地霊殿までの帰り道、お空を両腕で抱えながら、さとりとお燐と一緒に飛んでいく。地霊殿までというか、今歩いている場所も地霊殿の一部なのだけれど、地下のこの道は屋敷の中のような感じがしない。岩壁に囲まれているこの道は、完全に洞窟の中といった雰囲気である。
お空は気絶していると言うより眠っているように穏やかな表情をしており、先ほどまで暴走していたのが嘘みたいだ。抱えながら額と額を合わせてみたが、特に熱は感じなかった。まぁ、俺の肌が火傷しすぎて熱を感じられないという可能性もあるが。変化の術でごまかしていても、今の俺の体は全身、もれなく火傷状態である。
「真! 真! ここからはあたいがお空を運んでいくよ!」
岩で囲まれた道を進み少しだけまともな道に出ると、お燐がこんな提案をしてきた。どこから取り出したのだろうか、手にはお燐の台車を持っている。
やはり
「……まっかせて! できるだけ揺らさないように運ぶから! いくよお燐号、お前に
目を輝かせながらそんな台詞を吐き出すお燐。まったく、いったいどこでそんな表現を覚えたのやら。俺はそんなお燐をおかしく思いながら、お空を台車の上にそっと寝かせる。
……ところでその台車、完全に手動のものだと思うんだが、
「……真さんもお燐に運んでもらったらどうですか? なんでもないようにしてますが、結構無理していますよね?」
変化で火傷を隠してることは言わないまでも、さとりがこんなことを言ってくる。変化のことを言わないのはさとりなりに空気を読んでの発言なのだろう。できればそれすらも言わないでほしかったのだが、まぁあれだけの爆発を受け止めていたのだから無傷というのもおかしい話だ。
「えっ、そうなの真? ……っていうか、あれだけ爆発を受け止めてたら当然か…… 真も乗る?」
「……いいよ俺は。ほら普通に歩けるし。言うほど無理はしていない」
とはいえお燐に運んでもらう
なので俺は台車を差し出してくるお燐に対しては、否定の意思を示しておく。
「そう? 良かったー、真が思ったよりも大したことなさそうで。さすがは九尾の大妖怪だね!」
「はは、どうも」
「……十分無理をしてるように思いますが。少なくともダメージ量はお空の倍以上はあるはずです」
さとりが俺に聞こえるくらいの声量でボソリと呟く。まぁさとりの言う通り、ダメージはかなりあるだろうな。今も尻尾を九本出しているといっても、俺に圧倒的回復力が身に付いているわけでは無いし。
そうだな、仮にお空のダメージ量を100とするなら、俺は200くらいと言ったところか。何度も爆発を受け止めた俺と、体内で力が暴走したお空。原因がそれぞれ違うため完全なる比較は不可能だが、まぁそのくらいじゃないかと俺は当たりをつける。
しかしそれでも、ダメージ量の少ないお空のほうが、この場合重症なのである。それは見ただけでも分かるだろう、お空は気絶しているのに俺は気絶をしていない。なぜなら俺とお空では体力の最大値が違うからだ。
お空の体力最大値は120くらい。完全な瀕死状態である。
それに対して俺の体力最大値は……そうだな、2億くらいかな。それなら200くらいのダメージ量は、まだまだかすり傷程度である。
「……なに馬鹿なことを考えてるんですか、強がりもほどほどにしてください。とりあえず帰りついたら真さんも、お空と同様に安静にしていてもらいますからね」
さとりの
「……ほら真さん、ここに手を置いてください」
「え?」
「さあ早く」
「あ、ああ……」
俺の言い分(思い分?)を華麗に無視し、さとりが自分の肩に手を置くように促してくる。
「……だ、大丈夫か?」
さとりは性格こそ大人であるが、体つきは霊夢以上の子どもである。手を肩に置くとその小さく華奢な体つきがより顕著に感じられ、体重をかけると折れてしまいそうだ。なんとなく悪いことをしている気がした俺は、肩に手を置いた状態のままさとりにそう尋ねる。
「これくらい、真さんが私たちにしてくれたことと比べたら微々たるものですよ」
さとりはそう答えると、肩に置かれた俺の手をまったく気にする様子も無く、そのまま前に歩き始めた。仕方なく俺もさとりに合わせて肩に手を置いたまま一緒に歩くが、本当に大丈夫なのかと不安になる。それでもこの手を離せないのは、俺がそれだけ疲れていたのか、それともさとりの厚意を無にすることが憚られたためか。
