東方狐答録   作:佐藤秋

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第百二十四話 藍が小さくなる話

 

 八雲藍は、八雲紫の式である。それ故に、八雲紫の持つ境界を操る程度の能力を、八雲藍も使うことができる。具体的に言えばスキマの能力などだ。

 そして、橙もまた八雲藍の式である。八雲紫から見れば式の式。橙にもまた八雲紫の能力であるスキマの能力が使えるというのは、至極当然の考えと言えよう。

 

 しかしながら、橙はまだまだ妖怪としても式としても未熟であり、八雲紫の持つ優れた強力な能力をすぐに使いこなせるのかとなれば、答えはイエスとはならないようだ。

 

「……というわけで橙。今日からは、いつもやっている式神を扱う修行だけでなく、境界を操る修行も始めるぞ」

「はいっ! 藍さま!」

 

 勉学や運動にも一般的に言えることだが、理論だけ完璧に理解しても意味が無い。その理論を実践に移せてこそ一人前である。

 藍も当然ながらそんなことは理解していて、橙への修行には理屈と実体験を交えて指導していた。今回の場合だと、ある程度スキマを開くにはどうすればいいのかを口頭で伝えてから、次には実際にスキマを開かせてみるという形。

 

 最初はできなくてもいい。いやむしろできないことのほうが多いだろう。失敗する度に、何が悪かったのかを考え、そしてもう一度やってみる。理論と実践を繰り返すことで、成果は徐々に現れるというものだ。

 

「よし、いいぞ橙。次は思い切って、遠くに移動できるようなスキマを形成してみようか」

「分かりました! ……ええと、遠くの場所、遠くの場所……」

「そうだな、よく知ってる場所のほうがいいだろうから、博麗神社あたりにしておこう」

「はいっ!」

 

 予備動作なんてほとんどなくスキマを形成する紫と、手をかざすことがスキマを作る唯一の予備動作になっている藍。橙にはまだまだそんな芸当は不可能で、藍が作った補助の札を腕に巻き、さらに両手を前に出すことでなんとかスキマを形成している。

 

 今回もまた橙は同じように、両腕をピンと突き出して博麗神社まで繋がるスキマを作り出そうとする。全力を出すために両目をギューっと瞑って力を入れる橙の姿は、藍曰くとてもかわいらしいらしい。

 先ほどまでの練習の甲斐あってか、紫や藍のスキマに比べるとまだまだだが、そこには橙らしい小さなスキマが開いていた。さて、あとはそれが博麗神社まで繋がっていれば成功であるが……

 

 

 ・・・・・・・・・・

 

 

「……で、今になってこんな惨状になってるというわけか」

「う、うむ…… 恥ずかしいからあまりまじまじ見ないでくれると助かる……」

 

 博麗神社。今日は霊夢も萃香もどこかへ出かけていていないので、俺こと鞍馬真は一人縁側でのんびりしていた。

 久しぶりの一人であるし、今日はアリスに教わった人形作りのスキルで新しい人形でも作ろうかなどと考えていたら、なにやら建物の中から物音が聞こえてくる。どうしたことかと建物内に戻ってみると、そこには小さいスキマから上半身だけをこちらに出した藍の姿が目に入った。どうやらスキマに挟まってしまったようである。

 そこから事情を訊いてみるに、冒頭のようなことがあったのち、そのまま神社に繋がっているか通ろうとしてみて現在に至ると説明されたというわけだ。

 

「……いや、まぁ、神社に繋がっていたのは向こう側から見て分かっていたのだが、せっかく橙がスキマを開いたのだから使わせてあげるのがいいだろうと…… ついでに私も、霊夢と真に挨拶しておこうと思ったし……」

「……なんというか、軽い横着でもするもんじゃないってことがよく分かるな」

 

 ちなみに橙だが、藍よりも先にスキマを通ってこちらに来たので、事情が読めないまま向こう側に取り残されているということはない。こちらで藍が新しく開いたスキマにより、一足先に紫のところへ送られたそうだ。まぁ藍もこんな姿をあまり見られたくないだろうし当たり前か。

 

 スキマというのは、術者の力量により大きさが制限されている。つまり、この大きさのスキマを作った橙は元より、藍にも更に開くという芸当は不可能なのだ。

 当然と言えば当然だろう、術者以外がスキマの大きさを広げることができたら、下手したら空間に大きな亀裂が入ってしまうこともあるわけだし。

 

