庭園の一角から歓声があがった。どうやらようやくジョゼフの一行が園遊会に来たようだった。とにかく挨拶しに行こうとエドムンドは歓声があがっている方向へと向かった。
人の群れの間から挨拶に来る貴族達を適当に捌いているジョゼフの姿が見えたが、そのパートナーを務めている女性の姿が気になった。
「ミスタ・モンドンヴィル。あれは誰か」
「あれはモリエール夫人ですな」
「どこの貴族の奥方だ?」
「いえ、彼女がモリエール家の当主なのです」
「ああ、そうか。ガリアやトリステインでは女性の当主も認められているのだったな」
アルビオンの常識に従うならば、ハルケギニアの伝統的価値観に則って、貴族家の当主は須らく男性であるべきとされている。
ガリアやトリステインも昔はそうだったのだが、王族の数が減少した時に王家自らが緊急避難的措置として女王を戴いて以降、家の存続の為に貴族家が女性を当主に据えるのを積極的でないにしろ王家は黙認せざるを得なくなったのである。
モリエール夫人はそうした一例のひとつというわけだ。
「なるほど。それでジョゼフ陛下とはどういった関係なのだ?」
「それは……」
モンドンヴィル伯爵がなんとも表現しがたい表情をして言いよどみ、その反応を見てエドムンドは怪訝な顔でシルヴァニア辺境伯を見た。シルヴァニア辺境伯は声を殺して語る。
「ジョゼフ陛下に
「……つまりジョゼフ陛下付きの女官か。しかしそんな貴婦人をパートナーとして連れていてはあらぬ噂が立つのではないか?」
「……わたしが聞いた話によると、実際にそういう関係に及んでいるそうですぞ」
サルダーニャ侯爵の言葉にエドムンドは目を見開いた。
「本当か。ではこんな規模で園遊会を開いたのはモリエール夫人を王妃に冊立して正式に結婚することでも宣言するためかもしれぬというわけか」
ジョゼフはまだ四十を少し超えた程度の若い王である。子が女のイザベラ一人しかいないという事情を鑑みれば後継者を増やすために後妻を迎えたとしても何の不思議もない。
「お待ちください。そのような婚礼の話など聞いておりませんぞ。ありえませぬ」
バリベリニ枢機卿が断固として拒否するが
「教会に一切話を通してなくても、ハルケギニア中の有力者の前で宣言すればガリア王家と国家の面子にかけてごり押しできると踏んでいるという可能性もなくはないと思いますよ」
サン=ジュスト伯爵の指摘にバリベリニは顔をくしゃっとゆがめた。
「ぐっ、あの無能王め。冠婚葬祭は聖職者の役目だというのに、どこまでコケにすれば気が済むのだ……」
粘着質の怒気を纏わせるバリベリニにモンドンヴィル伯爵は慌てた。
「枢機卿、落ち着いてください! まだそうと決まったわけではありません。早計は禁物です」
「…………………そうだな」
絞り出すような声でそう言ったのを聞いてモンドンヴィル伯爵はほっと息を吐き、サン=ジュスト伯爵は米神を指でほぐす。
「でももしそうだとしたら、また勢力図に激震が走るかと思うと気が気じゃないんだが」
「……オードランの言うこともわからなくはないけどね」
モリエール夫人は派閥政治などには無関心な貴婦人であるとはいえ、ジョゼフの無信心ぶりから対立関係が生じている敬虔な旧教徒の貴族や聖職者との親しい関係にある。王妃になったモリエール夫人がこれといった行動を起こさなくてもその事実を武器に敬虔な旧教徒貴族や聖職者たちの力が強まるだろう。
そうなればジョゼフが聖職者たちの増長を許容してジョゼフ派・旧教徒派連合がガリアを支配するか、逆に聖職者たちの増長を認めずに聖職者をガリアの敵として糾弾し、国内を団結させるという手法に訴えることも考えられる。そうなればガリアの派閥構造は激変することを余儀なくされるだろう。
「でも大丈夫だよ。そんなことは起こらないから」
「やけに自信ありげだな。なにか根拠でもあるのか?」
自信満々に言い切るサン=ジュスト伯爵にモンドンヴィル伯爵は疑念の目を向ける。
「だってそんなこと神と始祖が許すはずがないだろう」
「……サン=ジュスト。神と始祖に救いを求めるのは結構だが、陛下が奇行を犯すのを抑止するのは始祖すら匙を投げる難行と思うぞ」
「ミスタ・モンドンヴィル。少々聞き捨てなりませんな」
「少々であるならば、寛容の心で聞き流してやってはどうかな」
