東方狐答録   作:佐藤秋

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第百四十七話 咲夜の話

 

 広い広いこの紅魔館を、私は誰よりも歩き回る。

 外の様子を見に行って、美鈴が寝ていたら頭にナイフを刺す。

 食事の準備のあとには、ついでにパチュリー様のお菓子を作っておく。読書時や、アリスが来たときに食べる用。

 午後のティータイムには、私の趣味の一環として、自作の紅茶をお嬢様に披露する。

 妹様がお風呂から出られたら、その濡れた御髪を乾かし、整えさせていただく。

 それが私、紅魔館のメイド長・十六夜咲夜の、一日の楽しみ。

 

 

 

 私が紅魔館に来たのは、多く見積もって二十年くらい前のこと。来たというか、自我を得たそのときから私は紅魔館に存在していたから、いたと言うのが正しいか。

 そのときの私は、紅魔館の地下、牢屋兼食料室に住んでいた。言ってしまえば、閉じ込められていた。

 

 自意識が芽生えてからすでにその状態だったものだから、当時の私はそのことになんの理不尽さも覚えないまま、生きていた。

 私にとっては、それが当たり前だった。周囲には私以外の人間が何人もいて、誰もが項垂れて生きている。そういうことも当たり前で、私がそうして生きるのも当たり前だと思っていた。

 

 何時間かごとに食事が出てくる。

 薄暗い部屋で、手づかみでそれを食べる。

 眠くなったら眠る。

 何度かの食事を挟むと、牢屋から出される人がたまにいる。

 それが私の、私たち人間の生活だった。

 

 そんな人間の生活で、一人だけ違うことをしている人がいた。

 それが、黒髪のメイドさん。私たちの食事を持ってくる女の人。

 彼女だけが、人間なのに閉じ込められておらず、項垂れることもしていなかった。

 

 黒髪のメイドさんは、私たちの過ごしている姿を見ると、なぜか毎回表情を曇らせる。悲しそうな、今にも暴れだしそうな表情だった。どうしてそんな顔をするのかは分からない。

 

「どうぞ」

 

 そして食事を渡すときに、毎回私にだけそう言って、毎回私にだけ微笑んだ。それが毎回不可解に思えたが、不思議と悪い気はせず、私は出来の悪い鏡のように微笑み返した。

 

 

 

 あるときのことだ。メイドさんしか訪れないこの牢屋に、少女がやってきた。

 私よりも少しだけ大きい少女。周囲の人間はみんな大人だったので、同じくらいの少女を見るのは初めてだった。

 もっとも、その少女は人間ではなかった。背中に羽が生えている。吸血鬼、という種族らしい。

 

「……はあ、相変わらずひどい趣味だな。あいつが私の父親だと思うと死にたくなる」

 

 吸血鬼の少女は何か言っている。

 

「こんな子どもまで……。まあ、と言っても私が、人間のお前にしてやれることなどないんだがな。恨むなら、私の父と名乗る男と、己自身の運命を恨むが……む?」

 

 吸血鬼の少女が、私を見ている。

 

「お前、面白い運命をしているな」

 

 吸血鬼の少女の言葉が分からなかった幼い私は、ただその瞳を見つめ返すだけ。

 これが、私とレミリアお嬢様との出会いだった。

 

 

 

 それから、吸血鬼の少女は何度も来た。

 私が言葉を知らないと知り、奇妙な勉強会が始まった。もっとも、少女が一方的にたくさん話すだけだが。

 本を持ってくることも何度かあった。ここは暗いので何を書かれているのかよく見えないが、少女には見えているようだ。吸血鬼は、夜目が効く。

 

「ちょっとレミィ、私の本を勝手に持ち出さないでほしいんだけど」

「ごめんパチェ、この子の物覚えがいいからついついね」

 

 二人の勉強会は、いつの間にか人数が増えて、四人になっていた。

 一人はパチュリーという、吸血鬼の少女の友達らしい魔法使い。

 もう一人はあのメイドさんだった。

 

「よかった。大人の中に、一人だけ混ざっている子ども……貴女のことは、気にしてましたから。たくさんの大人が絶望してる中、貴女は何も知らない子どもだからこそ自我を保てたみたいですね。他の人は残念ですけど、よかったです」

 

 メイドさんは、そう言って私の頭を撫でた。悪い気はしなくて、むしろどこか心地よかった。

 

 

 

 数十回以上も続いた勉強会は、あるとき突然終わりが来た。最後は吸血鬼の少女もメイドさんもいない、魔法使いだけの勉強会だった。

 

