地霊殿に訪れたその翌日、俺はソファの上で目を覚ました。ここがソファだと気が付いたのは、目を開いてから数秒後。目を開けた直後は、視界がよく分からない壁で埋まっていたため、それゆえ気付くのが少し遅れた。
そういえば俺は昨日、二人がけのソファで横になって眠ったんだっけ。生えている尻尾が邪魔だったため、背もたれのほうに体を向けて。
昨日俺が温泉に入って戻ってくると、部屋のベッドでは古明地姉妹が眠っていた。布団の丸まって互いに身を寄せ会うその姿は、永遠亭の兎たちを思い出させる。
おそらくこいしが俺を驚かすために布団に隠れて、それにさとりも誘ったんだと俺は思った。二人ともベッドの中心にいたし、髪飾りも付けたままだったから。外してそこらへんに置いてたら、隠れてることがバレると思ったんだろうな。
結局俺が長い風呂から戻ってきたときには、二人とも待ちくたびれて眠ってしまったみたいである。待ちくたびれてといっても、待たせた自覚は無いのだけれど。
仲良く眠っているのを邪魔するのは忍びないし、まぁそんなわけで俺はソファで眠ったのだ。
ソファから起き上がってベッドのほうを見てみたら、寝息を立てているさとりだけが目に入った。こいしの姿は見当たらない。先に起きてどこかに行ってしまったのだろうか。
俺は眠りが浅いため、誰かが動く気配がしたらすぐ目を覚ます。しかし無意識に溶け込むこいしの場合はその限りではない。
ソファの背もたれのほうを向いて寝ていたとはいえ、もしかするとこいしに寝顔を見られてしまった可能性がある。誰かの寝顔を見るのは好きではあるが、見られるのは少し恥ずかしいと思った。
「ん……」
俺が目覚めることによって心の声が漏れ出したか、すぐにさとりも目を覚ました。いや、夢を見るなら寝ているときも心の声は漏れているかもしれない。だとしたらさとりが起きたのは、単に俺が起きる気配がしたからだろう。
さとりはまだ覚醒しきってない様子で起き上がり、周囲を見渡して俺を見つける。
「真さん……? ……ああそうか、昨日あのまま私は寝てしまったんですね…… 真さん、おはようございます……」
寝ぼけ眼をこすりながらそう言うさとりに、俺も小さくおはようと返す。髪が乾ききる前に布団に潜り込んでいたのか、さとりの髪はいつもより少しモシャッとしていた。百人見たら百人が、ああ彼女は寝起きだなと分かる姿だ。
「……あの、あまり寝起きの顔を見られたくはないのですが」
そう言われてしまったため、仕方なくさとりから目を逸らす。俺も寝起きの顔だからお互い様なのにな。それに今のさとりは、これはこれでかわいいと思う。
「……そういうのは、考えても心の声にしないでください」
無茶を言う。それを言うなら『考えても口に出さないでください』ではないだろうか。考えた時点で声が聞こえるさとりには、それが無駄だということは分かるけれど。
「……それより、真さんのベッドで寝てしまってすいません。こいしと一緒に隠れていたらウトウトと……」
「いや、俺は泊めてもらってる身だからさ。元々この部屋もさとりの物だろ」
さとりの反対方向を見た状態で俺は答える。不満があるか無いかで言うと皆無ではないが、それでもさとりが謝る必要性はまるでない。むしろ俺のほうが、泊めてくれてありがとう、と言う立場だろう。
「それはまぁそうなんですけど……というかこちらを向いてください。ジロジロ見るのは遠慮してほしいですけど、そう大袈裟にされなくても大丈夫です」
「む、そうか」
首を戻して、ぼんやりと視界にさとりを捉える。相手の気持ちを考えようとは常に心がけているのだが、こういった言葉の裏を理解するのはどうも苦手だ。見ていいのか悪いのかの境界が難しい。
ええと、ジロジロ見ないでそっちを向くとは、結局どういう意味なんだ。つまりこういうことでいいんだよな?