 そんなわけで藍は今のところ、自分一人で現状をどうにかするのは不可能である。向こう側からこっちに来ようにも、大きい尻尾が(つか)えていてどうしようもなく、それにその体勢だと力も入れづらい。

 また、こっち側から向こうに戻るにしても、今度は、まぁなんだ、その大きな胸が邪魔になっているため難しいのだ。むしろここまでどうやって入ってきたのだろうか。

 

「……それで、真。できればその、そっちから引っ張るなり押すなりしてくれると助かるんだが……」

 

 羞恥に染まった赤い顔をして、藍が俺に頼んでくる。こんな藍の表情初めて見た。

 恥ずかしがる女性の顔というのはなんかこうグッとくるものがあるのも事実であるが、スキマから上半身だけ出ているという格好も加味すると、その姿はなんとも滑稽だ。藍の気持ちを考えると、こちらまで恥ずかしくなってくる。共感覚だか、共感性羞恥だとかいうやつである。

 

 なんにせよ、早く助けてやらなければ。幸いにして俺は既に、藍を助ける方法を思いついていた。

 こちらに向かって伸ばされる藍の手に、俺は軽く右手を重ねる。

 

「じゃあ、やるぞ?」

「ああ、頼む……」

 

 これから引っ張られることを想定してか、痛みに備えて藍は両目をギュッと閉じる。しかしながら引っ張るつもりはない。九本もある藍の尻尾がこのスキマを通れるのだろうか疑問なところであるし、無理やり引き抜こうとすると絶対痛いと思うのだ。

 

「……あ、あれ? 真?」

「よっ」

「わぁっ!?」

 

 藍がスキマからスルリと抜け、勢いよくこちらに飛び込んでくる。力も入れずに何が起きたんだろうと藍は思っただろうが、なんてことはない。変化の術で藍を小さい姿に変えただけ。

 細い隙間に挟まって、その挟んでいる原因が壊せないとなると答えは一つ。挟まった物体自体を小さくすればいいのだ。俺にはそれが可能だった。

 

「うわ、落ち……てない?」

「っと危ない。スキマも自分から閉じようと、向こうから力がかかっていたのかね」

「あっ、す、すまない!」

 

 藍は飛び出てきた勢いで、俺に抱き着く形になってしまったようだ。俺はそんな藍を両腕で抱え、さながら子どもを抱っこしているような状態である。さながらというか、今の藍はまさしく子どもの姿であるけれど。

 藍を挟んでいた橙作のスキマは、まるで自分の役目を終えたかのように独りでに閉じ、次の瞬間にはもう跡形も無くなってしまっていた。

 

「あ、ありがとう真。そうか、小さい姿に変えることで解決できることだったか……」

 

 橙と同じくらいの大きさになり、頬がぷにぷにとしてそうな状態になった藍が言う。九本の尻尾は健在だが、俺の小さい姿とは違い、藍のは身の丈に合った大きさになっている。

 

 服や被り物も体に合わせて小さくなっており、まさに藍の小さい姿って感じだ。というか、俺がそのように想像して変化の術を掛けたのだけど。

 

「なるほどなぁ…… よし、真。もう元の姿に戻してくれて大丈夫だ」

 

 抱えていた藍を床に降ろすと、藍は一通り自分の身に起きたことを確認したのち、俺に向かってそう言ってきた。

 俺も藍も部屋の中で立っている状態なわけだけど、片方が子どものため身長差が大きく、藍は俺の腰程度の高さにもいない。そんな藍が俺に向かって術を解いてくれと、両手を伸ばして背伸びしてくる様子は、なんだかとてもかわいらしい。

 

「まぁ、そう急かすな。もうスキマからは抜けられたんだから、少しくらいゆっくりしてもいいだろう」

「別に急かしたつもりはないんだが……」

 

 腰を下ろし、胡座で藍の前に座りなおしつつも俺は言う。座ったというのに藍との目線の高さは同じくらいだ。しかしながらこのくらい小さくしなければ、簡単にはスキマから抜け出せなかっただろう。

 

「……どうした? 今日はもう橙の修行は続けるつもりはないと、向こうまで伝えに行かなければ…… あっ?」

 

