オーバーロード モモンガ様は独りではなくなったようです 作:ナトリウム
村を包囲する人間が居る。その事実は周囲に展開していた者により把握されていた。
接近に伴って隠密に欠ける大多数は撤収していたが、宝物庫にも多数転がっていた遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>による監視など、ほぼ丸裸と言って良い。
報告が行かなかったのは代表としてセバスを経由していたのと、タイミングや周囲の状況を窺っていた事、加えるなら明らかに脆弱であり緊急的な物ではない、という判断が大きい。
ゴキブリに対して命の危機を覚える人間は居ないだろう。ただ不愉快なだけで。
しかし、害虫と共存したい人間が希少であるもの、また事実である。
もし命令が下れば瞬く間に殲滅できる、それだけの裏打ちがあるからこそ無視されているに過ぎない。現在でもナザリック全体に連絡が行われ、各所で潜んでいる八肢刃の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)から報告は守護者たちの間でほぼ共有されている。
ナザリックにもモモンガの指示とあって余裕が有るため、現地で定期的に行われている覗き見も把握しており、アルベドが代表となりモモンガとメッセージでやりとりを行っていた。
構わん。殺せ。
もしモモンガの口から一言でも指示が飛べば、次の瞬間には終わっているだろう。
監視者に対しても最大限の悪意が注入されるに違いない。下手をすれば都市が1つや2つ、いや都市レベルではなく国家の存続に係るレベルにまで発展する可能性だって十分にある。
「愚かな……。ニンゲンども……!」
守護者の一人、アルベドは美しい顔のまま、甘く囁くように言葉を紡いだ。
しかしその全身から発されるオーラは尋常ではない。玉座の間で控えているプレアデスたちですら冷や汗を浮かべそうな、常人なら見るだけで心臓が停止する程の悪意である。
もしナザリックの守りを命じられていなければ。次の瞬間には動いていただろう勢いだった。
彼女は創造主であるタブラ・スマラグディナを最も敬愛しているが、その敬愛は41人へ分配されようとも決して尽きる事がない。設定文の最後に 「ちなみにビッチである」 という設定が存在するように、至高の41人の全てを強く信奉し、そして全てを激しく愛していた。
それをビッチと呼ぶならばそうだろう。ただしナザリック以外の存在を同格とは認めない。
だから恋愛対象となり得るのは41人、または彼女が認めれば守護者も対象になる可能性はあるだろう。恋多き乙女は夢を抱く。
……だというのに。我らが神に楯突こうとする、愚か者がいる。
許せない。許せない。許せない。許せない許せない許せない。
無限の愛が反転し無限の憎悪となる。紫色のオーラが展開され空間すら歪む。
ケイおっすが帰還したという事実はアルベドの思考を歓喜で染め上げた。 「ボクはナザリックの全てを信頼している」 その言葉を受けた守護者たちは報告越しであっても感涙を流した。それを肯定するモモンガの頷きには、あのデミウルゴスでさえ目頭を抑えた。
モモンガ様も遠くへ行ってしまうのではないか。その不安を僅かとはいえ抱いていたアルベドにも響き、あまりに嬉しすぎて 「くふー!」 なんて声を漏らす程である。
「ああ、皆様、至高の皆様。アルベドはお待ちしております……」
ケイおっす様は戻られた。ならばタブラ・スマラグディナ様も。いずれ帰ってくる。
確信に近い希望を抱いているアルベドにとって、その可能性を僅かにでも損なうような存在は、ナザリックに逆らう 「害虫」 は、慈悲の恩寵たる死さえ値しない害悪であった。
自らよりも遥か格下の存在が邪魔をするのだ。その怒りがどれほどであるか、アダマンタイトすら噛み砕く勢いで食い縛られた憎悪は。認識しない方が幸せだろう。
「……ふふ、モモンガ様。ナザリックの守りと、お客様へのおもてなしは、お任せ下さい」
