風の復讐譚[更新停止]   作:kuraisu

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今回いろいろ暴走してしまいました。完全に趣味に走っている上に、みなくても何の問題もありません。
時系列的にはアンリエッタがマザリーニから戦没者のリストを見せられて色々反省したあたりと思ってください。


外伝・トリステインの歴史

アルビオン戦争の戦没者の名前の数に想いを馳せ、君主としての自分の責任の重さを痛感したアンリエッタは書庫から歴史書を引っ張り出してきた。

 

歴代のトリステインの王達がどのようにして、君主としての責任を果たしてきたか知りたくなったからである。

 

そう思い、アンリエッタは歴史書のページを捲った。

 

この歴史書は今から約四百年前のフィリップ1世の治世から記されている。

 

”魅了王”アンリ3世の子として生まれたフィリップ1世は放蕩家であった父への反発から敬虔なブリミル教徒であった。

 

その治世の在り方は名君と呼ぶにふさわしいものであったが、時のロマリア教皇クルセイダーとガリア王の聖戦宣言に同調し、エルフに対する戦争に参加する。

 

しかし強力な魔法を行使するエルフ軍に息子達も失う惨敗を喫し、この結果に不満をもった諸侯の反乱が多発する。

 

フィリップ1世は必死で諸侯達を抑えたが、諸侯の王家から独立運動を全て止めることはできず、領土の東半分が領邦国家として独立してしまう。

 

その後、残った領土の安定化に全力を尽くしたが、途中で衰弱してしまう。

 

東半分の領土を失った混乱を収拾しきることができず、フィリップ1世はこの世を去った。

 

「神よ。私がなにをしたというのですか」

 

今際の際の言葉がそれであったと伝えられる。

 

次に王位についたのが、アンリ3世の妾腹の孫。フィリップ1世の甥にあたるクロタールである。

 

後に”失踪王”や”万能王”という異名を持つことになるクロタール4世は魔法・軍略・内政・外交その他諸々の技能において比類ない才能を持っていた稀代の傑物であり、国家の再建を急速な勢いで実現させていった。

 

さらに類稀なる才女であり、美女である公爵令嬢アデライドが王妃に迎えられると貴族の誰もがトリステインは安泰であると確信していた。

 

しかしこれにクロタール4世は不満を持っていた。

 

というのも、彼が王位に就く前から自分に仕えている侍女のアンヌと相思相愛であったからだ。

 

だが、国家のために必要であるとわかってはいたので、クロタール4世は王になってからアンヌとは侍女と主人という関係にとどめ、一国の王としての態度をとり続けた。

 

それが急変するのはアデライドが男子を出産した時である。

 

クロタール4世がそれを知ると狂喜乱舞し、即座に退位宣言書を作成して王宮の自室に置き、アンヌと一緒に王都から愛の逃避行を敢行してしまったのである。

 

事態を把握したアデライドは激怒した。

 

それはアデライドが国を混乱を収拾したし、後継者もできたから国王やめて私情優先してもいいよね?という夫の心の動きを的確に察したからである。

 

怒りに任せてアデライドは出産直後にも関わらず凄まじい指導力を発揮して箝口令を敷き、全力で夫であるクロタール4世の捜索に乗り出した。

 

しかしクロタール4世は稀代の傑物であり、逃げる最中にその才覚を思う存分に発揮して捜索隊を攪乱させる数々の工作を施し、尻尾すら掴ませずに逃げおおせてしまったのである。

 

クロタール4世を取り逃がしてしまったことを悟ったアデライドと家臣達は、途方に暮れて事の次第を国家機密とした。

 

なぜなら自国の王が国と王妃をほったらかしにして平民の娘を連れて愛の逃避行に及んだなどと発表できるわけがないからである。

 

よって王政府は、クロタール4世は男子が産まれた喜びによって感極まって死亡という苦しすぎる言い訳を公表することとなる。

 

このため、クロタール4世は20歳手前に王座に座りながら、在位期間がたった7年という短さである。

 

しかしその7年間の間に国家の再建を完璧に成し遂げたことを考えると、やはり非凡な人物と言わざるを得ない。

 

