久しぶりの守矢神社に帰ってきて泊めてもらったその翌日、俺は諏訪子たち三人とともに守矢神社で朝食を食べていた。どうやら今日は休日であり、早苗の学校は休みのようだ。昨日早苗が両親に"友だちの家に泊まる"と伝えていたことから、休みなのは当たり前だったかもしれない。
早苗は何度も守矢神社で寝泊まりした経験があるらしく、今日の朝食も早苗によって作られたものだ。早苗がいないときは諏訪子と神奈子の食事はどうしてるのだろうか。あの二人が料理をしている姿は、どうにも想像できないのだが。
「諏訪子様、そこに座っていたら真さんがご飯を食べにくいでしょう? 席はまだ空いているんですから、そっちで食べたらどうですか?」
「いーの! ね、真!」
「ああ。心配しなくても全部食べるよ」
「真さんがいいならいいんですが……」
諏訪子を膝に乗せた状態で、早苗の作った朝食を食べる。俺がパンよりもご飯派だという話をしたからだろうか、朝食はご飯と味噌汁だった。
確かにとても食べにくいのだが、あまり急いで食べることもあるまい。諏訪子が自分の分を食べ終えてから、俺は自分の分を食べるとしよう。
なに、洗い物くらいは自分でするさ。俺は泊めてもらっている立場なのだから当然だ。
「やれやれ、昨日から諏訪子は真にべったりだねぇ…… まぁ真がここにいる時間も限られるだろうし気持ちは分かるけど。真はどのくらいここにいるつもりなんだい?」
「ああ、えーと……最大で三ヶ月くらいかな。そのくらいには戻らないといけない」
俺がいつまでここにいるのかというのは、家主の一人である神奈子にとって至極当然の疑問である。どのくらいまで置いてもらえるのだろうか、一応最大日数だけを伝えておこう。
俺が外の世界にやって来たのは、橙の修行のご褒美である海の魚が目的だ。期限は橙の修行が一段落つくまでなので、さすがにそれ以上は長居できない。
「ええー、三ヶ月? 短いなぁ……」
「これでも長いほうだと思うんだが…… いま住んでるところもあるにはあるし、あんまり待たせるわけにはいかないからなぁ」
俺が博麗神社に住むようになってからは、それだけのあいだ留守にするのは初めてだ。まぁ今は博麗神社に萃香もいるし霊夢自身しっかりしてるから、そこは特に心配していない。それでもやはり橙のために、一度は幻想郷へ戻らなければ。
「待たせてる、ですか。真さんはどこに住んでるんですか? ここよりもかなり遠い場所だとか」
「幻想郷っていう、人間と妖怪が共存している国なんだが…… そこは遠いとかじゃなくてな、全体が結界で覆われてるんだ」
「幻想郷…… 聞いたこと無いですね」
「まぁ、だろうな」
早苗には俺が妖怪であることはバレているのだ、今さら隠す必要も無いだろう。幻想郷は人間に忘れられたものが行き着く場所なので、早苗が知らないのも当然だ。
「……幻想郷……?」
「まさか真からその名前を聞くとはね……」
「あれ? お二人は知ってるみたいですね」
早苗が知らないのとは裏腹に、神の二人は幻想郷という名前に反応する。紫曰く幻想郷は、外の世界の人間以外の存在にはそこそこ有名らしい。それにしても二人の反応……ただ知っているというだけでなく、他にも何か関係がありそうな口ぶりだ。
「どうかしたのか?」
「……食事中にする話じゃないけどまぁいいか。真はさ、今の守矢神社を見て何か思わなかった?」
「え? えーと……」
諏訪子が持っている箸を置き、振り向いて俺に話しかけてくる。食事中にする話ではない? 結構真面目な話になるのだろうか。
今の守矢神社について思うこともよく分からなければ、どうしてそれが幻想郷に関係あるのかも分からない。少しだけ諏訪子の意図をはかりかねていると、神奈子がその答えを先に口にした。
「正直、昔と比べて古くなっただろ。神社全体があまり綺麗じゃないというか……」
「え、そうなのか? 古くなるのは当然として、結構綺麗だと思ったけどな」
「昔と比べてって言っただろ。これはこの神社に参拝する客がどんどん減っているからで…… 今の時代は神の存在を信じる人間がどんどん減ってきてるんだ」
「……あー、確かに……」
