そう思いつつも、こうも思うのだ。「逆に考えるんだ。もっと長引かせろ」と。
大国ガリアが誇るヴェルサルテイル宮殿のダンスホールは流石に巨大で壮麗であった。計算されつくした窓の配置から室内に太陽光が神秘的に降り注ぎ、なんとも幻想的な光景を演出する。
エドムンドは最初に一曲イザベラと一緒に踊っただけで、そこからガリアの有力貴族や他国の者たちとの談笑に精を出していた。幾人か令嬢の誘いを受けたが完璧なまでの礼儀正しさを示して断ってしまい、令嬢たちは不満を抱きながらもおとなしく退散することになった。
逆に踊り続けていたのがヨハネである。燃えるような赤髪に鋭い野性的な目つきが令嬢たちの心を鷲掴みにしたらしく、ひっきりなしに令嬢の誘いを受けた。エドムンドほど口が上手くないヨハネは令嬢の攻勢を凌ぎきれずに一曲ごとに違う令嬢とダンスすることになった。
ジョゼフも負けていない。愛人のモリエール夫人と何曲も連続で踊り続けている。エドムンドの見るところ、モリエール夫人の体力は限界を迎えようとしているが、ジョゼフは顔に朗らかな微笑みを浮かべており、疲れの色はまったく見えない。まだまだ踊り続けそうであった。
「結局、モリエール夫人とジョゼフ陛下の関係は実際のところどうなのだ?」
あまりにモリエール夫人に対する配慮の見えないジョゼフの振る舞いに思わず口に出たが、エドムンドの疑問に明確に答えられる者はいなかった。
「ミス・モリエールが陛下に惚れているのは間違いないでしょうが、陛下が彼女のことをどう思っているか……」
ゲオルグがそう控えめに言うと
「ん? モリエール夫人の片思いなのか?」
首を傾げるのは五十半ばの歳頃のベルゲン大公である。この園遊会でジョゼフ、エドムンド、イザベラに次いで高貴な人物であり、ベルゲン大公国の国主である。
ベルゲン大公国はロベスピエール三世の時代に当時のベルゲン家当主が大公領を賜ったのだが、その所領がエルフの国と国境を接する故に辺境伯領以上の広範な自治権を与えるべくガリア王政府が名目上独立させた経緯を持つ新興国である。
外交はガリア王国に依存しているが内政に関してはほぼ完璧な自治権を有しており、エルフに対抗するための強力な軍事力を擁しているばかりか、ヴェルサルテイル宮殿の警備は王家直属の花壇騎士団とベルゲン大公国の傭兵部隊が務めることがガリアの国法に明記されていたりするなど様々な特権を有しており、ガリアに与える影響力は大きいのであった。
「私が聞いた話ではそうだったのですが、違うのですかな?」
「陛下の本心を察するのは至難の技です。ぼくは陛下が仰られることがただの冗談だと思ったら本気で言っていたことだったり、本気で言っていると思ったらただの冗談だった。なんてことが何度もありましたからね」
モリエール夫人の部下であるベルナールが達観したように述べた。彼も先ほどまで沢山の令嬢相手にダンスを楽しんでいたのだが十ニ曲目あたりで疲れてきたので備え付けられたチェアに座り、談笑に参加している。
ベルナールの言葉にガリア貴族の多くは共感を覚えたらしく、深く頷いて同感の意を示した。
「でもモリエール夫人が陛下に惚れてるのは間違いないわよ。サロンでよく惚気話を聞かされるもの」
恋話を嗅ぎつけてきた令嬢がしたり顔でそう述べるとベルゲン大公は心底不思議そうな顔をした。
「愛情とは不思議な働きをするものだな」
モリエール夫人の情報はベルゲン大公も調べていたが、知的な女性で趣味嗜好も一般的な貴族女性と大して変わるところはないというのがモリエール夫人の評価だった。そんな女性があんな王様に心底惚れているらしいというのは理解しがたかった。
ジョゼフは顔が良いし、肉体も逞しいのだから、黙って静かにしているならば魔法が使えないという評価があっても、女に人気がでそうではあるが、度重なる奇行がその全てを台無しにして人望を失わせているの、でジョゼフに近寄る他の女は権力志向の気がある奴ばかりである。
実はモリエール夫人もそうで本心を隠し、演技で一般的な振る舞いをしているなら大した女狐であるが、彼女と親しい者からの情報も集めたところ、とてもそう思えない。
