東方狐答録   作:佐藤秋

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タイトル詐欺。前回の続き。なんか続いた。




第百五十一話 豊聡耳神子

 

 紫苑を拾った日の、翌日の昼。俺は紫苑と一緒に近くの池まで行って釣りをしていた。当然紫苑に、一人でも食っていけるように教えるためである。妹紅にも教えたことがあったっけ。

 

 今回は一回目ということで、釣竿は俺が持って手本を見せている。紫苑はウキが沈む様子を見る役目。簡単すぎて人によってはすぐに飽きそうであるが、紫苑には合っているらしく、俺の膝の上で素直に釣りに興じている。

 魔理沙よりも背が高いというのに、すっぽりと俺の手元に納まっているのだから大したものだ。俺としても楽でいい。

 

 現在の釣果は三匹。針から魚を外すことを紫苑も慣れてくる頃だろう。飯としては十分だが、もう何匹か釣って経験させたいところ。

 そんなことを思いつつ次の一匹を待っていたら、空から別の一匹が飛んできた。烏天狗の文である。今いる場所は妖怪の山に近いので、文が通るのも十分ありえた。

 なお河童の沢とはそれなりに離れているので、にとりに出会う可能性は意外に低い。

 

「どうも真さん。お一人ですか?」

 

 着地してそう言った文に、俺は紫苑を指差して答える。当の紫苑は黙ったまま。

 更に文が彼女はどうしたんですと訊いてくるので、昨日拾ったと俺は答えた。何も間違ったことは言っていない。

 

「へえ、貧乏神ですか。たしかにそれらしい格好をしていますね。の割に結構きれいな服ですけど」

「昨日俺が洗濯したんだ。服はこれしか持ってないらしく、風呂に入れたついでにな」

「それで今は一緒に釣りですか、相変わらず面倒見がいいですねえ。ふむ。服が無いなら、よければ私のお古を進呈しましょうか」

 

 文は妖怪にしては私服が多い。おそらく人里によく行くためだろう。いつだったか、天狗の格好で取材するよりも、人間の姿に合わせたほうがいい話ができるとも言っていた。

 実際、人里で文を見かけるときは、いつも人間の格好だったと思う。

 

「いいのか? 助かる」

 

 そんな文の厚意に、俺は甘えることにした。

 見ると、紫苑も嬉しそう。表情筋が乏しいために分かりにくいが俺には分かる。これは新しい服に喜んでいるというか、何か貰えること自体に喜んでいる目だ。

 

「ところで、下着はどうします? いきなりこんな話をするのもどうかと思いますけど、彼女、ちゃんとつけてますか?」

 

 そう言えば、昨日洗濯したときにはその類いの物を見かけてないなと俺は考えた。

 慌てて紫苑の顔を見てみると、目が合った紫苑は首を斜めに傾ける。

 その後質問がやっと耳に届いたのか、ふるふると首を左右に振った。やはりというか、昨日洗濯したものが紫苑の持っている全てだったらしい。

 

「……分かりました、そちらも用意しておきましょう」

「すまん、そこまで気が回っていなかった。そうか、そりゃそうだよなあ。文が来てくれて助かった」

「いえ。それより、この後持ってきますけど、真さんはあまり見ないでくださいね」

 

 その通りだなと、しみじみ思った。同性ならともかく、使用した下着を異性に見られるのはいい気分ではない。

 その程度の配慮はできると思うが、文に言われるまでその考えに至らなかったのは事実で、つくづく俺は細かい気配りが足りていないと反省した。文の進言には感謝である。

 

 それにしても、文はよくそんなところまで考えが行き届くものだ。女の子同士通ずるものがあるのだろうか。仮に紫苑が男の子だったとして、俺が配慮できたかどうかは微妙なところ。

 

「ねえ。くれるなら、あまり締め付けないのがいい」

 

 黙って膝元に座っていた紫苑が、囁くように俺に言った。

 それは下着の話だろうか、それとも服の話だろうか。どちらにせよ俺に言うのではなく文に言うべきことだろう。

 言い直させると、文は苦笑して頷いた。できた部下を持てて俺は嬉しい。

 

 その後間もなく文は服を取りに飛んで帰る。急がなくてもいいと言ったのだが、このまま女の子を下着も無しにしておくつもりですかと返された。本当にその通りで言葉が出ない。

 文が行く前に靴や靴下もついでにどうか訊いてくれたが、紫苑はどちらも欲しがらなかった。くれるなら貰うのだろうが、履くつもりはないらしい。裸足に慣れているのか窮屈だという。