確かに昔と比べると、今の守矢神社には人がいる華やかさが減った気がする。入り口にある神社の名前もかすれて読めないし、参拝客もほとんどいないんだろう。端的に言うと、寂しくなったという印象を受けた。
「それでね……信仰が少なくなってくると、私たちも今の姿を保つのは難しいんだ。忘れられたものが最後に行き着く楽園……幻想郷のことは風の便りで知っていたよ。だから私たちが消えてしまう前に幻想郷に移住してしまおうかってことを、何度か考えたことがあったのさ」
「なるほど…… 今はそんな時代か、大変だな」
外の世界では、妖怪の存在が信じられなくなっているのと同じように、神の存在もまた希薄なものとなっているようだ。幻想郷は、外の世界で幻想となったものが流れてくる場所。神の二人がこの場所について知っているのは必然だったのかもしれない。
「ねぇ、真はどうやって幻想郷に帰るんだい?」
「ん? ああそれは、この左腕に巻いてるリボンを使えば幻想郷までの
「へー…… ちょっといい?」
「ん、ああ」
諏訪子が俺の膝の上から身を乗り出し、左腕に巻いているリボンに触れる。これはかつて紫から貰ったスキマを作れる道具であり、今回またあらためて紫が使えるようにしてくれたのだ。確か幽々子の起こした異変のときぐらいに、もう使えなくなっていた。
これを使えば、紫がいなくても幻想郷まで帰ることができる。なお、ケチなことに一回分のスキマしか開くことができないので、今後気軽に外の世界に出入りすることは不可能だ。
「……ふーん…… これを媒体にすれば、今の私たちでも幻想郷に行くことは可能……かな?」
「どうした? 触ってなんか分かるもんなのか?」
「まぁいろいろね。 ……うん、決めたよ。私たちも真についていって幻想郷に移住しよう」
「……は?」
「あー、いつか来るとは思ってたけどこのタイミングかー。やっと決心がついたってところだなー」
本当に飯時にするような話じゃないことを、諏訪子と神奈子があっけらかんと話している。そんなことを簡単に……いや前から考えていたようではあるが、すぐに決めてしまってもいいのだろうか。
幻想郷に住民が増えることに関しては問題無い。紫もよくキリッとした顔をして「幻想郷は全てを受け入れるのよ」とか言ってるしな。
しかし問題はそこじゃないだろう。諏訪子と神奈子が幻想郷に行くとなると、外の世界に残される……そう、早苗は一体どうなるのだろうか。
「……となると出発はいつ?」
「真についていくんだから三ヵ月後かな?」
「ちょ、ちょっと待ってください! 一体どういうことですか!」
早苗がバンと両手をテーブルに叩きつけ、食器類がカチャンと音を立てる。やはり早苗にもこの話をするのは初めてなんだろう。いきなり二人が遠くへ行く話を聞かされれば、動揺するのも当然だ。
「……どういうこと、ねぇ…… まぁそういう時期が来たってことだよ。昔から言ってただろ? ある日突然早苗の目にも私たちの姿が見えなくなるかもしれない。私たちの力が少なくなって、早苗の前で実体化できなくなる日が来るかもしれないってさ」
「そ、そうですけど……でも……!」
「今回はその前に別のところに行っちゃおうって話なわけだが……時期があらかじめハッキリしてる分マシじゃないか? 今日まで早苗が私たちのことを覚えていてくれたことは嬉しいよ。でもこれはいつか起こることだったんだ」
「イヤです! 私はお二人と離れたくありません!」
早苗がそう言って、話していた神奈子のほうを見ながら立ち上がる。落ち着かない様子の早苗と比べて、神奈子はいたって冷静だ。早苗を一瞥しながらも目の前の朝食をつまんでいる。
「モグ……んなこと言ってもなー。そりゃ私だって早苗とは一緒にいたいけどさー」
「"私"じゃなくて"私たち"ね神奈子」
「だから私もお二人についていきます! 幻想郷には真さんもいるんでしょう? それなら迷うことはありません!」
「……へ?」
神奈子が箸を口にくわえたまま、目を真ん丸くして動きが止まる。さすがの神奈子も、早苗のこの発言は予想外だったのだろう。"行かないでください"じゃなくて"私も行きます"という、二人の意志を尊重しているあたり早苗もなかなかいい子だと思う。
