東方狐答録   作:佐藤秋

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最新話が台詞のみの話はなんか嫌だから投稿するのだ。



第百五十話 依神紫苑

 

 博麗神社からの帰り道。人里を通らないよう迂回して、自分の家がある妖怪の山まで歩いていく。整備された道ではないので歩きにくい。が、文句を言うほど悪路でもない。

 わざわざ人里を避けるのは、人間との関わりをなるべく少なくするためだ。少し前から俺は人間と必要以上に接することを避けていた。

 

 とはいっても、まったく人里に行かないわけじゃない。阿求や慧音に会いに行くこともするし、必要に駆られれば買い物にも行く。今日通らないのは、用事が無いからに過ぎないのである。

 

 ただ、世の中とはうまくできているもので、こうして人との縁を避けていると、今度は別の縁が結ばれるらしい。人通りのない、獣道というよりかは少し上等な道の上で、俺は一人の乞食に遭遇した。いかにも乞食らしい、ひどく薄汚れた格好だ。

 

「ひもじいよー。お兄さん、なにか私に恵んでよー」

 

 俺にそう声を掛けてきた物乞いは、年端もいかない少女だった。体形は痩せぎすで、変声期前の男の子と言っても通用する声。にもかかわらず女の子だと分かったのは、頭にリボンと、青くて長い髪をしているからだった。ここまで長い男の子はそういない。

 

 青い髪ということで、この少女はおそらく妖怪側の存在である。ということはこんな見た目でも中身は成熟している可能性があるのだが、まあそれはないだろうなと俺は思った。しゃべり方がまだまだ幼さを残していると感じたからだ。精神年齢は霊夢と同じか、もしくはそれ以下といったところだろう。

 

 霊夢と同じくらいの少女が道端で、薄汚れた格好で物乞いをしている。そんな誰しもが同情するだろう状況で俺が最初に考えたのは、可哀想でも、助けてやりたいでもなく、なんでこんなところで物乞いをしているんだという呆れたものだった。そんなものは人里でやれ。すこし歩けばすぐにつく。

 

「ひもじいよー。もう一週間も草しか食べれてないんだよー」

 

 そんな俺の呆れなどつゆ知らず、腹の虫を盛大に鳴らしつつ、透明な目をこちらに向けてくる乞食の少女。涙目に見えなくもないが、どちらかというと吸い込まれそうな無機質な目だ。犬や猫がじっとこちらを見ているときのそれに似ている。

 まあ、呆れてはいたが、俺だって同情していないわけじゃない。俺は溜め息をついて頭を掻きつつ、懐をまさぐった。たしか食べきっていない団子があったはずだ。あったあった。

 

「……残り物だが、喰うか?」

「! 食べる!」

 

 喰いかけで、串に二個しか刺さっていない団子を俺は取り出す。それだけで少女は、まるで宝物を見るかのような目になった。美味しい食べ物を前に嬉しそうな顔をするのはいかにも子どものようでかわいらしいが、こんな喰いかけ団子で喜ばれるのは少し悲しい。

 

 受け取った団子を嬉しそうにかぶりつく少女を見つつ、俺は地面に腰を下ろして胡坐をかく。どうせこの後用事も無いのだ、慌てて立ち去ることも無いだろう。

 少女は団子を一つ丸ごと口に含んで、味を確かめるように何度も何度も咀嚼している。食べるとき、喉に串が刺さったりしないか心配したが、杞憂だった。たまに危なっかしい食べ方の子どもがいたりするのだが、この少女はそうではなかったようだ。

 

 少し前の無機質な目はどこへやら、少女の目はすうっと細まり美味しそうな顔で食べている。噛んでなかなか飲み込まないのは、無くなるのを惜しんでいるからだろうか。俺の同情心がよりいっそう刺激されていく。

 ついでにお茶も取り出そうと思ったのだが、携帯していたのは竹の水筒に入った水しかなかった。仕方ないのでそれを取りだし、狐火で熱して白湯にする。少し冷まして飲みやすい温度に調節する。

 

「んー、美味しい! 美味しいよー」

 

 頬に手を当て、少女は幸せそうな様子で何度もそう言っている。俺は水筒を目の前に置き、頬杖をついて少女の様子を見ていた。集中して食べているのに話しかける気にはなれなかった。