アルベドは表情を緩め、己の頬を手で包み込む。猛獣の咆哮より恐ろしい呟きを漏らす。
この場にモモンガが居れば色々な意味で震え上がったかもしれない。 「こ、恍惚のヤンデレポーズ!?」 などと言いながら。
そして同じように報告を受けているシャルティアも、敬愛と情愛と歓喜と憎悪と激怒に満ち、ほぼ同じ顔をしていると知ったら……。モモンガはまず間違いなく部屋の隅で頭を抱えるだろう。
俺が操縦しないと、愛で空が落ちてくる、と認識して。
知らぬが仏である。今は。
「なるほど、確かに居るな……。それに、天使か」
ガゼフは家の壁に張り付きつつ様子を窺う。空を飛ぶ複数の天使と術者の姿を確認した。
その表情は恐ろしく真剣な物だ。まさかほんの数キロ先に居る存在が、あの天使たちを害虫の一種として認識しているだなんて、神ならぬ彼には知りようもない。
死を覚悟する強敵。恐らくは勝てない。ガゼフは歯を食いしばりながら眉を寄せた。
天使の武装は。光り輝く胸当てに、燃える炎を宿したロングソード。
仲間を振り返るが知識のある人間は居ないらしい。生憎とガゼフ自身も心当たりがなく、故に強さを分析する事が出来ない。ただ魔法を使うなど厄介なモンスターとしては認識された。
「勝てるか……? いや、狙いが俺であれば……」
仮にガゼフが完全武装であれば違ったかもしれないが。今ここにそれらは無い。
また敵は自分たちの戦力を把握した上で派遣された物と思われる。それが悲観どころか楽観的に考えてもなお前提として残ってしまう以上、極めて厳しい戦いになる事は確信に近かった。
冒険者は戦う前から勝利を掴む。それがこの世界で生きるための鉄則であり、立場が違っても極めて適切な生存戦略である事には違いない。
「彼らの目的は何でしょうか? それとも、この村に断続的な戦力を送り込む価値が?」
モモンガが純粋に疑問な様子で口に出す。それを見たガゼフは可能性の幾つかを除外した。
元より心当たりはあったのだ。装備について貴族派から嘴を突っ込まれるなどの。
「モモンガ殿に心当たりが無いのであれば、つまり私が狙いでしょうな。
あの数の天使を召喚できるとなれば、スレイン法国の手の者……。戦士長という立場上、恨まれるのは理解しているが……。恐らく特殊工作部隊群、噂に聞く六色聖典の……」
ガゼフは強く唇を噛み締める。恐らくはここで死ぬ、との未来を強く予感して。
険しい目つきのまま部下たちの方を振り返る。死地にあって誰もが朗らかに笑っていた。死の予感を受けてなお笑っているのだ。仕方無さそうに鎧の胸を叩く、肩を竦める。その姿さえ負の感情は欠片も含まれていない。
俺には勿体ない部下を得たな、この馬鹿野郎どもめ。目だけで意思を伝え合った。
「なに、水臭いですぜ、隊長殿。ここであいつらを殲滅できれば、大金星じゃないですか」
「そうですよ。でも、帰ったら一杯、おごって貰いますからね」
「そりゃあいい案ですな。知ってますか? 裏通りにある店。可愛い子が揃ってるんですよ」
その空気はモモンガやケイおっすにも伝わる。実に男臭い雰囲気だった。
戦場で生まれた絆とでも言うべきだろうか? 鉄火場で打たれ魂が交じり合うような。数人の男たちが一つの生物のように無意識を共有しているような。
「ああ、くそ、馬鹿者め。お前らは、本当に……」
ガゼフの岩のような顔が綻ぶ。泣き笑いのような表情が浮かんだ。
視線が宙へ向いたのは涙を堪えるためだろうか。恐らくは国家への忠誠ではなく、ガゼフ個人の人格が産んだ結束だろう。
「ケイおっすさん……。構いませんか?」
それを傍から眺め 「羨ましいな」 僅かに俯いたモモンガの顔がそう言っていた。
ユグドラシルでもこういう雰囲気はよくあった。隠しボスの前に全滅しそうになった時とか、強敵によるPKに晒された時とか。輝かしい時代の欠片を思い出してしまう。
やや間があって、モモンガはハッとした顔になって……とはいえ骸骨である上にマスクで覆われているが……ケイおっすの方に振り返った。
「ボクも寂しいよ。でもまあ、待ってれば来るかもしれないし、ね?