ちなみに俺はなんとなくかやの外なので、一人で黙々と朝食を食べ進めていた。おいしい。
「え、早苗も来るの? やったぁそれなら……」
「ちょ、待ちな諏訪子!」
脊髄反射で喜ぶ諏訪子を、我に返った神奈子がすかさず止める。諏訪子が俺の膝の上で動くものだから、もう少しで味噌汁をがこぼれるところだった。あぶない。
「……あのねぇ早苗。こういうのはその場で決めるもんじゃない。もう少し時間をかけてゆっくりと決めるもんだ」
「……神奈子様は私がついていくのが嫌なんですか?」
「い、いや、そりゃ勿論ついてきてくれたら嬉しいけど……」
「じゃあいいじゃないですか!」
「……ああもう! 真からも何か言ってやってよ!」
「ん?」
神奈子がいきなり俺に話を振ってくる。昨日諏訪子を怒らせて泣かせた俺に何を話せと言うのだろうか。発言力は無いかもしれないが、とりあえず思ったことを言っておく。
「……とりあえず早苗は座っとけ、食事中だ」
「あ、はい」
「……まぁ、まだ実行するまで時間はあるんだし、神奈子が言う通りゆっくり考えたほうがいいんじゃないか? 早苗は残される立場の気持ちになってるんだろうが、ついていくとなると残す立場になるわけだ」
「……!」
「難しい立場だとは思うが、後々後悔しないようしっかり考えておかないとな。いずれにせよ、いま何かを言ってても仕方ないだろ」
言うべきことを全部言った後、朝食を食べることを再開する。これは早苗が選択すべき物事のため、俺に言えることはこれ以上無い。早苗が選択する上で俺に聞きたいことがあるならば、それはそれで答えるが。幻想郷での生活において気になることとかな。
「そ、そう! まさに真の言う通りだ! 早苗の選択は今度あらためて……私たちが出発する前日まで待とう。そこで早苗が選んだほうには、私も文句は言わないからさ!」
「……分かりました」
早苗も今の言葉の中に少なからず思うことはあったのだろう。神奈子の最後の言葉を聞いて早苗はひとまず素直に頷いた。やはり自分も行くとなると、こちらに残していく人たちのことが気にならないはずが無い。
やれやれ昨日の夜に続いて今日の朝も変な空気になってしまった、こういう空気は苦手なんだよなぁ。とはいえ俺が言うことなど何も無いし、放っておいても三ヶ月後には結果は出るのだ。
早苗がどちらを選択するのは気になるところだが、今そのことを気にしても仕方無い。そう思い俺は考えるのをやめ、噛んでいた朝食を飲み込んだ。
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早苗が、幻想郷へついてくるか現代に残るか選択肢を与えられてから三ヶ月。あの日から早苗は毎日のように守矢神社に訪れていた。
俺は俺で寝泊まりは守矢神社でさせてもらったが、昼も守矢神社でぼーっとしていたわけではない。いろんなところに足を運んで外の世界を堪能していた(もちろん海の魚もちゃんと手に入れた)。
早苗が毎日守矢神社に来るものだから、早苗と神二人のふれあいを邪魔したくないと思ったのかもしれない。毎日来るということは、二人との最後の思い出を作るために来ていた可能性が大いにある。二人もなんとなくそう察していたのだろう、夜になると少しだけ二人の背中は寂しそうに見えた。
さぁ、とうとう早苗の答えを聞かされる日が訪れた。二人に気を使って俺は席を外したほうがいいのかもしれないが、一応俺も早苗とお別れになるのだから最後の挨拶はしておきたいところだ。
俺たち三人は守矢神社の賽銭箱の前で、早苗が来るのを今か今かと待っていた。
「……あー、落ち着かない。神奈子、早苗にプレゼントとか用意しなくてよかったのかな?」
「それなんだが…… 早苗は真に、記憶を消すことができるか聞いてたみたいなんだよ。私たちのことを忘れてしまうなら、渡しても邪魔になるというか……」
「「……」」
「……すいませーん! 遅れましたー!」
「「!!」」
ようやく早苗が登場し、諦めムード満載だった二人の背中に緊張が走る。お前ら、そんなに別れるのが辛いなら無理やりにでも連れて行けばいいだろうに。そんなことを考えないあたり、二人が早苗を本当に大切に思っていることがよく分かる。