結局俺は何も言えないまま、このままの体勢で地霊殿まで歩いていった。
地霊殿まで、もうすぐそこといった場所までたどり着く。ここでふと、俺はこのあとどうしようかと考えた。
本来の予定では、今日は地上に戻る日だ。この予定を守るならば地霊殿で安静にしている暇など無く、早く地上に向けて出発したほうが良いだろう。
しかしながら先ほどさとりからは安静にしておくようにと言われたし、俺自身も少し休んでいきたいと思っている。お空が目覚めるくらいまでは地底に残っておいたほうがいいとも思うわけで…… とにかく俺は迷っていた。
「迷う必要はありません。真さんは怪我が完全に治るまで、地底で安静にしていてもらいますから」
俺の心を読んださとりが、俺の思考に横槍を入れてくる。俺の意見はそっちのけで、完全なるさとりの都合による選択だ。
……いや、本音を言うと、俺も地底に残りたいとは思っている。俺が勝手に決めた予定なんて守る必要など無いし、やっぱりお空のことが気がかりだから。
しかしながら地上にも気にかかることが二つばかりあるため、どうしようか迷っているのだ。
気にかかることの一つは華仙のこと。華仙には地底へ続く穴に入る際に、無事で戻ってきたときに報告すると約束している。
どこまで華仙が俺を気にかけてくれているかは分からないが、無駄に心配させないためにも、できるだけ早く地上に戻るべきだろう。
そして気にかかることのもう一つ……どちらかといえばこちらが本命なんだが…… ほら、最後お空の体内に溜まったエネルギーを全部、溶岩の海にぶちこんだだろ? あれは地底に影響があまり出ないからと取った選択だったんだが……代わりに地上に影響が出る選択肢だったんだ。例の、あの、間欠泉として。
間欠泉は地下の空間が温められることにより発生する、というのは昨日さとりから聞いたことだったか。その温められていた空間というのが灼熱地獄の管理室だったわけであり、そこは今も、お空のエネルギーが原因で大量の熱が発生している。
今ごろ博麗神社では、また間欠泉が噴き出しているんじゃないかと思う。間欠泉をなんとかするために地底まで来たというのに、お前は何をしているんだと頭を抱えたくなった。
ああ、やはりこうなった以上は一刻も早く、霊夢に報告して謝らないと。本能では地底に残りたいと思っているが、理性は地上に早く帰れと言っている以上、当然そのほうが良いと思うわけで……
「……真さん」
「ん?」
「駄目です」
一つの結論が出ようというその瞬間、さとりが肩に置いていた俺の手を取るとギュッと握り、ハッキリとそう口にする。表情こそ穏やかに笑っているのものの、
どうやら本気で俺を地上に返すつもりは無いようだ。どうしてたかが俺ごときに、そこまで
「私が、帰ってほしくないからです。お空や私たちを助けてくれた恩人をそのまま帰すなんて、地霊殿の主の名折れですし。それにお空も目覚めたときに真さんが近くにいなかったら、きっと寂しがると思います」
「……まぁ、お空が気が付くときまでは当然ここにいようと思ってたけど……」
「……とにかく、ここに残ってもらいますから」
そう言うとさとりは俺の手を握ったまま、そのまま引っ張るように前を歩き始めた。結局のところ、俺は説得されたんだかされてないんだか。とりあえずは、そんな手を引いたりしなくても俺は逃げたりしないのにな、と思った。今は地霊殿の地下から戻る途中で、向かっている方向は同じなのだから。
でもせっかくなので、とさとりの小さい手を握り返しながら、俺は黙ってさとりの後ろをついていった。さとりは、肩も小さければ手も小さい。俺はなんとなく、外の世界で見た、歩行者専用の標識を思い出した。隣には、台車という名の軽車両がいるけれど。
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依然さとりからは手を引かれたまま、地霊殿の一階まで戻ってくる。俺が地底に残るか地上に帰るかは、お空が目を覚ましてから決めようと思った。
