東方狐答録   作:佐藤秋

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第九十二話 地霊殿②

 

 深い深い穴の中に、重力に身を任せて落ちていく。外の世界でのバンジージャンプなんて目じゃないくらい全身に感じる浮遊感。自分で宙に浮くのとはまた一味違う、人によっては吐き気を感じてしまうような、無重力のような何かを感じていた。

 長い長い時間のように思えて、もしかすると物凄く短い時間だったかもしれない。落ちながらふと、前世のころに学校で覚えた物理の公式を思い出す。確か自由落下では、十秒程度で五百メートルほどの距離を落下してしまうんだったっけか。このまま落ちていくと地面にぶつかってしまうかもしれないと少し不安になった俺は、落ちるスピードを減速させた。

 実際には空気抵抗もあるのでそれほどのスピードは決して出ないし、仮に地面にぶつかっても鬼に全力で殴られたほうが絶対に痛い。まぁしかし心配するに越したことは無いだろう、なにより痛いことは嫌いである。痛いことが好きなヤツなんているんだろうか?

 

 今回俺が地底に来たのは言わずもがな、博麗神社に噴き出している間欠泉をどうにか鎮静化させるためだ。しかし折角地底に来たのなら、()()()に何かしてくのもいいんじゃないかと考える。

 具体的には、外の世界のお土産を地底の連中に渡したり、地霊殿にて温泉に浸かったりなど。霊夢が宴会から帰ってくる前に全てを終わらせるとなると、いささか時間が足りな過ぎる気もするが。

 

「……いや待てよ……神社に戻るのは少しくらい遅れてもいいんじゃないか……? 間欠泉が噴き出したことも隠し通せたらとは思ってたけど、そのことはバレても問題無いし…… 間欠泉を止めることは急いでやるにしても、その後は一日くらい地底に残っても別にいいんじゃ……」

「……ずいぶん独り言が多いねぇ…… まぁわざわざ地底に来ようなんて考える人間なんだ、陰気なのは予想できたけどさ」

「む?」

 

 今から俺がすべきこととできることの確認を口に出して確認していたら、それに割り込んでくるように別の声が聞こえてきた。陰気とはまた失礼な。俺は頭の中で考え事をすると思考がすぐに明後日の方向へ行ってしまうため、それを避けるための呟きだというのに。まぁ人里で目立たないように普段尻尾を隠したりしている俺としては、陰気と言われても仕方ない気もするが。

 

「やっほー。こっちだよこっち」

 

 声は俺の耳のすぐ近く、少し上方向から聞こえてくる。途切れたり震えたりすることなくはっきりと声が聞こえたということは、声の主も俺と同じようにゆっくりと落下しているということだ。はて、紫にも華仙にも振られた俺は一人で穴に飛び込んだはずだが、一体誰の声だろうか。

 

「……うおっ」

「やあ」

 

 声の主を探そうと振り返った瞬間、目が合った少女に挨拶される。声が聞こえた時点で誰かがいることは予想できていた。声の大きさからすぐ近くにいることも分かっていた。にもかかわらず俺が驚いた声を上げたのは、逆さまになった頭が俺の目の前にあったからだ。

 

 宙に浮くときにはこれといって決まった姿勢は無い。妹紅はポケットに手を入れたまま立ったような姿勢でゆっくり飛ぶし、魔理沙は箒に跨って速く飛ぶ。霊夢なんかは体を水平方向にして飛んでることが多いようだ。

 このように、宙に浮く姿勢にはいろいろあることは知っているが、だからといって振り向いた先に頭を下にして飛ぶ少女がいたら、驚いてしまうのは当然のことじゃないだろうか。

 

「……やあ、じゃないよ。おどかすんじゃないよまったく……」

「あら、意外と落ち着いた様子じゃない」

 

 少女は、つまんない、とでも言いたげな表情で、体を縦にくるりと半回転させる。足を真下におろすときに、足首に何やら糸が巻き付いているのが少し見えた。どうやら先ほどの逆さま状態は宙に浮いていたのではなく、足に巻き付けた糸を伸ばして一緒に垂れてきていただけのようだ。

