東方狐答録   作:佐藤秋

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第五十三話 リグル・ナイトバグ

 

 何度もあった宴会騒動もなりを潜め、季節は本格的な夏に突入する。異変の犯人だった萃香は、そのまま博麗神社に居ついてしまった。自分に勝った霊夢が気に入ったのか、もう鬼のいない妖怪の山に住むのに飽いていたのかは分からないが、萃香は昼間から神社で酒ばかり飲んでいる。霊夢が真似して酒ばかり飲むようにならないか心配ではあるが、今のところその兆候は見られない。酒は特別な日か、もしくは沢山の人が集まったときに飲むものだということを霊夢は理解しているようだ。

 

 冬には妖怪のレティ・ホワイトロックに、春には妖精のリリーホワイトに、それぞれの季節を代表するような存在に俺は出会っている。それでは夏を象徴する存在と言えばなんだろうか。夏は怪談の季節であるが、特定の妖怪が夏のイメージを持つことはしていない。俺も今まで会ってきた中にも、夏の妖怪と呼べるべき存在は見ていないと思う。

 

「夏の妖怪ですか? そうですねぇ……いることにはいるんですが、少々危険な妖怪でして…… 興味本位で行かれるのはオススメしませんが……」

 

 人里で偶然であった阿求にその話を聞いてみると、幻想郷には夏の妖怪がいるらしい。生憎その妖怪に出会って無事に帰った人間がおらず情報が不足していているため詳しくは分からないようだが、その妖怪は"太陽の畑"というところに住んでいるということだ。

 太陽の畑というと、博麗神社から見える黄色い景色をしたところである。あの辺りにはまだ行ったことが無かったな、興味も出てきたし行ってみよう。

 阿求が言うには少々危険な妖怪らしい。その忠告はありがたく聞いておくが、それは俺が直接見てから判断する。地底でも土蜘蛛の噂は実物とかけ離れたものだったという経験があるし、最終的にその者を評価するのは自分であることを忘れてはならないのだ。

 

 

「へぇ……ここが太陽の畑か。黄色く見えたのはこの向日葵のせいだったんだな」

 

 というわけで早速太陽の畑までやってきた。上から見た情報によると、いま俺が見ている向日葵たちはほんの一部、実際はこの奥にもずーっと向日葵が並んでいるようだ。

 しかしこれほど大きな向日葵畑を見ると、ある一人の妖怪を思い出す。むかし紫と旅していた途中で出会った、気弱だったが優しい妖怪。彼女もこんな向日葵畑に住んでいたな。確か名前は……

 

「……それにしてもこの向日葵、背が高いな。背伸びした俺でも届かない……」

「こっらーそこの人間! 幽香さんの大事な向日葵に近付いて何してる!」

「ん?」

 

 俺の身長は平均的だ、恐らく五尺七寸(約175cm)程度。幻想郷の少女たちよりかは高いが霖之助より低い。もともとはもう少し低く、初めて勇儀に会ったときに角をいれると勇儀とほぼ同じ高さだったのだが、それを嫌だと思ったのか妖怪の山に住んでいる間に少しだけ身長が伸びたのだ。

 しかしこの向日葵は俺よりも背が高いようだ。近くによって背比べをしようとすると、遠くから声が聞こえてきた。声のほうを見てみると、短い緑の髪をした子どもが飛んできている。頭に触角が生えているところを見るとどうやら妖怪のようだが、コイツが阿求の言っていた危険な妖怪なのだろうか。萃香のような例があるため見た目は当てにはならないのだが、それにしてもあまり強そうな気がしない。

 

「すぐにそこから離れろ人間! その花に指一本でも触れたら、私は容赦しないからな!」

 

 どうやらかなりご立腹な様子だが、それにしてもそこまでの妖力を感じない。というかこの子の性別はどっちだろう。ズボンを穿いていて髪は短く、それに声も高いとなると、子どもは性別の判断がつきにくい。一人称が私ということは女だろうか。もういい、それに賭けることにしよう。

 俺は少女の言う通り向日葵から離れたが、誤解されたままは嫌なのでとりあえず言い訳させてもらいたい。

 