「どうしてパチュリーさまだけしかいないのですか。おじょうさまと、メイドさんは」

「急に用事ができちゃったみたいでね。貴女が前回、ここから外に出てみたいなんて言ったから。十分話せるようになって頃合いだしね」

 

 続いて魔法使いは、まあ本当は、機会が重なっただけなんだけどと言った。この人の話はいつも難しくて分からない。

 

「そう残念な顔しないの。二人とも、きっと少し待てば来てくれるから。時間が早く過ぎるように、今日は時を止める能力は使わないようにしましょうか」

「はい」

 

 私は答えた。時間は簡単に止められるのに、早く進められないのはおかしな話だと思った。

 

 そうして勉強をしていると、部屋全体が揺れだした。確かこれは、地震というものだ。生まれて初めて経験した。

 

「思った以上に激しいわね……」

 

 魔法使いが上を見たので、私もつられて上を見た。いつも見ている真っ暗な天井。それに亀裂が入ったと思ったら、瓦礫が私たちに降り注いできた。

 時を止められることなんて忘れて、思わず私は目を閉じた。

 

 ガラガラと耳朶を打つ瓦礫の音にビクリと体を震わせる。

 だが、それだけだった。身体の方に衝撃は、いつまで経ってても訪れなかった。

 不思議に思って、恐る恐る目を開ける。

 そこはもう、狭い牢屋の中じゃなくて、外だった。月明りの夜の下、私の前にはあのメイドさんがいた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 振り返り、私に微笑みかけるメイドさん。

 

 人間だと思っていたメイドさんは、人間じゃなかった。翼や魔法を持たない人間は、空を飛ぶことなんてできないから。

 

 黒髪だと思っていたメイドさんは、黒髪じゃなかった。暗い牢屋のせいで勘違いしていたのだ。月明りの夜の下で、メイドさんの髪は燃えるように赤かった。

 

 そしてメイドさんは、メイドじゃなかった。いや違う、私がメイドの定義を間違えていたのだ。メイドは食事を運ぶだけの人じゃなく、強い人でもあったのだ。

 

「ちょっと美鈴、危ないでしょ。こっちで戦わないでくれる?」

「崩したのは私じゃないですよー。あの自称、妖怪の賢者が勝手に動いたせいですね……っと!」

 

 どこからか飛んでくる大きい光の弾を、メイドさんが蹴って軌道を逸らす。

 赤く、長い髪が大きく揺れて、まるで舞でも見てるようだった。

 

「というか貴女……そんなに強かったの? まったく、早く言いなさいよね。そしたらレミィの計画をもっと早められたのに」

「強くないですよ、結局師匠には本気を出させられませんでしたし。まあ、ですが……」

 

 メイドさんは遠くの空にいた吸血鬼の少女に目を向けたのち、私の方を見て、言った。 

 

「こんなかわいい子たちにお願いされたら、聞いてあげるのが普通でしょう」

 

 

 

 

 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

 

 

「咲夜さん、咲夜さん」

 

 美鈴に呼ばれてハッとする。いけない、お料理の途中だったのに。

 

「咲夜さんがぼーっとするなんて珍しいですね。もしかして緊張してます?」

「そういうわけではないのだけど」

 

 本日は、紅魔館でパーティーを行うことになっている。このお料理はそう、そのパーティー用のお料理。

 ぼーっとしてしまったのは、美鈴と料理するのが久しぶりで、昔を思い出していたせいだった。私の前のメイド長の癖に、料理をするのが久しぶりなんて変な話だ。

 

「大丈夫ですよ。真さんが咲夜さんを避けているのは、嫌いだからとかじゃないです、きっと」

 

 私の考えなんて知らずに、餃子を焼きながら美鈴は言う。まあ、たしかにそのことも気がかりではあるけれど。

 

 本日のパーティーの発端は、お嬢様の邪推から始まったものだった。曰く、咲夜貴女、真からなんか避けられてない? と。

 思い当たる節は、無いわけではない。というか正直かなりある。

 

 真様は時折、紅魔館まで遊びに来られる。大抵は妹様に会いにで、次に多いのが美鈴の修業。図書館に用というのも少なくない。

 そのすべてに毎回私がお出迎えさせていただいているわけだが、どうしたことか以前から、真様の反応が芳しくないように感じられた。

 目に見えて避けられているのが分かるわけではないが、私に対してだけ口数が少ないのは事実だった。

 