「そうですね……では真さん、こちらに座ってください」
そう言ってさとりはベッドの上をパンパンと叩く。俺がさとりの足を踏まないようにベッドの上に腰を下ろすと、さとりも起き上がり俺の前に来て腰を下ろした。
博麗神社で魔理沙が俺に対してよくやる姿勢。なるほど、この状態ならさとりの顔を見ずに話ができる。俺はさとりのほうを向いているが、さとりは顔を見られないように向こうを向いているという状態だ。
「……こいしは、またもうどこかに行ったんですね」
「多分な。尻尾にくっついてる感じもしないし」
起きたらこいしがいないというのはもはや日常茶飯事なことのようで、さとりは特に驚く様子も無い。
こいしは、気付かれないときにはとことん気付かれないので、こいしを数日見掛けないなんてことは当たり前。昨日俺がこいしを見つけることができたのは幸運だったと言える。
「……さとりも、この髪飾りをつけたんだな」
そう言いながら軽くさとりの髪に触れる。さとり髪飾りをしていたことをこのとき思い出したようで、小さく「あ……そうでした」と声を出した。
「……ありがとうございます。こいしにも同じ物をいただけたようで」
「ん」
お礼なら昨日も温泉に行く前に言われたが。昨日のはさとりにあげたことに対するお礼であり、今のはこいしにもあげたことに対するお礼なのかもしれない。まぁ、お礼は何度言われても良いものである。
「……気になります?」
「ん? いや、よく似合っていると思うけど」
「あ、いえ、そっちではなくて、寝起きの私の髪のほうです。先ほどから指で
言われてから、無意識にさとりの髪に指を絡ませていたことに気付く。普段誰かを膝の上に乗せているときなどはこういうことを自重しているつもりなのだが、さとりの前にいるときはいつもよりも行動が正直になってしまうらしい。どうせ心を読まれていると思っているからだろうか。なんにせよ今のは完全に無意識だったが。
「……よければ、真さんが髪を
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
さとりに許可をもらったため、変化の術で櫛を作り出す。お土産の髪飾りはここでいったん外させてもらい、俺は髪の毛全体に櫛を通した。
風呂上りに髪を拭いてあげるような、誰かのために簡単にできる作業が俺は好きだったりする。『してあげる』というよりも、俺からすれば『させてもらう』という表現のほうがより近い。
霊夢や輝夜のような長くサラサラした髪も俺は好きだが、さとりのような短くフワフワした髪も俺は好きだ。どちらもさわって落ち着くし、頭を撫でるときの重要なファクターだと思う。
やがて髪を梳き終わり、後ろから軽くさとりを抱えながら会話を続ける。体の小さいさとりは、こうして抱えるのに丁度いい。
普段はかなり酒にでも酔わない限りこういうことはしないのだけど、さとりの場合は少し別だ。さとりが許可をくれたときのみ、このような体勢を取ることができる。心を読めるさとりには俺のやりたいことは筒抜けなようで、地底生活時代にもよくこのように抱えさせてくれた。先ほどの髪を櫛で梳かすことも、さとりが察してくれての提案である。
「……真さんは、今日はこのあとどうするんですか? 今日中に地上に戻らなければならないのは知っていますが、いつごろここを出発します?」
「そうだな。地底の知り合いのところに少しだけ顔を出して、その後はすぐに地上に戻るつもりだ。お燐とお空に会ってからここを出発しようかな。まぁまだ朝早いし、もう少しはのんびりさせてもらうよ」
さとりを左腕で抱き寄せつつ右手で頭を撫でながら俺は答える。それに対してさとりは、それがいいと思います、と俺の手を握り返しながら答えた。このような時間はとても貴重だ、大事にしたい。