 裸足のまま外を歩かせる気は俺には無く、草履を応急的に変化で準備していたのだが、逆に紫苑には合っていたようだ。

 

 文が戻ってきて、紫苑の私服が増えた。見た目に変化は無いが下着もちゃんとつけている。らしい。

 改めて紫苑の格好をよく見ていると、スカートが擦り減りすぎて微かに透けていて、いよいよ文が来てくれて本気でよかったと思った。あのままではさすがにまずい。人前に出ないとも限らないわけだし。

 今のうちにこっそりと、スカートを厚手のものに変えておこう。これなら透けない。

 

 重ね重ね文に礼を言った後、時間は大丈夫だったのかと訊ねたところ、本日は人里で祭りがあるということを聞いた。どうやら文はそれに行くつもりだったようだ。里に最も近い天狗という異名は伊達じゃない。

 

 夏も過ぎた今頃に祭りがあるのは稀である。夜ではなく昼からやるというのはよくある話だが。

 文から話を聞くに、夏に一度雨で中止になった祭りがあって、その代わりにと静葉と穣子が計画したらしい。豊穣祭という名目にしたようだ。

 

「よければ真さんも一緒に行きましょうよ」

 

 文がそう誘ってくれたのだが、一緒に行ったところで俺には一緒に回る相手がいない。それは少々寂しい気がして、断った。祭りを一人で楽しむのもなあ、と。文が変な顔になる。

 見ると紫苑も変な顔。急ににらめっこを始めるのはどうなんだろうか。子どもというのはいつだって行動が突飛である。

 

「そうだな、紫苑もいることだしやっぱり行こうか」

 

 前言を撤回して、俺も紫苑を連れて祭りに参加することにする。

 移動しようと立ち上がると、紫苑が背中に上ってきた。昨日抱えたときよりもずっと軽い。おんぶではなく憑依したようで、姿も見えなくなっている。こういうこともできたのか。

 

「行こう行こう。美味しいものを恵んでもらおう」

 

 紫苑の声が耳元で聞こえるので、すぐそこにいるのは間違いない。ただこの状態だと他から見たら一人なので、なんだかなあと俺は思う。一人で回るのが嫌で一度断ったのに、結局見た目一人で回ることになってしまった。

 

「そうしていないと、近くの人間に不幸が移るんですかね、雛さんみたいに」

 

 文の言葉になるほどと思った。そういう考え方もできるのか。俺の肩に顎を乗せて脱力している紫苑を感じて、単にものぐさなだけのような気もしたが。ともあれ三人で人里へ向かった。

 

 ほどなく人里にたどり着く。空から人里に入るのは避けるべき行為だ。

 それで入り口に向かうと、珍しいことに勇儀がいた。いつも地底で会う勇儀を太陽の下で見ると、金の髪がより一層美しく見える。連れがいなければもう少しこの場で見ていたい。

 

「勇儀」

 

 俺が声を掛けると、勇儀もこちらに気づいたようで、振り向いた。

 

「真。奇遇だね」

「こっちの台詞だ。地上にいるとは珍しいな」

「久しぶりに美鈴と勝負がしたくなってね」

 

 一度美鈴に会わせてからというもの、それから勇儀はたまにこうして、美鈴と勝負しに地上に出てくるようになったのである。本日はその帰り道に、フランを人里の祭りに連れてくるよう頼まれたのだそうだ。紅魔館の連中との仲も良好なようでなによりである。

 それにしてもフランと勇儀か。どちらも金髪で鬼とつく種族だからか、なんとなく相性が良さそうな二人に思えた。

 

「もう帰るのか?」

 

 すでにフランの姿は無い。大方もう遊びに行ってしまったのだろう。一人となった勇儀に俺は訊ねた。

 

「そうだねえ、頼まれたのは送ることだけだし、あの子もどこかに行っちゃったし。でも真が良ければ」

「よし一緒に見て回ろう」

「話が早いね」

 

 ということで、勇儀とも一緒に行くことになった。

 フランは誰と祭りを楽しむのだろう。本命はぬえや小傘の子どもたち、次点で霊夢や魔理沙あたりかと予想してみる。

 

「そ、それでは私も、お二人の邪魔にならないようにこの辺で」

「まあ待ちなよ。アンタは多分、真がかわいがってる天狗の一人だね。ちょうどいい、一度話してみたいと思ってたんだ。アンタも一緒に行こうじゃないか」

「はい……」

 