ああ、返事はOKかな。わざわざ助けに来たのに、ぽっと出の連中に潰されたら不愉快だし」
微笑みながらそう言い返すと、モモンガは後悔しつつも安心したような、そして寂しさの滲む視線を空へと向ける。
頭上に広がる青空はとても美しい。日本からは既に失われてしまった物だ。
本物になったこの世界を冒険できたら、皆と馬鹿騒ぎできたら、どれほど楽しいだろうか。そういった考えが浮かぶのは当然だった。ケイおっすだって同じ考えを抱いていた。
「そうですね。他国での破壊工作を指示するような国より、王国の方がマシでしょう。
ただ、危険があるかもしれません。ケイおっすさんも注意をお願いします」
2人が抱くガゼフ個人に対する感情移入は 「普通」 ぐらいである。
ただ悪い訳ではなく人間相手にしては珍しいレベルだと言えるだろう。適当に遊び始めたゲームの登場人物A(主役キャラではない)ぐらいには気に入っていた。
手を加えなければ次のイベントで全滅します。そう言われたら所持金やアイテムの具合と相談しつつ、気が向いた範囲での回避を試みてもいいかな、程度には。
「了解、マスター。未知の魔法には注意するよ。
……それにさ、ユグドラシルでもこういうクエストってあったよね? あの後味悪いやつで、ペロロンチーノさんが 『せっかくの美少女NPCが!』 って文句言ってたアレ。
なら、今度はひっくり返してやろうよ。せっかくのイベントなんだしさ!」
ケイおっすはモモンガを見上げながら、にひひ、と本来の笑みを浮かべた。
新たな襲撃者はガゼフを含めた騎士たちよりも強いのだろう。ならばレベルを測る相手としては向いているし、何より魔法使い系の連中は多くの知識を抱えていると相場が決まっている。
「モモンガ殿。宜しければ、雇われ……。いえ、その前に。言うべき事があります」
主に魔法でのやり取りだったが、和気藹々な雰囲気は伝わったのかもしれない。
ガゼフはどう判断するべきか困っているような態度で歩み寄ると、ちょうど顔を向けたケイおっすと向き合い、それで迷いを吹っ切ったのか改めて視線を合わせた。
護衛のように立つデスナイトが反応するギリギリの距離まで近づく。彼はビシッとした態度で両足を揃えた。鉄柱でも入っているかのように背筋を伸ばす。
その姿勢は最強の騎士に相応しいと思ってしまうような、装備さえ整えばナザリックでも通じそうなほどに堂々たる物であり、気付けば彼の背後では部下全員が同じ動作を取っていた。
「本当に、本当に感謝する! よくぞ無辜の民を暴力の嵐から守ってくださった! 貴方がどのような存在であれ、それだけは伝えておきたい。本当にありがとう!
