俺は一人森の中に佇んでいる。周りを見渡しても誰もいない、今この森にいるのは俺一人。近くに人がいないのではない、世界中のどこにも人は存在しないのだ。
動物なら探せばそこらじゅうにいるだろうが、ヤツらとは意思疎通が出来ない。木々が揺れる音や動物たちの鳴き声により少し騒がしいこの森で、俺は孤独を感じていた。
日が昇っている間はまだ我慢できる。しかし太陽はいずれ沈んでしまい、そうなると森は静寂につつまれてしまうのだ。
日が沈み、周囲には夜の帳が下りてきた。俺は木によりかかり目を閉じて、早く朝が来るようにと眠る努力をする。
一人は嫌だ、一人は寂しい、一人は怖い。
風が木を揺らす音に驚き身を縮める。百年以上生きてるのに今さら夜が怖いなんて笑えない。
誰か、誰かいないか。心の中で叫んでも、近くに誰もいるはずがない。妖怪たちは皆死んでしまったし永琳は月に行ってしまったのだ。
一体いつになったら人間は現れるのだろうか。能力を使えば分かるのだろうが、もしそれで最悪の答えが出てきたら…… 俺が死ぬまで永遠に一人きり、そう告げられるのが怖くて怖くて仕方が無い。
一体いつまで俺は一人なんだ。怖い、嫌だ、寂しい。怖い、嫌だ、寂しい。怖い、嫌だ、寂しい…………
「……夢か」
目を覚ますと博麗神社の天井が目に入る。まだまだ外は暗く、太陽は昇る気配が無い。
ずいぶんと昔の夢を見ていたようだ。永琳たち地上の人間が月に行き、地上で一人ですごした千年間のその初め。あのころは毎日訪れる夜が本当に怖かった。
「……」
気を取り直してもう一度寝ようと試みる。しかしどうにも眠れない。
一人は寂しい。
とっくの昔に慣れたものだと思っていたが……思い出してしまうと、こうも心細く感じてしまうものなのか。
「……少し風に当たってこよう」
このまま布団の中にいても気は紛れない。別のことで頭がいっぱいになるように、俺は自分の部屋を出ていった。
縁側まで行ってみると、萃香が大の字で寝転がっていた。まだまだ季節は秋とはいえ、夜中の時間は少し冷え込む。こんな状態で寝ていたら風邪を引くだろ、鬼が風邪を引くかは知らないけどさ。
「う~ん…… もう飲めないよ……」
「どんな寝言だ……」
食いしんぼうならぬ飲みしんぼうみたいな萃香の寝言を聞き流しながら、変化で作り出した布団を萃香に掛ける。風邪を引こうか引きまいが、このまま放っておくことはできない。
布団を萃香に掛ける際にふと、萃香の腰についている瓢箪に目がいった。俺が萃香にあげた、無限に酒を生み出す瓢箪だ。おそらく中には今も瓢箪いっぱいの酒が入っている。
「……悪いな、少しもらう」
俺は萃香の瓢箪を手にとって、蓋を開けそのまま一口飲む。鬼の酒は強いが、味はかなりの一級品。俺でも飲もうと思えばある程度は飲める。
勝手に飲むのは忍びないが、朝になったらまた瓢箪いっぱいになっているだろう。バレなければいいんだこんなのは。
俺は更にもう一口酒を口にする。酔うのは気を紛らわせるのに丁度よかった。
萃香の寝顔を肴に、ゆっくりと酒を胃に流し込む。仰向けに寝るヤツは悩みが無いって聞いたことがあるが、萃香も悩みの無さそうな寝顔だな。というか萃香は角が邪魔して、横向きで寝るのは難しそうだ。これだと寝返りも打てないんじゃないだろうか。
「……う、う~ん……」
「……ぷっ。打てるのかよ」
萃香は角が邪魔しないよう、器用に寝返りを打ってうつ伏せになる。かわいらしい寝顔が見えなくなったのは残念だが、見ていて飽きないヤツだなぁ。
カタ……
「ん? 誰かいるのか?」
背後でなにやら物音が聞こえた。聞き間違いかもしれないほど小さい音。
こんな深夜に、もしかして泥棒だろうか。生憎この神社に金目のものはあまり無いが……一応見に行くことにする。俺は音が聞こえた方向に向かって、明かりもつけずに歩いていった。
「たしかここらへんに……」
「きゃっ。 ……真? まだ起きてたの?」
「……なんだ霊夢か」
