東方狐答録   作:佐藤秋

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第百三十三話 月讐異変⑧

 

 それからの記憶はひどく曖昧なもので、気が付いたら俺は地上のどこかに戻っていた。幻想郷のとある場所、ではない。使い慣れた表現で言うならば……そう、外の世界のどこかだ。幻想郷の澄んだ空気に慣れていた俺にとってここの空気は、少し濁っているように思えた。

 

 異変の犯人である月の男との勝負が終わってロケットまで帰ってきた俺は、月にもう霊夢がいないことを知り、一瞬何が起きているのか分からなかった。いや、訳が分からなかったのは一瞬ではなくしばらくのことで、『答えを出す程度の能力』から告げられた霊夢がいないという事実が信じられず、ロケットの周囲に霊夢がいないかどうか無意識のうちに探し回っていたのだ。なにぶん記憶が曖昧なものだから、どれくらいの時間探していたのかは覚えていない。

 そしてロケットからそう離れていない場所の地面に巨大な穴が空いていたのを発見して、俺の頭には一つの最悪な可能性が思い浮かんだ。結果から言えばそれは可能性などではなく、紛うことなき事実だったのだが。

 

 俺が見つけた巨大な穴。周囲が消滅したかのようにきれいに削り取られていた()()は、俺が知っていたものと非常に類似したものだった。

 俺がそれを初めて見たのはつい先ほど、月の男と闘っていたとき。男が放つ透明な細工がされた光線が地面に当たってできたものである。

 あの光線は本当に高威力で、それによって生じた穴はとても大きく、それを見て俺は確かこう思ったのだ。"もしかすると反対側まで貫いているかもしれない"、と。

 

 そして俺は考える。もしその予想が事実だったなら。

 今でも十分にあり得るものだと思っている。それほどまでに男の光線は威力があったのだ。貫いてなお威力は衰えてないことまで想像できる。

 

 更に俺は考える。もし目の前の穴が、件の光線の出口としてできたものだったなら。

 あいにく位置関係には自信が無いが、貫いたとなると月のどこかに絶対出口が存在するのだ。入口の穴と似たような形状に見えるこの穴を、違うと断言できる根拠はどこにもない。

 

 最後に俺は考える。もしこの穴が開通したときに、外に出た霊夢が偶然そこにいたならば。

 考えたくもないがその場合、人間である霊夢は一瞬で消し飛んでしまうだろう。出口の穴の大きさから考えるに、威力が落ちたという可能性はまずありえない。

 そして何よりそう考えることで、霊夢が月にいないことが説明できてしまうのだ。月どころか、霊夢はもうこの世にいないのだから。

 

 頭が勝手に最悪のことばかり考えるので、俺は必死に否定できる根拠を探す。そうだ、出発前に俺は『答えを出す程度の能力』で霊夢の安全を確認しておいたじゃないか。それなら霊夢がこんな不運に巻き込まれているはずがない。

 "いいや違う、能力で出した未来(答え)は変わることもあると、月の男と闘ってるときに気付いたはずだ。『答えを出す程度の能力』の判断など根拠になりはしない"

 

 地上で異変が起きたときにはいつも俺は、能力でみんなの無事を確認していた。結果未来は外れることなく、死ぬヤツなど一人も出なかったじゃないか。根拠なら十分ここにある。

 "今までそうだったからと言って、これからもそうだとは限らない。妹紅は死んでも生き返るようだが、次もそうとは限らないと過保護に守っていたのは俺自身だろう。それに能力を使っていて外れなかったのは地上に限ったでの話である。前提条件が異なる月でも同じように能力の効果があるだなんて、どうして言い切ることができるんだ"

 

 必死に考えているというのに、心の奥で冷静な自分がすぐさま反論してきやがる。いつでも物事を客観的に見られるようにと考えていた自分の性格が、今だけはとても鬱陶しく思えた。なんだこいつは。邪魔すぎる。

 

 穴の前で俺が立ち尽くしていると、どこからか女が現れた。月の住人の一人だろう。薄紫色をした長い髪を、後ろのほうで一か所にまとめている。

 この時点で霊夢の死は、まだ最悪の予想に過ぎなかった。だがこの女の登場により、最悪の予想が最悪の事実へと確定してしまうことになる。

 

「貴方が霊夢の言っていた、もう一人の月への侵入者ですね」

「っ、霊夢のことを知っているのか!?」

 

 このときの俺はただただ必死で、細かい会話はあまりよく覚えてはいない。思い出せるのは、この女には月の都を守る役目があるらしく、地上の穢れを感じてここまでやってきたということ。ロケットにいた霊夢とは接触済みで、俺についても聞いていたこと。そして俺の考えていた最悪の予想は事実であり、その現場に彼女が居合わせたということだ。