 

 数分が過ぎ、少女は白湯を最後の一滴まで飲み干して一息つく。団子一つにしてはえらい時間をかけたなと考えた。少女はまだ名残惜しそうに団子の刺さっていた串を噛んでいる。

 

「あう……もう全部無くなっちゃった。ごちそうさま……」

 

 数分間、少女の様子をただ見ていた俺は、妹紅に似ているなあとなんとなく思った。どうしてそう思ったかはよく分からない。強いて言うなら着ている服だろうか。パーカーという中性的な格好と、いくつも貼り付けられている『差し押さえ』という斬新な札が、妹紅を思い出せたのかも知れない。妹紅のもんぺも札でツギハギがされている。

 また、幸せそうに食べている様子は霊夢に似ていた。質素な生活が長いためか、霊夢は食料を渡すととても嬉しそうな姿を見せるのだ。同じ理由で小傘もそうなのだが、リボンと長い髪共通するぶん霊夢のほうがそれらしく思える。

 

「……ど、どうしたの? そんなに見ても、私は何も返せないよ。それとも、顔にお団子のタレがついちゃってる?」

 

 目の前の少女に妹紅と霊夢を重ねていたら、何を思ったか少女は自分の顔をペタペタと触っている。施しを与えた後に俺がすぐに立ち去らないから困惑しているのかも知れない。乞食をかわいそうと思って何かあげても、深く関わろうとする者は少ないのだろう。ましてや俺は座り込んでいるのだから、変な奴だと思われていても仕方がない。

 

「別に何もついてないが」

「そ、そう。じゃあなに? まだ何か食べ物を分けてくれたりとか」

「いいや、もうない。というか、こんなところを食べ物を持って通ることなんてそう無いだろう」

「……だよね。なのにお団子が出てきたからびっくりしてたんだ。食べ物が無いなら、煙草でもいいから欲しいな」

「持ってない、俺は煙草は()まんからな。それよりお前、まだ小さいくせに煙草だと? 早すぎる」

「見た目は関係ない。空腹がまぎれるからちょうどいいの」

 

 少女の言葉に俺は頭を抱えたくなった。自分勝手の考えで悪いが、あまり女こどもに煙草はしてほしくない。しかしそう言われると、なおさら強く言えなくて困ってしまう。

 せめてマミゾウみたいに煙草が似合う容姿ならばよかったのだが。この子は妹紅や霊夢に似ているせいで、余計にもやもやしてしまう。煙草だけに。結構うまいことが言えた気がする。

 

「……ねえねえお兄さん。私、紫苑(しおん)

「いきなりどうした」

「お兄さん変わった人みたいだから、私のこと覚えててもらおうと思って。そうしたら、次会ったときにまた何かくれるかもしれないでしょ。ついでにお兄さんの名前も教えてよ」

 

 紫苑と名乗った少女は地面に手を突き、四つん這いの猫が見上げるような体勢で訊ねてくる。せっかく目線をそろえるために座ったというのに意味が無い。汚れるぞと言おうと思ったが、この子には今さらな話ですぐやめた。言うなら団子を食べる前で、手を洗うよう言えばよかったと思う。

 

「真、だ」

「ふぅん。紫苑と真って少し似てるね。お、が減っただけだ」

「確かになあ」

「おが減った、おが減った。……あー、お腹減ったなあ…」

 

 やはり団子二つだけでは足りなかったらしい。横にゴロンと寝転がり、更に目線を下げていく紫苑。着実に体勢が低く低くなっており、そのうち地面に埋まり始めそう。

 

「お団子は美味しかったけど、たまにはお腹いっぱい食べたいよー」

「なら働けばいいだろう。働かざる者、喰うこと能わず」

「私はび、貧乏神だから、財を溜めこむことができないの。それに周りも巻き込んで不幸にしちゃうから、そもそも働ける場所が無いよ」

 

 寝たままの体勢で紫苑は言う。

 紫苑の現状は怠惰の結果ではなく、本人の体質によるものだったようだ。パルスィが嫉妬をやめられないのと同じである。

 そうとは知らず悪いことを言ってしまった。紫苑は働きたくても、自らを取り巻く環境がそれを許してくれないのだ。

 