魔理沙も俺の膝に乗ってきたり抱きついてきたりはよくするのだが、俺が撫でようとしたり抱き返そうとしたら怒るのだ。なんでも無抵抗なのがいいらしい。少しだけだが分かる気がする。
「ではもう少し……」
「……さ、さとり様ー! どこにいるんですかー!」
「……む」
さとりと会話していたら、部屋の外からお燐の声が聞こえてきた。朝早くだというのに騒がしい。
さとりは俺から立ち上がると、扉を開けてお燐に呼びかける。物静かなさとりには少し珍しい大声で。
俺もベッドから立ち上がり、さとりの背を押して廊下に出る。さとりの声を聞きつけたお燐が、程なくして姿を現した。
「あ! さ、さとり様……と、真? あれ、いつの間に……」
「真さんは昨日の夜にここに来たわ。それよりお燐、どうしたの?」
「そ、そうでした! さとり様、お空が……」
「……なんですって?」
お燐が何か言う前に、さとりがそう言って険しい顔をする。おそらくお燐の心を読んだのだろうが、心が読めない俺にとっては何が起きたのか分からない。置いてけぼりをくらった気分だ。
「……とりあえず、お空のところへ向かいましょう。真さん、どうやらお空が体調を崩したようなので、申し訳ないですが席を外します。お燐、行くわよ」
「はい!」
さとりとお燐がこの場を離れ、物理的にも置いてけぼりをくらう。お空に何かあったみたいだが……なんだろう、風邪でも引いたのだろうか。それにしてはお燐が少し慌てすぎな気もするが。
二人が行ってしまって、今からどうしようかと俺は思った。戻ってくるまで待つにしても、二人がいつ戻るかは分からない。それなら地霊殿を出て地底を回るのも一つの手だが、何も言わずに出ていくのもどうかと思う。
少しだけ逡巡した後、俺もお空のところへ向かうことにした。俺だって何かできることがあるかもしれない。
『答えを出す程度の能力』を使ってお空の居場所を調べてから、遅れて二人の後を追った。
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紅魔館のときも似たようなことを思ったが、ここ地霊殿も外観以上にとても広い。ただ紅魔館と違うのは、俺が中で迷ったりすることが無いことだろうか。数百年も住まわせてもらえば、いくら俺でも道は覚える。それでも、地霊殿の地下には数えるほどしか訪れていないのだけど。
能力を使って調べてみたところ、どうやらお空は地霊殿の地下、灼熱地獄の管理室にいるようだ。管理室とは言っているが、そこは部屋とは言いがたい。ただ単に地面を掘り進めて、偶然出てきた広い空間みたいなものである。
当然そこへ続く道中も特に整備されているというわけではなく、掘削されたほら穴がただ続いているだけだ。岩がむき出しになったその道はもはや屋敷の中とは言えず、宙に浮いての移動のほうがいくらか速い。
灼熱地獄に続いているため外よりも何倍も暑く感じるこの道。用事が済んだら帰る前に、もう一度温泉に入り汗を流そう。そう決意しながら先に進んでいくと、やがて広い空間にたどり着いた。
横だけではなく、縦にも広がる岩の壁。なんとなく、ドームと表現するのがピッタリな気がした。それほどまでにこの部屋は広く天井も高いのだ。
また、中心には大きな穴が空いており、中を覗くと奥で溶岩の海が波打っていた。道中に比べるとこの部屋は特に暑く、体を動かすと熱風が肌に当たりさらに暑い。まるで天然のサウナ室だ。
お空は体調を崩したという話だが、こんな場所にいたら余計に体調を崩しそうなものだと俺は思った。もしかしたら地獄鴉であるお空にとっては、熱気があるこのような空間のほうが居心地がいいのかもしれないが。
