東方狐答録   作:佐藤秋

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第九話 風見幽香

 

 紫は驚くほど早く成長していった。最初のころの、空間を繋いで移動することしかできなかった紫とはもう違う。自分の能力の本質をいち早く理解し、自分を取り巻く世界についての知識を貪欲に求め、みるみるうちに『境界を操る程度の能力』を使いこなせるようになっていった。もしかすると戦い方によっては、俺も圧倒されるかもしれない。

 見た目も少し成長し、少女ではなく女性と表現するほうがしっくりくるようになった。あと十センチも身長が伸びれば、俺に追いつくぐらいにはなるだろう。もっとも身長が俺を追い越そうが、俺よりはるかに強くなろうが、俺にとっては紫はまだまだかわいい子どもだが。

 

 紫ももう俺の世話がなくとも一人で十分生きていけるだろう。そう俺が判断したのは今から百年ほど前だったか。俺は当然そのことを紫に伝えた。

 

 いま紫が何をしているかというと……

 

「……うわぁ見て真! 辺り一面お花畑よ!」

 

 なぜかまだ俺と共にいる。

 

 紫が一人前に成長しただろうと判断したその日の夜、俺は紫に、もう一人でも生きていけるだろうと伝えた。お前の人生なんだ、お前のやりたいことをやればいい。そう紫に伝えると「私は真についていきたい。それが私のやりたいことよ」と返された。

 そう言われたら俺は何も言えない。今後紫が本当にやりたいことができるまで、俺は付き合ってやることにした。

 

 

「ああ、絶景だなこりゃ」

 

 俺と紫は今、大量の向日葵にかこまれた花畑に訪れていた。俺は二本の足を使ってこの場所に立っているが、紫は空間に境界をつくり、そのスキマに入ってふよふよ浮いた状態である。移動するときもそのスタイルは変わらない。

 そんなんだからお前はいつまで経っても睡眠時間が減らないんだ、とも思ったが、俺の基本的教育方針は『やりたいことをやれ』である。そう何度も言ってきたからあまり紫のやり方に口は出せない。少し甘やかしすぎだろうか。

 

「ねぇ真、これはなんという花なのかしら。おそらく初めて見るのだけれど」

「おそらく向日葵、だな。その名の通り太陽の移動にあわせて向きが回る花だ」

「へぇー、さすが真、博識ね。ところで---先ほどから私たちを見ている貴女。何か用でもあるのかしら?」

「え?」

 

 『私たちを見ている貴女』って誰のことだ? そう思い、紫の言葉を聞いた俺は周囲を見渡す。すると奥にあった向日葵の陰から一人の少女が、怯えたような姿で現れた。

 

「ご、ごめんなさい…… 何か用があるとかではないんです。ただ何を話しているのか気になって……」

「……本当にいた……」

 

 紫の言う通りそこに誰かがいたことに、またそれが幼い少女だったことに俺は少なからず驚いた。紫のヤツよく気付けたな、殺気を向けてくる妖怪でも無かったのに。

 ……ふむ、しかし少女から若干だが妖力を感じる。この花畑に住んでいる妖怪だろうか。それにしても少し気弱そうという点で、あまり妖怪らしくはない。

 

「あら、何を話そうと貴女には関係ないじゃない?」

「ひっ…… そ、そうですよね……」

 

 紫が不機嫌そうに睨んでそう言うと、少女は黙ってうつむいてしまった。紫の言うことは正論なのだが、そう突き放すこともないだろうに。気弱な性格が相まって、怯えてしまっているじゃないか。

 

「ああえっと、君はここに住んでいる妖怪だろうか? すまない勝手に侵入してしまって」

「……え? あ、はい……ここで花たちの世話をしている風見(かざみ)幽香(ゆうか)といいます……」

「……え! この花たちって全部貴女がお世話してるの!?」

「は、はい一応……」

「すごいじゃない貴女!」

 

 怯えさせないよう俺が注意して話しているのに、紫が大きい声を出す。まぁ今回の大声は賞賛のための大声だが。

 紫は、初対面でこそ相手を警戒するが、自分にできないことができる相手だと素直に感心できる子だ。幽香と名乗った少女はその声に驚きながらも「あ、ありがとうございます」と反応した。

 

「……でも、貴女が私たちを見ているとき、強い警戒心を感じたわ。それはなぜかしら」

「それは……ここにくる人たち……大抵は人間ですが、その人たちは皆、この花たちを勝手に持っていってしまうんです…… なんでも珍しいとかで」

「な……そんなことをするヤツがいるの? ……でも安心してちょうだい。私たちはそんなことはしないから」

「は、はい。 ……そういえば貴方、この花の名前を知っていましたよね。 す、すごいです! 花たちに聞いても分からなかったのに!」

 