 さりげなく逃げ出そうとしていた文が、勇儀に捕まって萎縮している。天狗らしく、文も以前の上司たる鬼は苦手らしい。そのくせ天狗は上下社会なところがあり、実力のある相手には従ってしまうため、いろいろ諦めた表情だ。

 なお、上下社会と言いながら、文は俺に対して軽々しく接してくるので、どこにでも一部の例外はいるということを言わざるを得ない。

 

 鬼と天狗、そして貧乏神に憑かれた狐の三人で人里を歩く。俺と文は黒髪で、紫苑の姿は見えていないため、問答無用で勇儀は目立つ。額には角が生えており、明らかに人間とは違う存在と分かってしまう。

 

 というわけで何かいいものは無いかと祭りの屋台を冷かしていたら、お面の屋台を発見した。早速買って勇儀に渡す。頭の上に装着した面が、角への違和感を減らしてくれることだろう。

 

 狐の面があったので、自分用にも買ってみた。横向きにつける。自分には狐妖怪らしいところが無いのでいい感じ。今後これを付けてアピールしよう。

 文にも天狗の面を買ってみる。赤い顔した鼻高天狗の面であるが、これもまた天狗らしくて文に似合った。文が黒くて短い髪型なのもいい。鞍馬の名前が似合いそう。

 

「いいんですか? 少々高いですよ、このお面」

「この前妹紅たちが、巾着やら肩たたき券をくれてなあ。それの幸せのお裾分けだ」

 

 ちなみに勇儀にあげた面は、鬼の面ではなくてひょっとこである。鬼の知名度は上がって来たものの、面が作られるほどには至ってないようだ。だからなんだという話だが。

 お面がどうこうよりも、それ以前に勇儀には着物を着た格好をしてほしい。なんと言っても祭りだし。あれ、祭りは浴衣だっけ。なんにせよ勇儀には絶対似合うと思う。

 しかし同時に、そんな勇儀を他人に見せたくないとも思う。めんどくさい性格をしているな、俺は。とまあいろいろ考えながらも、結局何も口にはしないのだけど。

 

 さらに人里を歩いていると、秋姉妹に挟まれた霊夢の姿を発見した。右腕を静葉に、左手を穣子に引っ張られ、それに戸惑いながらも歩いている感じ。霊夢が人気者で俺も誇らしい。

 

「タダでお酒が飲めるって本当でしょうね?」

「当然よ。私たちの仲じゃない」

「神社に分社を置いてあげただけだけど」

「言わば運命共同体ね、支え合って生きていきましょう。私たちを信仰している人間にも博麗神社のことは言っているわ」

「それは至れり尽くせりね……あ」

 

 なにやら会話をしていたようだが、霊夢がこちらに気づいて話が止まった。

 今度は逆に霊夢が秋姉妹の手を引いてこちらまで寄ってくる。

 

「真と勇儀じゃない。ついでに文」

「ひどいです霊夢さん」

「霊夢、久しぶりだねえ」

 

 勇儀の言うとおり、実はこの二人には面識がある。博麗神社に地底直通の穴があるため霊夢は何度か訪れており、それで話したことも何度かあるのだ。そのとき見かけた限りでは、霊夢は勇儀に懐いていたと思う。

 

「どうしたのそのお面」

「角が目立たないようにって真がくれた」

「あー、確かにここじゃ目立つわね」

 

 霊夢が勇儀に話しかけている。懐いていたと思ったのは気のせいではなかったようで一安心。また勇儀は優しいので、霊夢のこともかわいがることだろう。

 

「これからこの二人がお酒をご馳走してくれるみたいなんだけど、勇儀も来る?」

「そりゃあ酒と聞いたら断る理由は無いが、そこのお二人さんはいいのかい?」

「いいわよ。見たところ霊夢とも真とも知り合いみたいだし。真も来るでしょ?」

「俺か。俺はどうしようかな」

 

 祭りに来たのに、いきなり酒に行くのはつまらない気もする。どう答えようかと悩みながら辺りを見渡してみたら、様々な食べ物の屋台が目についた。昨日紫苑にあげた団子を買った店もある。よし、決めた。

 もともとは紫苑と回る予定だったのだ、もう少し屋台を見て回ろうと思う。そのあとに改めて酒盛りに参加させてもらおう。そっちはそうそう早く終わらないだろうから。

 

「俺はもう少し見て回るから、勇儀たちは先に行っててくれ。後で行く」

「そうかい、待ってるよ。じゃあ霊夢、行こうか」

「あ、ちょっと待ってくれ」

 

 呼び止めて、俺は近くの屋台で焼き鳥を二本購入して霊夢に手渡す。

 