目当てのお空と、さとりとお燐の二人はどこにいるのかと空間内を見渡してみる。するとさとりとお燐は見当たらなかったが、溶岩の海に続く穴の上に、一人浮いているお空の姿を発見した。
背中を丸めてふらつく様子は、いかにも体調が悪そうだ。さとりたちはお空を放って何をしているんだろう。もしかするとお空はもともとは自分の部屋にいて、お燐がさとりを呼びに行っている間に入れ違いになってここまで来たのかもしれない。
だとすると、もう少し待っていれば二人ももうすぐここに来ると思う。それならば俺は一足先にお空に声を掛けるとしよう。ここのほうが居心地がいいにせよ、飛んだりしていたら治るものも治らない。体調が悪いならば安静にして然るべきだ。
「おーい。お空ー」
「…………、……?」
体を浮かせ、お空の元へと飛んでいきながら声を掛ける。お空は俺の声にピクリと反応すると、けだるそうに顔を上げた。
軽く動くだけでもキツそうな様子。俺はできるだけ素早くお空の目の前までたどり着いて停止する。振り向く手間さえも、今のお空にさせるのは忍びないと思った。
「ようお空、久しぶり」
「はぁ……はぁ…… し、真? どうしてここに……」
近くで再び声を掛けると、お空は荒く呼吸をしつつもそう口にする。口から言葉を出すたびに余計な空気も吐き出されるその姿は、どう見ても健康な状態ではない。有り体に言えば苦しそうだ。
「……あー、無理してしゃべるなよ。なに、昨日の夜から地霊殿に来ててな。で、お空の体調が悪いっていうから心配して来てみたんだが……」
「……そ、そうなんだ……」
「……大丈夫か?」
「……う、うん、平気だよ……?」
息も絶え絶えにお空が答える。自分で大丈夫かと聞いておいてなんだが、それを決めるのはお空ではなく俺の役目だ。
気息奄奄、青息吐息。そんな様子でいくら本人が平気と言っても心配させない強がりにしか聞こえない。
「そうか、お空は強いな」
軽く微笑みながら俺は言う。ここで俺が心配そうな顔をする意味は無い。むしろお空を安心、リラックスさせるべく、できるだけ普通に接したほうがいいと思った。
お空の額に手のひらを当てつつ続きを言う。
「……でもな、無理することは無い、キツいと思ったらちゃんと休め。ほら、顔もこんなに熱いじゃないか」
「う、うん…… 実は今朝から体の様子がおかしくて……胸の奥がなんか苦しい……」
それは恋だよ、なんて冗談を言える様子ではなく、お空が苦しそうに自分の胸に手を当てる。お空の胸の部分には、以前には無かった赤い目玉のようなものが付いていた。昔と比べて変わったところはそこ以外に、右腕には細長くて大きい筒のような物が付いている。
斬新なファッションだと思うがそれはさておいて。今はそんなことよりも、体調の悪いお空をどう扱うかを考えよう。
「そうか、じゃあ安静にしてないとな。とりあえず地霊殿のほうに戻ろうか。やっぱりこんなところにいたら、治るものも治らない」
地獄鴉だからここにいても問題ないかもと思ったりもしていたが、そんな考えはお空を見てすぐに消え去った。風邪を引いて体を暖めるのとはわけが違う。苦しそうなお空を早く楽にさせてあげようと、俺はお空の手を取って軽く引いた。
「……え? ……だ、駄目だよ……私が戻ったらさとり様たちにもメーワクをかけちゃう…… だから私はここに来たのに……」
「……は?」
迷惑って何の、と尋ねる前にお空が続きを言う。
「……こ、このままだときっと真にもメーワクかけちゃうよ…… 私は大丈夫だから、心配しないで真はここから離れて……ね?」
そう言い切ると同時に、お空は顔を上げてニコリと笑う。