 吊るされた男(ハングドマン)ならぬ吊るされた少女(ハングドガール)。登場にこそ驚いたが、正体さえ分かれば落ち着くのはさほど難しいことじゃ無い。自分の糸を使って恐怖を演出したその少女の正体は、かつて地底で仲が良かった妖怪の一人、土蜘蛛の黒谷ヤマメだった。

 

「……やっぱりあれかね。もうすぐ死ぬって人間は肝が据わっちゃうものなのかな」

 

 同意を求めるような感じではなく、独り言のようにヤマメはそう呟く。こいつは一体何の話をしているんだ。呟きの内容もさることながら、顎に手を当てて俺の顔をジロジロと見てくるヤマメに、俺は少しだけ違和感を覚えていた。

 

「……なんだ急に。もうすぐ死ぬってどういうことだ」

 

 ヤマメの目を見つめ返し、俺は疑問を口にする。話に脈絡が無さ過ぎてどこから突っ込めばいいのやら。ヤマメは俺に並んで等速で落下しながら、ごめんごめん、と前置きをして言葉を続けた。

 

「いや、こうして地底に人間が来るのは滅多に無いことでね? なんでも地上じゃあ、地底は危険な場所の一つに数えられてるそうじゃないか。そんなところにわざわざ足を運んでくるなんて、死にたがりなのかなって思っただけだよ」

 

 ……ふぅん。と、ヤマメの説明に鼻で息を吐いて返す。なるほど、ヤマメの言いたいことはよく分かった。確かに、危険と言われているような場所に物事の分別がついている大人が来ているとなると、自分の意思で来たと思うだろう。自分の意思で危険な場所に来た以上、死にたがりだと思われるのもあるかもしれない。

 しかし俺が分かったのは、そんな小さなことではなく……

 

「(ヤマメのヤツ、俺のことに気付いてないな……?)」

 

 脳内で小さく憤慨する。先ほどから人間の話をしてると思ったら、第三者じゃなくて俺のことか。ヤマメは俺のことを単なる人間だと思ってるから、道理で話がおかしいわけだ。地底で過ごしてきたときとの姿とは違い今は尻尾も耳も隠しているため、俺のことに気付かなかったのだろう。

 頭に引っかかっていた違和感と疑問の正体が、一気にはじけて全てを瞬時に理解できた。分からなかったことが一気に分かるアハ体験はなんともスッキリできるものだが、こんな微妙な気持ちになるアハ体験は初めてである。 

 

「……はぁ」

「おや、どうしたんだい溜め息なんかついて。生きることに疲れて、やっぱり死ぬつもりで地底まで来たの? 大丈夫だよ、来世ではきっといいことがあるさ」

 

 アハハと楽観的に笑いながら、ヤマメが俺の背中をポンと叩く。

 なんていうか、全部違う。自殺しに穴に飛び込んだんじゃないし、仮にそうだったとしても慰め方がいろいろおかしい。来世じゃなくて今世に希望を見出してはくれまいか。

 

「……そこは、命を粗末にするな的なことをいうところじゃないか?」

「ああ、その点に関しては大丈夫。こう見えて私もれっきとした妖怪でね。アンタの血や肉から骨にいたるまで私が全部美味しくいただいてあげるからさ、決して命は粗末になんかならないよ。地霊殿の猫は霊になっても利用するし、本当に人間は使えない部分が無くていいもんだね」

 

 屈託の無い笑顔をしてヤマメが言う。見事に大丈夫な点が見つからない。霊になっても利用されるなら、来世でいいことあるって話も無くなるじゃないか。せめて来世に行かせてほしい。

 

 はぁ、と脳内でもう一度溜め息をつき、ここからはもう見えなくなった天を仰ぐ。ヤマメが俺のことに気付かなかったのは残念だが、これは仕方の無いことだったんだ。耳や尻尾は出してないし、髪の色も少し変わるから。俺だって成長して白髪になった妹紅と再会したときは気付かなかったし、小さくなっていたルーミアにも気付かなかったし、格好が変わった映姫にも気付かなかった。

 そう、だからヤマメが俺に気付けなかったことを気にしたって仕方が無い。先ほどのヤマメの失礼な発言は全て不問にして、俺が真であることをバラしてしまおう。気付かれなかった程度で腹を立てるほど、俺の心は狭くないのだ。