「そうだったか。無遠慮なことを言ったな、すまん」

「いいよ。だからお兄さんも気を付けて。私に構いすぎると不幸になるよ?」

 

 もしかすると紫苑が人里で物乞いをしていなかったのは、人間を無闇に不幸にさせまいと考えてのことだったのかも知れない。こんなところにいたのは、馬鹿だったからではなかったのだ。

 

 貧乏神。それは自分も、自分に施しを与えてくれた者までも、不幸にしてしまう妖怪、らしい。恩を仇で返すという言葉がこれほど似合う奴もそういない。

 また、どうあがいても自分は不幸のまま。まったく、厄介な存在もいたものである。

 

「不幸、ね」

「うん。少ないけど、お兄さんお団子くれたいい人だから、不幸になってほしくないんだあ」

 

 何を言っているんだこいつは、と俺は思う。人を心配してるような、そんな余裕がある境遇かお前は。

 少なくとも、自分がその立場だったとしたら、そんな悠長なことは言ってられない。余裕が無いときは自分が一番かわいい。だからきっと、施しを与えてくれる相手だろうと、平気で不幸にしてしまうと思う。

 

 苦笑している紫苑を見て俺は、頭を鈍器か何かで殴られたような気分になった。こんないい子が、こんな理不尽に不幸であっていいはずがない。

 よし決めた。この子には俺が手を差し伸べる。

 全ての世話をするのではない。それだと何もしなくてもいいと勘違いしてしまうから、正しい頑張り方を教えるのだ。

 そのために必要なのはほどよい仕事と、それに見合った報酬である。幸いちょうどやってほしいことがある。

 

「だからお兄さんが不幸になる前に今日はこれくらいで……」

「お前と関わって何かが起きたとして、それが俺にとって不幸かどうかは俺が決める」

 

 立ち上がり、尻についたほこりを叩き落として俺は言う。

 

「来い紫苑。俺がお前に仕事を与えてやる。物乞いをするよりずっといい」

「え? ……わあっ!」

 

 寝そべっている紫苑の腕を取り、そのまま引っ張って立ち上がらせる。なんて細い腕なんだろう。もう少し力を入れたら折れてしまいそうだ。

 

 また、紫苑は靴を履いていなかった。ひとまず話をするために場所を移そうと思ったのだが、そのまま歩かせるわけにはいくまい。そう思い、俺は右肩に紫苑を担ぎ上げる。もしかしたら慣れているかもしれないが、俺が気になるのだから仕方がない。

 

「一つ訊くが、紫苑。お前、住んでいる家はあるか?」

「家? そんなのあるわけないよ。でも地面があればどこでも眠れるし、ここら一帯全部が私の家と言えなくも……」

「無いんだな。よし、じゃあ行くぞ」

「えええなになに!? どこに行くの!? っていうか突然なんなのこの状況は!?」

 

 私に構うと不幸になる? 上等だ、やれるものならやってもらおうじゃないか。

 貧乏神がもたらす不幸なんて、財とか家とか着てるものとか、所有物に影響するものばかりだろう。

 

 金? 俺にはたまに団子が買える程度もあれば十分だ。

 家? そんなのその気になれば二秒で造れる。

 服? 着ているこれは身体の一部、これ以外の服は持っていない。

 

 俺が持っている財産なんて、妹紅がくれた巾着くらいのものだ。貧乏神の一人や二人と関わったくらいで、唯一の財産を手放すことになるほど俺の懐は狭くない。むしろ余っている懐に貧乏神を抱え込む余裕すらある。実際腕で抱えている。

 

「前! 前が見えない! あとなんか落ちそうで怖い!」

 

 ぞんざいに扱いすぎたようで、背負う形に紫苑の体勢を変更する。こうしてみると意外と身長が高かったことに気がついた。と言っても霊夢より少し高い程度だが。そのくせ体重は魔理沙並に軽くて、いかに肉がついてないかがよく分かる。

 

「……こんな形で誰かにとり憑くなんて初めてだ」

「ん、どうした?」

「ううん、独り言」

 

 確かに貧乏神を背負う姿はとり憑かれてるように見えなくもない。うまいことを言うものだと俺は思った。耳元で呟いているのだからそりゃあ聞こえるに決まってる。

 