……やれやれ、そんな顔をして誤魔化せるとでも思ったのか。全然大丈夫に見えないし、むしろもっと心配になった。ここで帰ることができるヤツがいたら、そいつはきっと言われたことを愚直に守るロボットだ。
「あのなぁ……お前が何を心配してるのか知らないけど、赤の他人じゃないんだから迷惑ぐらいかけていい。つーかそんな顔して『ここから離れて』なんて言うほうが迷惑だ。ほら、さっさと戻るぞ。手ぇすっげー熱いなオイ」
そう言って先ほどよりも強くお空の手を引く。灼熱地獄の空気よりもお空の手のほうがずっと熱い。
……ここは、能力を使ってお空の体に何が起きているのか調べる必要があるな。そんなことを考えていると、
「だ、駄目だって真! 早く私から逃げて!」
「はぁ? 逃げる必要がどこにある?」
「力が……力が暴走しちゃう!」
お空の右手、正確に言えば右手についている筒の先が、目に見えて白く輝きだす。なんだこれは、と目を向けた瞬間、一筋の閃光がお空の右手から放たれた。白い光は視野全体に広がり、俺は光が目に入らないよう両腕を構える。
「……ぐはっ!!」
なんだったんだ今の光は。灼熱地獄の部屋だというのに、頬に冷たい汗が一筋流れる。
かつてこの星に人間も妖怪もいなくなったとき、その原因となった核爆発の光を思い出した。記憶を読み取るさとりじゃなくて、お空に過去のトラウマを呼び起こさせられるなんてな。
白い光によって眩んだ目が、再び周囲の景色を映す。どうやら俺は光に包まれたあと吹き飛ばされて、岩壁に背中を叩きつけられたようだ。
あの閃光にぶつかって飛ばされたのではなく、起こった風によって吹き飛ばされた。何かの爆発によって起きた風。直撃による衝撃は無かったにせよ、熱風を受けたことにより全身が灼かれるように痛い。
「! お空!」
しかし今は自分の心配よりお空の心配だ。今の爆発によってお空は無事なのか。そしてお空の身に何が起こっているのか。体を起こし、俺はすぐに能力を使って確認する。
先ほどお空の胸に見た赤い目玉。端的に言えばそれがお空の現状の原因だ。
なにがあったか八咫烏と呼ばれる妖怪と融合したお空は、その八咫烏の力をうまく制御できず能力が暴走してしまっている。
先の爆発はお空が起こしたものだから、今のところお空に被害は無い。しかしこの灼熱地獄の管理室はどうだろう。閃光がぶつかって起きた爆発によってその岩壁はグラつき始め、もう一度同じ規模の爆発が起きたら崩れ去ってしまいそうだ。
「……マズいな……」
お空のいる方向を見ると、またも白い光が輝いている。それも先ほどよりも大きな光。放っておけばこの部屋が崩れるどころか、上にある地霊殿にも被害が及ぶだろう。
俺は尻尾を九本まで解放し、もう一度『答えを出す程度の能力』を使用する。どうすれば被害を抑えられるか。その答えが瞬時に頭の中に浮かび上がる。
『答えを出す程度の能力』。問いかけをすると瞬時にそれに対する答えを導ける能力。これだけ聞くとこの能力は、自分に知らぬことなど無い全知のような力のように思えるだろう。実際知らないことは無くなるのだから、その認識は何も間違ってはいない。
しかしこの能力には、とある欠点が存在する。それは導き出した答えが『俺にとっての答え』であるということだ。
『どうすればこの爆発の被害は抑えられるのか』。この問いに対する最善の模範解答はなんてことない、『お空を一瞬で殺すこと』だ。お空が死ねばそもそも爆発は起こらないのだから。
『この場からさっさと逃げ出すこと』も解答の一つと言える。後になってお空が生き埋めになろうと地霊殿が崩れようと、自分にとっての被害はゼロ。自分に関係ない存在だからだ。