……そして我儘を言わせて貰えるなら、どうかお力添えを願えないだろうか? 今この場に差し出せる物は無い、厚かましいお願いだと分かっています。しかし……」
固く歯を噛み締めながら。彼は背後の部下を見やる。
ガゼフの顔はモモンガに向けられたままだ。実際に動いたのは眼球だけであり、彼の全身は型に嵌まったように見事だったが、それを理解させるだけの意思が篭っていた。
もしガゼフが自分の命に固執しているのであれば白けただろう。だが彼の全ては余すところ無く部下や王国の民草に向けられている。そこには一部の隙さえ存在しない。
例え装備が貧弱でも。技術的には見るべき物など無さそうであっても。
ガゼフの真価はそこではないのだと、そう断言できるだけのオーラを放っていた。
「……ええ、構いませんよ。微力ながらこのモモンガ、助力させて頂きましょう。」
構わないよな? 無言で問いかけるモモンガに対し、ケイおっすは笑顔で頷いた。
本人的にはガゼフに対しそこまで感情移入している訳ではないのだが。愚直とも言える真面目さは社会人として好感を抱く物であったし、戦争映画みたいなシチュエーションが気に入ったのだ。
「それに、セバス。人助けをするのは当たり前、だろ?」
「……あー! ハハ、懐かしいね。うんうん、たまには悪くないと思うよ、マスター」
モモンガから発された言葉が響く。完璧に保たれていたポーカー・フェイスが崩れる。セバスは一瞬だけ口を開くと 「呆然」 に近い表情を浮かべた。
たっち・みーが救ったように。モモンガが救ったように。人助けも悪くはない。忠誠を更に深めているセバスを背後にして満足気に頷く。
それに、怪物だからこそスマートであるべきなのだ、という思いがモモンガにはある。
ユグドラシルで幾多のギルドと関わった経験は無駄ではない。数々のエピソードを思い返しながら判断を下していた。
圧倒的な力に物を言わせるのはタイミングを選ぶほうが良い。伝家の宝刀とは見せつけて威圧するのが最良であり、無闇に抜き放っては刃毀れする。価値が落ちる。
ただし竹光と思われていたら始まらない。見せ付けられるだけの威容が必要なのだ。
王国とやらがガゼフを評価していれば理解するし、逆であれば優秀な人材が排斥される、というのがモモンガの思考である。どちらに転んでも損はないと判断した。
「おお、モモンガ殿……、ありがとう。1000人力を得た気分です」
モモンガは支配者という名乗りを行っている。それが故にガゼフという立場がある人間にも選択肢が生まれていた。
いくら強くとも旅人などと名乗られてしまえば限界がある。しかし何処かの支配者と言われれば別だ。王から賜った立場を貶めず、なおかつ忠誠に反しない領域で、融通を利かせられるだけの柔軟性が存在していた。
「しかし、幾つか条件があります。先も言いましたように、私達は非常に誤解されやすい存在、そしてガゼフ殿も国家に仕える者ですから、報告の義務はあるでしょう。
ですので……あの天使たちの対処、その全て此方に任せて頂きたいのです。また村人への聞き込みも控えて頂きたい」
知らなければ、不義理を犯す必要もありませんからね。
モモンガがそう締めくくると、ガゼフは完全に部外者として置かれる事実に一瞬だけ怒りを露わにしかけ、だが鋼の意思により飲み込んだ。
背後の隊員たちも不満はあるようだが沈黙を貫いていた。ガゼフが怒りを収めた事で鎮静したのだろう。モモンガが大雑把に把握した時代背景から考えると珍しいレベルの練度だ。
セバスも琴線に触れる物があったのか 「ほう」 と小さく賞賛を送る。
何人かは武器に手を伸ばす寸前という雰囲気を、極一瞬だけ漏らしそうになったが、表面上は不動のまま堪えていた。口は固く結ばれたまま文句の一つさえ聞こえてこない。
「承りました。では、守勢に回るとします。この村で守りを固めていれば?」
「ええ、それでお願いします。……そのデスナイトは置いておきましょう。万が一にでも抜けてくる者が居れば、捨て石として使って構いませんよ。そのように命じておきますので」
「では改めて……。モモンガ殿、民を守るため協力いただき、感謝の極み。もし王都に来られる事があれば、お望みの物を渡すと約束します。ガゼフ・ストロノーフの名にかけて」
ガゼフは跪こうとして、それはモモンガに止められる。
なに、容易い事ですから。本当に気にも留めないような言葉を受け、ガゼフが陣頭に立って村人に指示を飛ばす。大きめの家屋に集まるよう村長から指示を出させると、その周囲にガゼフ率いる騎士団、そして最前線には無言のままデスナイトが仁王立ちする。
その間にも村の周囲に集まる天使は数を増やしていく。10は軽く超えただろう。
だが 「アリが幾ら集まったとして、ガゼフ殿は不覚を取りますか?」 というモモンガの言葉で無視される事となった。
本当はたった一言。 「やれ」 と命令を下すだけで、全ては終わるのだが。
悠々とした動作でモモンガとケイおっす、そしてセバスの3人は村を出て行く。その背中を追いかけるようにして 「が、頑張って下さい!」 一人の少女が発した精一杯の声が届いた。