 

「ええ、霊夢は死にました。今はもう地上に、幻想郷に戻ってる頃だと思います」

 

 本当なのかと訊ねた俺にそう女が淡々と答えた声だけが、深く耳にこびりついている。唯一の救いは霊夢の魂が幻想郷に戻ったと聞けたことだろうか。月の連中が管理する冥界になんて行かなくてよかった。

 いやよかったことあるか、死んでんだぞ。月の女が続けて何か言っているが聞こえない。

 

 ……そこから記憶は途切れ、いつの間にか俺は地上に戻ってきていた。ほんと、どうやって帰ってきたのだろう。能力を使いすぎて疲労した俺にロケットを動かせた自信は無いので、もしかしたら月の女が送り届けてくれたのかもしれない。お礼はちゃんと言ったのだろうか。それすらも覚えていない。

 

 帰ってきたならば幻想郷に向かい、紫たちに霊夢のことを説明しなければ。

 ……俺は、自分の都合で連れて行った霊夢を守れなかった。俺が殺したようなものだ。そのことをちゃんと謝らなければ。

 そう何度も考えたのだが、無理だった。もともと俺は嫌なことから逃げ、自分勝手に生きてるヤツだった。幻想郷の連中に会うのが怖くて、今回もまた逃げ出したのだ。

 俺だって辛い。そう言い訳した。

 

 

 

 そして、外の世界で三年の月日が過ぎた。俺はまだ逃げ出したままでいる。気持ちを立て直せないままでいる。

 

 思えば俺は、人との死別という事柄から、臆病すぎるほど逃げていた。一人で旅をしていた時代、人のフリをして村に溶け込んでも、決して長居はしなかった。長居した諏訪子のところでも、緑が大人になったころには出ていった。

 すべては寿命が短い人間と、死による別れが訪れるのが嫌だったから。死ぬ場面に出くわすくらいなら、自分から姿を消すほうがマシだった。

 

 だから、人間とは必要以上に親しくならないように注意していたはずなのに。情が移らないよう心掛けていたはずなのに。霊夢には、俺は思った以上に気を許していたんだな、気付かなかった。三年経っても未だ完全に立ち直れないほどに。

 

 完全には立ち直れていないが、少しだけ気持ちは落ち着いた。今ならいける。随分と遅くなってしまったけれど、幻想郷まで霊夢のことを報告しに行こう。

 まぁ、数年も帰らなかったら紫あたりは察してるだろうな。それ以前に冥界を管理している幽々子からとっくに情報が漏れているに違いない。

 いいんだ、それでも。謝りに行くだけだから。もし霊夢の墓が建てられていたら、その前でも謝ろう。そう決意し、俺は三年ぶりに『答えを出す程度の能力』を使い幻想郷への入り方を導き出す。霊夢を救えなかった使えない能力だが、こういうことには役に立つ。

 

 幻想郷に戻る。あまり変わってないように思えるが、ここが幻想郷のどこであるか不明なため、実際のところよく分からない。地底や妖怪の山ならいざ知らず、地上に住んでいた時間は意外と短いのだ。

 さて、妖怪の山が見える位置から、現在自分がどの辺にいるのかは大体分かった。せっかくなので久しぶりの幻想郷を見て回りながら移動するか。そうも考えたが、それは逃げの思考である。ここにきてなお、俺は幻想郷の連中に顔を合わせるのが怖いらしい。

 ああ、駄目だ駄目だ。やはり最初は博麗神社に向かうべきなのだ。

 しかしながら気が重い。紫に会ったら何を言えばいいのだろう。魔理沙にもだ。考えていたら、最初の一歩が踏み出せない。

 

「……おおっ!? お主もしや、真殿ではないか!?」

「う」

 

 逡巡していたら、少し遠くから声がした。多分、いや絶対俺に向かって話しかけてきている。

 突然のことに、危うく反射で逃げ出してしまいそうになる。だが、それは駄目だ。そう思い踏みとどまる。逃げなかった自分を褒めてやりたい。

 

「ほら屠自古、やはり真殿もここに来ていたのだ! 我が言った通りであろう! ぬえ殿もおったし、我は確信していたぞ!」

「おい布都、別に私も真がいないと断言しては無かっただろ。そういう可能性もあるって言っただけだ……と。よう真、随分久しぶりじゃないか」

 