台所のほうに行ってみると、台所から出てくる霊夢とぶつかりそうになった。音の正体は霊夢だったか、まぁ一番考えられる人物だったな。
「ちょっと目が覚めてそこにいてな。音がしたから泥棒かなーと思って」
「……そ。私は喉が渇いたから水を飲みに来ただけよ。 ……ふわぁ~ぁ」
霊夢が口に手を当てて大きくあくびをする。まだまだ深夜なのでもう一度寝なおす時間だろう。こういった真夜中に目が覚めてもう一度寝る時間はいいものだ、なんだか得した気分になる。とはいえ俺は眠れないので逆に少し損した気分だが。 ……あ、そうだ。
「また寝るのか?」
「ええ、もちろん」
「だよな。じゃあ一緒に寝ないか?」
「……へ?」
このまま萃香の寝顔を見て朝まで過ごすのもいいが、霊夢と一緒ならもう一度眠れるんじゃないかと思って聞いてみた。いきなりだっただろうか、霊夢はポカンとした顔をしている。
「わ、私?」
「うん」
「……誰と?」
「俺と」
「同じ布団で?」
「霊夢がいいならそれで」
「……な、なんで?」
「なんで? えーと……一人で寝るのが寂しいからかな」
うん、丁度いい言葉が出てきた。一人で眠れないとか怖いとか言ったら、違わないんだけど違うニュアンスが伝わりそうだ。ただ近くに誰かがいてくれればいい。
「……い、いいわよ……」
「? どっちだ?」
「……一緒に寝てあげるって言ってんの! こ、今夜は冷えるからね!」
「そっか。ありがとな」
冷えるから、か。夏じゃなくて助かったな。
ぼちぼち毛布を出す季節か。そんなことを考えながら、俺は霊夢の手を引いて自分の部屋に戻っていった。
部屋に戻り狐火でかすかな灯りをともす。部屋の真ん中には、少し前まで俺が寝ていた布団が敷いてあった。
この布団だったら俺が足を伸ばしてもはみ出ない、霊夢なら余裕で収まるだろう。俺は自分の枕の横に、変化で霊夢用の枕を作り出す。
「じゃ、寝るか」
「……」
「ほら、霊夢」
「お、お邪魔します……」
俺はさっさと布団に入り、霊夢のスペースを作って布団を持ちあげる。霊夢は珍しくおずおずした態度で俺の隣に入ってきた。お邪魔しますって霊夢お前……自分の住んでる場所で言うのは珍しいな。
「……よっ」
霊夢が布団に入ったので、俺は持ち上げていた布団をおろす。いま俺と霊夢は互いに向き合っている状態だ。霊夢の顔がよく見える。
それも束の間、ともしていた狐火を消すと視界が一気に真っ暗になった。
「……ねぇ、真」
「ん、どうした?」
「何かあったの?」
「……どうしてそう思った?」
「……別に、いつもと何か違う気がして」
暗闇の中で、近くから霊夢の声が聞こえてくる。いつもと違う、か。霊夢もなかなか鋭いな。他人にあまり関心を示していないようで、その実見ているところはしっかり見ている。
とはいえ怖い夢を見ただけなんて言えるわけもない。適当に誤魔化してしまえばいいか。
「……ふーん。別に何も無いけどな」
「……本当に?」
「本当だ」
「……嘘ね」
霊夢が一言で断言する。なぜバレた、霊夢には嘘発見器でも搭載されてるのか。
「本当だって。ああ、さっき少し酒を飲んだからそのせいとか?」
「……それも嘘。酔ってるのは本当みたいだけど」
ピンポイントで霊夢が嘘を見抜いてくる。さとり並みの読心能力だろこれ、いくら俺でもそこまで嘘が下手なはずはない。
「……霊夢」
「なに?」
「えい」
「きゃっ」
何を言っても通じないので、力ずくで誤魔化すことにした。手探りで目の前にいる霊夢の体に触れ、そのまま両腕で抱き寄せる。さながら霊夢を抱き枕のように、俺の腕の中に包み込んだ。
「……何すんのよ」
「……」
「……」
「……あー、霊夢?」
「……なに?」
「嫌だったら離すけど」
「……嫌じゃない」
さすがに誤魔化し方が無理やり過ぎたと自分でも思う。なのに霊夢は嫌がるそぶりも見せず、そのまま俺の胸に額を当てた。
……こんな良い子に嘘をついて誤魔化すなんてかっこ悪すぎるぞ俺。遠回しにでも説明するべきじゃないか。 ……とはいえどう説明したものか。
「……なあ霊夢」