 

「……」

「ん、どした?」

 

 改めて、俺はヤマメの目をジッと見つめる。さて、バラすとは決めたがどうやってバラそうか。遠回りに言っても効果は薄そうだし、やはり直接『俺は真だ』と言うのが手っ取り早いと思う。

 

 まず俺が「おいヤマメ、少し話を聞いてくれ」と口にしたとしよう。するとヤマメは「あれ、アンタに名前教えたっけ」と返してくるはずだ。

 そこですかさず俺は「ああ。だいぶ昔、俺が地底に住んでるときにな。まったく、少し姿を変えてるくらいで気付かれないとは、なかなかにショックだよ」、と苦笑いしながら尻尾と耳を顕現させる。そうすることでヤマメは「うわ! 真だったんだ、気付かなかったよ!」と驚いてからの軽い謝罪をしてくるのだ。

 

 どうだ、俺の完璧な計画。これで俺が笑って許せば昔の関係に元通り。間違っても捕食者(妖怪)エサ(人間)の関係なんかじゃない。

 ……よし、この作戦を実行しよう。俺はヤマメに向きなおり、言葉を出すために軽く息を吸い込む。

 

「……おいヤマ「ヤマメー。こんなところで何してんの?」……」

 

 吸い込んだ息が、割り込んできた別の声により無駄にされた。誰だ、俺の完璧な計画の邪魔をするヤツは。

 振り返ると、緑髪の少女が目に入る。どこからか吊るされた桶から顔だけ覗かせる、奇妙な姿をした少女だ。

 

「キスメじゃん。アンタこそどうしたのよこんなところで」

「へへー、ヤマメの声が聞こえたから気になって来てみたの。いったいどうしたのこの人間」

 

 緑髪の少女、正体は釣瓶落としの妖怪、キスメだった。キスメは俺の姿をチラリと見て、「ヤマメの食料?」と首をかしげる。

 

「いや、さっき地上から降りてきた人間みたいだよ。まぁそれも間違ってはいないけど」

 

 ヤマメが、間にいる俺を無視してキスメに答える。間違いも間違い、大間違いだ。その関係にならないように今から説明しようとしたというのに、なんというタイミングで現れてんだこの幼女め。

 しかも、どうやらキスメも俺が真だと気付いていない様子である。初対面の相手に涙目で怯えるほどの人見知りの癖に、今の俺に対しては単なる人間(エサ)としか見ていない。こんなところでキスメの妖怪らしい一面を見ようとは。

 

「ふぅん。でもこの人間、あんまり美味しそうじゃないね」

「まぁそうだね」

 

 そう言って、二人は顔を見合わせる。食料扱いでも十分ひどいのに、美味しそうじゃないってなんだその言い草は。いや、美味しそうって言われて嬉しいかと言えば別だけど。なにヤマメも同意してんだ。

 

「……お前ら」

「うわ、しゃべった」

 

 キスメが驚く。そりゃあしゃべるだろ、生きてるもの。俺は無視して言葉を続ける。

 

「……俺を食べる話が進んでるみたいだが、生憎(あいにく)俺はお前らに食べられてやるつもりは無いからな?」

 

 前にいるヤマメの方を見ながら後ろにいるキスメに聞こえるように俺は言う。特にヤマメなんか、まだ俺のことを自殺しに来た人間だと思ってそうだ。

 自殺なんかするつもりは無いが、仮にするなら俺はできるだけ苦しまない方法を取って死ぬと思う。間違ってもこんな得体の知れない穴に飛び込んで妖怪に襲われたくはない。

 

「そうなの? まぁどっちにしろ、人間が地底で長い間生き残れるとは思えないけど」

「そうそう。だから貴方が死んだときは、私たちが美味しく食べてあげるね」

 

 キスメのその台詞、さっきヤマメから同じようなこと言われたな。長い間友達をやってると思考言動が似るのだろうか。

 

 そりゃどうも、と一言返して俺は口を閉じる。ちょうど地面に着いたみたいだから、この二人は置いて別のところに立ち去ろう。

 俺が真だということを伝えられなかったのはもうどうでもいい。さっさとこの場を離れて一人になり、尻尾を改めて出すことで地底に来たのをやり直したかった。

 