「なぁ諏訪子、あれ……」
「うん……」
早苗の今の格好に、神奈子が小声で反応する。やってきた早苗の両手には、一つの大きい紙袋が下げられていた。
……これはあれか、俺が守矢神社を出て行くときにも諏訪子と神奈子にプレゼントを残したように、早苗も準備していたのだろうか。つまるところ遠まわしのお別れ宣言である可能性が大いにある。二人もそうだと思ったのだろう、この場の空気が更に重くなった気がした。
「……っはー、重かった! ……じゃあ真さん」
「ん、俺か?」
早苗は紙袋を地面に下ろし額の汗を拭った後、俺のほうを向いてきた。なんだろう、俺の分もあるのだろうか。うぅむ、嬉しいが俺は二人の前座みたいなものだろう。さっと受け取って後は二人に任せるとする。
「はい、これ!」
「ああ、ありが…… ん?」
早苗は下ろした紙袋を再び持ち上げると、中から何も取り出すことなく紙袋ごと俺に手渡してきた。あれ、全部俺にくれるのだろうか? ……ああ、三人で分けてください的な……
「それ私が向こうに持っていく荷物なんで、変化の術で真さんが持っててください!」
「……は?」
「あ、中に着替えとかも入ってるんであまり見ないでくださいね?」
「あ、ああ……」
早苗に言われた通り、受け取った紙袋を一枚の木の葉に変化させる。 ……いやいやいや、そうじゃないだろ俺。そんなことをする前に、早苗に聞くべきことがあるはずだ。
「さ、早苗……?」
「? なんでしょう?」
「……お前、幻想郷までついてくるのか?」
「はい! 三ヶ月前からそう言ってるじゃないですか!」
早苗がポカンとした顔をしている俺たちに向かって、それはもう元気よく言い放つ。いや確かに言ってたけどさ、俺と神奈子が考える時間あげたじゃないか。何のために今日まで待ったと思ってるんだ。見ろ、諏訪子だってきっと呆れて……
「わぁ! 早苗本当についてきてくれるの!? やったぁぁああ!」
なかった。諏訪子は早苗の言葉を聞いてすぐさま、早苗に駆け寄って抱きついている。よっぽど嬉しかったのだろう、諏訪子の目には少し涙が浮かんでいた。この前は怒って泣いて、今は喜んで泣いて、諏訪子って結構泣き虫だな。
「さ、早苗、本当にいいのかい? 両親や学校の友だちと別れることになるんだよ?」
神奈子がしどろもどろになりながらも、早苗の選択を再三にわたり確認する。いいぞ神奈子、それが普通の反応だ。早苗の選択がキチンと考えた上でのものなのか、今一度確認しなければならない。
「大丈夫です! 実はこのまえ真さんに、特定の人物に関する記憶だけ消せるかどうかを聞いたんですけど……」
「あ、そ、そうだよ! だからてっきり……」
「どうやら可能みたいなので、こちらで私に関わった人たちから私の記憶を消してもらうことにしました! ほら、そうすれば何も問題無い!」
「は、はぁー!?」
神奈子が早苗の言葉を聞いて叫び声をあげる。確かに記憶云々の話は早苗に聞かれたが……あれは早苗の中の諏訪子と神奈子の記憶を消すものだと思っていた。別れを寂しく思うのならば、その相手のことを忘れてしまえば問題無い。それも一つの選択肢だと思い前向きに答えておいたのだが、早苗はその一歩先を行きやがった。
「……さ、早苗は本当にそれでいいのかい?」
「はい! もう何度も考えましたから!」
「自分のことを忘れられるって、早苗はそれで寂しくないの?」
「それはもちろん寂しいです。なのでもし真さんが可能だったら、私からも残していく人たちの記憶を消してもらおうかと。当然知識は残したままで。真さん、できますか?」
「あ、ああ多分……」
早苗は早苗なりに、今回の選択についてしっかり考えてきていたようだ。そうなるともう俺も神奈子も、早苗に言えることは何も無い。元より早苗の選択には、口を出さない約束である。
「……ねぇ、予定じゃ明日出発だけどさ、早苗の気が変わらないうちにもう出発しようよ」
「いいですよ! 私はもう準備万端整ってますし!」
「……まぁ、私たちも日に日に力は落ちてるから、少しでも早いに越したことはないけど……」