 声がした方向に顔を向けると、むかし見知った二人の人間がそこにいた。布都と屠自古、懐かしい顔である。格好も昔とほとんど変わっていない。

 

「……ああ、久しぶりだな屠自古。それに布都も。お前ら不死になる修行とやらは終わったんだな」

「そうであろう! オーラとやらが違うであろう! これが修行を終え生まれ変わった、新しい我の実力なのだ!」

「……あー、まぁなんだ、二人ともまた会えて嬉しいぞ」

 

 どうやら性格もあまり変わってないようだ。相変わらず独特の空気を纏ったマイペースの布都に、俺は少しだけ救われた気分になった。屠自古はそんな布都をやれやれとした様子で見守っている。

 

 それにしても本当に懐かしい。単なる人間だった相手と数百年後に再会できるなんて、もしかして初めてのことじゃないだろうか。……うん、永琳たちや妹紅は体の構造が特殊だから別として、純粋な人間との再会は初めてだ。

 人間との別れは、死別以外だとこういうのもあり得るのである。また会えるかもしれないという期待を持ったままでいられるのは、とても素敵なことだと思う。

 

「私たちも真にまた会えて嬉しいさ。なんせ昔からの知り合いなどほとんどいなくなってしまったからなぁ…… ん? どうした真、なんか浮かない顔してる感じだぞ?」

 

 もう会えない存在のことが頭に浮かび、少々感傷的になっていたようだ。屠自古の指摘に、俺はなんでもないよと首を振る。せっかくの再会に水を差すこともないだろう。

 

「そうか、なんでもないならいいんだが……」

「ああ。それより屠自古、その体はどうした。足が幽霊みたいになってるが、それが修行の結果なのか? でも布都は普通の状態に見えるぞ」

「あ、ああ、これはだな……」

 

 話を逸らすついでに見ていて気になったことを訊ねてみる。なぜだか屠自古の足は白く朧気(おぼろげ)な状態で、移動もまるで幽霊みたいに、ふわふわと浮いて行っていた。上半身は普通なので境目がどうなっているのかも気になるところだが、さすがにスカートの中を想像するのは忍びない。

 

「まぁ、その、なんだ。修行にちょっと失敗しちまってな。肉体が無くなった私は真の言うとおり、正真正銘の幽霊なんだよ」

 

 正確に言えば、幽霊じゃなくて亡霊だけどなと屠自古は言う。

 

「まったく……屠自古、お主は何をしておるのか。我はこうしてちゃんとした肉体を得ているというのに」

「布都……元はと言えばお前のイタズラのせいでこんな風になったんだからな!? なに私の失敗みたいに言ってんだよ!」

「む? はて、そうだったかのう」

 

 口調の割には幼いしぐさで、首を斜めに傾ける布都。

 どうやら屠自古の変わった足は、布都の仕業によるものらしい。少し目立つが一応は不死にはなれたわけだ。ならば特に問題は無いように思える。

 

「そうだったのかもしれんが、屠自古よ。細かいことは気にするな」

「それ、原因になったお前が言っていい台詞じゃないからな?」

「ぬえ殿にいる寺にだって舟幽霊がおるし、博麗神社に至っては巫女がそうであろう。ならばそう気にすることもあるまい」

「お前はもっと気にしろよ!」

 

 布都と屠自古が、仲良く掛け合いを始めている。だが俺は二人の掛け合いのなか不意に出てきた言葉に、少なからず動揺していた。当然、『博麗神社』という単語である

 

 そうか……いつごろ幻想郷に来たのかは知らないが、こいつらはもう博麗神社の存在を知っているのか。まぁ、有名だもんな、神社も巫女も。そのくせ参拝客は少ないので、霊夢がいつも不満をこぼしてたっけ。

 

「なぁ」

「む。どうした真殿」

「その……博麗神社の巫女っていうのは、最近新しくなったのかな」

「はて、そんな話は聞いたことが無いが」

 

 何を訊いているんだ俺は。ここまで来てもまだ俺は、霊夢の死を完全に受け入れきれてないようだ。いいえという答えが返ってきても、事実がひっくり返ることは無いだろうに。

 

「姿を見たことはあるんだろう? 布都より小さい、まだ全然子どもだったりするのか?」

「ふむ、我は子どもではないから比較対象に適しているかは疑問ではあるが……」

 

 まだ言うか(こいつ)。そこまで諦めが悪いとは知らなかった。そんなに事実を認めることが嫌なのか。嫌なんだろうな。知っている。

 予想としては、霊夢の代わりを急に務めることになったのだから、実力のあるそこそこの大人が巫女になっているのだと思う。だがまぁ紫が霊夢と近い年の子どもを連れてきて、修行をさせている可能性も否めない。

