「テファ姉ちゃんの耳が普通になってる!」
孤児の一人であるエマにそう言われてティファニアは自分の耳を手で触って確認したが、普段と変わっているようには思えない。なにか確認する方法ないかとあたりを見回し、石壁で視線が釘付けになった。
流石王宮というべきか、部屋の石壁はピカピカに磨かれており、光沢を放っている。そのおかげではっきりとはわからないものの、周りの光景を鏡のように反射しており、石壁の中のティファニアの耳はたしかに人間のそれになっていた。
「君の生まれを軽蔑するわけではないのだが、世間のエルフに対する認識は最悪だからな。一目でそれとわかる特徴なぞ隠しておくに限る」
ティファニアは悲しい顔をしたが、それに対してエドムンドは自分の出自を隠すために仮面をかぶってた時代があるので、これくらいどうってことではないだろうにという気持ちを持った。
「ただこれ。あくまで見た目をごまかしてるだけにすぎんからな。実際に耳に触れられたら一発でバレるから注意しろよ」
「ひゃう!」
エドムンドがそう言いながら、人差し指でティファニアの見えていない敏感な耳の先端部をはじきまくり、ティファニアを戸惑わせた。はた目から見れば、エドムンドはなにもないところで指を動かしているだけだからシュールな光景である。
「マジック・アイテムだとメイジならすぐ見抜けるのでは……」
「無用の心配だ。このネックレスは先住の力が籠められたマジック・アイテムだからな。メイジの”ディテクト・マジック”で見破られる心配はない」
ルイズの懸念をエドムンドは一笑した。このネックレスはエリザベートが仕事をよりやりやすくするための小道具として製作した逸品である。かなり巧妙に先住の力を付与しているため、メイジどころか生半可な先住魔法の使い手でも直接顔に触れずに見破ることなど不可能な代物となっている。
まあ、そのネックレスの代価として吸血鬼たちの”食料”を増やすようエリザベートに要求されたが、貴族に対する粛正や秩序回復のための盗賊退治のおかげで、どこの牢獄にも大量の”
「ああ、それとだ。さすがに大っぴらに出来ることでないのだが、腹違いとはいえ俺の妹が無位無冠の身というのは問題だろうという話になってな。てきとうな貴族位を与えようと考えているのだが」
「え!?」
ついでにといった感じで突拍子のない提案をされて驚くティファニア。
「本来であれば正式に父上の子として認め、王族の一人として相応に扱うべきなのであろうが……。それにはいろいろ根回しが大変でなあ。それに、なにより君が自由に外を旅したいと言う以上、この国の王宮に縛り付けるわけにもいかぬしな」
「え、あ、ありがとう。じゃなくて、えっと、わたし王族どころか貴族として振る舞える自信ないし、そういう地位がないことに不満なんて抱いてないわ」
若干テンパりながらも、自分の思うところを言ったのだが、エドムンドは深くため息をついた。
「とはいってもな。なにかあった時、君がアルビオンの貴族って立場があればこちらがいろいろ動きやすいのだ。それにここのトリステインの者たちはともかくとして、トリステインの上層部は信用できん。なにせ強欲の化身のような女が王位にいる国だ。無位無冠では適当に利用され、捨てられてしまうのではないかと思ってしまうのだよ」
ティファニアは少し嬉しい気持ちになった。エドムンドが貴族にしようとするのが自分の行く末を心配してのことだと直観的に感じられたからだ。
しかしそれとは別のところで反感を持ったのが、意外にもギーシュだった。
「おそれながらエドムンド陛下。いかにアルビオンの王といえど我らが女王を強欲なんて放言するのは
「そう言われたくないなら、諸国会議で奪っていったアルビオンの徴税権とかを返せってハナシ」
呆れてるんのかバカにしてるのか判別に困るような表情をしながら、ヨハネがタメ口混じり語る。
「欲が強いことで有名なゲルマニアの皇帝は辺境のエディンバラ地方だけで満足したというのに、お前たちの国の女王様ときたら厚顔にも信じられないほど大量の要求をしてきた。徴税権を筆頭にトリステインに賠償とやらの名目で持って行かれた財源はかなりの量になる。こっちは数年にわたる内乱のせいで国土が荒れ果て、再建のための力が必要だというのにその力を生み出す財源を奪っていきやがった。本来であればアルビオン人の労働の成果は祖国再建のためにこそ使われるべきなのに、たいして戦災に見舞われていないトリステインに持って行かれるわけだ。強欲と呼ばれるのも当然ではないか」
