していこうと企むのは目に見えている。
もとよりゲルマニアとは、そういう手段を繰り返して勢力を増強させ、たった数百年で大国に成り上がった帝国だ。
その歴史故に野蛮人の国とか侮蔑の感情を持たれることがあるが、国民性自体がそれに寛容な状態となっており、多少の批難など鼻で笑うほどに自立心を持ってもいる。
しかもこちらがゲルマニアに比べて弱者である以上、ある程度は受け入れなばならない立場にある。
それを覆すため、ジョゼフからは密書でガリアの後ろ盾を得て共同で王都奪還とアルビオン再興を行い、ゲルマニアがリスクを恐れて黙り込むよう仕向けたいと打診されてもいた。
だが、それに対してエクトル卿は唇を大きく歪めた。
「お前の心配は土台から間違っておる。我らが王党派を率いるは俺ではない。
実権どころか自由意思を持つことすら認める気はせんが、旗頭は別におるのだ」
仮面で隠されていない口元だけで十分にわかるほど邪悪な笑みを浮かべるエクトル卿に、エリザベートは思わず後退った。
そして北東の空を睨んだ。
「そろそろブロワ侯爵の屋敷で歓迎されていた客人に活躍願うとしよう」
さて、そろそろ共和国も崩壊ですかな……