「この前の油揚げのお返しだ。それだけ、また後でな」

「お返しなんていいのに。後でね」

「それでは霊夢さん、また今度」

「待ちなよ天狗。アンタも一緒に飲むんだよ」

「あやや……」

 

 文が勇儀に連れていかれる様を、俺は笑いながら見送った。相変わらず文は面白い奴だな。見てたら元気になる。

 

 霊夢にお返しができたことだし、これから祭りを回るついでに妹紅と魔理沙も探してみて、偶然会えたら二人にもお返しを買うとしよう。何か貰ったら、何かを返す。さらには他の人にもお裾分け。そうすれば世界は幸せに満ちていく。

 とりあえず、同じ屋台でさらに焼き鳥をもう二本購入して、紫苑と二人で分けて食った。

 

「おいしい」

 

 そりゃよかった。

 横に付けていたお面を前につけ直しながら俺は言った。これから独り言が多くなるので、面は顔を隠すのにちょうどいい。

 

 それから祭りを回っていると、藍がいた。人里でも構わず九本の尻尾を出している。まあ、出しているというか、藍は尻尾を隠せないのだが。

 単に買い物に来たのか、藍は豆腐屋の親父と談笑している。

 

「まいど。油揚げ二つおまけしといたよ。九尾の奥さん、いつも来てくれてるからね」

「二個も? それはありがたい。ここのは特に美味しいからな」

「なあに、今日は祭りだし、奥さんは別嬪さんだから特別だ。まったく、妖怪とはいえこんな美人、旦那は羨ましい奴だねえ」

「はは、そうか? でもウチの宿六(やどろく)は、昨日も顔を見せなくてな」

 

 おや、もしかして俺のことを話しているのだろうか。宿にいないのに宿六とはこれいかに。

 

「本当かい? こんな綺麗な人が家にいるってのに、いったい何を考えて」

「すまないな、昨日は急遽やることができて」

 

 狐の面で顔を隠しつつ、二人の会話に口を挟む。豆腐屋の親父は驚いていたが、藍はすぐに俺だと気づいたようで、名を呼んだ。

 

「真じゃないか。来てたんだな」

「ああ、少し前に」

 

 微笑みながら俺は返す。嬉しいのだから頬が緩むのは仕方がない。

 

 少し間をおいて落ち着いた豆腐屋の親父が、俺の容姿を一通り見て、兄ちゃんも妖怪なのかいと訊いてくる。

 

「一応、そうなる」

「やっぱりな。そこの奥さんからいろいろ聞いてるよ」

 

 藍からどんな話を聞いているのか半日くらいかけて話したいところだが、藍も嫌がるだろうしやめておく。

 というか、悪いことを言われていたら立ち直れないし、いいことを言われてたとしてもそれはそれで恥ずかしい。こういうのは聞かないに限る。

 

「……確かに美人だが、惚れてくれるなよ」

「ん?」

「いや、なんでもない。他の客の邪魔になるのも悪いし失礼する」

 

 藍を連れて、店から離れた。

 それで、これからの時間は空いているかと藍に訊ねようとしたら、なぜだか藍はにやにやと笑っている。構わず訊く。

 

「残念ながら一度帰らなければいけなくてな。いやしかし、来てよかった」

 

 よければ一緒に祭りを見て回ろうと思ったが、叶わなかった。

 

 終始楽しそうな藍と別れて、また紫苑を()れた一人の状態で祭りを回る。揚げ餅、焼き餅という屋台があったので、それを紫苑と一緒に食べた。醤油が効いていてうまい。妹紅と魔理沙にあげるのはこれにしよう。

 

 二人がいないか、探しつつも祭りを楽しむ。二人はいなかったが、慧音はいたので、妹紅のぶんは渡してもらうことにした。

 またアリスにも会ったので、こちらは魔理沙のぶんを頼む。仲のいい友人がいる相手だと、こういうことができていい。

 ただ頼むだけなのも悪いので、渡した相手と一緒に食べられるよう多めに渡しておいた。また、変化の術を掛けているので、冷えて美味しくなくなることは無いだろう。

 

 アリスからはお返しとして、おからで自作したというクッキーを貰った。さすがアリス、女の子らしい趣味をお持ちで。

 ありがたく紫苑と食べる。食べてばかりだ。食べ物以外の屋台をもっと見よう。

 