我ながらこのように結論を先延ばしにする癖は悪いと思う。しかし保留癖など誰にでもあることだと開き直るため、結局は改善しないのだけど。
一階にある出入り口付近を横切って、お空を寝かせることができる部屋に向かおうとする。いくらお燐の運転が丁寧だとしても、お空は早く台車から降ろしてベッドにでも寝かせるべきだろう。というかお燐の台車は死体を運ぶために使うものなので、なんとなく見た目にも悪い。まるでお空が死んだみたいに見えてしまう。
「……あら? お客さんかしら?」
そんなことを考えていると、さとりが入り口に人影を見つけて立ち止まる。これは珍しい、来客だろうか。昔からずっと地底の主として恐れられているさとりの住むこの地霊殿には、訪れる者は少ないのだ。
「ちょっと行ってくるわね。お燐は、お空を部屋のベッドに寝かせてきてちょうだい。私も後で向かうから」
分かりました、と返事するお燐を見送って、さとりは来客のほうに足を運ぶ。俺の手を握ったままなので、必然的に俺も一緒だ。俺は必要無いんじゃないかと思ったが、来客が見覚えのある格好をしていることに気が付いた。あの紅白の服はもしかして……
人影もこちらに気付いたようで、つかつかとこちらに歩み寄ってくる。来客は、さとりではなく俺の目の前で立ち止まった。目の前に来たことで予想が確信へと変わり、俺は目の前にいる少女に声を掛けようとする。
「……おお、やっぱり。霊夢じゃないか。どうしてこんなところ……」
「……真! アンタこんなところで何してんの、よ!!」
「ぐふっ!」
台詞をすべて言い切る前に、突如地底に現れた霊夢から出会い頭に腹を殴られる。俺と霊夢にはそこそこ身長差があるわけで、霊夢の目の前には弱点の
腰がくの字に折れ曲がり、なんていうかとても痛かった。ダメージに換算すると1億くらい。
「まったく……宴会が終わって神社に戻ってきたら真いないし! 紫から地底にいるって聞いてわざわざ探しに来てみたら……こんな子どもと手を繋いでいったい何してんのよこのロリコン!」
「……子どもって私のことですか?」
「うう……霊夢お前いつの間にそんな言葉を……」
片膝を地面につき、腹を手でさすりながらそう口にする。ロリコンなんて単語、霊夢の前では絶対に言うはずの無い言葉なのに。
……そうか分かったぞ、あの烏天狗の仕業だな? 霊夢に変な言葉を教えやがって…… 地上に戻ったら説教してやる。
「い、
「……あ、あれ? そんなに強く殴ったかしら?」
「……真さんは、諸事情によりいま体中がボロボロですから。あと言葉でも強く殴られましたし」
「ち、違…… いきなり、だったから、驚いた、だけで……」
「言葉がカタコトじゃないですか」
プルプルと震える膝をなんとか正気に戻し、何事も無かったように顔を上げる。爆発を何発も受けて平気だった俺が、小娘に殴られただけでそんなに痛がるわけ無いじゃないか。ただダメージを食らう覚悟をしてなかったから驚いたのと、ちょっと言葉にショックを受けてただけだ。
「……貴女は、霊夢さんですね。地上に住む博麗の巫女の。初めまして、私はこの建物の主の古明地さとりです」
俺と霊夢の間にスッと割り込み、さとりが自分の名を名乗る。霊夢の名前を知っていたのは、おそらく昨日の時点で俺の心を読んでいたからだろう。実際名前も昨日の時点で出ていたと思う。
「……あ、そう、これはこれは丁寧に。でも
霊夢は自分の名前が知られていることを気にすることなく、極めて冷静にさとりに返す。博麗の巫女として有名なことに慣れているためか、それとも俺が伝えたとでも判断したのか。どちらもあながち間違ってはいない気がする。
「私がわざわざ地底まで来たのは……」
「『真を地上に連れ戻すためよ。関係無いアンタはすっこんでなさい』、ですか。なるほど、事情は分かりました」
「なっ……! ……ふーん、アンタ覚妖怪ね? 心を読むなんて随分いい趣味してるじゃない」
次の台詞をさとりに取られ、今度は少し驚いた様子を見せる。俺も初めてさとりに心を読まれたときは驚いたものだ。もっとも、さとりは自分から心を読んでいるのではなく、自然に他者の心の声が聞こえてしまう体質なわけだが。あだ名を付けるならさと浦さんだな。