 後ろを振り向いた藍の肩を掴み、そのまま引っ張って俺の膝に座らせた。藍が驚いた声を出し、一瞬何が起きたのかと無言になる。

 後ろ向きに座らせても、今の藍は尻尾も小さくて、ほんの少しも邪魔になったりはしていない。

 

「まぁまぁ、橙も今日の修行が終わりってことくらい戻された時点で察してるだろ。わざわざ伝えに行く必要なんか無いよ」

「それはそうかもしれないが……」

 

 膝に座った藍が、首だけこっちに向けて俺を見る。早く私を元に戻して、橙のところに行かせてくれとでも言いたいのだろう。 

 しかし、こう言ってはなんだが、俺がこの場にいなかったら、藍がスキマから抜けるのはもう少し難航していたはずなのだ。はたして、もう少しくらい藍と一緒にいたいと思うのは、悪いことになるのだろうか。

 

「な。だからもうすこしこのままで……」

「(……!? 真のほうからこのようなアプローチがあるのは、もしや初めてではないだろうか……)」

「……あとほら、藍はよく、『真には昔助けられた恩があるからな』とか言っていろいろしてくれることが多いだろ。じゃあその恩を、いま俺と一緒にいることで返せ、な」

「(おお…… ちょっと今日の真は強引でいいな……)」

 

 藍が、それなら少しだけだぞと言う。少々卑怯な手を使ってしまった気もするが、まったくの出鱈目というものでもない。もっとも、初めて会ったときに傷ついていた藍を助けたことを貸しだとするならば、藍が紫の式になったときにそれは返してもらっているのだが。

 

「へへへ~、らーん」

「(うお、真から抱きしめられる日が来ようとは……)」

 

 膝にいる小さい藍の頭にあごを乗せ、そのまま両腕で抱き寄せる。

 素面(しらふ)だとこんなことをするなんて滅多に無いのだが、何が俺をそうさせるのか。少しだけ考えてみたところ、普段とのギャップがそうさせるのだという結論に達した。

 普段しっかり者とした姿を見せている藍が、ここでは小さくかわいらしい姿になっている。おそらくはこんな機会は今後ほとんどない。そんな希少価値や、博麗神社に他の誰かがいないことも相まって、この藍を愛でたいという気持ちが抑えられなくなったのだろう。

 

 ……なんて理屈を色々とこねてみるが結局のところ言いたいことの本質は、今の藍がとてもかわいいってことである。

 やばい。これは国が傾くレベル。

 

「(私のこんな姿を他の誰かに見せるわけにはいかないが…… なるほど、小さい姿にはこんな利点が……!)」

 

 不羈奔放(ふきほんぽう)な子どもたちとは違い、藍は落ち着いたまま俺の膝の上にちょこんと座っている。そんな藍の向きを変えて、今度は正面から抱きしめてみた。子ども特有の柔らかい頬が、俺の頬に当たって心地良い。

 

「(わ、わ、わ! ほっぺが、真のほっぺにあたってる!)」

「……ってごめん藍、少々調子に乗りすぎだな」

「え? い、いや別に…… というかもっと……」

 

 駄目だ、このままだと頬ずりしてしまいそうになる。赤子のようにつるつるした肌は反則だ。

 腕の力を何とか緩め、俺は藍を膝の上へと戻す。これ以上好き勝手してしまったら、さすがの藍にも愛想を尽かされてしまう。ここは自重しなければ。

 

「……なぁ藍。さっきみたいな真似はもうしない。だからもう少しこのままでいさせてくれないか?」

「……も、勿論だ。私が断るはずないだろう」

「そっか、よかった」

 

 なんとか藍の許しを得られたところで、今度は心を落ち着けて、不快にさせない程度に頭を撫でる。

 うん、この程度でも俺は十分幸せだ。決して、あの柔らかそうな頬に両手で触れてみたいとか思ってない。

 

「(……元の姿の私ではないというのは残念だが…… こういうのも意外と悪くないのかもしれないな……)」

「(……あー、落ち着く。なんかいいな、こういうの)」

 

 俺も藍も、互いに黙って目を閉じる。それぞれ何か思っているのだろうが、知る術は無い。博麗神社に静寂が訪れる。

 

 しばし、時間が許すまで、藍と二人でのんびりとした時間を過ごした。

 とある春の日の、ちょっとした幸せな一時(ひととき)の話。

 

 


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