 すると型抜きという屋台があって、蛮奇がそこで遊んでいるのを発見した。

 文字通り、描いてある模様の型をうまく()り抜く遊びなのだが、これがなかなか難しいらしく、蛮奇は深く覗き込んで熱中している。

 前傾姿勢過ぎて頭が落ちそう。おせっかいかなと考えつつ、俺は蛮奇の頭を押さえた。

 

「よう。また首だけの状態になるつもりか?」

「む、誰だ、気安く私の頭に触れてくれるのは。そこは私の、特にアンタッチャブルなポイントだぞ」

「俺だ俺」

「おお、誰かと思えば。久しいな、我が魂の同胞(はらから)よ」

「久しぶり」

 

 頭に触れていると持ち上げたい衝動に駆られるため手を離す。持ちやすそうな頭をしている蛮奇が悪い。俺の考えは一般的なものだと言える。

 

「しばし待て。私は今、この石板に封印されし一輪の花を解放する、重大かつ緻密な任務の真っ最中でな」

 

 蛮奇は花の形をした型抜きに挑戦しているようで、再度それに取り組み始めた。

 それなりに善戦していたが、結果は失敗。この形は、型抜きの中でも難しいらしい。悔しがっている蛮奇を慰める。

 

「惜しかったな。成功してたらなにが景品だったんだ?」

「別の店でりんご飴と交換できる引換券……あ、いや、宝石のごとき甘い雫に包まれた知恵の実と等価交換が可能になる、謎に包まれた魅惑の札だ」

「へえ、それは魅力的だな」

「真、私の仇を取ってくれ」

 

 そう言われたので仇を取った

 手に入れたりんご飴は、一人分にしては大きすぎる。小さいもの二つにしてもらい、蛮奇と分けた。

 

「いやいや展開が早すぎるだろ。私があれほど苦戦したのに。でも、ありがとう」

「どういたしまして」

「真は手先が器用なんだな」

「そこに関しては自信があってな」

「まあ、私の頭を抱えて不快にさせない手つきなのだからあり得た話か。……む、甘い」

 

 りんご飴を食べる蛮奇を見て、共食いかな、と紫苑が呟いている。そんなことを言う子に育てた覚えはない。出会ったのは昨日だけど。

 

「甘くておいしい」

「罰として一口だけな」

「あー」

 

 蛮奇と別れて、紫苑とこういうやりとりをした。時には厳しさも教えなければ。

 蛮奇は次は輪投げの屋台に行くという。熱中して首を落とさなければいいのだけれど。

 

 

 

「おお、真殿! 屠自古、真殿がおるぞ!」

「見りゃ分かる」

「そうか、我は見ただけでは分からなかった! おかしな面をつけておるからな!」

 

 そろそろ勇儀たちに合流しようと引き返していたら広いところに出て、そこで布都と屠自古一行に出会った。

 行くときにはこんな場所など無かったように思えるのだが、幻想郷とは人里でさえも不思議なことが起こる。

 まあ、単に俺が気づかなかっただけかもしれない。面のせいで視界が狭まっているわけだし。少なくとも迷子になっているわけではない。

 

「懐かしい匂いがすると思ったら。うおー真、食べ物くれなきゃ食べちゃうぞー」

 

 また、一行の中には芳香もいた。真正面に立ち俺を見上げて、届くわけもないのに頭に齧り付こうと口を開けている。持ち上げたら噛まれた。そりゃそうだ。

 青娥が後ろで苦笑いしている。

 

「芳香ちゃん、お腹壊すわよ」

「今日もまた真は、いい匂いがする」

「むむ、随分と芳香殿に好かれておるな。というか真殿と知り合いだったのか」

「布都といい、変な奴に好かれるな真は」

 

 食べ終えていなかったりんご飴を芳香にあげつつ布都たちの話を聞き流していると、後ろにもう一人いることに気がついた。そいつは布都たちに話しかける。声からおそらく女性であることがうかがえる。

 

「随分と親しくされているようですね。貴女たち、私にも紹介を」

「分かりました。おい布都」

「わかっておる。真殿、せっかくこの場に来たのだから、この方のことを紹介しておかねばなるまい。我らが太子様である」

 

 向こうでは屠自古が、太子様とやらに俺を紹介している。

 太子様とやらは、布都が様付けをして呼んでいることから分かるように、偉い立場の人であるらしい。見るとなるほど、先ほど存在に気づかなかったのが不思議なくらい存在感があった。格好の奇抜さもあるだろう、ヘッドホンのような耳当てをしていて珍しいと思う。

 まあ、ここは特別な土地幻想郷。不思議な格好の奴なんてたくさんいる。

 ただそれは別にして、気になることが一つある。

 