だからモリエール夫人がジョゼフに惚れているというのが信じられず、話の流れに乗って問うて見たのだが、どうやら真実らしい。男女間の愛情とは複雑怪奇である。
「愛情に限らず、人の感情など他人には理解不能だ。推察はできるだろうが絶対に理解などできぬさ」
「……他人の感情を理解不能と片付けるのはいささか短慮だと思いますが」
ベルゲン大公の見解をエドムンドは鼻で笑ったが、反論はしなかった。別に理解を求めているわけではない。
二十何曲めかの演奏が終わり、ようやくジョゼフがモリエール夫人が疲れていることに気づいたーーモリエール夫人は汗だくで目を回していたーーらしく、「夫人がお疲れだ。ここで一杯開けることにする」と宣い、給仕に命じて酒の用意をさせ、ダンスは一時中断した。
おかげでようやく令嬢からのお誘い攻撃から解放されたヨハネがエドムンドの元に戻ってきた。「ガリアの女性は男が疲れてくることを察してくれない」とボヤいていたが、エドムンドは軽くからかっただけで叱責はしなかった。
そうこうしているうちに、ワインが入ったグラスを何本ものせたお盆を持って給仕たちがダンスホールに入ってきた。エドムンドのところにもやってきた。
「どうぞ」
「ありがとう」
短い銀髪の給仕が勧めてきたワイングラスを受け取り礼を言うと、
「ほら、おぬしのだ」
「へ、私ごときのために陛下自らお取りにならずとも……」
「なに。ほんの恩賞代わりだ。気にせずに受け取るがよい」
感極まった形でゲオルグがエドムンドからワイングラスを受け取った。ヨハネが軽い嫉妬の目でゲオルグを見た。
「お前は普段から俺の側に控えておるのだ。自分で取るがよい」
「……ハッ」
なにか釈然としない思いを抱きながら、ヨハネは顔の青い給仕の盆の上からワイングラスを取り、それに続いてエドムンドも取った。
給仕はなぜか呆然としていたが、お盆の上が空になったことに気づき、そそくさとダンスホールの端に消えていった。変な挙動をする給仕を訝しげには思ったが、すぐにエドムンドは与えられたワインの香りを嗅いで楽しむことに意識を奪われた。
「いい香りだ。シャトーの品か?」
「わたしはシャングリラかと思いますわ」
「あまり馴染みがないので外国産では? ロマリアのチッダディラあたりの物では?」
「トリステインのタルブだと思うが……自信がないな」
「この香りはそう簡単にでるものではありませんぞ。20年? 50年? かなり高級なヴィンテージ物ですな」
あちこちでワインの知識を披露したいのか、ワインの詳細を推測するのに熱中しだす貴族たち。
エドムンドはそんな彼らを見て無粋に感じた。ワインは高級物になったあたりからどれも大同小異というものだと思っているので品名当てに声を荒げるより優雅に香りを楽しみ、どんな味か期待する気になれないのかと不快に思うのだった。
だがここはガリアであり、感じた不快さを表に出すわけにはいかない。表面的に微笑みを浮かべなから、内心はやくこの余興が終わってくれと願った。
その願いを聞き届けたのか、ジョゼフはニンマリとした笑みを浮かべて誰も飲まないうちに答えを公表してしまった。
「残念ながら、全てハズレだ諸君! このワインは余が命じてオルレアンの地所でつくらせたワインだ。一年程度しか寝かせておらんから味の深さはヴィンテージ物には劣っておるだろうがな!」
信じられないという顔を浮かべて囁き合う貴族たち。
「まあ、ワインの試飲会とでも思ってくれたらよい。諸君らの感想を聞きたいのでな」
そう言って杯を掲げるジョゼフに他の者たちも続く。
「では、ハルケギニアの平和とガリアの永劫不変の繁栄を願って……乾杯ッ!」
「「「「「乾杯ッ!」」」」」
その唱和が終わると全員が一斉にグラスのワインを飲み干す。エドムンドは飲み干したワインの味わい深さに驚いた。自国のアルビオンの古いワインよりはるかに美味い。
一年しか寝かせていないというのが嘘ではないのかとエドムンドだけではなく、多くの者がジョゼフの言葉に疑いを抱いたが、隣でドサッと大きな音に全ての意識を奪われた。
「……ゲオルグ?」
何の受け身もとらずに倒れているゲオルグを見て、エドムンドは瞬時に全てを理解した。
