秘密の会談から数日後、エクトル卿とその部下達は貴族議会の決定により交渉役としてガリア王都リュティスへの空の旅路を満喫していた。
ディッガーは複雑な顔で眼下に広がるガリアの大地を眺めていた。
かつての祖国に複雑な想いを抱かずにはいられなかった。
「気になるか?」
声をかけられて振り向くとそこには今の自分の主の姿があった。
「ええ、気にならないと言えば嘘になりますな」
ディッガーは苦笑しながら返答する。
「……名とともにかつての全てを捨てたとはいえ、俺がジョゼフとの友好的な関係を築きたいと思っているのをお前は気に食わんか?」
そう問いかけられて、ディッガーは激しく動揺した。
それは自分の心理状態を的確についていたからだ。
名とともにかつての地位も名誉も怒りも憎しみを悲しみも全て捨てたつもりだった。
だからジョゼフと自分の主が交渉しようとしていても何も思わないはずだった。
だが、リュティスを目前にして、現在の自分の心の中は自分でも分かる程にできれば交渉が失敗に終わることを望んでいる自分がいる。
主の失敗を望むことなど、不忠極まりない事と思う。
そうは思っているのだが、なかなか感情が言うことを聞かないのだ。
「辛いのであれば、今からでも俺の下を去ることを許す。
お前を臣下に迎えたのは、俺がお前に価値があると判断したからだ。
臣下であることに耐えられぬというのであれば、それは俺の責だ。お前を責めはせん」
そう言われて、ディッガーは天を仰いだ。
憎たらしいほどに晴れ渡った空を見上げ続ける。
様々な想いが交錯しえ混ざり合い、やがてその感情の奔流は交渉を失敗を望んでいた自分を押し流した。
ディッガーは自らの主の前に跪く。
「かつてはどうあれ、現在の私の主君は貴方のみです。
で、あるのならば過去の私怨など取るに足りないものに過ぎません」
「そうか。……表をあげろ」
そう言われてディッガーは頭を上がる。
「今後とも忠義に励めよ」
「ハッ」
ディッガーは再び頭を下げる。
筋違いの思いを抱いていた己に、このような配慮を見せた主君に対する感謝の程を示すにはそれしかなかったからだ。
ディッガーの態度に仮面の主は苦笑でもって答えた。
「俺は表をあげろと言ったのだ。だというのに、いつまで跪いているつもりだ?」
「……申し訳ございません」
ディッガーは立ち上がって、すまなさそうに頭を下げた。
「……まぁ、よいわ」
やや困惑しような声で仮面の主は呟き、船首から船の前方へと目を向けた。
そして杖剣を抜いて”遠見”の魔法を使う。
すると遠くに広がるリュティスの街並みがエクトル卿にははっきりと見えた。
「あと数時間もせぬ内につくだろうな」
「ここからリュティスの街並みが見えるのですか?
いくら”遠見”の魔法を使っても限度というものがあるのでは……」
「普通ならそうだが、生憎と俺は”風”の達人でな。
ここからリュティスの光景を確認する程度の芸当なら”閃光”でも容易くできるだろうよ」
”閃光”とは、ワルド子爵の二つ名である。
ワルド子爵も風のスクウェアだとディッガーは聞いていた。
もしかしたらスクウェアには、”遠見”でここからリュティスの街並みを確認することなど容易いのかも知れぬ。
系統の違いがあるとはいえ、トライアングルであるディッガーにはここで”遠見”を使っても点みたいな街が見えるのが限度だ。
スクウェアの魔法の規格外さをディッガーは改めて認識した。
が、ディッガーのこの認識は大いに間違っている。
エクトル卿にせよ、ワルド子爵にせよ、彼らはスクウェアクラスという枠組みの中でも最上位を争えるレベルに位置する傑物どもである。
普通のスクウェアだと”遠見”では系統が風でも、精々おぼろげに街並みが見えるか否かといった具合である。
要するにスクウェアクラス全体が規格外なのではなく、一部が規格外なのだ。
が、そんなことは知らないディッガーはもっと鍛錬をしようと決意していた。
「もうすぐリュティスに到着するので準備をしておいてくださいね」
その声に2人は振り向いた。
声の主は皇帝秘書のシェフィールドという女であった。
黒くて艶やかな長い髪の毛、ハルケギニア人と比べて僅かに暗い色の肌、黒い目に黒い服装と不気味な印象を他者に与える人物だ。