 そう言われて俺はしまったと思った。そういえば向日葵は外国の花だった記憶がある。日本語の名前はまだついていないのかもしれない。 

 ……でもまぁ嘘はついていないし幽香も喜んでいるのだから、これはこれでいいことにしよう。少し前から紫の賞賛が功を奏したのか、幽香も少しだけ怯えが無くなっている。

 

「花たちに聞いたって…… ええと幽香、君には花の言葉が分かるのか?」

「は、はい。私にはそういう能力があるんです」

「すごいわね貴女! 花と会話できるなんて!」

「そ、そうですかね……えへへ」

 

 またも紫が賞賛し、幽香が照れたように笑いだす。ずっとおどおどしていたが、なかなかどうして笑顔はかわいらしいじゃないか。

 なんとなく初めて会った頃の紫を思い出す。髪は短く緑色なので外見的特徴は全く似ていないが、それでも見た目はあの頃の紫くらいの幼さだ。

 

「花は……私の唯一のお友達なんです」

「そう…… いいわねお友達」

 

 優しそうな笑顔で語る幽香に、紫もつられて柔らかく微笑む。紫は見た目こそ成長したが中身はまだまだ子どもなので、幽香とも仲良くなれるかもしれない。

 

「……あれ? でも、この花たちって人間に持っていかれたりしているんでしょ? いいの?」

「い、いいわけないじゃないですか!」

 

 突然幽香が声を張り上げる。いきなりのことで驚いたが、幽香自身も自分が大声を出したことに少し驚いている様子だった。

 

「……でも、私に花を守る力はないんです…… 人間たちが怖くて……」

「……なんですって?」

 

 紫が眉をひそめて聞き返す。幽香は自分の境遇について、ポツリポツリと語りだした。

 

 幽香は弱い妖怪だった。花と会話できるだけの妖怪で、ただの人間にも嘗められている。それどころか、植物の知識があることに目をつけられ、薬となる草を提供させられもしているらしい。

 おとなしく言うことを聞く幽香に人間は更に調子に乗り、ここら一帯に生える珍しい花(向日葵)たちも勝手に持っていく。幽香はそれはただ我慢して見ているだけの毎日だった。

 

 

 

「……あったまきたわ! そんなひどいことをする人間がいるなんて!」

 

 幽香の話が終わると同時に、紫が頬を膨らませて憤慨する。俺も表には出さないがなかなかにひどい話だと思った。

 

「それに幽香、貴女も貴女よ! なんで大事な友達が持っていかれているのに黙ってるのよ!」

「わ、私も最初に言いましたよ…… でも人間たちは話を聞いてくれなくて……」

「聞いてくれないなら倒しちゃいなさいよ! 貴女それでも妖怪なの!?」

「で、でも……」

「あーもう! ちょっと来なさい!」

 

 紫が幽香の手を掴み、自分の下へと引き寄せる。なんだか雲行きがおかしくなってきた。紫は幽香に何をするつもりなんだろうか。

 

「私がこれから貴女を、人間に張り合えるよう強くしてあげるわ!」

「そ、そんな……私……」

「ぐだぐだ言わない! 友達を守りたいんでしょ!?」

「そ、それはそうですけど……」

「守りたいならやる! 持っていかれてもいいならやらない! 守りたいけどやらないなんて選択肢は無いの! さあ選びなさい!」

「…………やります」

 

 紫の言葉に渋っていた幽香が、勢いに負けて観念したように項垂れる。

 それを見た紫はすぐさま行動、幽香を連れてどこかに歩いていってしまった。その一部始終を見ていた俺は、一人ポツンと残される。

 

「……やれやれ」

 

 誰に言うわけでもなく一人そう呟いて、俺は二人の後を追っていった。

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

 この向日葵畑、妙に広いうえに向日葵の背が高いので視界も悪い。二人の後を追ったはずだが、なぜか二人を見失ってしまった。

 二人を探して向日葵畑をほとんど適当に歩き回る。すると途中で、二人組の人間の男を発見した。

 

「へっ、いつ来てもここは道が分かりにくいぜ」

「そうだな…… ん?」

 

 男たちも俺に気付いたようだ。俺を見つけると無警戒に寄ってきて、親しげに話しかけてきた。

 

「おう兄ちゃん、こんなところに珍しい。ここら辺で緑色の髪をした女のガキを見なかったか?」

 