「衛兵ッ! 暗殺だ! 誰もこのホールから出すな! それとさっきワインを配っていた給仕を一人残らず連れてこいッ!」
「は、は?」
急な事態に理解がついていかず困惑している衛兵にエドムンドは激しく舌打ちし、ホールに視線を走らせる。毒を盛った暗殺犯がよほどの馬鹿ではない限り、ワイングラスを渡した直後に現場を去っているだろうが、確認しておくにこしたことはない。
だが、どうもその暗殺犯はその馬鹿であったらしい。ホールの反対側にさっき自分たちにワインを配りにきた給仕の姿を認めた。
「そいつだ! そこの短い銀髪の給仕ッ! そいつが暗殺の実行犯だッ!!」
反対側を指差しながらエドムンドは叫んだ。反対側にいた者たちはエドムンドがどこを指差しているのかわからなかったが、短い銀髪の給仕はその近くに一人しかいなかったのですぐに発見することができた。
あまりに早く見つかった暗殺犯は驚いたが、すぐに服の裾から短剣を取り出し、駆け出した。
「こ、こいつ武器を持っているぞ!」
オードラン男爵の叫びに、血なまぐさいことに免疫がない宮廷貴族たちが悲鳴をあげながら逃げ出し、暗殺犯を捕らえようとする衛兵たちの進行を阻んだ。
暗殺犯の走る方向に迷いはない。本当なら毒でエドムンドが倒れて混乱している間に標的に近づいて殺す手はずだったのだが、毒入り酒はゲオルグに渡り、あっさり自分が見つかってしまった。こうなったら一命に変えても標的を屠ってみせると意気込み、それに向かって一直線。
その標的は他の宮廷貴族と一緒に逃げ回っているが、足が遅いことに加え、前は逃げる宮廷貴族の壁に阻まれて、自分の数メイル前にいる。暗殺の達成を確信して、暗殺犯は歓喜の笑みを浮かべて飛びかかり、その首に短剣突き刺そうとした。
「ぐっ!」
だが、突如横からの衝撃襲われて暗殺犯は飛ばされた。誰だと思って睨み付けるとそこにはモンドンヴィル伯爵が怒りを滾らせて暗殺犯の腹に蹴りを決め、暗殺犯は腹の内容物を床にぶちまけた。
こうなってはもうダメだと暗殺犯は逃走を考え始めてすぐに、背後から押し倒されて上に乗られ、ナイフを持っていた右手を強い力で握られて身動きがとれなくなった。
「サン=ジュスト! そいつを抑えていろッ! 衛兵! さっさとこんか!」
その怒声を聞いて、全てを悟った暗殺犯は諦観の笑みを浮かべて左腕の裾に仕込んでいた小型拳銃を取り出して掴んだ。
「ーーサン=ジュスト! 銃を取り上げろッ!」
それに気づいたモンドンヴィル伯爵は叫んだが、サン=ジュスト伯爵が拳銃を取り上げる間も無く暗殺犯は小型拳銃を口に加えた。
「遅いッ!」
そう叫んで暗殺犯は引き金を引いて自決した。飛び散った血がサン=ジュスト伯爵に降りかかり、効果の服をまだらに染める。
「すまないモンドンヴィル。止める間もなかった」
「……しかたないな。それより枢機卿、ご無事でしょうか?」
暗殺犯に狙われていた標的、バリベリニ枢機卿は恐怖に歪んだ顔を浮かべながら震えていた。
それを見て好機と感じたモンドンヴィル伯爵は優しい声で慰める。
「まことに申し訳ない。ガリア貴族として今回の警備の不手際を謝罪します。ですがこれはガリアを孤立させようとする輩の仕業と思われますので、どうかご慈悲を賜りたく思います」
「う、うむ。その通りだ。礼を言おう」
まだ混乱しているが、自分の命を助けてくれたことは理解できたのでバリベリニは礼を言った。
その言葉にモンドンヴィル伯爵は内心安堵のため息をついた。多くの人間の前で頷いてくれたのだからロマリアとの関係悪化は最低限ですむだろう。
一方、絶望の表情を浮かべながら己の主君にことの次第を報告しているものがいた。このダンスホールの警備責任者である南薔薇花壇騎士団団長であった。
「申し訳ありません。不手際を……」
「御託はいい。エドムンド殿が言ったようにだれもこのダンスホールから出さないよう警備を続けろ。その後は……言わずともわかっているだろうな」
「陛下、願わくば事件の捜査を命じていただきたく」
「それは副責任者に任せる。おまえは自分の仕事に集中しろ」
「……はっ」
捜査の責任者に命じてくれれば、完全にとはいえないがある程度の名誉回復の可能性もあった。だからできれば翻意を促したいが、これ以上言い返せば無能王の逆鱗に触れて首が物理的に飛びかねない。正直、捜査責任者に名乗り出ることすらかなりの勇気が必要だったのだ。