それがアンリエッタに対するアルビオン首脳部の共通評価である。彼らの視点から見れば、諸国会議でジョゼフの協力で、多大な要求をするのは恥知らずであるという空気を醸成したのに、水の国の女王はそんなもの知るかとばかりに、その類い稀な手腕で祖国の利益を貪欲に追求し、結果をもぎ取っていったようにしか見えないので、強欲の化身と評されるのも必然であった。
おまけにエドムンドは”
「まあ、王というのはどこの国でもそういうものだ。己と己の臣下のために他国にとって悪辣な存在にならざるを得ぬ。おぬしらが私の誠意を信じていなかったように、私もトリステイン女王の誠意なんぞ信じておらぬというだけのことよ」
もし他国の王を憎まずにいられるとしたら、その王が信じられない愚か者か傀儡である場合だけだろう。そう考えるエドムンドの皮肉は、ギーシュやルイズに悔しげな表情を浮かべながらも口を閉ざさせるだけの説得力があった。
「でも、それじゃいつまでたっても世界が平和にならないんじゃないですか?」
あまり歴史に詳しくないサイトだったが、国の指導者が他国を信じられないような状況では戦乱が絶えないと学校の歴史の先生に教えられた覚えがおぼろげにあった。
「世界平和ね。……では聞くが、お前のいう”平和”とはどういう意味だ?」
「え」
大真面目な顔をしてそう問われたものだから、サイトは返答に窮した。
「”世界平和”なんて言葉は幻想だ。極端な話、始祖の御代から現代に至るまで、この地上のどこかで争いが起きている。なぜなら闘争は生物の根源にあるものだ。だからきっと、遥かなる未来に至っても生物は争うことはやめようとしないだろう。
神の御力があればあるいは実現できるやもしれぬとは思うが、始祖がエルフに敗れ聖地を奪われた歴史を考えると、御力を授けてくれるだけではまず無理だろう。終末の時、神が地上に降臨なさる日まで世界全体が平和になることはないと言い切ってもいい。
だからこそ、神ならぬ人の身にすぎぬ者たちは自分の大切な場所の平和を実現するのに必死というわけだ」
どこか投げやりな感じでそんな説明をするエドムンドに胡散臭さを感じずにはいられなかった。うまく言葉で説明できないのだが、なにか釈然としないものが含まれているように思えたのだ。
しかし言葉にできない以上、サイトは黙り込まざるを得なかった。
「それで貴族なら家名を持つものなのだが、なにか良い案があるか? なければこちらで適当に決めるが」
そう言われてティファニアは戸惑った。エドムンドの配慮を理解しているが、突然そんなこと言われてもとっさに良い案なんて思いつくものではない。だが、だからといって相手に任せてしまうのもどうかと思った。
マチルダ姉さんだって、身元がバレるから外で名乗ることはないようだが、それでもウエストウッドではたまにサウスゴータの名を名乗る時があるように家名とは大切なものなのだろう。
だから一番の望みは父と同じ家名、ティファニア・モードと名のれれば一番なのだが、さっきモード大公の子と認めるのは大変で無理だと言われたなかりなので、それは叶わない望みである。
じゃあ、他になにかあるかなと考えていると、まったく脈絡なく唐突に閃いた。まるで始祖が天啓を与えてくれたのではないかと思ってしまうほど、モード以外に自分の家名を持つならこれしかないと確信できた。
「ウエストウッドがいいです」
「住んでいた村の名をとったか。うむ。ティファニア・ウエストウッドという響きも悪くない。なかなか趣のある良い家名ではないか」
数日中にその名で貴族名簿に捻じ込んでおこう。どのように名簿を改ざんすれば良いかと考えていると……
「あの!」
「ん?」
「えっと、あなたはテファ姉ちゃんのお兄ちゃんなんだよね?」
「半分だけだが、その通りだ」
ティファニアの近くにいた子供のひとりが遠慮がちに確認してくることを不思議に思い、エドムンドは首を傾げながらも肯定する。
「じゃあ、エド兄ちゃんって呼んでもいい?」
「兄ちゃん?!」
予想外の言葉につい大声で叫んでしまい、近くの子供たちは今にも泣き出しそうな表情をした。
「ちょっとさすがにそれは無理よ。エドムンドさんは王さまなんだから」
外のことをろくに知らないティファニアだが、王がとても偉い人であるという認識はある。そんな相手に対して兄というのはどうも気後れするのだった。
もっともサイトと同じくらい礼儀に関して無知なティファニアの言葉使いは、王侯貴族の目から見れば完全に礼儀知らずという評価になること間違い無しなのであるが。