「……真さんはあれですね、人を変な名前で呼びたがりますね」
「え、そうか? でも伝わらないから結局呼んだりはしないけどな」
「……ちょっと! 私を置いて二人で会話してんじゃないわよ!」
霊夢がイライラした様子で声を張り上げる。ああ、分かる気がするぞその気持ち。さとりは心が読めるから二人で会話するときはこの上なくスムーズに進むんだが、三人以上で会話すると残りが置いてけぼり感をくらうんだよな。
だが、それにしたって霊夢のヤツ、少々短気過ぎやしないだろうか。思えば登場して早々俺に拳を突き立ててきたし、つまりは最初から怒ってたということだ。はて、どうして霊夢は怒っているのだろう。
「ああ、これは失礼いたしました。 ……ところで霊夢さん、ここに来た当初から随分気が立っている様子ですが、どうかされましたか?」
俺の考えていた疑問を、さとりが霊夢に向かって口にする。こうなると霊夢が答えようが答えなかろうがさとりにとっては関係ない。人は疑問を投げかけた時点で回答を思い浮かべてしまうものなので、さとりには筒抜けなのである。 ……まぁ心が読めない俺にとっては、結局何も分からないのだが。
「な、なによいきなり…… そんなの、アンタには関係……」
「ああ、なるほど。 ……ふふ、そういうことですか」
「……って読むな!」
さとりが霊夢の心を読み取り、少し不適な笑みを浮かべる。さとりにとってはそれは単なる納得の表情なのたろうが、霊夢にとっては単なる煽りにしか見えないんじゃないだろうか。「くくく、お前の心を読んでやったぜ」的な。誤解とはこういったところから生まれるんだなと思った。
「あのですね真さん、霊夢さんは……」
「! ちょっ……」
「……あー、待て待てさとり、別にいい」
霊夢が怒っている理由を教えようとしてきたさとりを、俺は腕を突きだして制止させる。考えてみれば、霊夢が怒ってる理由なんて一つしかないし、そうなると霊夢は俺に対して怒っているのだ。それならばさとりから理由を教えてもらうのは駄目だと思った。
「……いいんですか?」
「ああ。霊夢が怒ってる理由には見当がついてるからな」
「……そうですか。ならいいんです」
さとりが俺の横へと移動して、霊夢と対峙する形になる。霊夢が俺に対して怒っているなら、俺がするべきことは一つしかない。当然、霊夢に謝るのである。
「あー……その件に関しては本当にすまなかった。ごめんな、霊夢」
「! ……べ、別に、そうやってちゃんと謝るなら許してあげないことは無いわ。どうやらちゃんと反省もしてるみたいだし……」
謝罪に対して、霊夢は目線を横に逸らしながらそう返す。正面から素直に謝られるのは意外と面食らうものなのだ。
ああそれにしても、やはり俺に対して怒っていたのか。ひとまず予想が合っていて一安心だ。
そりゃそうだよな、宴会から帰ったら神社に穴が空いてたんだから。霊夢が怒るのも当然である。だからこそ俺は霊夢にバレないように、一人で地底までやって来たのだ。
「……実は、それに加えてもう一つ謝らなきゃいけないことがあってだな…… 神社に噴き出してる間欠泉、もうしばらく止むことはないみたいで……」
しかし問題はもう一つあった。言わずもがな、間欠泉を止めることが失敗に終わったことである。
もしかしたら霊夢は、俺が間欠泉を止めに来たことは知らなかったかもしれない。しかし失敗は失敗だ。俺は自分のミスを真摯に受け止め、霊夢にもう一度謝罪しようする。すると、
「……は? 真は何の話をしてるのよ」
霊夢が不可解そうな顔を作る。何の話って、間欠泉が起きたことに謝ったんだから、それに関連しての謝罪に決まってるだろう。
それとも霊夢は、先の俺の謝罪を別の意味で受け取ったのだろうか。その確認をするために、俺は今一度霊夢に問いかける。
「何って……え? 霊夢は、俺が神社に間欠泉の穴を空けたことに対して怒ってるんだろ? おそらくは、紫あたりから事情を聞いて」
「……っ!」
霊夢が、今度は眉を吊り上げて口元をムッとさせた表情に変わる。これは……誰がどう見ても怒っている表情だ。これで霊夢が喜んでると思うヤツがいれば、そいつは永遠亭に行って目の病気じゃないか調べてもらったほうがいい。