「いや……確かに勝手に近付いたのは悪かったけど、俺は別にこの花に何かしようとしていたわけじゃ……」

「リグルー? 大きい声を出して、何かあったの?」

 

 少女に事情を説明しようとすると、向日葵の奥から別の声が聞こえてきた。向日葵が邪魔で姿は見えないが、落ち着いた女性のような声だ。

 

「幽香さん! 侵入者ですよ侵入者! 人間の男がこの花に近付いて何やら怪しい動きをしてました!」

「……へぇ」

 

 ぞくり。

 

 夏だというのに背中に妙な悪寒が走る。なんだこの妖力、そこら辺の木っ端妖怪とは格が違う。こっちのヤツが阿求の言ってた危険な妖怪だ、間違いない。

 

「……誰だか知らないけど、随分自分の命を軽く見ているようね。いいわ、それなら……あら?」

「いや! 待ってくれ待ってくれ! 俺はまだ何もしてないし何かしてやろうと思ってもない! ただちょっとした興味本意で……」

「……真?」

「……へ?」

 

 向日葵の陰から件の妖怪が姿を現す。事実はどうであれ確実にコイツは怒っている、なんとか弁明して許して貰わないと……と思った矢先、俺の名前が呼ばれた気がした。

 改めてそこの妖怪に目を向けてみれば、先ほど思い出していた知っている顔がそこにはあった。そういえば今、この少女も名前を呼んでいた気が……

 

「……幽香?」

「あっ、こいつ幽香さんのことを呼び捨てに……私でも呼んだこと無いのに…… 何やってるんですか幽香さん! 早くこの男に制裁という名の鉄槌を……」

「ちょっと黙ってリグル。 ……久しぶりね真、そこで何をしてたのかしら?」

「……え、幽香さんこの男のことを知ってるんですか?」

「ええ」

 

 現れたのは幽香だった。リグルと呼ばれた少女の興奮が、驚きによって一瞬無くなる。

 

「……幽香、とりあえずその殺気を無くしてくれ。誤解だ、俺は花たちに何かしようとなんてしていない」

「あら、ごめんなさい。そうよね、真がそんなことするはず無いわよね、ふふふ……」

「と、当然だ」

 

 先ほどその殺気をモロに受けたので、その笑顔もなんだか怖い。一刻も早く幽香の怒りを鎮めるために俺は事情を説明した。

 

 

「…………というわけだ。俺も紛らわしい行動を取って悪かったよ」

「……そう。まぁそんなことだろうと思ったわ。リグルったらそそっかしいんだから……」

「……えー、幽香さんはこの胡散臭い男の説明を信じるんですか?」

「信じるも何もそれが事実だからな」

「そりゃあ信じるわよ。花たちもそうだって言ってるんだから」

「「……あっ」」

 

 そうだ、幽香は花たちの言葉が分かるのだ。俺が事情を説明しなくても、幽香なら分かっていたに違いない。幽香は俺の説明を信じたわけでも、リグルと言う子の説明を信じなかったわけでもない。花たちの言葉を信じただけだ。幽香の中では俺のほうが信頼が強いとか思って少し喜んでしまったじゃないか。

 

「えっと……変な勘違いしちゃってごめんなさい。人間は滅多にここに来ないと聞いていたから……」

「いや……勝手に入ったから侵入者というのは間違いでもないし仕方ない。俺のほうこそ悪かった」

 

 誤解が解けて、リグルが頭を下げてくる。きちんと謝ってこられたら、俺も謝らざるを得ない。

 

「俺は鞍馬真という。人間に化けてはいるが狐の妖怪だ。幽香とは昔の知り合いでな。えーとリグル……でいいんだよな? リグルは幽香の友達かな?」

「あ、申し遅れました。私はリグル・ナイトバグという……まあ蟲の妖怪です。私は幽香さんの「別に友達とかじゃないわ。花の香りに勝手に引き寄せられてきたタダの虫よ」うう……」

 

 リグルが涙目になっている。いや、互いに名前で呼び合う程度の間柄なのに虫呼ばわりはひどいだろう……リグルは蟲の妖怪らしいが。

 しかし幽香の性格が昔と同じ優しいままならば、これは単なる冗談だろう。紫にだって軽口を飛ばしていたし、むしろそれなりの信頼関係があるからこそ叩ける軽口だ。

 