だから南薔薇花壇騎士団団長はより深い絶望の表情を浮かべて場を辞した。
ジョゼフは近くにいた小間使いに副責任者を連れてこいと命令すると、椅子に座って肘掛に肘をつきながら、欠伸をひとつした。
あまりに状況をわきまえない自国の王の振る舞いに、ガリア人の多くは失望を抱いたが、そんな空気が宇宙の彼方まで吹っ飛ぶような怒りを漲らせてジョゼフに近づく者がいた。
臣下のゲオルグを毒殺された、エドムンドである。
「ジョゼフ! 貴様、この責任をどうとるつもりだ!?」
「どの責任だ?」
「どの責任もなにも、俺の臣下が害されるような杜撰な警備体制の園遊会に招いてくれた責任以外のなにがある!」
「ああ、それか。今度埋め合わせをすることを約束しよう。だが、今はこの事件の全貌を暴き出すこととゲオルグ大使の安否の方を優先すべきではないか?」
「ゲオルグの方は構わん。聡明な貴様の娘が俺が毒殺と叫んだ瞬間にすべてを察して手配して医者を呼んでくれたのでな。だが、この警備の杜撰さには憤りを禁じえぬ。貴様には俺の臣下を巻き込んだ今回の事件については断固たる処理を願いたい。さもなくば……」
「さもなくば?」
「……明言は控えるとしよう」
エドムンドは押し殺した声でそう言うと、自分は落ち着いたと思い込んだ。思い込めば内心はどうあれ、そういう風に振る舞えるスキルは政治家にとって習得しておくべきものである。
「ところでこのホールの警備責任者はどこだ? いくらか追及したいことがあるのでな」
「ああ、そいつならあそこだ」
ジョゼフが指さした方向を見ると、南薔薇花壇騎士団団長がイザベラにヒステリックな声で責められているのが見えた。
イザベラの体から怒気とどす黒いオーラが発せられており、歴戦の騎士であるはずの南薔薇花壇騎士団団長を完全に威圧してイザベラの追及されるがままになっている。
「……薄々気づいておったがおぬしの娘。絶対ただ者ではなかろう」
「そうか? おれとさして変わらんと思うが」
「おぬしは自分の事をただ者だと思ってるのか? まあいい。少なくともイザベラには尋問官として非凡な才能があるらしいようだからな」
あそこまで圧倒されているなら、後ろめたいことがあってもあっさりと自白するだろう。
エドムンドがそんなことをぼんやり思っていると、その団長と似た装いをした男がやってきた。
歳のころは20をいくつか過ぎた程度で、手入れの整った髭が凛々しい、なかなかの美男子であった。
「警備副責任者を任せれております東薔薇警護騎士団団長バッソ・カステルモール、参上仕りました」
「おお、カステルモール。今回の事件は余の体面に唾を吐きかけられたようなものだ。国としての体面を保つためにも事件の全貌を明らかにし、暗殺に協力した者どもを一人残らず城門に吊るさねばならん。だからおまえに調査の全権を与えるから暗殺犯の背後関係を洗い出せ。今日中に調査が大した成果があがらなければ、おまえを暗殺の協力者として代わりに城門に吊るしてやる故、全力でことにあたることだな」
非情な命令を、さも当然のことを言うかのように言ってのけるジョゼフにカステルモールは青い顔をした。
すぐさま調査に戻ろうとしたところ、先に暗殺犯の死体を検分していた部下がやってきた。
部下は団長のカステルモールしか見えていないかったらしく、ジョゼフとエドムンドという二人の国王を前にしたことで激しく狼狽し、視線をジョゼフとエドムンドとカステルモールの間を行ったり来たりした。
「調査に進展があったか? かまわんから報告しろ」
ジョゼフが大仰に手を振り、さっさと報告するよう促す。
戸惑った部下はカステルモールに視線をやったが、彼が重々しく頷いたために意を決して報告をした。
「あの暗殺犯が着ていた服の装飾品にオードラン男爵家の紋章が刻まれてました。そして男爵を重要参考人として身柄を拘束しております」
その報告にカステルモールは目を見開いた。
さーて、今回の暗殺劇の黒幕は誰でしょうね?
「真実はいつもひとつ!」(現時点ではどうあがいても黒幕特定できません)