「貧乏神に憑かれたら不幸になるのか?」

「聞こえてたんだ……。普通そう考えるのが普通じゃない?」

「そうか。でもなあ、運がいいことをツイてるって言うだろ? あれはさ、守護霊とかが憑いてていいことを集めてくれてるからそう言うんじゃないかって思うんだ。だから不幸なことが起きるのは自分に何も憑いてないからであって、何かが憑いてることがイコール不幸とはならないだろう」

「……分からないけど、こうしてていいならこうしてる」

 

 落ちるのが怖くなったのか、紫苑がしがみつく力が増した気がする。俺としてもそのほうがバランスを取りやすいから都合がいい。

 背中越しに、ぐう、と腹の鳴る音が聞こえて、俺は少しだけ歩くスピードを速めた。ただ、空腹を何とかするよりも、この薄汚れた格好を何とかするのが先だろうな。飯の前には風呂でさっぱりしておくのが俺流である。

 

 二十分ほど歩いて、目的地に着く。妖怪の山、麓近くに作った俺の家だ。築五分。駅から五年。これはヤバい。

 

 まずは予定通り、砂まみれの紫苑の格好をどうにかする。具体的には風呂に入れる。風呂場は無かったが、変化の術で作っておいたので問題ない。

 狐火を使えば、風呂はすぐに沸かすことができた。今日は湯を沸かすことにしか使ってなくて、狐火さんが拗ねているかもしれない。

 

 紫苑が身体を綺麗にしている間に、俺の方は紫苑の服を綺麗にする。女の子の着替えなど俺が持っているわけも無く、変化の術で用意してもよかったのだが、せっかくなので洗ってしまおうと思ったのだった。

 紫苑の服は、差し押さえされまくっているパーカーとズボン、それにリボンしかなかった。一応その他にしなびた猫みたいなのの人形もあって、ついでにそれも洗っておく。お燐と名付ける。

 

 洗濯中、紫苑が風呂から出ようとしてきたが、当然ながら却下である。綺麗になるまで洗ったにしては早すぎる。

 服が乾くまで入っているように俺は言った。髪は泡立つくらいしっかり洗えと付け加えるのも忘れない。

 

 紫苑が全身を洗う中、俺は夕餉(ゆうげ)の準備のために米を洗う。他に用意するのは味噌汁と山菜のみ。量は少ないが変化の術を使えば増量できるし別のメニューもできる。何日も食べていないところでたくさん食べるのは身体に悪い、しかし腹一杯食べさせてやりたいと考えた故にこうなった。

 まあ、食材が無いのも事実なのだが。なぜか塩だけは大量にある。

 

「いい匂い……」

 

 風呂から出た紫苑が、頬を上気させつつそう言った。服も身体も綺麗になって、全体的に小ざっぱりしている。鏡が無いためかそれとも拭くのが下手なのか、髪が少々乱れていたが、まあこんなものだろう。

 

「もうすこし飯を蒸らすから、その前に紫苑はこっちにこい」

「ご飯……」

 

 飯の前に、風呂から出た直後ということで、紫苑に柔軟をさせる。予想通り紫苑は身体が硬くて、これは絶対にさせようと思っていた。柔軟は、身体が柔らかくなっている風呂上がりにするのが最適だと思う。

 

「曲がらないよー」

「息を止めるなー。ほら、押すぞー」

「んん……」

 

 曲げただけでポキポキと骨が鳴る紫苑。俺の手で相手の身体の調子を整えている気がして、この音は好きだ。パチュリーにマッサージしていたときのことを思い出す。

 

「ご飯……ほ、本当に食べていいの?」

「ああ。俺一人分にしては多すぎるだろ」

「い、いただきますっ!」

 

 そして柔軟が終わった後は、紫苑にとって待望の飯の時間だ。空腹であり、更には少々焦らされた気分だろうから、その美味しさも一入(ひとしお)だろう。味噌汁を一口すすった後、ご飯を大量に頬張っている。

 誰も取ったりしないというのに、左手にご飯茶碗持ったまま放そうとしない紫苑。頬がリスみたいに膨らんでいてかわいらしい。

 

「んん~……んんん~!!!」

「落ち着け。口に入れすぎて喋れてない」

 