これはいったいどうしたことだろうか。答えを求めてさとりのほうを見てみると、さとりはさとりで呆れたような目をして俺を見てきた。
「真さん……それは
「え……無いって何が」
「……さぁ。彼女に聞いてみたらどうですか?」
さとりがそう言って霊夢をチラリと見る。やはり俺が謝っている理由が霊夢の考えていたものと違ったのだろう。無いとまで言われるのは心外であるが。
「えーと……霊夢、俺まだ何か怒られるようなことしちゃってたかな? ちょっと思いつかないんだけど……」
「……」
さとりの言う通り霊夢に尋ねてみるものの、肝心の霊夢からの返事は無い。変わらず不機嫌そうな顔でこちらを見ている。
これは……自分で考えろということか。分からないからこうして霊夢に聞いたんだが、怒っている原因というのは自分の口で言うよりも、相手に察してもらいたいものかもしれない。
俺は灰色の脳細胞をフル回転させ、霊夢が怒っている原因というのをもう一度深く考えてみる。といってもやはり神社に間欠泉の穴が空いたこと以外には、霊夢が怒る理由が思い当たらないのだが。
「……あ、そうか。もしかして……」
「!」
ここで、頭に別の回答が浮かぶ。そうだ、原因はやっぱり間欠泉が起きたことで間違いない。ただここで霊夢が怒っているのは、その後の俺の行動なのだ。
おそらくは、黙って地底に来たことが悪かったんだろう。さとりのほうに目をやると、さとりもうんうんと頷いている。
「間欠泉が噴き出したことを、俺が隠し通そうとしたのが
「……」
「あ、あれ、霊夢?」
「……真の、馬鹿ー!!!!」
「ぐはぁっ!! 二度目!?」
先ほどと寸分
「私が! そんなことで怒るわけないでしょうが! いちいちそんなことでキレてたら、私の身がもたないわ!」
「……へ? そ、そうなのか? じゃ、じゃあ霊夢がいない間にこっそり酒を飲んでたのが悪かったとか……」
「それも違う!」
「うぐっ!」
三発目。いつの間に霊夢はこんなに暴力的な子になってしまったんだろう。いくら子どもの力でも何度も殴られるのはさすがに痛い。一発目からかなり痛かったけど。
「私が異変解決から戻ったら、なんでも一つ言うことを聞いてくれる約束だったでしょ!! それなのに天界の宴会から戻ってきたら真いないし! せっかく楽しみに待ってたのに!」
「……? ……あぁ! あれか!」
答えが出ないことに堪えかねた霊夢の口から、ようやく怒っていた原因を聞かされる。
なるほどなぁ。確かによーく思い出してみたら、地上の天気がおかしかったときに、そういう約束をして霊夢を異変解決に行かせた覚えがある。
俺としては、そんな約束などしなくても霊夢の我儘くらいいつでも聞いてやるのに、などと思っていた。それ故に深く記憶にとどめておくことをしなかったのだ。
まさかこんなことで霊夢が怒っていたとはな。いや、こんなこと、と物事を軽く考えるのはやめておこう。子どもなんていつでも我儘を言っていい立場だと思うが、霊夢はこういう約束でもないと、我儘を気軽に言えない子なのかもしれない。
「ええと……霊夢ごめんな? 俺すっかり忘れてて……」
膝を曲げて腰を落とし、霊夢と同じ高さの目線に合わせて霊夢に謝る。自分が悪いと思ってるなら、相手を見下ろすような形で謝るのは駄目だと思った。後はまぁ、また腹を殴られるのを回避するという目的も少しあったが。
「地上に戻ったら約束通り、霊夢の言うことをなんでも聞く。 ……これで許してくれないか?」
「……」
霊夢が再び沈黙する。既に約束していたことをもう一度約束し直しただけでは納得できないのは分かるが、だからといってどうしたら霊夢の機嫌が直るのかは俺には分からない。しかしそれでも今の俺にできることは、反省の色と誠意を見せることとだと思った。
「…………、……一つだけ?」
少し長い沈黙の後、霊夢がそう小さく口にする。霊夢の表情が見えないため、怒っているのか悲しんでいるのか分からない。
「! い、いや二つだ! 地上に戻ったら霊夢の言うことをなんでも二つ聞く!」