 そのことに気づいたお嬢様が、真意を聞こうとパーティーを開催されたのだった。

 お酒が入れば口数も増え、言いにくいことも口にできる。そこで真様に、私を避けている理由を伺うというわけ。

 なお作戦は、妹様を使って真様にたくさんお酒を飲ませること、のみである。これはひどい。

 

 

 

 時間が来る。パーティーが始まる。

 真様だけ呼ぶのも変だからと烏天狗に宣伝させたら、春の妖精から冬の妖怪まで来ている。まあ、想定内。

 食事はバイキング形式となっており、各々が好きなだけの食事を取ったら、あとはテーブルに着いて、食べるなり飲むなり話すなり。

 いくつも輪ができあがる中で真様はというと、一人端っこに立って飲んでいた。楽しそうな輪は、そこに入るよりも、そこを観察するほうが好きらしい。私もそうだから分かる気がする。

 

 作戦通り妹様が、真様にお酒を飲ませに行った。フォローだろうか、美鈴も一緒だ。

 真様は、美鈴にお酒を注がれ、妹様にそそのかされて飲んでいる。

 作戦は順調。でもなんだか複雑な気分。真様はそれでいいのだろうか。いいんだろうなあ。 

 

 二杯お酒を飲んで酔いが回ったのか、真様は妹様を抱き上げる。座って飲んでいると真様は膝に誰かを乗せたがるが、立ったままだと抱き上げるようだ。新しい発見。もっとも、小さい妹様だから抱えやすいというのもあるだろうが。

 頃合いかなと思って見ていると、遠くでお嬢様がこちらを見ている。指差したり、拳を突き出していることから察するに、行けということに違いない。

 お嬢様の指示に従って、私は真様に声を掛ける。

 

「ごきげんよう真様。パーティーは楽しまれているでしょうか」

 

 声が少し震えた気がする。意外と緊張していたようだ。どうやら私の本心は、真様に嫌われているという可能性をかなり恐れているらしい。

 

「……あー、咲夜か。なに、こう見えてさっきまでフランが構ってくれていてな。十分楽しめているよ」

 

 気がつけば妹様と美鈴が、この場からいなくなっている。私のように時を止めたのではと疑うほどだ。吸血鬼などの強い妖怪たちはスピードが速い。

 気を使ってくれての行動なのだろうか。ともあれ、私がすることは変わらない。真様に避けられているかどうかの確認と、もしそうならその理由を訊き出すこと。

 

「そうですか」

「ああ。だから咲夜もわざわざ俺に構わないで、パーティーを楽しむと良い」

 

 真様はそう言った後、私から目をそらしてお酒を飲んだ。私との会話はもう終わったとでも言いたげに。

 やはり避けられているようでショックだった。が、そう落ち込んでもいられない。

 

「あの」

「どうした?」

「迷惑だったでしょうか」

「なにが」

「私が真様に、声を掛けて」

 

 おおよそ客人に対するメイドの言葉づかいではないなと私は思った。この場にいるのは真様だけなので、許容範囲だと思いたい。

 美鈴たちが去ったのは、案外ここまで気にかけてくれていたのかも。あの二人にはこんなメイドの姿は見せたくない。

 

「どこからそんな発想が出てきたんだ」

「以前から私との接触を極力避けておられます。今も、私を他の場所に追いやろうとなさいました」 

 

 まるで予想外のことを言われたように、真様は目を白黒とさせている。

 構わず私は続けて言った。

 

「私のことが嫌いならそうおっしゃってください。そしてできれば、私に挽回の機会をください」

「待て待て、待て」

 

 それ以上しゃべるなと言うように、真様は手のひらをこちらに向けた。一応は黙る。でも、納得できない場合はすぐしゃべるつもり。

 

「あー。まず、俺が咲夜を嫌いなわけないだろう。むしろかなり好きな部類に入る」

「それは愛の告白でしょうか」

 

 私は喜んだ。まあ、受け入れることは別にして。嫌われているわけではなかったようだ。

 ただ一つ。結婚しても私はここのメイドをやめるつもりは無いことをしっかり主張しておきたい。

 

「違う、どうしてそう極端なんだ。それでまあ、咲夜と距離を置いていたのは事実なんだが。これはそう、咲夜のことが好きだから避けてたというか」

「好き避けというやつですね」

「待て。少し意味が違う気がする」

 

 寺子屋に通うくらいの子どもには、ありがちな行動だと聞いている。真様もそうだというのは意外だった。まあ、納得もできたのでよしとする。

 

「咲夜。俺は妖怪で、お前は人間だ。これが何を意味するか分かるか」

「種族が違う。結ばれることがかなわない、許されざる愛」

「そうだ。え、いや、違う。寿命が全然違うと言いたいんだ」

 