先王の失踪後、その子アルデイル・オットーが生後1ヶ月という若さでトリステインの国王として君臨することとなった。

 

勿論、物心さえついてないアルデイル・オットーに政務ができる筈がなく、母であるアデライドが宰相兼高等法院院長として国政を行った。

 

アルデイル・オットーが物心ついてくるとアデライドが国政を行う傍ら、彼に英才教育を施して名君と呼ぶにふさわしい人物に成長していった。

 

アルデイル・オットーが王として自立できているのを確認するとアデライドは官職から退(しりぞ)き、助言役に徹するようになる。

 

するとアデライドは激務から解放されて暇な時間が増えてきたせいか、急速に老け込んでいき、アルデイル・オットーが29歳の時に亡くなった。

 

翌年にアデライドの国葬を執り行った際に、アルデイル・オットーは人目を憚らずに泣き、臣下たちを驚かせた。

 

物心つく前から王として君臨していたせいか、アルデイル・オットーは(おごそ)かさはあるが無感動な人間であり、一私人としての彼の姿は臣下たちにとって永遠の謎であったからである。

 

これ以外でアルデイル・オットーが感情を露わにしたのは、国葬に参列した平民の弔問客(ちょうもんきゃく)の中にこっそり先王クロタール4世が紛れ込んでいることに警備員が気づき、それを知らされて驚愕した時だけである。

 

その後、この親子は実に30年ぶりに顔を合わせたわけであるが、どのような会話をしたのかは記録に残っていない。

 

しかしこの対談の後、クロタール4世は王宮に客人として招かれ、国家機密であるはずである先王が王妃のアデライドを捨てて、侍女のアンヌと駆け落ちしたことが公然の事実になった。

 

そして数年後、クロタール4世は自叙伝を執筆して発表すると、なぜか侍女アンヌとの愛の逃避行がトリステイン国民から美談として受け取られたと言う。

 

自叙伝を発表した後、再びクロタール4世は姿を消し、二度と公的な場所にでることはなかったという。

 

母アデライドの死と、父クロタール4世との予想外の再会を経て、アルデイル・オットーは長寿を保ち、長い平和の時代を築いた。

 

そしてアルデイル・オットーが98歳の時に、心筋梗塞でこの世から去った。

 

在位期間も98年。これはハルケギニア史上最長の在位期間であり、アルデイル・オットーは”生涯王”と周りから讃えられるゆえんである。

 

アルデイル・オットーの死後、孫のアンリが王位についた。

 

アンリ4世は現状維持のみに全力を費やした非常に保守的な国王であったと言える。

 

なにか改革を行うにしても、常に臣下の発案という形を崩すことはなかった。

 

これはアンリ4世の自信のなさの表れであったかもしれない。

 

というのも、本来であればアンリ4世の父であるユリウス大公が王位に就くはずであったのだ。

 

人望のある彼が王になれば、トリステインはさらなる発展を遂げたことだろう。

 

しかし、アルデイル・オットーが長寿すぎたせいでユリウス大公の方が先に寿命を迎えてしまい、なし崩し的に王太孫となった長男のアンリが国王となってしまったのである。

 

アンリ4世は自分が改革を主導して、偉大な父や祖父と比べられるのが恐ろしかったのだ。

 

だが、それでも臣下の改革案に合理性があれば受け入れはしたし、アンリ4世が信頼した弟のユリウス大公フランソワが改革派であり、ある種バランスがとれていたのでさほど問題にならずにすんだ。

 

こうしてアンリ4世は死ぬまで、改革を受け入れるバランス感覚を失うことなく、心優しい王妃に励まされながら無難な一生を過ごした。

 

しかしアンリ4世の死後、息子のクロタールが王位に就くと状況は一変した。

 

クロタール5世は病的なレベルの父親想い(ファザコン)であり、父が残したトリステインという国家の在り方を神聖不可侵なもののように考え、国家の在り方を変質させるあらゆる改革を忌み嫌い、改革を唱える貴族を纏めた閑職にまわしたり、無実の罪を着せて牢獄にぶち込むという父親以上に保守的な――ここまでくると反動主義者というべき存在であったのである。

 