「なあ。太子様とやら、すごい寝癖がついているぞ。教えてやったほうがよくないか?」

 

 俺は布都に小声で訊ねてみた。

 そう、太子様の頭の上には獣の耳と見まごうほどに、二か所大きく髪が跳ねていた。まるで俺たち動物妖怪みたいである。

 

「馬鹿者、真殿。あれは寝癖などではない。太子様は人々を救い、導く者。それ故に人々の声を聞き漏らさぬよう自然と、耳を模したあのような髪型になったのだ。ああして耳当てをしているのも、聞こえすぎるからというためのものであるのだぞ」

 

 ぷんすかと、怒るような擬音が聞こえるような態度で布都が言う。

 耳のように見えたのはあながち間違いでは無かったようだ。とはいえ失礼なことを言ってしまったので、謝った。

 

「そうだったのか。すまなかった」

「……と、我は勝手に思っている。実際のところはよく知らん。でも寝癖ではなかろう、多分」

 

 謝って損した。なんだ、作り話か。

 

「布都、聞こえていますよ」

 

 いつの間にか太子様が俺たちの前に立っている。言葉遣いは丁寧だが、気のせいか、あまり穏やかな様子ではない。まあ、自分のことで変な話をされたら誰でも楽しくは無いだろう。

 

「布都、聞こえてるってよ」

「そうであろう。私の話の後半部分、聞こえすぎるというのは本当であるからな」

「今この場で動揺ひとつしないってすごいなお前」

「他にも太子様には、十人の訴えを同時に聞いて全てを聞き分け、全員に的確に答えたという逸話も残っておるほどだ」

「まだ続けるのか。どこかで聞いたことのある話だな」

 

 調子の変わらない布都に感心しつつも、今の話が少しだけ頭に引っかかった。

 誰の話だっただろうと数秒考える。思い出した、聖徳太子の逸話である。

 

「ん? ということは……」

「その通りです。豊聡耳(とよさとみみ)様のこと、お気づきになられたみたいですね」

「本人なのか? 疑うわけじゃないが、性別は男だと思っていたんだが」

「女というだけで侮る輩は多いものですから。人々にはそう思わせておいた方が都合がよかったのです」

 

 青娥の話を聞いて、そういうものかと俺は思う。

 ともかく目の前にいるのは本物の聖徳太子らしい。かぐや姫も実際にいたのだ、存在を疑うことも無いだろう。

 

「私の紹介は、布都ではなく青娥に頼んだほうが早かったですね」

「太子様、そんな」

「……しかし、とんだ有名人が幻想郷にいたもんだ。驚いた」

「ふふふ、そうだろう」

 

 布都と話している太子様の代わりに、屠自古が誇らしい表情をしている。よほど慕っているのだろう。布都の保護者というイメージが強かったため、新しい一面を見た気分だ。

 

「真は太子様が復活したとき来なかったもんな。異変解決とかでいろんな連中が来たんだが」

「ああ、多分そのころ俺は、外の世界でうだうだやってるころだろうな。そうそう外の世界でも、聖徳太子は未だに有名だぞ。たしか紙幣の肖像になってたはずだ」

「紙幣の、肖像? 太子様が?」

「ああ。ちょうど今持ってるな。ほら、これだ」

 

 外の世界で偶然手に入れ、使うに使えないままずっと持っていた聖徳太子が描かれている一万円札。それを取りだし屠自古に見せた。目の前にいる太子様とは似ても似つかない人物が描いてある。

 

「わっ、本当だ! 外の世界の金って今はこんなのになってるのか……。さすが太子様、このお姿もかっこいい」

 

 しかし屠自古的にはアリなようで、瞳を輝かせながらお札の肖像を眺めている。彼女を尊敬している故なのだろうが、人の好みというのは分からないものだと俺は思った。 

 

「いいなあ、これ。真、物は相談なんだが、これを私が持つ同額のお金と交換して……って、一万円なのかこれ!? 高っ! さ、さすがにそんな大金は……」

「欲しいのか? だったらやるよ」

「ほ、本当か! ……い、いや待て、さすがにこんな高価なもの、タダでもらったら悪いだろ」

「どうせ幻想郷では使えないんだ、タダみたいなもんだろう。それに外の世界じゃあ一万円は、目の回るほどの大金ってわけじゃないしな」

「そうなのか? いや、しかし……」

 

 なかなか折れてくれない屠自古に、じゃあ布都にでもあげようかと俺は言う。それで屠自古は観念したように、万札を持つ手を引っこめた。しかし小さく笑みをこぼしたのを俺は見逃していない。