 結局、要はどっちでもあり得るのだ。ただ、巫女が子どもという答えが返ってきてもそれは霊夢ではないし、大人という答えが返ってきたらやっぱりそうなのかと落胆するだけである。

 

「背の高さに限って言えば、我と同じくらいではあったな。内面はどうかは分からぬが……一度勝負したこともある身でな、名前くらいは存じておる。霊夢殿という名前であったぞ」

「っ!」

 

 馬鹿、なに俺は息を飲んでんだ。あの霊夢と同じなわけが無いだろう。大方博麗の巫女となった者は、みんな同じ名前が付けられるとかそんなところだ。

 

「……悪い二人共、急ぎの用事を思い出した。ちょっと神社まで行ってくる」

「それは別にいいが……真はあの巫女に会ったこと無かったんだな。まぁそういうこともあり得るのか。博麗神社はあっちだぞ」

「ああ、ありがとう」

 

 俺の記憶と同じ方向を指差した屠自古に礼を言い、俺はこの場を後にする。

 もしかして。いやそんなはずが無い。期待なんかしてしまったら、悲しみがいっそう深くなる。

 だが期待するくらいはいいのかもしれない。一歩も動けなかった先ほどからは考えられないほど、今はスムーズに博麗神社に向かえている。向かえているなら、きっとそのほうがいいのだ。

 たとえ後悔しようとも。何もしなくてする後悔よりかはずっといい。そう思えた。

 

 

 

 神社には、予想以上に早く着いた。いつの間にか尻尾が数本出てしまうほど、無我夢中でここまで来たらしい。三年の間に我を忘れる癖でもできてしまったようだ。

 

 俺がいたころ、妖怪たちが訪れてそこそこ賑やかだった博麗神社は、今日もそこそこに賑やかな様子だった。文や魔理沙がいるためそう見えるだけかもしれない。ただ、霊夢という人物に惹かれて連中は博麗神社に来ていたと俺が勝手に思っていたところもあったので、知っている顔が結構あるのは意外だった。

 

 近くに見える一人か二人が、俺という存在に気付き始める。あまり見てほしくないがそうもいかない。なんせ新しい博麗の巫女が必要な事態を引き起こした張本人だ。

 気付きが伝染し、この場にいる全員が俺を見る。そしてすぐさま周囲を取り囲まれてしまった。包囲網というやつだ。逃がすつもりはないのだろう。

 

「真さん! やっと帰ってきましたね! 今までどこで何をしてたんですか!」

 

 文、そんな勢いよく訊いてこないでくれ。説明するつもりではいたが、そんな剣幕で迫られると話しにくくなってしまうだろう。怒っているのは当然なのだけど。

 

「真、土産は無いのか土産!」

 

 ああ、土産話ならたくさんある。霊夢を守れなかった情けない男の話がな。親友である魔理沙には酷な話だが、責任を持って全て話そう。

 

「貴方が噂の真って妖怪? 私、実物見るの初めて! 存在したんだ!」

 

 そう言うこの子は誰だろう。なにやら縮尺がおかしいように見える。もしかして小人というやつだろうか。

 なんにせよ俺が知らない相手が俺のことを知っているとは、かなり悪い話を聞いているに違いない。

 

「真」

「真さん」

「真?」

「真」

「真さま!」

 

 取り囲まれた時点で分かってはいたが、結構な人数がいたようだ。大勢に詰め寄られて体はまだしも心が潰れてしまいそうになる。

 皆に責められるのが、嫌で、怖くて。皆が何を言っているのか聞こえない。

 

「…………ああー!!! やっと帰ってきたわね真! まったく依姫のヤツ、責任を持って送るなんて言っといて……こんなに待たせるなんて信じられない! まさか一人占めしてたんじゃないでしょうね……」

 

 そんな人の波をかき分けて、一際大きい声が俺に届いた。その声は、俺がいま一番聞きたかった少女の声に聞こえる。二度と聞くことはできないと思っていたから。

 まさか。

 いやそんな。

 幻聴までもが聞こえてきたのだろう。

 

 ありえないと思いつつ、俺は声の主を探す。

 すると、先ほどまで紫がいた方向だったか。

 そこには……

 

「……って真、どうしたのよ。私の顔に何かついて……きゃあっ!?」

 

 そこにいたのは、数年前から博麗神社に住んでいた巫女と、まったく同じ姿をした少女。

 少女の姿を見つけて俺は、反射的に彼女を。

 博麗霊夢を抱きしめていた。

 

 


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