 そんな紫苑の様子を見ながら、俺も自分の飯に手を付けた。みそ汁の具は豆腐と油揚げで十分だと思っていたが、最近になって茸を入れてもうまいことに気づいた俺である。今回の味噌汁にも入れてある。うん、うまい。

 

「美味しいよ~、ご飯をお腹いっぱい食べられるなんて夢みたいだよお……」

「この程度の夢でよけりゃ、いつでも俺が見せてやる。おかわりいるか?」

「うう……なんて甘くて蠱惑的(こわくてき)な言葉……。こんな私に都合のいい世界があっていいの……?」

「いいんだよ。むしろこれが普通の世界だ」

「普通とは……」

 

 紫苑の茶碗に新しく飯をよそう。

 可哀想な人には優しくしてあげるべきだ、なんて考えは別に俺は持っていない。ただ、大人が子どもに優しくするのは義務だろう。当然見返りなんかは求めない。

 そしてその子が大きくなったら、今度は別の子に優しくしてやればいい。大人から子どもへの優しさの矢印。その一方的な力の連鎖で、世界は今日も同じ方向に回っている。

 

「……もうお腹いっぱいだあ。お兄さん、ごちそう様」

「おー、喰ったな」

「食べ過ぎて苦しい……」

「そのまま楽にしとけー。皿とかそのままにしてていいぞ」

「うん……」

 

 食べ終わり、紫苑がちゃぶ台にだらんと突っ伏した。質素な生活で胃が小さくなっているのか、食べた量はそれなりに少なめである。あの痩せた体だ、別段予想外なことでもない。

 

「お兄さん。お願いがあるんだけど、いい?」

「なんだ」

「このお茶碗、私に頂戴」

 

 後片付けをしていたら紫苑がこんなことを言ってきた。何をもってそれを欲しがったのか分からないが、欲しいというならあげようじゃないか。そもそもそれは紫苑がいるからと急遽用意したものであるし。

 茶碗に見えるそれは、変化の術で木の葉をそう見せているだけである。だから時間が経つと元に戻ってしまうわけだが、そうならないよう俺は改めて妖力を込めなおし、茶碗の形を維持できるようにしておいた。

 

「ありがとう」

 

 両手で持ち、空っぽの茶碗を紫苑は嬉しそうに眺めている。女の子が喜ぶものはよく分からんな、と俺は思った。これではよくない。しかし頑張って分かるようになるものでもない。

 

「えへへー、お兄さん優しい。私、こんなに甘やかされてるの初めてだ。いいのかな」

「子どもなんだから遠慮するな。甘えたいなら甘えればいい」

「じゃあ、一生私を養ってよー」

「甘えたこと言うな」

「どっち」

 

 さて、食事も終わったことであるし、そろそろ本題に移るとしよう。俺は紫苑を一生養うためにここに連れてきたのではない。あくまで、仕事を与えるために連れてきたのだ。甘やかすのはいいが、全ての面倒を見るというのは甘やかしすぎというものである。

 

「紫苑。お前にはこの家に住んでもらう」

「やっぱり養ってくれるの?」

「違う。そもそもここは、俺が造った家ではあるが、俺が住んでいる家じゃない。この家は、迷いこんだ人間が助けを求める場所として造ったんだ」

 

 人里ではなく、妖怪の山寄りの位置に家を建てたのも、それが理由だ。迷った人間も、人里が近くにあればそちらへ向かう。人里と離れたところだからこそ、家があれば助かるというわけだ。

 

「だから紫苑には、来るかもしれない人間の世話をしてもらう。別に家を空けててもいいが、一週間に一度は様子を見に戻ってきてほしいとこだな」

「それくらいならできそうだけど……でも、私がいたらこの家崩れちゃう」

「この家は俺の能力で、その辺にある木とか土を変化させて造ったものだ。つまり自然のもので、財産でもなんでもないものに貧乏神の力が作用することも無いだろう。万が一作用したとして、すぐに造りなおせるから問題ない。定期的に様子は見に来るし大丈夫だろう」

「定期的? お兄さんはいつもここにいてくれないの?」

 