 

「ありがとう。この恩はまた別の形で返すから」

「それは楽しみだ。まあ、期待しないで待ってるよ」

「布都が大切にしてる皿とかどうだ」

「ほんとに期待してない物が来たぞ。さすがにいらん。つーか人のだし」

 

 なんにせよ、これで屠自古からの評価はあがったことだろう。それが俺にとっての報酬みたいなものだ。

 知らない相手からの評価はどうでもいいが、知り合いからの評価は気になる俺である。どうせなら高いほうがいい。高すぎたらそれはそれで嫌なのだけど。

 

 屠自古と笑い合って会話していると、太子様がこちらまでやってくる。布都への小言は終わったらしい。そう言えば紹介してもらっておいて、この人とは会話をしていない。

 

「君は狐の妖怪だそうですね。とてもそうは見えませんが」

「よく言われる。人里にいることだし尻尾も出してないしな。でも今は、一応これをつけてるんだが」

 

 面に指をかけつつ俺は言う。祭りが終わってもこの面はしばらくつけているつもり。少なくとも俺が飽きるまでは。

 

「本当だ、祭りで買ったのか? いいな、狐妖怪らしくて」

「へへ、そうか?」

「子どもが遊びでつけるやつじゃなくて、ちゃんと彫られたお面だな。もうちょっとよく見……」

「屠自古。仲良くするのはいいですが、気をつけなさい。この男は欲に(まみ)れています」

 

 太子様に声を掛けられ、屠自古の動きがピタッと止まる。

 なんだろう、いきなり非難を受けた気分だ。もしかしてあの髪型を寝癖呼ばわりしたことを未だ許してくれてないのだろうか。

 

「欲に? この男……真が、ですか?」

「ええ。一つ一つは小さいですが、その量は最たるものでしょう。聞く限りでは屠自古、貴女に対する欲もありますよ」

「え、私?」

「そうです。話したいとか触れたいといった微々たるものですが」

「そうなのか? 真」

 

 さあ? と俺は答えた。いきなりそんなことを訊ねられても返答に困る。とりあえず言えるのは、話す程度の知り合いだったら、そんなの誰でも持ってる感情なんじゃないかということだ。

 むりやり理由をつけるなら、俺が話をするのが好きだからとか。

 それと屠自古は亡霊になって足が無くなり、そのぶん頭の位置も下がった。それでふわふわした髪の毛が目について、触ってみたいと思ったためにそういう欲が漏れたとかだろうか。

 

 それにしても、なんでいきなり欲の話を始めたのだろう。そう考えていたら布都が来て、太子様は相手の欲が見える、聞けるのだと教えてくれた。なるほど、さとりみたいな能力があるわけだ。

 耳がいいと言っていたし、もしかするとそこらへんも能力に関係しているのかも知れない。

 

「私に対する欲……な、なんか照れますね」

「ああ、彼、布都にも同じような欲を持っています。貴女たち、それなりに好かれているみたいですね」

 

 ほら。だからそれは、誰でも持ってる欲なのだろう。

 量が多いのは、俺が長く生きているからに違いない。長く生きているとそれだけ楽しいことを知っているから、そのぶん欲も増えるのだ。

 

「なんだ、布都もか……」

「どうした屠自古、がっかりしたような顔をしおって」

「べ、別に。私は太子様一筋だ。残念だなんて思ってないぞ。いやまあ、布都と同じ程度ってのは残念だけどな」

「その点に関しては同感である。てっきり真殿は我にめろめろだと思っておったからのう」

「どっから来るんだその自信」

 

 布都と屠自古がなにやら話し始めたと思ったら芳香が来たので、俺はそっちのほうに気を持っていく。

 あげたりんご飴は種まで綺麗に食べ終えたようだ。頬についてしまっている飴を、俺は着物の袖で軽く拭う。

 

「うまかったか?」

「おいしかったぞー。しかしまだまだ物足りない。だから真は、芳香にもっと何かを食べさせてあげるべきだと思う。あーん」

「まいったな、あとはアリスから貰ったおからクッキーくらいしか」

「おから。たくさん食べられる芳香にはピッタリだなー。こうなれば芳香も百人力だー!」

「どういう意味か分からんが、食べたいならそのまま口をあーんしとけ。よし、いい子だ」

 