当然のことながら父親と違って、臣下が改革案を提示してきても受け入れることなどなかったし、閑職にまわされてもしつこく改革案を提示してくる者には反逆罪を適用して処刑した。

 

このようなクロタール5世の横暴に激怒したのが、改革派であった父フランソワの影響をたぶんに受けていたユリウス大公ナヴァールである。

 

ナヴァールはクロタール5世の従弟にあたり、彼は王位簒奪を企み、現状に不満を持っている貴族達を糾合して国家を二分する内乱を起こした。

 

ところがクロタール5世の魔法と軍略の才能は同名の高祖父(こうそふ)譲りであったらしく、反乱を起こしたほぼ同戦力のナヴァール派をたった2ヶ月で鎮圧してしまう。

 

が、トリステインが混乱している状況を狙って、新興国の帝政ゲルマニアが大軍を率いてトリステインに侵攻してきてトリステインは領土の3割も奪われることとなった。

 

しかし内乱直後で軍が疲弊していおり、貴族間の対立も収まっていたわけではなかった状況を考慮に入れると、たった3割しか領土を失わずにすんだというべきであり、どちらかというとクロタール5世の非凡な軍才を称賛すべきであるのかもしれない。

 

ゲルマニアと講和を結んでから7か月後、クロタール5世は病にかかり、2年半に渡る闘病生活の末、この世を去った。

 

その後、王位についたのはクロタール5世の子、ラウールがラウール11世として王位についた。

 

ラウール11世は内政に専念し、国家の安定化に努めた。

 

その安定化の方法は父や祖父の保守的姿勢を多分に見習ったものであり、改革そのものに忌避感を覚えるようなものであったといえる。

 

ある意味、この親子3代に渡る連携プレーの結果が、トリステインに保守的な権威主義が蔓延することになった要因であり、トリステインを現在の苦境に追い込んだ原因のひとつであることは疑いない。

 

ラウール11世の死後、ラウール11世の娘に婿入りしていたアンリ4世の庶子を祖に持つ分家筋のフィリップが王位についた。

 

フィリップ2世は元々トリステイン軍の将軍であり、慎重な性格の人物であった。

 

彼の即位中にガリア・ゲルマニアが何度か侵攻してきたが、その全てを撃退している。

 

しかし、彼は自分側から敵国領土に攻め込む積極性に欠けており、”防衛戦常勝無敗”という評価は彼を讃える言葉であると同時に、彼の積極性のなさを皮肉る言葉である。

 

だが、フィリップ2世はそれを笑って受け入れたという。

 

このようにフィリップ2世は無用な戦を憎み、善政を敷き民衆から慕われた。

 

しかし彼は現状を大過なく治める才能はあったが、未来を見据える視点に欠けていた。

 

というのもフィリップ2世には3人の息子がいたのだ。

 

長男のロトルド、次男のカール、三男のフェルディナンドの3名である。

 

フィリップ2世はロトルドを立太子していたが、これにカールは不満を持っていた。

 

ロトルドは文官肌の人間であり、武人肌のカールはそんな兄を嫌っていたからである。

 

フィリップ2世はカールに元帥の称号を与えて軍事を任せることでカールを宥めようとしたが、今度はロトルドが

 

「あんな戦馬鹿に軍の全権を預けるなどとんでもない!」

 

と、フィリップ2世の案に強固に反対した。

 

カールの周りには好戦的な貴族たちが集まっており、もしカールが軍の全権を握れば王政府の関知せぬところで勝手に戦端を開きかねない。

 

そうロトルドは強固に主張し、フィリップ2世は渋々カールに軍の全権を与えることを取りやめた。

 

兄の反対で自分の元帥就任がお流れになったと自分の派閥に属する貴族から知らされたカールは激怒し、ロトルドを強く憎み、兄弟関係の修復は不可能な状態となってしまった。

 

そして兄弟間の権力闘争が延々と続くようになってしまったのである。

 

フィリップ2世の死後、ロトルドが王位につけば自分は粛清されるか閑職にとばされることを危惧したカールは侍女のひとりを買収して王太子ロトルドを暗殺した。

 