シルヴァニア辺境伯の言葉に、バリベリニが言い返そうとした瞬間、大きな声が響いた。
「おお! そこにいるのはアルビオンのエドムンド陛下ではないか!!」
ジョゼフが周りの人を押しのけながらドカドカと近づいてきた。突き飛ばされた貴族たちが不快な顔をするがジョゼフは微塵も気にしない。
「急な招待であったのによく来てくれたな! 歓迎するぞ!」
「ありがとう。ジョゼフ陛下」
役者かと思うほど大仰な仕草で歓迎の意を示すジョゼフにエドムンドは愛想笑いで答えた。
ジョゼフは周りを見渡すと不思議そうな顔で
「おや、ロマリアの大使殿も一緒か。ロマリアとの関係を余は重視しておる。今後とも両国が深い友好で結ばれていることを願うばかりだ」
「なんと勿体無いお言葉」
「む? 勿体無い言葉? ということはありがた迷惑だったかな? よし、発言を撤回しよう。なんなら国交を断絶してもよいぞ」
「なっ!」
あまりに無茶苦茶な言葉にバリベリ二は顔色を失って絶句する。
「……ジョゼフ殿、その辺でやめたらどうか。バリベリニ枢機卿猊下が哀れにすぎる」
「なぜだ? それなら最初から貴国との関係を重視していることを”勿体無い”などと言わねばよいではないか」
心底不思議そうに首を傾げるジョゼフにエドムンドはため息を吐いた。
「た、確かに軽率でした。申し訳ありません!!」
バリベリ二が勢い余って地面に激突するのではないかと思うような速さで頭を下げた。するとジョゼフはひとしきり笑った後、バリベリニの右肩をバンバンと叩いた。
「冗談に決まっておるではないか! ロマリアは有力な同盟国だからな! 当然だろう!」
「私の国も貴国の同盟国なのだが」
「おお! 余としたことがうっかりしておった! 当然アルビオンもだ! アルビオン王国再建にあたって余は惜しみない援助をしたからな! その国の行く末にとても興味を覚えておるぞ!」
「光栄なことだ」
「我ら同盟国の友誼が続く限り! ハルケギニアの平和は永遠だ! 王権同盟万歳!」
ジョゼフが一人で万歳をし始め、周りの連中も空気を読んで万歳を唱和した。
ヨハネはこっそりとトリステインとゲルマニア大使の姿を見たが彼らは口を大きく開けて唖然としていた。彼らの国も間違いなく王権同盟の一員であるはずなのだが、ジョゼフに完璧に無視されたのだ。驚愕やら屈辱やら色々とない交ぜになって茫然自失しているのである。
サン=ジュスト伯爵も彼らの様子に気づき、控えめな声でジョゼフに忠告した。
「陛下……、トリステインとゲルマニアも王権同盟に調印した同盟国です。その国の大使たちにも同じ言葉をかけてやってもらえませんか」
「向こうから挨拶してくるなら考えるが、こちらからあんな小国と野蛮国の大使に挨拶しに行く必要を感じぬわ。捨て置け」
取りつく島もない返答にサン=ジュスト伯爵は肩を竦めた。このような狂人にそんな配慮を求める方が間違いなのだと思っているサン=ジュスト伯爵は、忠告も駄目元で行ったので一考だにされなかっても別段気にすることはない。
「陛下、会話を楽しむのも良いけれですども、わたしのことも皆様に紹介してくださいまし」
モリエール夫人が甘えるような声でそう言うので、ジョゼフはすまなそうな顔を浮かべた。
「それもそうだな。良い機会でもあるからな。お集まりの紳士諸君に紹介しよう。彼女はモリエール夫人。何を隠そう我がガリアの誇る花壇騎士団の団長の一人なのだ!」
騒がしかった人たちがまるでピシッと音を立てたように凍りつき、園遊会の会場に沈黙が下りた。
「……は?」
エドムンドですらそんな間の抜けた声がでた。
「どうしたのだ? 親愛なるエドムンド殿」
「いや、冗談であろう? この貴婦人が花壇騎士団の長など……」
エドムンドの言葉はどこか自信がない。そんなことはありえないと常識が叫んでいるが、一方でジョゼフならやりかねないのではという感情がとても強かったからである。
しかしその答えは意外な方向から齎された。
「間違いないですよ。 モリエール夫人はぼくの上官ですし」
そう呟いたのはさっきから一緒にいる騎士階級のベルナールだった。
「……本当か」
「ええ」
「なんで教えてくれなかった?」
「あんまり話さないでほしいと夫人に命令されていたので」
「……なんということだ」
ベルナールと深い親交があったシルヴァニア辺境伯は頭を抱えてしまった。