「虫……ナイトバグ…… その触覚、リグルは蛍の妖怪か?」

「……! 分かります!? そうです私は蛍です!」

 

 変にリグルのテンションがあがる。蛍だと分かってもらえて喜ぶことがあるのだろうか。

 

「やっぱり。俺は夏の妖怪を見に来たんだけど、幽香より夏の妖怪っぽいな」

「……私、人里じゃあ夏の妖怪だと思われてるのね。確かに夏に一番行動してるけど……」

 

 こればっかりは人里のイメージだし仕方が無い。リグルも幽香も冬だって普通に生活していると思うが、夏に一番見かけるためにそんなイメージがついたのだろう。

 

「幽香さんは夏が一番輝いてますから! 沢山の花に囲まれている幽香さん……なんて素敵な風景……」

 

 リグルが幽香をフォローする。フォロー……できているのだろうか? リグルは少し上を向いてうっとりとした表情をしている。

 

「……えらい幽香に懐いてるな。なにかあったのか?」

「……さぁ」

「私が幽香さんと知り合ったのは数年前の夏のこと……あの日は茹だるような暑い日でした……」

「真も紫に幻想郷まで連れてこられたの?」

「ん……まぁある意味そんなところだ」

「無視!?」

 

 リグルがなにやら話を始めようとするが、幽香がスルーして話しかけてくる。長くなりそうな気がしたし、そこまで興味も持ってなかったので助かった。

 

「幽香も紫に?」

「ええ。私があの向日葵畑から離れないって言ったら、あそこの土地全部ここまで移動させてきたわ」

「だよな。ここには昔向日葵畑なんて無かったし…… そうか紫がまるごと運んできたのか……」

 

 俺の記憶によれば、幽香のいた向日葵畑はここよりかなり離れたところにあったはず。それゆえ俺はこの太陽の畑に訪れたときに、幽香がいるとは思わなかったのだ。

 少し考えれば分かるものだったな。せめて阿求から、妖怪の名前だけでも聞いていれば……

 

「……まったく、紫ったら強引なんだから……土地を移動なんかさせたら、周囲の環境が変わるから花たちに負担がかかるのに……」

「……そりゃ大変だったな」

 

 すまん、と心の中で謝罪する。紫をそういう風に育てたのは俺だ、やりたいことはやればいい、と。それだけ紫にとって幽香は大きい存在だったのだろう、多分初めての友達だったと思う。

 

「まぁでも紫のその強引さがあったから、幽香も助けられたんじゃないか?」

「……そうね。弱かった私を育ててくれた、その点だけは感謝してるわ」

「えっ! 幽香さんにも弱かった時期があったんですか!?」

「…………」

 

 幽香がしまったという顔をする。昔の幽香は今よりも内気な性格をしてたから、進んで話したくないのは当然だろう。

 

「……リグル、今の話は聞かなかったことにしなさい。いいわね?」

「え……幽香さんの昔の話とか私とっても聞いてみたいん……」

「いいわね?」

「はい!」

 

 ニッコリと笑う幽香を見て、リグルが両手を揃えて気を付けをする。幽香はチラリと俺も見てきたので、変なことはしゃべるなということだろう。昔のことを話したがらない部分は紫とよく似ているな。俺だって昔のことは進んで話す気はあまり無いが。

 

「さて、真。久しぶりに会ったのだから立ち話もなんだし落ち着いたところで話しましょうか」

「ああ、そうだな」

「ついてきて。私の家まで案内するわ」

 

 幽香がくるりと後ろを向いて、そのまま歩き出す。俺はその後ろをついていくと、隣に並んだリグルが話しかけてきた。

 

「真さん……でしたね。幽香さんとは随分親しいようで」

「ん、そう見えるか?」

「ええ。幽香さんが家まで案内するくらいですし、それに真さんと話しているときの幽香さんの表情は、心なしかいつもより穏やかなような……」

 

 まぁ嫌われてはいないと思うが……紫のついでみたいなもんだしな俺。

 