 男たちはどうやら、俺を人間と勘違いしているようだ。まぁ人間の姿なので当然だが。おそらくこいつらが幽香の言っていたタチの悪い人間だろう。

 

「見るには見たが、どうやら今はお取り込み中だ。用事なら後にしてくれ。伝言なら俺が伝えておこう」

「おい兄ちゃん……ふざけたこと言ってんじゃねぇよ。案内するならさっさとしな!」

 

 男はイライラした態度を取って、急に大声を張り上げた。いくら何でも短気すぎるだろ。これじゃあ怖いを通り越して、なんかもう逆に面白い。

 俺は妖力を少し解放して、同じ言葉をもう一度言った。

 

「伝言なら俺が伝えるが?」ゴッ

「ひ!? よ、妖怪!? わ、わかったよ、出直してくる……」

「ああそれと、その花を取っていくのもやめてくれ」

「「は、はい!」」

 

 元気よく返事をすると、男たちは逃げるように去っていった。 ……なんなんだあいつらは。少し強く言うだけでこうもあっさり引き下がる人間の癖に、よくもまぁ幽香を脅してこれたものだ。幽香が気弱な反応をするのであいつらも調子に乗ったのだろう。

 あいつらが二度とここに訪れないよう少し痛めつけてもよかったが、それは幽香がすべきことだ。逃げていった男たちのことは忘れ、俺は改めて紫と幽香を探し始めた。

 

 

 

 

 歩いていると一軒の家を発見した。幽香が入り口の前に座り込んでいるのが見える。どうやらここが幽香の家のようだが、なんだか相当お疲れの様子だ。

 

「や、お疲れ。紫はどうした?」

「……私をしごくだけしごいて眠っちゃいました。 ……私のベッドで」

「あいつ……」

 

 紫のふてぶてしさに嘆息する。俺の育て方が悪かったのかな…… もう寝ているという紫の代わりに、俺は一言謝っておく。

 

「すまないな」

「い、いえ貴方が謝ることは……」

「ああ、俺は鞍馬真だ。自己紹介が遅れたね」

「いえ大丈夫です。それに紫さんも……私のためにやってくれていることですし……」

「……お人好しだね君も」

 

 愛想笑いをする幽香を見て、本当にこの少女は妖怪らしくないと思った。俺も長い間生きているが、こんなに優しい妖怪は見たことがない。

 

「さて、入ってもいいか?」

「あ、はい」

 

 幽香の許可を取り家に入ると、一つしかないベッドで紫がすやすやと眠っていた。よく寝る子だとは知っていたが、人のベッドを奪ってまで寝る子だったとは。

 紫を叩き起こそうとも思ったが、わざわざまた面倒ごとを増やすことも無いだろう。俺はそのベッドの隣に、変化の術を使ってもう一つベッドを作り出した。

 

「とりあえずだが用意した。これで休むといい」

「わ、ベッドが……! いいんですか?」

「ああ。それに明日になったらまた紫の特訓が始まるよ。体を休めないと」

「う……」

「はは、まぁ頑張って。やりたいことをやりきるためには、きついこともやりたくないこともやらなきゃいけないことはあるさ」

「そう……ですよね」

「ああ、あと花の世話なら俺がやるよ。一応知識はある」

「……ありがとうございます」

 

 そう言うと幽香は俺の作ったベッドに横になる。かなり疲れていたのだろう、程なくして寝息が聞こえてきた。

 俺は、ベッドが元に戻らないよう改めて妖力を込めなおして外に出た。俺は花とは会話できないが、能力で『花がしてほしいこと』を調べ実行する。あまりの仕事の多さに少しだけ後悔した。

 

 

 

 それから二週間後、幽香は一人で人間の男たちを追い返すことに成功した。

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

 あれから二十年、俺と紫はまだ幽香の向日葵畑にいた。あのときはなんとか追い返すことができたが、もし次は大人数でやってきたり、復讐のために武器なんかをもってきたりするかもしれないからもう少し面倒を見る、というのは紫の弁。俺もそのほうがいいと思った。

 紫と幽香は今も二人で修行している。

 

「はあああ! 魔砲『マスタースパーク』!」

「なんの! 『波と粒の境界』!」

 

 幽香は随分と強くなった。修行といってもこれはもはや模擬戦だ。二人は、花を巻き込まないよう空中で、自分の妖力を丸めて固めたものの撃ち合いをしている。

 いままで妖力をこういうふうに使ったことはなかったが、やってみたら俺にも似たようなことができた。紫は能力の使い方によっては幽香を圧倒できるので、対等な条件で戦うこの方法は修行になかなかいいと思う。

 

「くっ……また貴女の勝ちね紫」

「ええ……あの光線が当たっていたら危なかったわ」

 