「別に構わぬよ。ただ自分は末っ子だったから、いやティファニアがいたわけだからこの場合は末っ子と思い込んでいた、か? まあとにかくそういうわけで兄と呼ばれるのが初めてでな。つい驚いてしまったのだ」
そして妹からさん付けで呼ばれるのも他人行儀に過ぎるかと言い出したので、ティファニアはは少し躊躇ったものの「兄さん」と呼んだ。エドムンドは破顔した。
それからは穏やかな会話をしながら夕食会が進んでいたのだが、入ってきた妙齢の令嬢に何事か耳打ちされるとエドムンドは軽く謝辞を述べて場を辞した。
マルシヤック公爵はサウスゴータ地方の四カ国共同統治におけるトリステイン側の最高責任者である老貴族であり、調整能力と内政手腕に長けることから、先の戦争におけるトリステインの計画で、アルビオン統治の最高責任者として名をあげられていたほどの人物である。
ガリア参戦とジェームズ・エドムンドら王党派の活躍によってアルビオンで王政復古してしまったため、戦後に彼が統治すべき領域は大きく縮小したものの、サウスゴータの議会決定を重視するアルビオン、自国の利益を拡大すべく陰謀を巡らせるゲルマニア、ひたすら代表同士の対立を煽っているしか思えないガリアの代表団に対して互角の政争を繰り広げており、トリステイン王室の期待に十分応えているといえた。
そんな忙しい日々を送っている公爵だったが、昼頃に彼の政務室にアルビオン王国宰相デナムンダ・ヨークからの密書が届いた。宰相という大物からであることをやや怪訝に思ったものの、定期的にくるアルビオン王室からの嘆願のような内容だろうと思って密書を読み、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになった。
密書には指名手配中の犯罪者を匿った咎でトリステインの
トリステイン王室の意向を受けたトリステインの者が指名手配中の犯罪者を、よりにもよってサウスゴータ地方で捕らえられたということを知って公爵は忠誠を尽くす王室を思わず罵倒したくなった。いったいどういう思惑が王室にあって実施された陰謀かは知らないが、自分を通さずにこのようなことをされてはどう対応していいかわからないではないか。
おまけにサウスゴータは四カ国共同統治領。そんな場所でなんらかの陰謀を進めていたと公になっては他の三カ国から激しく槍玉にあげられることは確実である。ハルケギニアの地図を思い浮かべ、自国と他の三国の位置を考えると暗澹たる気分になってしまう。幸いにして、今の所アルビオンはことを荒立てずにいてくれてるようであるが、こちらの対応次第でどう転ぶがわからない。
最悪、アルビオン・ゲルマニア・ガリアの三カ国を敵に回して戦争になるかもしれない。そう思った瞬間、公爵の背筋に寒気が走った。はルケギニアの地図を思い浮かべ、自国と他の三国の配置を考えるに開戦前から四方を包囲されているも同然である。そんなことになればトリステインは滅亡するだろう。
マルシヤック公爵は王政府に対して現在の状況の説明と、水精霊騎士隊の隊長と副隊長含む魔法学院の学生が関わっていた陰謀の詳細を求める手紙をしたため、フクロウにくくりつけて飛ばした。本来なら機密性を重視して使者に持って行かせるべきなのだろうが、アルビオンから今夜に宮殿に訪れるよう要請されている以上、そんな手間をかけている時間がない。
しかしそれほど速さを重視して手紙を飛ばしたにも関わらず、その手紙は夜になっても誰も読んでいなかった。アンリエッタ女王がお忍びでロマリアへと旅立ったばかりのため、王政府は平静を装うのに忙しくてそんな手紙読んでる暇がなかったのである。
そのため、マルシヤック公爵はほとんど事前情報がない状態で交渉に望むことになり、内心で自国の政府の怠慢さを呪いながら竜籠に乗り込んでハヴィランド宮殿へたどり着いた。アルビオンからの指示通り取次の役人に「今後のサウスゴータ統治に関する陳情を述べに来た」と告げると即座に控え室に通された。
そして対面した”白いオーク”の異名を取る宰相の醜悪な容姿を見せられ、なにか胸焼けして喉の奥に胃液が逆流しているような不快感に苦しみながらもなんとか情報を得ようと積極的に話しかけたが、のらりくらりとこちらに情報を渡さない。おのれ、知能もオーク並みであればいいのに。