 俺がいたら紫苑に任せる意味が無くなってしまうだろう。人間が迷い込む場所はここ以外にも何か所かあるため、ここだけに留まっているわけにはいかない。先ほども言ったが、ここは俺が住んでいる家ではないのだ。

 

「お兄さんと一緒がいい」

 

 けれど紫苑にとっては予想外だったようで、こんなことを言い出した。行かせまいとしているのか足元に纏わりついてくる。おっと腰まで登ってきたようだ。

 

 まったく、たった一日で懐きすぎだろう。餌をあげただけで家に毎日来る野良猫みたいだな。それでも懐かれたら悪い気などするわけもなく、俺は足元にいる大きい野良猫の頭を撫でた。

 

「むー」

「……まあ、紫苑が慣れるまでは毎日来るから」

「ここにいて。少なくとも、私の不幸が大丈夫って証明できるくらいまで。毎日来るのはその次から」

「大丈夫だって。それに俺にも用事というものが」

「一緒に居てよー。でないとお兄さんにとり憑いてやるう~」

「同じだし、何の脅迫にもなってない……」

 

 腹になおも纏わりついてくる貧乏神の頭を、俺はもう一度優しく撫でる。無茶苦茶なことを言っていても、それが子どもなら、かわいいものだと思えるから不思議だ。まあ、生意気なことを言う子どもはかわいくないが。

 生意気とは自らの力を大きいものだと勘違いしている幼い言動のことであり、自らの弱さを認めて他人に頼る紫苑はその対極に当たるため、変わらずかわいいと言っていい。

 

「じー……」

「……分かった分かった、一緒に居る。出かけるときは()いてくればいい。その代わり、一つ約束してもらおう」

「約束。何?」

「煙草は禁止。俺はあれの臭いが苦手でな。口元が寂しいって言うなら代わりにこれにしとけ」

 

 俺はガムを取り出して、紫苑の口元に持っていく。これは外の世界で子どもたち用のお菓子に買ったものの余りで、飲み込めなく、フーセンも作れないこのガムは、子どもたちに人気が無かった。なお、ルーミアとフランは噛みちぎれるらしい。椛もできそう。

 

「甘くておいしい」

「そのうち味は無くなるけどな」

 

 それでも、何か噛んでいたら気は紛れるものだろう。子どもが煙草をやるよりずっといい。

 ご飯のときとは違い、ゆっくりと咀嚼している紫苑に、俺は微笑んだ。

 

「……ねえ、なんでそんなに優しいの?」

「普通だよ。俺より優しい人なんてたくさんいる」

「でも、私にこんなに優しくしてくれたのはお兄さんが初めて。触れてきたのもお兄さんだけ」 

「そりゃあ、子ども一人拾っても、貧乏神に憑かれても、俺には何とかできる自信があるからな。伊達に長生きしていない。人間たちも本当は皆、紫苑みたいな子を見たら優しくしてあげたいと思うんだ。でも、大抵の場合そんな余裕が人間たちには無い。俺にはあった。それだけだ」

「……たとえお兄さんの言うとおりだったとしても、優しくしてくれたのがお兄さんでよかったと私は思うよ」

 

 紫苑が俺に抱き着いてそんなことを言うものだから、俺の方もうっかり紫苑を抱きしめた。こんな風に子どもから幻想を抱かれると、裏切らないようにしないとな、と思ってしまう。実際の俺は自分勝手な小さい男だけど。

 

 紫苑は満足そうに目を細めると、そのまま寝息を立て始めた。満腹になるまで食べたせいか、睡魔が襲ってきていたらしい。抱え上げて布団のところまで運んでいく。

 寝ている紫苑の横に、夕食前に洗った猫らしき人形を置く。紫苑の唯一の私物だったものだ、きっと大事なものなのだろう。勝手にお燐と名付けたが実際の名前はなんなのだろう。予想してみる。ファルシオン。きっとこれだ。

 

 寝ている紫苑は、何か食べている夢を見ているようで、口元をもぐもぐと動かしている。というかガムを食べたままだった。

 

 明日の朝餉は何を用意してやろう。卵でいいか。ここまで来たら、行くところまで面倒を見てやるつもり。

 あとは、そうだな。明日になったら、食べられる野草の見分け方と、釣りの仕方でも教えてみよう。

 

 


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