 十数分ぶりに地面に足をつく。重力がズンと体にのしかかり、いつもの状態に戻っただけなのにいつもよりも体が重い気がした。もしかすると地底は地上よりも地球の中心に近いから、その分重力の影響が大きいのかもしれない。

 

 じゃあな、と、ヤマメとキスメの二人に告げて、俺はこの場から立ち去ろうとする。今さらもうこの二人と話すことなど何も無い。先ほども言ったが、俺は一人になりたいのだ。

 

「ちょっと待ちなよ」

 

 なのにどうしたことだろう、ヤマメが俺を呼び止める。今日のヤマメは会ったときから俺の予想を全部裏切ってくれる。

 

「アンタ、このまま旧都のほうに進むつもりなの? 止めといたほうがいいよ、向こうには凶暴な妖怪がわんさかいるから」 

「……なんだ、心配してくれてるのか?」

「いや。それでアンタが襲われたら、私がアンタを食べられないじゃん」

 

 まぁそうだろうな、と俺は思う。ずっと人間がいない地底で過ごした妖怪が、人間を心配するわけが無い。いきなり背後から襲って頭からバリバリ食べたりしないだけヤマメは常識的な妖怪だと思うが、やはりそんなヤマメにとっても人間は単なる食料なのだ。

 

「……言ったろ、俺はお前らに食べられてやるつもりは無いって」

「いやいや。つもりがあろうと無かろうと、私はアンタの命を無駄にしないって決めたんだよ。このまま行くならどうせ死ぬし」

「……いや、死なないから。百歩譲って死んだら食べていいけど、今回俺は死なないから」

「え? なんで死なないの?」

「え、何その問い、死んでほしいの? あ、死んでほしいのか」

 

 ヤマメとキスメ、両方にひどいことを言われている気がする。気がするというか事実だけど。

 なんにしても、二人は俺をこのまま進ませるつもりは無いようだ。俺が自殺者だったらおそらく問答無用で食べていたのだろうが、俺が自殺者じゃないと知ったためか変に問答を続けている。

 

 行く。行かせない。それでも行く。それなら私たちもついていく。お前たちはついてくるな。ねーねー、じゃあ面倒だしここで食べちゃおうよ。キスメはちょっと黙ってようか。

 

 今さら正体もバラせずさっさと一人になりたい俺と、積極的に食べようとは思ってないが俺を一人にして食べ損ねるのは勿体ないと考える二人。俺が人間だという前提条件が間違っている以上、互いの主張が平行線を辿るのは当然だった。

 しかしこの平衡状態は、一人の少女の登場により、あっという間に解決することになる。

 

「……分かった! それじゃあアンタが私と闘って、見事勝ったなら一人で先に進んでいいよ!」

「なるほどな。でも勝てる気がしないからそれも嫌だ」

「なんで私に勝つ自信も無いのに、一人で先に進もうとしてんのさ!?」

「そこはまぁ、いろいろと事情があってだな……」

「……ちょっとアンタたち、なに大声で言い争ってるのよ。ずっと遠くまで響いてたわよ。その有り余る元気が妬ましいわね」

 

 俺とヤマメが言い争っていると、第三者の声が俺たちの間に割って入ってきた。キスメの声、ではない。キスメは先ほどヤマメに黙るよう言われてから、忠実にその言葉を守っている。

 声のしたほうを見てみれば、目つきは悪いが綺麗な瞳をした、金髪の少女がそこにいた。

 

「パルスィ! 聞いてよ、この人間がさぁ!」

 

 現れたのは、金髪碧眼の少女、嫉妬妖怪のパルスィだ。そのパルスィに向かって、ヤマメは俺を指差しながら話しかける。あまり人を指差すのはいいとは言えない。

 

「人間? 珍しいこともあるもの……」

 

 ヤマメの指の動きにつられてパルスィが俺のほうに視線を移動させ、台詞が一瞬ここで中断される。中断したのは本当に一瞬のことであり、俺と目を合わせたパルスィは瞬時に別の言葉を吐き出した。

 

「……ってあら真じゃない。久しぶりね、尻尾が無いから後ろからだと分からなかったわ」

 