 幽香の気弱だった性格はなりを潜め堂々と話すようになった。紫と共に長く過ごしたせいか随分と影響を受けてしまったようだ。

 

「真、戦っているあいだ花たちのお世話ありがとう。 ……ふふ、花たちも真のことが大好きだって」

 

 ただ、花が大好きである本質は変わらない。たまに迷い込んだ人間が花を傷つけたらそりゃあもう怖いが、それ以外では幽香は優しいままだ。

 

「幽香、私は私は?」

「紫は、水をあげる時間帯も量もダメダメよ。とても任せられないわ」

「ええ~」

「『ええ~』じゃないわよ」

「……ところで幽香、『花たち()』って言ってたけど、他は一体誰のことなんでしょうねぇ……」

「…………あら、紫に決まっているじゃない」

「ちょ、ちょっと幽香!」

 

 この二人も随分と仲良くなったものだ。特に幽香は、紫に対して遠慮することが無くなった。今ではどちらが世話をしているか分からないな。

 かつて幽香は花が唯一の友達と言っていたが、今となっては紫も友達に含まれるだろう。そしてそれは紫も同じ。初めて友達ができてからの紫は、前にも増して子どもっぽく見えた。

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

「じゃあ、本当に幽香はついてこないの?」

「ええ。私はこの花たちと共にここで静かに暮らしていくわ」

「……それが幽香の『やりたいこと』なの?」

「ええ、もちろんよ」

「……そっか。いいなぁ……」

 

 幽香はもう十分強くなった。強くなりすぎたと言ってもいい。もし仮に大量の人間が武器を片手にやってきても、今の幽香なら片手間に倒すことができるだろう。

 俺と紫は、そろそろ旅を再開することにする。紫は幽香についてこないかと誘っていたが、幽香はやんわりと断っていた。動けない花たち(友だち)を残してこの場を離れることはありえないのだろう。

 

「……紫、これ」

「え? なに、一体?」

「今日まで私を育ててくれた、その…… お、お礼よ……」

「…………あ」

 

 別れ際、幽香が紫に向かって、なにやら包み紙を渡してきた。幽香の顔が無駄に赤い。紫はキョトンとしていたが、一歩遅れて紫も顔を赤くする。

 

「ははは、どうやら考えることは同じだったようだな、紫」

「え、同じって……?」

「~~! はいこれ! 私も幽香に!」

 

 紫は目の前にスキマを開くと、中から包み紙を取り出してぶっきらぼうに幽香に渡す。幽香もまた紫と同様、驚いた顔で受け取った。

 

「! ……ありがとう。開けていい?」

「じゃあ私も開けるわね」

 

 二人はそれぞれ手渡されたプレゼントを確認する。そして中身を取り出して、二人は同じことを呟いた。

 

「「日傘……」」

 

 二人がプレゼントに選んだのは同じ日傘だった。幽香が受け取った傘は太陽の光のように真っ白で大きな傘。対して紫の傘も同じような白の傘だが、こちらは絹のような白さを思わせ、ところどころに赤いリボンがついている。

 

「「ふっ……あはははははは」」

 

 二人は顔を見合わせて、とても楽しそうに笑い合った。一通り笑い合った後、紫は幽香の顔を見つめる。

 

「……じゃあ、また会いましょう幽香」

「ええ、待ってるわ紫。あと真も」

「俺はついでかよ…… またな」

 

 そう別れの挨拶を告げたあと、俺と紫はこの向日葵畑を後にした。黄色い向日葵に囲まれた中で、白い日傘を持っている幽香は目立って見える。

 幽香の左手は日傘を持ってふさがっており、空いた右手は俺たちが見えなくなるまでずっとひらひらと揺れていた。 

 

 

 

 

「ねぇ、真」

「どうした?」

「真以外にも、いい妖怪っているのね」

「ああ、そうだよ。人間も、妖怪も、神も、それぞれにいろんなヤツがいる」

「そっかぁ…… 真は私に会う前もいろいろな人に会ってきたんだもんね」

「……ああ。紫に会う前は鬼や天狗と一緒に住んでたこともあった」

「鬼!? 真は鬼とも知り合いなの!?」

「そうだが、言ってなかったか? そもそも俺の名付け親は鬼なんだが」

「ええ~聞いてないわよ! ちょっと、真の昔の話、もっと詳しく聞かせてよ!」

「……ええぇ、昔の話はしない主義なんだが……」

 

 

 珍しく、紫と並んで歩いていく。俺の話を聞きたがる紫の左手には、しっかりと日傘が握られていた。

 

 


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