「……なに?」
「……霊夢は、俺がここに来る前は神社に一人だったんだろ?」
「……そうだけど」
「……いつから一人で住んでるんだ?」
腕の中で動かない霊夢に、小さい声で尋ねてみる。言っておくが誤魔化そうとしているのではない。説明するなら俺の気持ちを少しでも理解して欲しいので、今の質問はその土台作りだ。
「……覚えてないわ。物心ついたときにはもうここに紫に連れてこられてたみたい」
「……ふーん。それじゃあ霊夢の両親は?」
霊夢は妖怪ではない、人間である。人間なら必ず産みの親は存在するが、霊夢はその存在を匂わせない。先ほどの答えからほとんど答えは予想できるが、それでも俺は聞いてみた。
「……知らない。私は紫がどっかから拾ってきたみたいなの。だから私は幻想郷で産まれたかどうかも分からない。もしかしたら紫が外の世界から連れてきたのかもね」
「……そうだったのか」
予想通りというべきか、霊夢には両親が存在しないらしい。一年以上一緒にいて一度も親に会わなかったのだ、そうだと思うのは当然だろう。身も蓋もない言い方をすれば、霊夢は捨て子ということだろうか。『攫ってきた』ではなく『拾ってきた』と形容する以上はそういうことだ。
霊夢は人間から見ても、まだまだ幼い少女である。それより昔から霊夢はこの神社に、両親も無く一人で住んでいたのだ。一体どんな気持ちだったのだろう。
「……寂しく、なかったのか?」
「……別に。紫や藍がいつもいたし、少ししたら魔理沙も遊びに来るようになったからね」
「……そうか。強いな霊夢は」
少しだけ霊夢を抱きしめる力が強くなる。霊夢の今の言葉は強がりだろうか、いや本気でそう思っているのかもしれない。
「……俺もな、自分の親のことをよく知らないんだ」
「……え?」
「正確に言うと、産まれてすぐに家族から捨てられた。妖怪だったからかな、産まれた瞬間から俺は人語を話したせいで気味悪がられたんだ。まぁ家族っつっても狐だし、言葉をしゃべる子どもなんて気味悪がられて当然だよな」
「……へぇ……」
まだ暗闇に目が慣れていないので分からないが、霊夢は少し笑っているように思えた。何で笑っているのかは分からないが、同情がほしいわけではないから構わない。
「で、まあこの話は置いといて……」
「置いとくの?」
「うん。そんでいろいろあって妖怪の友達とかたくさんできたんだ」
「……一気に端折ったわね」
端折ったのは自分でも重々承知だ。しかし俺の本当に話したいことは別にある、こんなところを長々と話すつもりはない。
「ある日のことだ。人間たちの仕業で俺以外の妖怪が全員死んで、人間たちも全員どこか遠くに行ってしまった」
「……は? なにそれ、急展開過ぎない?」
「まぁそんなことがあったんだよ。そんで千年ぐらいずっと俺は一人ぼっちだったんだ」
「……そ、それはまた……」
「で、まぁどんなオチかというと…… そのときのことが夢に出てきて思い出しちゃってな。無性に一人が寂しくなったというか……」
……言っちまった。ほんの少しとはいえ今まで誰にも話したことがなかった昔の話を、会って一年くらいしか経ってない少女に。話さざるを得ない状況だったとはいえ恥ずかしいな。
「……笑っていいぞ?」
「……ふふふ、笑わないわ」
「笑ってんじゃん」
「笑ってないわよ。 ……ふふ」
今回は暗くても確実に分かる、霊夢はどう考えても笑っていた。笑っていいって言ったのは俺だけどさ。
「えへへー…… そっか一人は寂しかったのかー。仕方ないから一緒に寝てあげるわよ」
「ああ、ありがとう」
俺の腕の中にいる霊夢もまた、自身の腕を俺の背中に回してくる。触れている部分から霊夢の体温が伝わってきて温かい。安心できる温かさだ。
「今は、ずっと私が一緒にいるから」
「……うん」
「……だから、真もずっと一緒にいてね」
「……ああ」
そう答えて霊夢を抱きしめたまま目を閉じる。
お互いの心臓の鼓動が聞こえるほど密着したまま、俺たちは抱き合って眠りについた。