その侍女は子ども持ちであり、自分の命と引き換えにしてでも借金を完済し、子どもに何不自由なく生きて欲しかったのである。

 

買収された侍女は王太子暗殺の実行犯として高等法院に突き出された。

 

当初は自分が暗殺したことを認め、自らの死を持って罪を贖うつもりであると証言していたが、自分の子にも一緒に処刑される大罪であると知らされた直後に証言を翻し、自分はカールに買収されて共犯になったことを自白し、切実に自分の子に責を及ぼさないでほしいことを法院に要求した。

 

当時の高等法院長はロトルドの腹心であり、最初からロトルドが暗殺したのはカールの陰謀であると推測していたためなんとかして仇を討てないものかと考えていたことが侍女の希望を叶えることとなった。

 

当時の法院長は人情家であり、取り調べの中で聞かされた侍女が借金を背負う経緯に痛く同情したため、侍女本人の命はだめだが、子どもに関しては保証すると約束し、侍女にカールに買収されたことを(おおやけ)の場で証言するよう求めた。

 

こうして隠蔽工作拙く暗殺した事実が白日の下に晒され、カールが反逆罪で処刑されてしまったため、三男のフェルディナンドが王位についた。

 

元々、王位を狙って骨肉の争いを繰り広げていた兄らの権力闘争もどうでもよさそうに眺めていたフェルディナンド1世は王族としての能力と責任に欠ける人間だった。

 

政務は臣下に任せきりにして、自身は王子時代と同じように狩猟や劇場鑑賞に明け暮れたのである。

 

そんな国王であったので自然、フェルディナンド1世が最も仕事を押し付けた臣下であるレジーム伯の権限は際限なく増大していった。

 

やがてレジーム伯が宮内庁長官に任じられながら国務卿を兼任し、王政府内の官職をレジーム伯の派閥に属する貴族達が占有するようになると、誰の目にもフェルディナンド1世はレジーム伯の傀儡に過ぎないことが容易にわかった。

 

数年後、フェルディナンド1世とさる公国の公女カロリーナが結婚した。

 

それはレジーム伯も承知していた政略結婚だが、フェルディナンド1世がカロリーナに夢中になってしまったという誤算がレジーム伯の天下を大きく揺るがすこととなる。

 

カロリーナもフェルディナンド1世が自分に夢中になっていることに満更ではなく、愛犬のように可愛がった結果、ますます妻に夢中になったフェルディナンド1世はカロリーナが自分の才能を使える地位が欲しいという言葉を受け入れて、その日の夜の舞踏会の場で、彼女を王国宰相に任じると宣言してしまったのである。

 

寝耳に水な事態に、レジーム伯は他の貴族らと一緒に考え直すように嘆願したが、フェルディナンド1世は断固として拒否し、カロリーナを宰相にする決意が固い事を示した。

 

たまりかねたレジーム伯の子飼いの貴族達はカロリーナの暗殺を謀ったが、王宮でカロリーナ王妃の警護をしていたグランドプレ伯爵やグラモン伯爵の護衛部隊によって全員捕縛された。

 

以前からレジーム伯の専横を憎んでいた彼らは、これ幸いと暗殺の実行犯を尋問して、誰に命令されて王妃を害そうとしたのかを知る。

 

そしてそのことをそのままフェルディナンド1世に報告した。

 

暗殺を命令したのがレジーム伯の子飼い貴族であると知るとフェルディナンド1世は激怒し、宮廷にレジーム伯を呼びつけて叱咤した。

 

が、レジーム伯がのらりくらりと他の貴族が勝手にしたことと言う弁明に腹を立て、杖を抜いてレジーム伯を殺してしまったのである。

 

レジーム伯自身がカロリーナ暗殺に関与していた明確の証拠は何ひとつなかったが、フェルディナンド1世は自分を正当化すべく、周りから正当に評価されているその君主としての頭脳で対処方法を見出し、レジーム伯が反逆を企てていたので誅殺したと発表して、レジーム伯の派閥に属していた貴族達を纏めて処刑台に送り込むことによって見事に事態を収拾した。

 