しかし『俺』にとってはどうだろうか。俺は当然お空を殺したりはしたくないし、地霊殿が崩れるという未来もできれば避けたい。俺以外の者の被害も最小限に抑えるために導き出した、俺にとっての答えはというと--
「--簡単だ。代わりに俺が被害を受ければいい」
「!?」
光の中に自分から飛び込み、閃光の先に回り込む。
閃光が俺に直撃し、今度は爆発をモロに受ける。余波による爆風をくらったときよりも強い衝撃。熱いのか痛いのかよく分からないけれど、さっきよりも尻尾の数が増えているので少し我慢できるようになってきた。
「真!? なにやってんの! 早く逃げてよ!」
「は、はは…… 逃げるって答えは出なかったなー」
「なに笑ってるの! 死んじゃうかもしれないんだよ!?」
お空の声がすぐ近くから飛んでくる。はは、『真が死んじゃう』って小学生みたいな駄洒落だな。地霊殿のメンバーの中でお空は一番年上みたいな見た目だが、中身に関してはこいしと並ぶくらいの子どもである。
「……大袈裟だなお空は。こんなので俺が死ぬわけ無いだろ。ほらこの通り怪我もしてない」
変化の術を自分にかけ無傷を装いつつ、ポンとお空の頭に手を乗せる。他者は自分を映す不出来な鏡だ。ここで俺が辛そうな顔をしたらお空も辛そうな顔になってしまう。
「だから気にせず力を暴走させればいい。出し切ったら多分暴走も収まるだろ」
「で、でも…… きゃあっ!!」
「おっと!!」
こうして話している間も、どこに閃光が飛ぶのかを逐一能力で答えを出す。さすがに覚悟も無しで爆発をくらいたくはない。タンスの角で足の小指をぶつけたら痛いのは、痛みを覚悟してないから痛いんだ。これから足をぶつけると少なからず覚悟しておけば、痛みは意外に減るものである。
「はぁ……はぁ…… う、ううう…… !!!」
お空が頭を抱えながらも、次々に左手の筒から閃光を発射していく。
能力の暴走といえば、フランの狂気を抑えたときのことを思い出す。あのときのフランも、俺に遠慮の無い攻撃をどんどん打ち出してきたっけか。
ただそのときと違うのは、お空の暴走の産物は俺を狙っていないことと、俺はその攻撃をわざとくらわなければいけないこと。精神的疲労は同じくらいだが、肉体的疲労がすさまじい。あれだ、むかし人間にやられてボロボロになった藍みたいになってる。
「……ってぇー……」
爆発による痛みと熱風による火傷が、徐々に俺の体を蝕んでいく。こうも数が多くちゃキリが無い。お空には平気な姿を見せ付けていたいのだが、いかんせんしゃべるのも億劫になってきた。
……はは、お空にしゃべるのも億劫て、意図せず駄洒落みたいなことを思ってしまったな。
「……さて、次は……」
能力で調べた次に閃光が走ると予測される場所、この部屋の入り口付近に俺は向かう。慣れたくもないが、だんだんあの閃光の爆発を受け止めるコツが分かってきた。背中側で受けるよりもお腹側で受けたほうが勢いが殺しやすい。それに視界に捉えたほうがタイミングを調整しやすいのだ。
俺はお空を正面に捉え、閃光が飛んでくるのを待つ。と、そのとき背後から、
「し、真さん!? どうしたんですか一体!? 先ほどから、ここから大きい音が聞こえてくるんですが!」
声が聞こえて思わず振り返る。
「さとり!? それにお燐も!」
「お、お空を探しに来たんだけど……もしかしてここに……」
「! 危ない!!」
少し遅れての二人の登場に、爆発への対応が一瞬遅れる。俺はすぐさま前を向き直すと尻尾を広げ、二人と俺の間に壁を作った。閃光も爆発による衝撃も、俺の後ろには届かせはしない。
「……ぐぅっ!!」
「っ!?」
「え!? なになに何が起きてるの!?」
腕が、顔が、体が、尻尾が。爆発の衝撃でひどく痛む。しかし気を失うわけにはいかない。意識がトんでしまったら答えを出すことができないし、そうなるとお空もこの二人も守れない。
