その醜悪なまでの肥満体から”白いオーク”と綽名されるデナムンダ・ヨーク伯爵は内乱期にエドムンドに忠誠を誓った新参者ではあるが、アルビオン王政府における重要性は他の重鎮と比べて高い方である。
エドムンドは政治も並み以上の才能があったが、どうにも流血を伴う武断的な手法で問題を解決することを好み、敵対者を作らずに自身は国内の調整役に終始する統治はできないことはないがやり甲斐を感じられない人間であったから、そういう仕事の多くを元内務卿の宰相ヨーク伯に押し付ける形で国政が運営されている。
そんなわけで厚い脂の装甲を身に纏った宰相は、今日も今日とて若い国王に”つまらない”と判定された仕事を押し付けられ、執務室に積み上げられた書類の山を決済しつつ、直接陳情にやって来る有力者の話に耳を傾けなくてはならない。
おまけに最近はロマリアの介入のせいで政治に熱をあげている聖職者どもに対する処罰をどの程度にするか、という問題をロマリアの代表を交えて討議しなければならない。
エドムンドからは可能な限り長引かせろと命じられているが、宗教世界と世俗世界の境界線や聖職者の指導と政治家の統治の差というどうでもいいような議題で延々と討論するのは非常に疲れる。ヨーク伯は人並み程度の信仰心を持っているつもりだが、こんな無意味に思える議論をさせられてはその信仰心も投げ捨てたくなってくる。
そんな宰相としての仕事を延々と執務室でこなしていると、来客とその要件を告げる補佐官の声にヨーク伯はまたかとため息をつき、補佐官に通すよう命令する。
やってきたのは王命に背いた罪で当主が処刑され、家は取り潰しにされた貴族家と非常に綿密な関係を持っていた貴族で、彼は当主の首を差し出したのだから遺族を免罪してやることはできないかと言う。
エドムンドが実施する政策は過激なものが多いので、事情を知らない連中はヨーク伯のことをエドムンドと対立する穏健派だと思っているらしい。
しかし対立どころかガッツリと首根を掴まれていることをヨーク伯は自覚している。ある案件を解決する時に実家に利益誘導してほくそ笑んでいた時にエドムンドから
「宰相の仕事は激務だ。多少の役得がなければとてもやってはいられまい。だから寛大に許してやるとも。……目に余らぬ間はな」
と、ヨーク伯のグラスにワインを注ぎながら、慰労の言葉を装って思いっきり釘を刺されているような主従関係だ。もしエドムンドと本格的に対立なんかすれば、王は一切の迷いなく肥満宰相の首を飛ばして王宮内のわずかな汗臭さを改善することであろう。
家を取り潰され、処刑された知り合いの遺族を免罪してほしいとヒステリックに叫ぶ貴族を適当に宥めて落ち着かせた後、既にない貴族家の事でいつまでも声高に騒ぐようなら今度は貴方が処刑台の露と消えるぞと警告してやった。
顔を青くし、ついで怒りと屈辱で体を震わせながら貴族は立ちすくむ。激しい眼光でヨーク伯を睨み付けるが口は開かない。
早く観念して出て行ってくれないかなと書類を決裁しながらヨーク伯が思っていると、執務室にノックの音が響いた。
「はいれ」
すると自分の娘が入ってきてヨーク伯は目を丸くした。
「内々に相談したいことがあるので、早々に仕事を切り上げて遠雷の間へ来るよう陛下が仰せです」
ヨーク伯の目の色が変わった。先ほど機械的に淡々と書類を決裁して時はどこか何の熱も感じられない瞳であったのに、瞳から放たれる鋭い輝きに知性の色がなければ、色違いのオークと誤解されても文句言えないほど凄まじいものへと劇的な豹変を遂げたのだ。
あの陛下が内々に相談したい。つまり内乱時代に自分の屋敷の地下から繋がる円卓に集った者たちと議論したいとうことだろう。