一方、モリエール夫人も再起動を果たし、顔色を赤くしたり青くしたりしながら、愛する人に詰め寄った。
「へ、陛下! なぜそんな説明なのですか?!」
「嘘ではないだろうが」
「確かにそうですけど! もっと他にふさわしい紹介があるでしょう……?」
目を潤ませながらそういうモリエール夫人にジョゼフは「なぜ泣くのだ」とか朗らかに言いながら夫人の背中をさする。
モリエール夫人が花壇騎士団の団長に任じられた経緯は極めて単純である。
ジョゼフがはルケギニアを模した箱庭で理解しかねる戦争ごっこの
冗談だと思ってモリエール夫人は無邪気に喜んだのだが、ジョゼフにとっては冗談ではなかったようで遊びが終わってすぐさま関係省庁に根回ししてモリエール夫人を本当に花壇騎士団長に任じてしまったのだった。生粋の貴婦人であるモリエール婦人に軍事関係の知識などあるわけがなく、団長としての職務を副団長に丸投げしているので実質ただのお飾りでしかない。
だからモリエール夫人は自分が花壇騎士団長の地位にいることは徹底的に秘匿し、早々に団長という職務すら忘れ去ろうと努めていたのだ。しかしなんらかの悲喜劇を期待してモリエール夫人を花壇騎士団長に据えたジョゼフからするといささか面白くない展開だったので、こんな場でその事実をぶち撒けたわけである。
「そうは言われてもな。あなたはガリアの長い歴史上最も美しい騎士団長ではないか。余も自慢したくなるというものだ」
だからこそ場を引っ掻き回すために困った顔をしながらこんなことを言ったりもする。しながら美しいと言われてモリエール夫人は内心喜んだが、その喜び以上にただのお飾りを自慢しないでほしいという感情の方が強く、恥ずかしさで身悶えそうになった。
「……そういえばおぬしの娘はどこだ? 今回の園遊会に出席していると聞いていたのだが?」
「ん? そうだ! すっかり忘れておった! 今日はそなたに娘を紹介すると約束しておったな」
親としてあまりにひどい一言に周囲が絶句してるのを例によって意に介さず、ジョゼフは自分がさきほどいたあたりに目を走らせるとなんか疲れ切った感じの自分の娘が目に入った。
「イザベラ、こっちにこい」
そう呼ばれてもイザベラはそこから動かない。あんな状況のなかに、あんな嵐の中心部に向かって進む勇気などイザベラにはなかった。
「……来たがりたくないのもわかりますよ。俺だってできるならこの問題発言だらけの王様から逃げたいです」
ヨハネに耳打ちされて、エドムンドはまたため息を吐いた。ヨハネの言い分がものすごく理解できたからだ。
「どうやらおぬしの娘は恥ずかしがっているようだな。こちらから挨拶に行くとしよう」
バリベリニの方を向いて声を出さずに口の形を「あとは任せた」と動かすとエドムンドはヨハネを伴ってイザベラのいるところへ向かった。背後から恨めしい視線を感じるが、そんなの無視だ無視。これは戦略的判断による転進でしかない。
「はじめましてイザベラ殿下」
「……こちらこそはじめまして」
儀礼上の挨拶を交わした後、エドムンドは表情を変えずにイザベラを注意深く観察した。微笑んではいるが、警戒しているのが感じられる。さて、どんな話から始めるべきか。
「あんな父親を持つと娘はやはり大変なのか」
考えた結果、素直に反応すれば確実に共感できるであろう話題を投げた。更に流布している噂やジョゼフのふるまい、そして王女と言う身分から考えるに、対等な話し相手が少ないのではあるまいかと推測して外向きの話し方ではなく素の話しかたで行くことにした。
それに、このガリアの情勢を肌で体感してうまみをあまり感じなくなってきたが、もしイザベラを娶るような展開になれば、いちいち妻になったイザベラに礼儀正しい喋り方をする気は皆無なので、もしこれに文句を言ってくるほど器が小さいなら即刻縁談話破棄してやるという打算的な考えもあった。
「わかってくれてありがたいわ」
イザベラはやや面食らったが、普段周りにおっべか使いしかいないためエドムンドの遠慮のない言葉はある意味新鮮であり、好印象を持った。
「正直、父上にはわたしもまいってるのよ。そりゃあたしだってまわりから見ればいろいろと駄目なところはたくさんあるし、自覚もあるけどさ。あれはもう駄目とかいう問題を通り越してるわよ」
「実の父に対してやけに辛辣だな」