「ふ、二人とも……無事か……?」
「え? あ、うん…… でも真は……?」
「ど、どうして真さんがここに……」
「……な、なぁに、一足先にお空の見舞いにな……」
背後から聞こえる二人の声に、俺は振り向くことなく反応する。今は二人に顔を見られないほうが丁度いい、多分うまく笑顔が作れないと思うから。
のんびり話している余裕も無く、能力を使って次に閃光が飛んでくる場所を把握する。
次に爆発する所は再びここ。どこに閃光が飛んでいこうと爆風は部屋全体に届くため、二人を守るためには逆にこのほうが都合がいい。この部屋における一番安全な場所は俺の後ろだ。
「さ、さとり様! これは一体……?」
「……理由は分からないけど、どうやらお空の力が暴走してるみたい。今の爆発もおそらくは……」
「暴走したお空によるものなんですか!?」
「……そう。そして今しがた真さんは、その爆発から私たちを守ってくれた。……いいえ今だけではありません。地霊殿に被害が出ないよう、先ほどから起きていた爆発も全部真さんが受け止めてくれていた……!」
「ええ!? 全部って……私たちがここに来るまでに数えきれないくらいドンドン音が鳴ってまし……きゃあっ!?」
先ほどと同じ要領で、二人の前で閃光を受け止める。爆発する後ろで、小さくお燐の悲鳴が聞こえてきた。
悪いな、爆発も爆風も遮れるけど、爆音まで遮るのはさすがに無理だ。驚いただろうが我慢してほしい。
「し、真! 大丈夫なの!?」
「……ああ、大丈夫だ…… お前らもお空も、絶対に俺が守るから……」
「そっちじゃないよ! 私たちじゃなくて真の体は大丈夫なの!? 私たちの代わりに真が傷付くなんて馬鹿みたいじゃん!」
「…………」
……馬鹿みたい、か。確かに他のヤツからしたら、馬鹿なことをしてるのかもしれない。しかし俺は自分のこの行動が馬鹿なことだとは思わない。
……あれは、千年以上前の大昔。地上に栄えていた文明が一度滅んだときの話。月へ移住すると決めた当時の人間たちは、旅立ちの際に置き土産として核を落として去っていった。
視界が真っ白に染まる中、俺はどうすることもできなかった。
……ただ、自分の身を守ることしかできなかった。
あのときの俺と比べると、今の俺は少しだけ成長したと思う。自分よりも俺を助けることを優先した一鬼に、少しだけ近付くことができたと思う。
……もう、あのときの俺とは違う。誰に何と思われようが、こいつらのことは守ってみせる。自分だけが生き残っての後悔は、もう二度とはしたくないから。
「……お……燐……?」
「! お空!?」
暴走していたお空の動きが一瞬止まる。お空との距離はそれなりに遠く、また爆発の影響で視界も悪い。それでも先ほど張り上げたお燐の声が、お空に聞こえたのだろうか。
「ご……めんね……? 攻撃しちゃって…… 真もごめん…… もう皆にメーワクは掛けないから……」
お空の右腕に集まっていた光がどんどん大きくなっていく。先ほどまではある程度まで大きくなれば閃光となって消費されていたのに、今はそれが発射されることは無い。光はまるで風船のように膨らんでいく。
……もしかしてお空は自らの意思で、暴走している力を体内に押しとどめようとしているのだろうか。それならば今のこの状態にも納得ができる。納得はできるが、このままだとおそらくお空は……
「ど、どうしよう真! もしかしてこのままだとお空、大変なことになっちゃうんじゃない!?」
お燐も同じことを考えたようで、すぐさま俺は能力を使って次に爆発が起きる場所を導き出す。そして自分たちが考えた最悪の未来が実現されることを理解した。