今回のガリアへの訪問に彼女を同行させることをクロムウェルから命じられたことを考えると、彼女がジョゼフの駒のひとつなのではないかとエクトル卿は推測していた。
「そうか、ではすぐに準備をしよう。ミス・シェフィールドも皇帝閣下の期待に応え、ジョゼフ王の思惑に嵌らぬよう気をつけるのだな」
「……」
シェフィールドはなにも言いかえさなかったが、エクトル卿は彼女の瞳に一瞬冷たい光が宿ったことを見逃さなかった。
(これは……、ヨハネを先にリュティスに潜伏させておいて正解だったか)
まぁ、できれば流血沙汰は避けたいが。
そんなことを思いながら、エクトル卿は荷物を纏めるべくフネの中へと入っていった。
ガリア王国の中心はリュティスの郊外にあるヴェルサルテイル宮殿という王城である。
この宮殿は先々代のガリア王ロベスピエール3世の命令によって建造されたものであり、王城の歴史自体はゲルマニアの宮殿よりも浅い。
しかしハルケギニア最大の大国が贅を凝らして築き上げた巨大な宮殿であり、世界中から招かれた建築家や造園師の手によって様々な増築物が建築されており、現在進行形でその規模を拡大させ続けているのである。
このヴェルサルテイル宮殿に勝る宮殿はこの世界のどこを探せども存在しないとガリアの王族達は豪語し、他国の王族貴族は内心はどうあれ認めせざるを得ないと言えばこの宮殿の凄さが理解できるだろうか。
そんな世界一の宮殿にガリアの外交使節団が着くと、儀仗兵に出迎えられ、楽士隊や道化師によって日が暮れるまで歓迎され、迎賓館に案内された。
「……ジョゼフ王どころか、ガリアの外交官と話すらできてませんぞ」
ディッガーが不満気にそう言った。
それに対し、エクトル卿はどこか愉快そうな声で返す。
「ジョゼフ王は部下から直接俺がどういう人間か聞きたいのではないか?」
「なにをです?」
「今なら皇帝秘書が本当の主の下へ行っても誰にも分からんだろうさ」
そう言って、エクトル卿は迎賓館に置いてあった高級ワインのボトルの蓋を開けた。
国王の居城グラン・トロワは、王都リュティスの郊外にあるヴェルサルテイル宮殿にそびえるその城は月光に照らされて薔薇色の大理石と青いレンガで出来たその体躯をその夜も誇らしげに誇示していた。
その宮殿の中でこのガリア1500万の人間の頂点に君臨するジョゼフ1世は己の使い魔の報告をワインを片手に聞いていた。
「余の
自らの主にそう言われ、ミューズと呼ばれた女は頷く。
「ええ、だからジョゼフさまに危害が加えられる前に排除した方がよろしいかと……」
「かもしれんな。だが、少しは不確定要素がなくては
ジョゼフは愉快気に唇を歪めながら、箱庭の駒を見下ろす。
この箱庭はガリアでも特に優秀な技師を集めて造らせたハルケギニアの模型である。
もうすぐ新しい
その駒は境遇的には自分の姪と似通った部分があるだけにジョゼフは面白味を見出していた。
「ですが、ジョゼフさまの身になにかあれば……」
「暗殺など王太子の時分から慣れっこだ。何の問題もない」
何の気負いなくジョゼフはそう返す。
事実、子供の頃から魔法の使えない無能と称される彼の王国には、正義感や野心や打算等々の理由でジョゼフ暗殺を謀り実行する者たちが存在している。
しかしその度にジョゼフはその智謀で逆王手をかけて首謀者を黙らせるか、王国の闇の騎士団である北花壇騎士団に命じて首謀者を抹殺するかのどちらかを常に選んできた。
だからここに来た者達が自分をどうこうしようとしても無駄だと断じていた。
それにかのアルビオンの護国卿閣下はかなり計算高い人間であるとジョゼフは認識している。
この状況で護国卿が自分に喧嘩を売ってもメリットが見当たらず、デメリットばかりが目につくのでそんな無粋な真似はすまいとジョゼフは考えていた。
「とにかくあの護国卿閣下とは明日会うとしよう」
そう言ったジョゼフにミューズはなぜあの男の危険性を何度教えても、自分の主は理解してくれないのだろうかとやや拗ねた。
実際のところ、理解した上で大丈夫と判断しているので、どれだけ危ない人物であるとミューズが言い募っても意味はないに等しかったのであるが、そのことをミューズは知らない。
エクトル卿とジョゼフの面談は諸事情によりカットさせて貰う。