加えて自分の宰相としての仕事を――自分のところまで回ってくるような仕事は面倒な上に失敗したら後々に影響がでるものが多い――切り上げてでも相談したいことがあるということは、かなりやばいことでも起きたのだろうか。
いったいなにがあったと不安になりつつも、それはヨーク伯にとって長期的にはともかく短期的には素晴らしい福音となった。目の前にいる時代遅れの間抜け貴族を追い返す口実を獲得したからである。
「申し訳ないが急用ができた。これ以上貴方の陳情を聞いている時間がない。どうかお引き取りを」
ヨーク伯の体の脂に着火させんほど熱い怒りの視線を注いでいた貴族も尋常ならざる事態であることは悟れたのか、踵を返す。
「老婆心ながらひとつ忠告しておくと、既になくなったものより今あるものに心を砕かれるべきでしょう。さもなくば失うものが増える一方ですよ」
その忠告が気に障ったのか、その貴族は荒々しく宰相の執務室を辞した。
その後、ヨーク伯は特に重要な書類だけ決裁して残りの仕事を部下に託し、娘のヴァレリアと共に白亜のハヴィランド宮殿の廊下を歩きながら会話を交わす。
「なぜ急に陛下が召集をかけたのか心当たりはないか?」
後の相談で少しでも優位に立とうといつも直属の女官として国王の側に侍る立場の娘に問う。
「ガリアの大使と謁見なされた後、ミスタ・デヴルーとなにか話し合った後に召集を命じられたのでおそらくそれが原因かと」
「ふむ。となるとガリアに不穏な動向がある、ということか……?」
現在のアルビオンとガリアとの関係は非常に複雑だ。表向きは友好関係にあるが、エドムンドはガリア王ジョゼフが”レコン・キスタ”の黒幕であったことを知っているし、ジョゼフもジョゼフでエドムンドがエクトル卿であったことを知っている。
互いにアルビオンの内乱における裏での活動を知っているのに友好を謳っているのだ。それを知らない部外者はガリアとアルビオンは強固な関係で結ばれていると思っているのかもしれないが、ヨーク伯はガリアとアルビオンの友好関係がいつ壊れてもおかしくないと思っているし、おそらく自分が仕える若い主君や”無能王”もそう思っているだろう。
ガリアの動向がどのようなものであるか察するのは非常に困難であり、ヨーク伯は頭を悩ませながら遠雷の間に入室した。
遠雷の間には巨大な円卓が置かれていた。既に来ていた者はかつて地下の円卓に集った時と同じ席順で座っている。ブロワ侯爵以外は既に到着しているようだ。
「よく来たヨーク伯。座れ」
エドムンドが手をかざして座るようすすめ、ヨーク伯は自分の席へと座る。
「ミス。下がっていてくれ。この会議には出席者以外参加する必要はない」
「陛下、我が娘は陛下直属の女官なれば傍聴していてもよいのでは?」
エドムンドは舌打ちするとヨーク伯を睨み付けた。
その迫力にヨーク伯は何を言っても無駄だと諦め、口出しをやめる。
「もう一度言う。下がりたまえ。ヴァレリア嬢」
なにか言いたそうな表情を一瞬したが、すぐに表情を取り繕って一礼するとヴァレリアは退室した。
「主君の命令に疑義を唱えるなんて、臣下としてどうなのかしら?」
エリザベートのなじる言葉にヨーク伯は怒りで赤面したが、それを声に出すより先にディッガーが反論した。
「臣下の提案を聞くことなく自分の判断を優先するような王は暴君というのだ。そして陛下が暴君ではない以上、我々が陛下の言葉に異論を唱えるのは、むしろ臣下としての義務だろう」
「そうなるとおかしいわね。坊やは即位以来すさまじい勢いで自分の方針に反発する貴族を粛正していたと思うのだけれども……」