「あら? リグル、貴女は別に呼んでないのだけれど。引き続き侵入者が来ないかの見張りと、花たちに集る害虫の駆除をしてていいわよ」

「そ、そんな幽香さん!」

 

 うふふと優雅に幽香が笑う。

 俺から見たら、リグルのほうがよっぽど幽香と親しく見える。こういった冗談が言える程度の間柄であり、紫との関係に近いと思う。実際のところ親しさの優劣なんか幽香はつけていないんじゃないか。隣の花は赤い。リグルは幽香を慕うあまりそう見えてしまうだけなのだ。

 

「……リグルは害虫の駆除をしてるのか? 同じ虫じゃないのかよ」

「幽香さんの花に害をもたらすヤツらなんて同族じゃありません」

「なるほどなー。まぁ人間だって争うし、同族とかあんまり関係ないよな」

「……さぁついたわ。紅茶をとってくるから適当に座って……あら、リグルまだいたの?」

「幽香さん!?」

 

 話していると幽香の家らしき建物についた。外には大きい傘のついた白いテーブルがあり(ガーデンパラソルというらしい)、丁度椅子も三つある。俺はそのうちの一つに座って、紅茶を淹れに行った幽香を待つことにした。

 

 程なくして、幽香が紅茶を持って戻ってくる。勿論リグルも幽香の冗談を真に受けず、若干挙動不審になりながらも椅子に座り、幽香が持ってきたカップの数が三つであることにホッと胸を撫で下ろしていた。

 

「さ、どうぞ」

「ああ、ありがとう」

「いただきます幽香さん!」

 

 紅茶に口をつけると、程よい甘みが口の中に広がる。個人的には緑茶のほうが好きだが、これもかなり美味しいものではないだろうか。こあの淹れた紅茶に匹敵する。

 

「美味い……けどどうしたんだこの紅茶、人里まで買いに行ったのか?」

「いいえ、お茶の木に分けてもらったの。だいいち、人間に恐れられている私が、軽々と人里まで行けるわけ無いじゃない」

「あ、そういえば危険な妖怪だって説明されたな」

 

 確か阿求の説明だと、太陽の畑に近付いて無事に帰った人間はいないとか言っていた。しかし幽香が自分から人間を襲うなんてことはありえない、どうせ人間がなんかしたんだろ。

 

「なんだ、人里に行きにくいならついていってやろうか? 別に危険じゃないって分かりゃあ人間も過度に怯えたりしないだろ」

「そうね……でも」

「そうだ幽香、阿求に会ってみるのはどうだ? 幻想郷の妖怪について纏めているヤツなんだけど、阿求に話せば人里の人間も幽香に対する誤解も無くなるって」

「え? いや別に、恐れられてるなら恐れられてるで、ここに人が来ないから都合がいいんだけど……」

「きっと阿求喜ぶな~。危険だと思っていた妖怪の情報を聞けるんだし、その上危険じゃないって分かるんだから……」

「真!」

「ん?」

 

 幽香がいきなり大声を出す。別にそんなに大きい声を出さなくても聞こえてるが。

 

「別に私は人里に行きたいわけじゃ……」

「あ、リグルもついでに阿求に会うか?」

「聞きなさいよ!」

「聞いてるよ。別に幽香の意見はどうでもいいんだよ、俺が人里での幽香の評価に納得がいってないだけだ。あと阿求を幽香に会わせたい」

「なんという自分勝手な……そういうところ紫にそっくりね」

「照れる」

「誉めてないわよ!」

 

 なんにせよ、阿求と幽香を会わせるのはもう俺の中では決定事項だ。まず幽香を人里までつれていくのは難しそうなので、阿求を太陽の畑まで連れてこようかな。

 そんなことを考えながら、俺はもう一度紅茶に口をつけた。

 

 

 

 

 後日、人里で阿求に会ったときに、太陽の畑まで行って無事だったのか尋ねられた。幽香は花を傷付けられること以外では無害な妖怪であることを説明し、共に太陽の畑まで行くことを約束した。

 

 その後、たまに人里の花屋で幽香を見かけるようになったのだが、これはまた別の話である。

 

 


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