三人が三人、一言呟いて俺を見てくる。いや、俺も別に出発することに異論は無いけどさ……今から俺は早苗に関する記憶をどうにかしないといけないんだよ。それに早苗自身の記憶についても。早苗に協力できることはなんでもしてやると決意した手前、中途半端な仕事はできない。
くそう早苗め、余計な手間を…… 準備万端という言葉を、正しい意味で使ってやがる。
「……分かったよ。『早苗の記憶を消す方法』!」
『答えを出す程度の能力』を使い、俺のやるべき具体的な方法を導き出す。 ……ふむ、どちらも変化の術の応用でなんとかなるみたいだ。
まずは早苗自身の記憶からいこうか。俺は早苗の頭に右手を乗せ、尻尾を九本顕現させながら変化を使う。
「……?」
「じっとしてろよ…… はぁっ!」
早苗の中に残る知り合いの記憶を、赤の他人レベルまで落とさせてもらう。一度すれ違っただけの人間に二度と会えなくても気にしないだろう? 早苗の両親や友だちに関する認識をそのレベルまで変化させたのだ。
いずれ変化の術の効果は切れるが、そのころにはもう記憶として定着しているだろう。記憶に矛盾もまったく出ないし、とりあえず一つ目は完了だ。
「さ、早苗大丈夫? 私たちのことが分かる?」
「分かりますよ? というか何も変わった気がしませんね」
「当然だ、かなり丁寧にやったからな」
さて、次は現代に残る早苗の関係者たちの記憶である。早苗と同じ方法を一人ひとりに実行するわけにもいかないので、ここはまた別のアプローチだ。俺は右手を早苗の頭に乗せながら、左手を何も無い空間に向ける。
「……
「? 何を言ってるんですか?」
「……ちょっとやってみたかった」
「あ! 早苗がもう一人!」
冗談もそこそこに、左手から変化の術を使ってもう一人の早苗を創り出す。変化の術では生命体を創り出すことは不可能だ。これは俺の妖力を元に創られた、受け答えができる早苗そっくりの人形だと思ってくれていい。人間ではなく哲学的ゾンビみたいなものだ。
この早苗には、今までの早苗の代わりに現代で生活してもらう。そして徐々に徐々にその妖力を失っていき、違和感の無いようにフェードアウトしてもらうのだ。これにより家族や友だちの記憶の中からは、早苗の記憶は消えていく。分かるヤツには分かると思うが、灼眼のシャナのトーチみたいなものだ。
「……ふぅ、終わり」
息を吐き出して、右手を早苗の頭から離す。かなりの妖力を消費したが、これで早苗の望みには完璧に答えられたはずだ。
それにしても早苗のヤツ、結構な決断をしたものだと思う。人の記憶から自分の存在を消去して、自分の記憶から人の存在を消したこと。これは早苗が今まで生きてきたという記録を消したということとほとんど同義だ。
俺はこの早苗の選択に、少しだけ既視感を覚えた気がした。しかし記憶の操作などを試みたのは今回が始めてである。俺は単なる気のせいだと思い直し、最後の作業に進むことにした。
「終わったの? それじゃあいよいよ出発といこうか」
「ですね! 私に何かお手伝いできることはありませんか?」
「早苗は見ているだけでいいよ。多分早苗は、いるだけで成功率があがるから」
「……あー、キツい」
神奈子と諏訪子の二人がそれぞれ、俺の左腕に手を乗せる。最後に残っていることは勿論、幻想郷への移動である。
俺一人分のスキマを開いて戻るのとは規模が違い、新たに増えた三人だけではなく守矢神社ごと移動させようという試みだ。先ほど大きく妖力を消費することを二回もやって、まだ俺を働かせるつもりか。
今回は神二人の協力があるとはいえ、またしても妖力を大きく消費するのは間違いない。『答えを出す程度の能力』を併用して、神社を移動させても大丈夫な場所を模索する。
「早苗、揺れるから私たちに掴まって!」
「はい!」
「! 見つけた! 一気に飛ぶぞ!」
うまく三人の力を合わせ、神社ごと幻想郷まで転移する。揺れが大きい、それほど大規模な試みである。幻想郷のどこに移動するかは分からないが、能力を使っているため安全だということは保障できる。
現代においてほとんど忘れられた存在であった守矢神社。今この瞬間において守矢神社は完全に、外の世界からその存在を消し去った。