 ……おお、と俺の口から感嘆の声が漏れる。あまりに自然な動作で交わされる挨拶に、逆に俺は驚いて、久しぶりだなの言葉も返せない。

 

「……は? どうして急に真の名前が出てくるの?」

「え? いや、ここにいるじゃない。ちょっとだけ見た目は変わってるけど、貴方真よね?」

「…………は?」

 

 全世界が、停止したかと思われた。ヤマメとキスメは口を半開きにしたまま固まっており、俺は目をパチクリとしばたたかせる。俺が返事をしなかったせいで、パルスィもまた何もしゃべらない。

 私なにか変なこと言ったかしら、というようにパルスィが軽く首を傾げる。それを見て我に返った俺は、すかさずパルスィの手を取った。

 

「……え?」

「パルスィ……」

「あ、やっぱり真であってるのよね? 私の名前を知ってるし」

「……ありがとう。俺に気付いてくれたのはお前だけだよ」

「……はい?」

 

 パルスィが、綺麗な鋭い緑色の目を更に細める。確かに、パルスィの立場に立ってみたら、いきなりお礼を言われてわけが分からない状況かもしれない。しかし今の俺にとっては、顔を見られて自分を認識されるという当たり前のことが、それほど嬉しく感じられた。

 

「……いったい何がどうしたの? ヤマメとキスメはまだ固まってるんだけど……」

 

 困惑した様子で二人を交互に見るパルスィ。二人の口は先ほどの半開きの状態から、更に一回り大きくポカンという擬音が似合うほど目一杯縦に開かれていた。

 と、次の瞬間。

 

「「はああああああ!!?」」

 

 止まっていた二人の時が動き出す。耳を(つんざ)くような二人の声に、俺はパルスィから手を放し自分の耳をすぐに塞いだ。

 

「……う、嘘だ! こいつが真!? 見た目が全然違うじゃん!」

「え……そう? 少なくとも顔と服装は前と変わってないと思うけど」

 

 またも俺を指差して言うヤマメに、パルスィは困惑しつつも答える。いったいヤマメは何を(もっ)て俺を真だと判断していたのか。尻尾か耳か髪の色であることは間違いない。

 次いでその横でキスメが口を開く。

 

「よ、妖力だって感じないし、ヤマメが人間って言ってたし……」

「俺は人間だとは一言も口にしてないけどな」

「そ、そうだ! 貴方には真の、あのもふもふで素敵な尻尾がついてないじゃ……」

「尻尾というのはこれのことかな?」

 

 俺は尻尾を一本顕現させ、それに伴い髪の色が変わり頭に狐耳が生える。どうやらキスメにとっても、俺の俺たる所以(ゆえん)はこの大きい尻尾らしい。体積的には俺の体かそれ以上あることは確かだが、己の付属品に負けるというのはどうなんだろう。

 俺が尻尾を出したことで、ヤマメもキスメもこちらへ視線を注目させる。

 

「あ、あわわわわ……本当に真だ……」

「そんな……いったいいつから……?」

「えーっと、事情がよく飲みこめてないんだけど……アンタたち気付いてなかったの?」

 

 二人の反応から、パルスィが説明せずとも事情を察する。一目で俺だと気付いたパルスィにはにわかに信じられないことだろうが、この二人は今の今まで俺が真だと気付いてなかったのだ。

 地上の住人は俺が尻尾を出そうと俺が俺であることになんら疑問を持たなかったというのに、その逆のことをしただけで二人は俺という存在を見失った。まぁ特徴が増えるのと特徴が減るのでは勝手が違うような気もするが、パルスィが気付いたのならもはや言い訳は不可能である。 

 

「はぁ……ようやく面倒な誤解が解けた」

「し、真! どうして最初に言わないのさ!」

「言おうとしたさ。でも二人とも変な勘違いして聞こうとしないし。挙句、陰気だとか美味しくなさそうだとか言われたら、そりゃあ言い出しにくくもなるってもんだ」

「い、いやぁあれはキスメに釣られただけで、本当は結構美味しそうに見えてたと言うか……」

「私、美味しくなさそうだなんて言ってないよ! 美味しそうじゃ無いって言っただけで、食べられるなら喜んで食べるもん!」

 