そうして時間を浪費していると、謁見の間へと通された。玉座に腰かけるエドムンドの姿を見て公爵は思わず身を竦めた。即位後の大胆かつ力ずくな改革によって、その性格の苛烈さを物語る噂を聞いているため、潜在的に恐怖を感じずにはいられなかった。
玉座の隣にいる十代の女性の姿だけが公爵の心の清涼剤となったが、それもエドムンドが口を開いた瞬間に終わった。
「よく来てくれたなトリステインの公爵閣下。秘密裏に、そして早急に解決させねばらぬ案件ゆえ、さっそく本題に入らせてもらおう。我がアルビオンとしては犯罪者を匿った貴国の連中は極刑に処してやりたいのだが、トリステイン側の意見を聞こうではないか」
いきなり究極の選択を選ぼうとしている態度に、マルシヤック公爵は内心叫びだしそうになったが、努めて平静を装う。
「お待ちください。水精霊騎士隊は我が女王陛下の御下命によって新設されたばかりの部隊。その隊長と副隊長、それに陛下直属の女官まで極刑に処すのでは我が国の面子にかけて、黙っているわけにはいきません。それに彼らと行動を共にしていた者の中にはゲルマニアの留学生までいるというではありませんか。ゲルマニアも介入してくるかもしれませんぞ」
「しかし彼らの咎は明らかではないか。指名手配中の犯罪者を匿っており、身柄の引き渡しを要求した警邏隊に反抗しておるのだぞ。無罪放免などしたら私の顔が丸つぶれだ」
「たしかにそれはそうでしょうが……、警邏隊に反抗した程度にしては罪が重すぎではありませんか。いったい我が国の学生はどのような犯罪者を匿ったというのか、まずそこから説明して頂きたい」
「なぬ? おぬしは知らぬのか?」
怪訝な声で問われてマルシヤック侯爵は戸惑ったが首を縦に振った。それを見てどうも公爵はティファニアの存在自体御存知ではないらしいと推測し、建前を押し通すことにした。
「ガリアで政治的犯罪を犯した者だ。我がアルビオンはガリアの友好国である。そうである以上、見て見ぬふりなどできぬ」
毅然とそう言い切った後、さまざまな訪れる事態を憂慮する表情を張り付ける。
「しかし、だ。おぬしの言う通り極刑に処せばトリステインとの関係は急速に悪化してしまうだろう。それは私の望むところではない。トリステインとは今後も友好関係を継続したいのでな。だからこちらにはある程度譲歩してやる用意がある。
だが、そちらに建設的な交渉をする気がないと判断すれば、今回の一件を公表し、匿った者どもを極刑に処した上で、我がアルビオンの全軍をもってトリステインを地図上から消し去るつもりだ。そのことを努々忘れぬようにしてもらいたい」
譲歩をチラつかせる一方で、露骨な脅迫を行ってきた。どちらに転んでもかまわないんだぞ?と挑発的な笑みを浮かべて。
マルシヤック公爵は額に冷や汗を流しながら、なんとか挽回の目はないかと必死に思考を巡らし、いっそ開き直ることにした。
「陛下の言い分はごもっともながら、私には陛下直属の貴族子女の処断を決めるだけの権力がありません。つきましては我が国の外務大臣と協議して頂くのが一番かと思われますが……」
「しかし私は今回の一件を他国の介入を招かぬうちに内々に処理したいのだ。だから彼らをずっと宮殿内にとどめているわけにもいかぬのだよ」
なにせ人の出入りの激しい宮殿だ。誰かの口からポロリと零れたしまうことだってあるだろうし、他国のスパイが潜り込んでいることだってあるだろう。
「では、処罰などについてはまた後日政府同士でやり取りしあうとして、それが決まるまで彼らをどのように扱うか。仮処分の話し合いという形でいかがでしょうか」
「なるほど。……………そうだな。犯罪者を匿っていたのは全員学生だ。一時的な留学扱いアルビオン魔法学院に配属というのはどうかな? これだと表向きは優秀と見込んだ貴族の子の見識を広めるためとすれば、誰も怪しむまい」
「大多数はそれでよいかもしれませんが、いかに学生たちだけで構成されているとはいえさすがに近衛隊たる水精霊騎士隊の隊長と副隊長、そして陛下直属の女官であるミス・ヴァリエールが他国の魔法学院に留学となると、やはり疑われるのではありませんか」
「む……」
自国に留め置く正当性を確保し、時間をかけてゆっくりと取り込んでやろうかと考えていたのだが、やはりそう簡単にはうまくいかないらしい。そのことをエドムンドは痛感すると、マルシヤック公爵がどこまで自分の権限で認められる範囲であるのか牽制混じりに探りつつ、こちらが非常に有利な形で条件付けしなくてはならないと交渉にのめり込んだ。
自分で書いててあれだが、マルシヤック公爵が可哀想です。