こうして今まで自分に忠誠を誓ってきたレジーム伯の一派を粛清したフェルディナンド1世の人望は元々低かったのをさらに急降下させ、妻カロリーナがフェルディナンド1世を傀儡にして政治的実権を握り、事実上のトリステイン女王として君臨することとなった。

 

フェルディナンド1世の死後、その子ラディスラウスが王位に就いた。

 

ラディスラウスは王太子時代から母であり王国宰相であったカロリーナを憎んでいた。

 

というのも、カロリーナは自分で政治をしたいあまり、ラディスラウスにまともな教育を受けさせず、厄介払いとばかりに軍に放り込んでいたからである。

 

更にラディスラウスが王位に就いたその年に、度重なる権力闘争で疲弊したトリステインの領土を狙ってゲルマニアが侵攻してきたのだ。

 

カロリーナは王になってからもやたらと自分に反発する息子を疎み、彼を戦死させて芸術にしか興味がない先王の従甥を王位につけようと企み、ラディスラウスにたった数千の兵力だけで万単位ゲルマニア軍を迎え撃たせようとした。

 

これに激怒したのが、常にゲルマニアの最前線に領地を持つヴァリエール公爵である。

 

当初は自分の領地の危機だというのに、これだけの兵力しか援軍に寄越さない王室に対しての怒りであったが、ラディスラウスに事情を聞くうちにその矛先はカロリーナへと移った。

 

ゲルマニアとの戦争自体は多大な犠牲を出しつつも、ヴァリエール公爵の地の利を生かした戦法により、防衛自体に成功したが、そのせいで大いに傷ついた自領を見て、カロリーナに国政を任せておけぬとヴァリエール公爵はラディスラウスに助力することを決意した。

 

政治能力に長けたヴァリエール公爵はラディスラウスに

 

「諸侯に此度の顛末と奸臣カロリーナを討つため協力せよという檄文をお出しになりませ、さすればトリステイン貴族一同、陛下のお力になること、疑いありませぬ」

 

そう上奏されたラディスラウスであるが、手紙一つでどにかなるものかと思ったが、とりあえず憎き母を抹殺できるかもしれないと考え、上奏通りの事をした。

 

すると各地で反カロリーナを掲げて兵をあげる事態が続発した。

 

彼らは貴族の中の貴族と呼ばれるヴァリエール公爵の一族を見殺しにしようとしたカロリーナを許せなかったのである。

 

多くの諸侯の反発に対してカロリーナは陛下を誑かした奸臣ヴァリエール公爵を討てと命令したものの、宮廷内にいる貴族達はカロリーナと国王の確執を知っていたので、王都にいる部隊ですら王家への忠誠心や自身の保身目的で命令無視や反乱が相次ぎ、絶望したカロリーナは王宮から身投げして自殺した。

 

こうして名実ともにトリステイン王として君臨したラディスラウスであるが、帝王学をはじめとする政治的教育を一切受けていないので、今回の一件の褒賞として宰相の地位を与えられたヴァリエール公爵の補佐を受けながら、治世をはじめることになる。

 

一部の臣下達が、父フェルディナンド1世がレジーム伯やカロリーナ王妃の傀儡になったように、ラディスラウスがヴァリエール公爵の傀儡にならないかと噂しあった。

 

しかし、ヴァリエール公爵はラディスラウスに統治者としての心構えを説き、ラディスラウスが一人前の国王として成長したので、その心配は杞憂であったといえる。

 

ラディスラウスの死後、王位についたのはその子フランソワだ。

 

が、フランソワ6世は即位する前から不摂生が祟って病弱になっており、即位から数年もせぬ内に病死し、その子フランソワ・ジュニアが王位に就いた。

 

フランソワ7世は実に面白みがない国王であったといえる。

 

というのも無能ではないが有能でもなく、真面目で良心的な王であり、現状維持に長けた国王だった。

 

崩御するまで大した失政はなかったが、これといって偉大な改革を成し遂げたわけでもなく、後世の歴史家や劇作家にとってどう描写しても普遍的でちんぷな表現になってしまう鬼門となった。

 

次に王位についたのが先王の子、ディルクである。

 

ディルク1世はとても厳格な性格で、王政府内で汚職を行っていたものを一掃した。

 