 細かい部分が違うらしく、真様は否定した。言いたいことは同じだと思うのだが。

 

「俺はもう、寿命が短い人間と深く関わる気はない。いずれ来る別れのときが辛くなるからだ。だから咲夜、俺はもうお前とも、必要以上に関わるつもりじゃなかったんだが……」

 

 なのに、私がこうして自分から関わってきたと。

 真様は溜め息。そしていろいろ諦めたような表情をしている。

 

「だが、駄目だな。こうして話すとやはり楽しい。決意がすぐ鈍ってしまう」

 

 そう言って真様は私の頭を撫でたのち、苦笑した。久しぶりに私に向けての笑顔な気がする。なんだか嬉しい。

 

 そのまま動かず立っていたら、また撫でられる。そして撫でられる。

 一体いつまで撫でるつもりだろう。もしかして求婚されているのだろうかと思ったところで、抱きしめられた。本格的に求婚された。

 

「あの、真様。お気持ちは嬉しいのですが、ここでは人目が」

 

 私は言ったが、無視された。私を抱きしめたまま真様は言う。

 

「咲夜が死んでしまうのは悲しいなあ」

 

 その言い方だと、まるで私がもうすぐ死んでしまうように聞こえる。勝手に人を殺さないでいただきたい。少なくともあと五十年は生きる予定だ。

 

「なるほど、そういう真相でしたか。確かにそれを考えると寂しいですね」

「だろう」

「っ!? 真様、失礼します」

 

 美鈴の声がして、私は慌てて真様から離れた。真様は慌てることなく、むしろ残念そうな顔をしている。せっかく求婚してくれたのに、すみません。できれば次は、酔っていないときに。

 気配を隠していたのか、美鈴はすぐそこまで来ていた。まったく、妹様の友人みたいなことをする。

 

「覗き見なんて趣味が悪いわよ」

「心配で気にしていただけですよ。まあほとんど心配してませんでしたけど」

 

 悪びれる様子も無く美鈴は言った。怒ろうと思ったけど、ここで怒ると照れ隠ししているみたいなので躊躇われる。

 真様が代わりに怒らないかと見てみたら、妹様も戻ってきていた。また抱き上げられている。あれは求婚ではない。

 

「なあフラン、どうにかして咲夜を不死にする方法は無いだろうか」

「どうだろう? お姉さまに訊いてみようか」

 

 二人は何を話しているのだろう。人の人生を勝手に変える計画は立てないでもらいたいのだけど。

 美鈴を見る。美鈴は笑っている。

 

「よかったですね、咲夜さん」

「何の話?」

「真さんに嫌われてなくて、ですよ。むしろ全く逆でしたね」

「でも、人間をやめるつもりは無いわ」

「あれは真さんの冗談でしょう」

 

 妹様が、お嬢様の元へ飛んで行っている。

 

「あったよ真! 咲夜を不死にする方法が!」

「でかした!」

 

 本当に冗談なのか気になるところ。

 美鈴は咳払い。

 

「ともかく、これで明日からは何も気にせずに真さんと話せるでしょう」

「そうだけど、あまり変わらないんじゃないかしら。もともと話す機会は多くないし」

「遠慮しなくていいというのが大事なんです。正直、避けられてると思ったときから、遠慮していたでしょ?」

 

 それはまあ、その通りだ。嫌われていると思った相手に何度も話しかけられるほど、私は強い心臓をしていない。

 

猶予(いざよ)うのは、昨夜まで。ですね、咲夜さん」

 

 小さいころの、あのとき。お嬢様から言われた言葉と同じことを、美鈴が言った。少しニュアンスが違うけれど。そう言えばあのとき名付けられたんだっけ。

 

 あのときのお嬢様は、とても素敵だった。カリスマにあふれていた。思い出した。

 

「ねえ咲夜、なんか真とフランが貴女を吸血鬼にする計画を立てているのだけど」

 

 今もカリスマにあふれているお嬢様が、こちらにいらして私に言った。

 

「咲夜は不老不死になる気はあるの? そうしたらずっと一緒に居られるよ」 

「大丈夫、生きている間は一緒に居ますから」

 

 私は微笑んで、そう返した。

 

 もっとも、そうは言ったものの。

 数年後、私は能力の副作用で老いない身体になっていることを竹林の医者に指摘され、ひどく驚くことになる。

 

 





猶予う(いざよう)……ためらう。停滞する。

それでは、また話を思いつくまでさようなら。

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