「粛清は陛下が王権を強化するという決意を周囲に示したにもかかわらず、なお反抗しようとした連中を対象にしたものだ。その証拠にちゃんと命令を聞いた貴族達に我らは寛大に接しているだろう」
ディッガーの説明に激しく頷くヨーク伯爵。その様子にエリザベートはものは言いようねと思いながらも、軽く微笑んだだけで引き下がったが、その態度がディッガーとヨーク伯のイラつかせ、険悪な空気が円卓に漂った。
そこへ騒がしく部屋の扉を叩いて入り込んできた壮年の軍人が乗り込んできた。
その軍人は円卓をぐるりと見渡すと自分以外の席が埋まったいることに気づくとエドムンドに頭を下げて大声で叫んだ。
「遅くなってすまなかった!」
この中では人間ではないエリザベートを除けば最年長であるのに、それを微塵も感じさせない快活な王立空軍本国艦隊司令長官の登場に遠雷の間に漂っていた空気が霧散した。
「お前はダータルネスにいたはずであろう。それを考えればむしろ早いと思うのだが」
「竜騎士の伝令を聞いてすぐ竜籠できたもので」
「ちゃんと仕事の引継ぎしてきたんでしょうね……?」
不安そうな声でそう呟くディッガー。
「馬鹿者。儂がそこまでマヌケだと思うのか?」
ジロリと睨まれ、ディッガーは申し訳なさそうに謝罪した。
ブロワ侯爵はふんと鼻を鳴らすと、エドムンドに勧められた席へと座った。
「そういえば、ディッガーから聞いたが領主としての仕事を完全に代官に押し付けてまで空軍再建に取り組んでおるそうだな。そこまでして時間をとったからにはそれ相応の成果がでているのであろうな?」
疑うような視線を向けるエドムンドに、ブロワ侯爵はさも心外であるとばかりに首を振る。
「当然です。竜騎士どころか騎竜そのものの欠員が多い竜騎士団はともかくとして、艦隊行動に関してはあとひと月もすれば陛下に見せても恥ずかしくないほどにはなる」
「おぬしがそこまで言えるほど良くなっているとはな」
自信満々に言い切るブロワ侯爵の報告にエドムンドは驚いた。空の戦いに関することでブロワ侯爵が嘘をつけるような性格ではないことをエドムンドは長い付き合いで知っているのだ。
諸国会議が終わり、艦隊の再建をブロワ侯爵に命じてからまだ二か月ほどしかたっていないにも関わらず、自分の目に入れたも恥ずかしくないほどの練度をアルビオン艦隊は取り戻せているというのは自分の予想をはるかに上回っている。
空軍将校としてのブロワ侯爵の有能さは良く理解していたはずであったが、人生の大半を空軍で過ごした宿将の能力を若い王はまだまだ過小評価していたらしかったと自覚せざるをえなかった。
「いえ。良くなったとは言いましても所詮は二十隻と少しを超える程度の規模の敗残艦隊を立て直したに過ぎませんからな。それにかつて数百の竜騎士を擁したアルビオン竜騎士団も先の内乱で十分の一以下に縮小している問題もあります。竜騎士が少なければ接近戦に不安が残りますからな。他にも――」
それから次々と現在の空軍の懸念事項をブロワ侯爵は述べていき、円卓に座っている者たちの一部が頭の痛い問題に頭を抱えたくなる衝動を必死にこらえていた。
「結論を申し上げれば、空賊風情が相手ならまず間違いなく勝てるでしょうが、他国の空軍が相手では勝てる可能性が皆無に等しいということです」
そうしてブロワ侯爵は空軍の現状についてそう締めくくった。それに対してエドムンドは深くうなずき、
「そんな状況でよくやってくれた。改めて礼を言わせてもらおう」
「おお、陛下……」
主君の感謝の言葉に、ブロワ侯爵は感激に打ち震えた。この初老の軍人はその言葉ひとつで苦労が報われる気さえするのである。
「空軍の抱える問題についてはまた改めて場を設けるとして、本題に入るとしよう。いささか面倒なことになっていてな。おぬしらの意見を聞きたい」