また、各地の視察を幾度となく行い、領地で王国法に違反している貴族を粛清して民衆の人気を高めた。

 

が、視察途中に賊に襲われる形でディルク1世はこの世を去った。

 

その後、王位についたのはディルク1世の甥、ウラールである。

 

ウラール12世は父がゲルマニアとの戦で失っていたことから、幼き日にゲルマニア皇帝の首をとって父の仇を討つべく即位から僅か2年後に貴族達の支持を取り付けて大規模な侵攻軍を編成し、ゲルマニアとの戦いを繰り広げた。

 

ウラール12世は類まれなる軍才の持ち主であったと言ってよく、ゲルマニア相手に連戦連勝したが、ゲルマニア首都ウィンドボナ目前にして、味方の兵士に暗殺されてしまう。

 

暗殺犯である味方の兵士もその場で自決してしまったため、どういう意図を持ってウラール12世を暗したのかは闇の中であるが、遠征中に最高指揮官である国王を失ってしまった混乱をゲルマニアにつかれ、遠征軍は大損害を受けてトリステインへと戻った。

 

その後、ウラール12世に子がいなかったため、貴族たちは自分たちに最も有益な人物を王にしようと会議でもめたが、ガリアが軍を招集している動きがあると知ると貴族たちは己の利益に執着するのをやめて、国のためになる国王候補の選定を急いだ。

 

その結果としてフランソワ7世の妾腹の娘の曾孫にあたるジルベールが王位についた。

 

ジルベール1世は即位時16歳と非常に若かったが、ほかにも年配の王族はいるというのに貴族たちがジルベールを王位につけた理由は正にその年齢が決め手であった。

 

というのもガリア王国に18歳の王女がおり、彼女と政略結婚させることによって、ガリアとの戦争を回避しようと目論んだのである。

 

これにはガリアも乗り気であり、両者の結婚はトントン拍子で決まり、ガリアは侵攻の矛先をゲルマニアへと向け、トリステインはガリアの脅威から逃れることに成功したのである。

 

が、これは別にジルベール1世の手柄というわけではなく、少年は名君として名を残したいと様々なことを夢見た。

 

数年後、ガリアで内乱が発生するとジルベール1世の王位は不当であるとして、自分こそが王位にふさわしいとマルシヤック公ギスカールが主張した。

 

ギスカールはラディスラウスの妾腹の子の玄孫(曾孫の子)にあたる人物で、血の正統性でいうとジルベール1世と五十歩百歩であったが、ギスカールの野心に不平貴族や反ガリア派勢力が協力した結果、無視できない存在となっていた。

 

が、ジルベール1世は反乱勢の大半が自分の利益にならない国王である自分を害そうとしてるだけであることを看破すると、不平貴族の買収行為に取りかかった。

 

すると買収された貴族たちは華麗に身を翻してジルベール1世支持を表明し、ギスカールを支持する者達は意図的に流された噂に翻弄されて疑心暗鬼に陥った。

 

これを見て勝てないと悟ったギスカールは自分の一族には手を出さないこと、マルシヤック公爵家を存続させることを条件に自首し、事実上無血で内乱の危機を回避したのである。

 

これにより力を示したジルベール1世の王位は確固たるものとなり、思うがまま善政を敷いた。

 

ジルベール1世の死後、その子フランソワが王位についた。

 

フランソワ8世は父の方針を受け継いで善政を敷いたが、ある日階段を踏み外して転げ落ちて死ぬというなさけない死に方をした。

 

そこでジルベール1世の娘の婿であり、アンリ3世を祖に持つ分家筋出身のロトルド3世が王位についた。

 

ロトルド3世は非常に博識だが、自己主張にかける人物であり、ジルベール1世が王になる息子の補佐役にしようと娘と結婚させた逸材であったが、王としての器量があるかと問われれば首を傾げざるをえない。

 

事実、寡黙に粛々と事務的に王の政務をこなしていくロトルド3世に威厳を感じる貴族はほとんどいなかった。

 

さらに言えばロトルド3世は小心者であり、常におどおどしていて周りから頼りないように思われてもいたと言う。

 