 なんのフォローにもなってないが大丈夫だろうか。美味しそうだの喜んで食べるだの言われても、身の危険しか感じない。

 

「……じゃあ、私たちについてくるなって言ってたのは……」

「ああ、バラすタイミングを逃したから、いっそのこと隠し通そうと思ってな」

「私と闘おうとしなかったのは……」

「そりゃあ人間の状態だったら負けるだろうし。勝つつもりで尻尾を出したら俺に気付かれるからな」

「そ、そっか……」

 

 ヤマメの中でも、俺の取っていた変な態度の理由が氷解される。俺の都合のいいように言うならば、失礼な言動を取っていたヤマメたちを傷付けないように、俺は黙って立ち去ろうとしていたのだ。実際には少しだけ意地を張っていた部分もあるのだが。

 

「……でも、いつも尻尾を出してたんだから、真と気付くのは難しいって。そこの穴の中は少し暗いし……」

「……っていうか私は、ヤマメが人間扱いしてたから勘違いしてしまっただけで……」

「な! キスメアンタ、私が説明する前から真を人間(エサ)扱いしてたじゃん!」

「……とりあえずアンタたち。罪の(なす)り付け合いや言い訳をする前に、真に謝るべきなんじゃないかしら」

「「う……」」

 

 パルスィの言葉に、ヤマメとキスメは俺の顔を見て口ごもる。二人の行いを詳しくは知らないパルスィにしては至極全うなことを言っていると思うのだが、俺としては誤解が解けた時点でかなり満足しているため、謝る必要性など特に無い。俺は少し猫背になりつつも二人を見下ろして言う。

 

「なに、姿は少し変わってたんだし気付かなくても仕方ないさ。俺だって別に怒ってないから、二人が気にすることは無い」

「ほ、本当に……? 怒ってない……?」

 

 キスメが不安そうな声を出す。ああ勿論、と俺は答え、それに……と言葉を続けながら、パルスィの肩に後ろからポンと手を置く。軽く引き寄せて、

 

「パルスィが気付いてくれたからな。それで俺はもう十分だ」

 

 ヤマメとキスメに言うように。パルスィにも言うように。パルスィの両肩に手を乗せつつ俺は言った。

 気付かれなかったことを怒るのではなく、気付かれたことを喜ぶのだ。そうしたほうが俺も気分がいいし、二人にとってもいいと思った。

 

「ふふふ……ありがとな、パルスィ」

「な、なによ急に……」

 

 微笑んで、パルスィの頭を軽く撫でる。パルスィは振り返りこちらを見たが、俺と目が合うとすかさず別の方を向く。その動作がなんだかかわいらしくて、俺は更にパルスィを引き寄せた。

 

「わわわわわ! ちょ、ちょっと真!?」

「なんだ?」

「え? えーと……」

「……いいなーパルスィ。妬ましい」

「いいねぇパルスィ、妬ましい」

「アンタらは見てないで助けなさいよ!」

 

 ヤマメとキスメが、パルスィの口癖を盗んで茶化してくる。俺のことは気にするなと言ったけれど、気にしすぎないのもどうかと思う。二人が変な罪悪感に苛まれるよりかは何百倍もいいのは確かだけれど。

 

「……さて、じゃあ俺はもう行きますかね」

「あ、そうだ。真は何しに地底に来たの? 私たちもついていこうか?」

「ちょっとだけやることがあってだな。ついてこなくていいよ、お前らはここで人間が落ちてくるのを待ってれば? あ、パルスィは俺と一緒に行こうか」

「やっぱりちょっと怒ってんじゃん!」

 

 冗談だ、と三人に言い、パルスィの肩から手を離す。半分くらいは本気だったけど、あまり馴れ馴れしくしすぎてパルスィに嫌われたら立ち直れない。しつこい男は嫌われるのだ。

 

 ここは地底と地上を繋ぐ唯一の道。地上に帰るときにもまた、必ずこの穴を通らなければならない。

 俺が用事を終わらせて、もし時間に余裕が無くても、帰るときにもう一度話す機会はあると思う。そのときのことを少しだけ楽しみにしながら、俺は地上へと続く穴を後にした。 

 

 


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