「別に意識して辛辣に言ってるつもりはないわ。事実は陳列したらどうあがこうが辛辣になるだけよ。それに……あんなのが父親とは私は思ってないんだからね」
最後は縛りだすようにそう言うイザベラに、エドムンドは頬を掻いた。どうやら想像以上にガリア王家の親子の溝は深いようである。ジョゼフが娘を自分に宛がうのは案外厄介払いのつもりなのかもしれないとエドムンドは思った。
「俺の父は立派な人だったし、どちらかといえば俺の方が迷惑かける側だったからいまいちお前の感情が理解できんが、そこまで酷いと思っているのなら父王に面と向かって批判したらどうだ? そうなれば相対的にお前の評価もいくらか改まるだろうに」
「冗談はよしてくれよ。父王に面と向かって批判したらどうなるか、あなたがわからないというほど情報収集を怠っているとは思えないけど?」
ジョゼフは直接批判してくるような者以外、どんな批判者にも無関心だ。忠誠心富む凡人がジョゼフを誹謗する発言をしていたと聞いてもジョゼフは笑って流すほど批判者に対して寛容、もしくは無関心だ。
一方で面と向かってジョゼフを激しく誹謗する批判者に対しては冷酷かつ残酷だ。宮廷に少なからずいたジョゼフの批判者が何人”事故死”や”病死”したことか。証拠はなにひとつないが、宮廷で政争を繰り広げている大者達は皆ジョゼフが黒幕だと確信している。
イザベラもそれを確信しているひとりである。いや、確信というより知っているというべきか。父王を直接誹謗した者の適当に”処理”するのも北花壇騎士団の仕事の内だったからだ。
尤も、北花壇騎士団が処理した批判者の数は、公式に”事故死”や”病死”で片づけられた批判者の数に比べると半分にも届かない数であり、父王が北花壇騎士団とは別の”汚れ役”を持っている事実を示唆しているのだが……
「いや、すまなかった。噂など当てにならぬものだな」
「なんの話だい?」
「いや、巷ではお前は”無能王”に負けず劣らずの愚昧な狂人で、容姿以外なんの取柄もない。およそ大国ガリアの第一王女に相応しくない女などと噂されていたのでな。しかし十分に大国の王女として務まる器量はあると思うがな」
まあ、今会話して感じた限りにおいては話だが。
するとイザベラは自嘲ぎみな笑みを浮かべた。
「世辞は聞き飽きてるからよしておくれよ。癇癪持ちで至らないところだらけの私のどこに器量があるのさ。父上みたいに才能皆無ってわけじゃないけど、魔法だってろくに使えやしない。そんな王女なんていったい誰が認めるっていうんだい?」
魔法の才能とは即ち人望だ。正確には魔法の才能があっても人望のない奴はいるが、魔法の才能がなくて人望のある奴などいない。これがハルケギニア諸国の貴族の一般的な常識である。
イザベラとて小さいころは”良い子”だったのだ。勿論その頃から父親が”無能”と名高かったから陰口を叩かれることもしばしばあったが、そんな時には泣きつける母親がいたし、歳が近かったからよく一緒に遊んだ従妹とだって悩みを打ち明けて相談することもできた。
しかし魔法の特訓をするようになってからすべては変わった。自分はちっとも魔法が上手くならないのに、従妹は凄い勢いで上達していく。自分にも間違いなく目上に対する心からの敬意を持っていた連中が、次々に自分に対して上っ面だけの敬意しか示さなくなり、従妹にだけそれを向けるようになっていった。
泣きつけた母親は流行り病で死んでしまい、残ったのは無関心な父と上っ面の敬意と本音の軽蔑を向けてくる大軍団。イザベラは孤独や屈辱といった負の感情に悩まさることになった。仲が良かった従妹に対しても魔法がうまいというだけで嫉妬心が刺激されて邪険に扱い、それに伴ってイザベラの人望はさらに失墜した。
四年前のオルレアン公派粛正に伴い、イザベラはガリアで二番目に高貴な人物となったが、それを心の底から認めている奴がどこにいるというのだろう? 前となにひとつ変わらない。内心不満を抱えながら自分に形だけの敬意や忠誠を示してくる侍女や貴族しか自分の周りにはいない……
「魔法ねぇ。不得意なお前が聞けば不愉快かもしれんが、それほど重要かな魔法とは」
そんな境遇のイザベラだからこそエドムンドの諦めにも似た呟きを聞き逃すことはできなかった。
イザベラさん本音漏らすのハエェ!という思いがありますが、筆者の拙い筆力ではこれが限度です。