だが、それでも必死の努力で様々な問題を起こしつつも、国家存亡レベルの問題を発生させずに王という重責を全うした。

 

ロトルド3世の死後、その娘クリスティ-ヌが王位についた。

 

クリスティーヌはトリステイン史上2例目の女王であり、十数世紀ぶりの女王でもあった。

 

女の身でありながら、なぜクリスティーヌが王位につくことになったかというと最近の王達と彼女自身に問題があった。

 

祖父ジルベール1世の子で成人まで成長したのはフランソワ8世しかいなかったし、伯父フランソワ8世は成人して数か月後に即位し、数年後に階段から転げ落ちて死ぬまでが早すぎるので子どもがひとりもいないし、父ロトルド3世は小心者だったので妾をつくる甲斐性などある訳がない上に妻との関係もクリスティーヌ誕生後は氷河期のごとく冷え込んでいったので、クリスティーヌ1人しか子どもがいなかったのである。

 

そしてジルベール1世以前の血縁を王につけるとなると4代前のウラール12世戦死後の貴族間対立の再来であり、なんとしても避けるべきであった。

 

となるとクリスティーヌを適当な男と結婚させ、その男を王とすれば良いのだが……

 

クリスティーヌが常識を鼻で笑うお転婆娘であり、女のくせに父の政治をよく補佐していたし、自ら軍を率いてゲルマニア軍を撃退するほど男勝りな性格であったため、クリスティーヌの婿になると公的な場でも妻の尻に敷かれないかと不安がったのである。

 

だが、彼女は為政者として非常に優秀であったし、決定を下す前に宮廷で会議を開いて他者の批判を受け入れる度量も持ち合わせていた。

 

無論、無制限に批判に寛大であったわけではなく、父が小心故に宮廷にのさぼらせていた批判の為の批判をする輩は容赦なく断罪したし、批判されていても一度自分が決断した事柄に対してなおも反対する者に対しては

 

「そんなに反対するなら領地に戻って(わらわ)への反乱を起こせばよろしいわ」

 

と言い切り、本当に反乱を起こした某子爵家は容赦なく取り潰した。

 

子どものアンリが17歳になるとクリスティーヌは王位を息子に譲って自身は元帥号を貰って死ぬまでトリステイン軍を統率したという。

 

アンリ5世は母の苛烈さを受け継いだような武断的な人間であり、ややこしい問題をすべて決闘で解決しようとしたことから”決闘王”と呼ばれる。

 

だがそれは、アンリ5世が政治が不得手であったわけでは決してなく、外交の場で卓越した才能を発揮したという。

 

また戦争という外交手段も対費用効率を考えるとあまり重要視しておらず、戦争という手段を下策中の下策と認識していたという記録が残っている。

 

アンリ5世の死後、その子フェルディナンド2世が王位についた。

 

フェルディナンド2世は迷信深いことを除けば、父の気性をよく受け継いだ人物であったが、王位についてからちょうど1年後に寝室で変死している姿で発見されたという。

 

かなり奇妙な殺され方をしており、なにやら”異端”の関わりも感じられたことから大規模な捜査が実施されたが、なにひとつ真相に繋がる証拠を得ることは叶わなかった。

 

次にフェルディナンド2世の弟、フィリップ3世が王位についた。

 

フィリップ3世は父親以上に武断的な人物であり、戦を好む典型的な武人であった。

 

しかし、まるで戦争の才能に能力を全振りでもしたかのように政治の才能に関しては皆無であり、戦争のしすぎで国家財政破綻寸前までいったほどに酷いものであった。

 

そこをエスターシュ大公によって救われるわけだが、エスターシュ大公は王位簒奪の野心を持った人物であり、己が王位につくためにあらゆる陰謀を重ねるわけであるが、そんな中で”烈風”カリンを筆頭にした英雄たちの活躍することになる。

 

これは今を生きるトリステインの者達なら誰でも知っているだろうから省略する。

 

その後、アンリエッタの父ヘンリーが王の時代があり、そこから数年の空白期間をおいて、今のアンリエッタ女王の時代に至るわけだが……

 

「みんな、かなり好き勝手に振舞っているではありませんか」

 