次に爆発が起きる場所、それはお空の体の中。行き場の無いお空の体に溜まっていくあの光は、やがてお空の体を突き破って解放される。
その答えが出た以上、何もしなければその結果は変わらない。
「お空っ!」
コンマ一秒でも早くお空の元にたどり着けるよう、全力を出して飛んでいく。灼けた空気が肌をチリチリと焦がしていくが関係ない。いまさら火傷した部分が増えたところで何が変わるというのだろう。九箇所も十箇所も同じことだ。
「ど、どうしましょうさとり様! お空は、真は大丈夫なんですか!? 私に何かできることは……」
「……落ち着きなさいお燐。真さんには何か考えがあるみたい。なら私たちにできることは、真さんの邪魔にならないようここで見守ることだけよ」
お空の元までたどり着き、移動するのに使っていた力を今度は止まる力に変える。目の前で停止して初めて俺に気付いたようで、お空は大きく目を見開いた。
「……し、真……? どうして……」
「馬鹿! お空お前なにやってんだ!」
自分のことを棚に上げてよくもまぁお空を馬鹿呼ばわりできるものだと思うが、仕方ないだろ馬鹿なんだから。俺の中では、俺が傷付くのはいいけどお空が傷付くのは駄目なんだよ。
お空の右腕に俺の手を当て、俺の妖力を通してお空の妖力をコントロールする。行き場の無いエネルギーを、爆発させること無く解放するんだ。今までと同じように、お空のこの右腕から閃光として放つことで。
溜まりに溜まったこのエネルギー、どこに解放しても影響が出る。さとりたちがいる方向にはもちろん撃てないし、上に向けて撃ったら地霊殿に、もしかしたら地上まで届くかもしれない。
「それだったら……お空、下だ! 俺たちの真下に向かって溜まってるもん全部ぶっ放せ!」
『答えを出す程度の能力』で出した、今この場においてもっとも被害の少ない場所を選択する。俺たちがいる真下の溶岩の海。お空の右手の筒の先を下に向けて、俺はお空の体内に溜まったありったけのエネルギーを解放した。
「……ぐっ、ぎぎぎ……」
お空の右腕から、太い閃光が休むことなく発射される。光はどんどんと溶岩の中に飲み込まれ、閃光の反動で弾き飛ばされないように俺は歯を食いしばった。
「……あ……」
「……っと」
数えること三十秒、発射されていた閃光が止まり、支えていたお空の体が重くなる。どうやら力を使い果たして気絶してしまったようだ。右手についていた変な筒も、胸についていた赤い目玉も消えている。たぶんあれらは能力の暴走により具現化していたものなんだろう。
「……頑張ったな、お空」
体内の悪いものを全て出しつくし落ち着いた顔を見せるお空に対して小さく呟く。そして俺はお空を改めて抱えなおすと、さとりとお燐のいるこの部屋の出入り口に向かった。
爆発は全て溶岩の底で起こったため、さとりとお燐にも特に被害は見られない。しかしその代わり溶岩にはエネルギーが蓄積されたみたいで、部屋の温度がどんどん上がってきているようだ。さらに影響が出る前に、早いところこの部屋を出ていこう。
「……さとり、お燐、終わったよ」
「し、真…… その、お空は……?」
「……大丈夫。気絶してるだけだ」
「そ、そっかぁ…… 良かったぁ……」
お燐が安堵の息を大きく吐き出す。まぁ死んではいないにしろ体にダメージは残っているけどな。この部屋にも影響を残してしまったし、最高の結果とは間違っても言えない。
「……それでも、真さんお疲れ様でした。ありがとうございます、私たちを助けてくれて」
さとりのその言葉で、少しだけ気分が回復した気がした。
……そうだな、最高の結果では無いにせよ、最悪の結果ともまた言えない。この後に残してしまった面倒事には目を瞑り、今は一息つきながら、俺はこの部屋を後にした。