 残り数少ないクッキーを、芳香の口に放り込む。

 百人力の意味が分からなかったのでこっそり能力で調べてみたところ、おからと苧殻(おがら)をかけたギャグだったようだ。

 たくさん食べる(イコール)多財餓鬼で、そこから餓鬼に苧殻ということわざに繋げたというわけ。意味は鬼に金棒の逆なのだが、あえて鬼に金棒のように使うという間違いを含めた高度なボケらしい。分かるかそんなの。

 

「屠自古がそこまで言うなら、真殿の欲がどちらが大きいか、我が占ってやろうではないか。よし、牡鹿の肩甲骨を持ってこい!」

「ねえよ! あと、布都がやる占いだけに、太占(ふとまに)って分かりにくいんだよ毎回!」

 

 こう見えて、実はお前相当賢いだろ。そういう気持ちを込めて、すごいなと言いつつ芳香の頭を撫でる。

 

「……どうやら彼の中では、芳香に対する欲が一番大きいみたいですね」

「まあ。あの殿方も、芳香ちゃんのかわいさを十分理解できてるのね。うふふ、嬉しい」

「……まさか芳香殿に負けるとは」

「言い争ってたのが馬鹿みたいだな」

 

 もっと撫でろと芳香が俺に身を寄せてきて、そのまま抱き上げてしまいたいと思ったが、青娥の手前なので我慢する。俺はまだこの保護者と全然信頼関係を結べてないのだ。芳香への過剰な愛情表現は自重すべきことだろう。

 

 手持ちの食料も全て尽きたことだし、ここらで(いとま)乞いさせてもらうことにする。勇儀たちも待っていることだし。もしかしたら酒飲みに夢中で待っていないかも知れないが、待っていてくれたら嬉しいと思う。

 

「あら、もう行ってしまわれるのですか? よかったらいつでも芳香ちゃんに会いにきてくださいね」

 

 俺についてこようとする芳香を抱きすくめつつ青娥が言う。

 

「ああ、絶対行く」

「あら、思った以上に素直なお返事。もう少し曖昧に答えるかと思いましたが」

「欲塗れだとバラされたんだ、ならもう取り繕う必要もあるまい」

 

 そう言うと俺は、右手を上げて立ち去った。

 このときは何も思っていなかったが、一人で歩いているうちに、言われてみれば確かに俺は、相当な欲塗れだなと思った。いつだって自分の欲に忠実で、自分のことしか考えていない。それで異変も起こしたことがある。

 

 そして、霊夢が亡霊になってから、ときどき思うことがある。霊夢や幽々子が亡霊になったのは、俺が望んだからそうなったのではないか、と。

 だってそうだろう。巨大な妖力を持ちながら、『答えを出す程度の能力』なんていう便利な力を持ちながら。あの二人を死なせてしまうなんてことありえないだろう。能力を使っても答えが出ない、なんてことありえないだろう。

 

 だからあれは、答えが出さないことが()()()()()最善策だったから、本来可能な二人を助ける答えが出なかったのではないか。別れたくないと思うあまり、亡霊となって共にいられる未来を、俺が選んだのではないか。

 

 そう思うと、確かに俺は欲塗れだな。知ってたよ。いつも自分の都合が最優先してる。 

 

「お兄さん」

 

 とり憑いていた紫苑が出てきて俺に声をかけた。考え事をしていたせいか、人通りの少ない道を進んでいたらしい。

 

「ごめんね。お兄さんの持ってる食べ物もお金も無くなっちゃった。私が一緒にいたからだ」

「……もしかして、屠自古や芳香にあげたことを言ってるのか? あんなの俺が勝手にしたことだろう。それにあの程度、無くなったところで別段俺は気にしない」

「そう? じゃあこれからも、変わらずお兄さんに憑いてていい?」

「とりあえず仕事に慣れるまでな」

「お兄さんには欲が無いね」

 

 違うぞ紫苑。俺は誰よりも欲張りだ。それ故に俺の都合で、今お前はここにいる。

 そう言いたかったが、俺は言葉を飲み込んだ。紫苑の持つ誤った俺への評価を守るという、俺自身の欲のために。昨日も同じことを思ったっけ。

 

 再び俺にとり憑き、消えようとしていた紫苑を引き止め、変化で服を着物に変える。うん、かわいらしい。いい加減紫苑も自分の足で歩いたほうがいい。

 この後連中と酒を飲んだら、酔った勢いで勇儀の服を着物に変えてしまおう。俺は欲塗れな男だからな、見たいものは仕方ない。

 開き直った頭で、俺はそんなことを考えながら歩みを進める。紫苑が慌てた様子でついてきた。まるで二本の足で歩くのが久しぶりだと言わんばかりに。

 

 


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