アンリエッタは肩すかしを食らった気分だった。




表現を面白おかしくするために曲色しています。
アンリエッタが読んだ歴史書にそのまま書かれているわけではありません。

+アンリ3世
”魅了王”で、異性だろうが同性だろうが、可愛ければお持ち帰りした国王。
あのオカマのスカロンの店に魅惑のビスチェを託した戦犯。

+フィリップ1世
聖戦さえなければ名君として名を残せた筈の国王。
だが、聖戦をしたせいでゲルマニアの元になる都市国家群の誕生を許すハメになった。

+クロタール4世
全系統スクウェアな上に、ジョゼフ並の頭脳。性格もほぼ問題ないという”万能王”
恋愛感情に正直だったらしく、色々放棄して平民の女と駆け落ちした”失踪王”

+アルデイル・オットー
父親ほどではないが、とても有能で国家の発展に全力を尽くした。
産まれた直後から死ぬまで国王だったため、”生涯王”と呼ばれる。

+アンリ4世
先駆者が偉大すぎると、後継者が苦労する典型例。
弟がいなかったら、暗君として名を残した可能性高し。

+クロタール5世
スーパーファザコンであり、反動主義者。恐怖で国を統率した暴君でもある。
その癖、武勇と軍略に優れていたため、改革派の謀反者を一掃した。

+ラウール11世
トリステインに権威主義が蔓延することを決定づけた国王。
本人にとってはトリステインを安定させるために必死でやったことである。

+フィリップ2世
”無敗王”の名が示す通り、戦争で一度も敗北したことがなかった国王。
しかし、外征を行ったことは一度もなかった。子どもの仲が悪くて困る。

+フェルディナンド1世
”愚王”であり、彼自身は遊んでるだけなのに周りで権力闘争が激しい。
レジーム伯の政治的実権を与え、それを奪って今度は妻に与えた。

+ラディスラウス
王になってから実権を母から奪い返すまでが早すぎる。
ヴァリエール公爵の補佐により王になってから王として成長していったので”成長王”と言われる。

+フランソワ6世
大したことをする前に病死した。

+フランソワ7世
凡君。名君でも暗君でも暴君でもない凡君。

+ディルク1世
汚職官僚と腐敗貴族の取り締まりに熱心だった。

+ウラール12世
"征服王”と呼ばれる国王。
実際、暗殺されなきゃゲルマニアの大半を併呑できていただろう。

+ジルベール1世
少年と言っていい年頃に王位についた。
謀略によりギスカールとの内乱を回避する。

+フランソワ8世
階段から転げ落ちて死んだ国王。
”転落王”とか言われることがある。

+ロトルド3世
フランソワ8世の補佐役だったはずなのに、なぜか国王になった。
あまりの小心ぶりから”小心王”と称される。

+クリスティーヌ
久方ぶりの女王。
彼女の台頭によって女性の社会地位の向上が実現した。

+アンリ5世
問題事はすべて決闘で解決しようとした”決闘王”
しかし、政治能力は歴代国王と比べてもある方であったという。

+フェルディナンド2世
変死した国王。迷信深いことからなんか変なことして死んだのではと噂される。
が、後々のことを考えるとグールヴィル伯爵の陰謀だったのではという説がある。

+フィリップ3世
常勝無敗の”英雄王”であり、戦争のしすぎで国家財政を破綻させかけた国王。
詳細を知りたいなら、絶筆して続きが出るのが絶望的な”烈風の騎士姫”を読むこと。

+ヘンリー
アルビオン王家からの入り婿で、アルビオン王ジェームズ1世の弟であり、モード大公の兄。
義父の政治能力が皆無だったため、王になる前から義父の尻拭いをする羽目になった。

+アンリエッタ
トリステイン史上3人目の女王。今上陛下。
原作読む限り内政面は優秀みたいだが、感情が暴走すると行動に歯止めが……

<独り言>
整理する為に家系図書いてみたら、ムッチャややこしい。
それにこの話だけで人名どんだけ出てるんだ……orz


【挿絵表示】

黄色枠=王家・王族
黒枠=配偶者
蒼枠=王家の分家
赤文字=国王
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