この手のことは、相手が言葉を出してくれなければどうしようもない。やっと霊夢が言葉を出してくれたんだから、このチャンスを生かして霊夢の望む答えを返さなければ。
「……三つ」
「……え?」
「……三つよ! 私の言うことを三つ聞いてくれるなら、それで許してあげないこともないわ!」
顔を上げ、指を三本立てながら霊夢が言う。許してくれる条件を相手から言ってくれるならこっちのものだ。元々霊夢の我儘なんて滅多に無いんだから、三つだろうが百個だろうが言うことくらい聞いてやる。
「ああ! 聞く聞く! 約束破って本当にごめんな霊夢!」
「……ふん。今度はちゃんと約束を守ってもらうんだから」
霊夢は鼻を鳴らしてそう言うと、腕を組んでふんぞり返る。今だけはそんな態度をとられても仕方がない。約束を忘れていた俺が悪いのだから。
「まったく……そもそも間欠泉なんて私が気にするはずが無いのよ。間欠泉が出たなら、それを売りにすればいい話だもの。参拝客も増えてむしろ好都合だわ」
「……え。そ、そうなのか?」
地底に来た理由の根っこ部分、そこがひっくり返された気がして俺は目を丸くする。
……ううむ、その発想は俺には無かった。確かに人を呼ぶという目線に立てば間欠泉は話題になるだろう。俺は単にそこに住む者目線で考えていたため、空いた穴が厄介な物にしか見えなかったのだ。年を取ると頭が固くなるものである。
『……ほらねー。だから私言ったでしょ。霊夢なら喜ぶんじゃないかしらって』
「……ん?」
霊夢の
「それは……」
「あ、これ? 地上とでも会話できる……通信機?みたいなものらしいわ。紫に地底に行くって言ったら押し付けられたの。呪われてるのか、捨てようとしても捨てられないのよね」
そう言いながら、霊夢は指でツンと陰陽玉を弾く。陰陽玉は弾かれても離れていくことなく、霊夢の周囲をぐるぐると飛び始めた。まるで霊夢を地球に見立てた月みたいだ。なるほど、捨てられないとはこういうことか。
『ちょっと、捨てようとなんてしないでよ。それを捨てるなんてとんでもないわ』
「ああうるさいわねもう」
ドップラー効果を引き起こしながら紫の声を発生させる陰陽玉を、霊夢はむんずと掴んで静止させる。ヒュンヒュンと顔の周りを飛び回り、変な音を発生させるそれは、確かに呪いの装備みたいな感じはする。が、その陰陽玉は、紫なりに霊夢を心配してのことだろう。ああ見えて紫は結構過保護なのだ。
『……それで、霊夢用事は終わったんでしょ? それなら早く地上に戻ってきなさい』
「分かってるわよ。今からでも真をつれて、さっさと地上に帰……」
「あ、二人ともちょっと待ってくれ」
『「?」』
霊夢の頭と陰陽玉から、それぞれクエスチョンマークが浮かぶ。俺を連れ戻す感じで話を進めようとしてるみたいだがそうはいかない。俺にだって都合というものがあるのだから。
「俺は、もう少し
心配事とは、今も気を失っているであろうお空のことだ。霊夢がここに来た以上地上の心配事は解消されたのだから、俺がこの選択をするのは当然だった。
『あら、そうなの? 仕方ないわね……じゃあ霊夢だけ一足先に帰ってきてもらいましょうか』
「ああ、そうしてくれ。霊夢、地上に戻って華仙に会ったら、もう少し地底にいるけど心配するなって伝言を……」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
霊夢が声を張り上げる。ここに来てから霊夢は声を張り上げてばっかりだ。その原因はもれなく全て俺なんだけど。
「心配事が残ってるって何!? 間欠泉の話はもう終わったはずじゃない!」
「……あー、それなんだが、間欠泉とはまた別の話があってだな…… いや、まるっきり別ってわけでも無いんだが……ええと、説明が難しいな」
「それに、せっかく真を連れ戻しに来たのに一人で帰れですって!? 私の言うことを聞くって話はどうなったのよ!」
「や、それは地上に戻ってからの話で……」
「……はい、そこまでです」
パン、と両手を勢いよく叩きつけた快音が屋敷に響く。音の主は俺と霊夢の間に割り込んできた地霊殿の主。助かった、さとりが俺と霊夢の仲裁役になってくれるみたいだ。
さとりはまず、俺のほうに顔を向けて言葉を口にする。
「……真さん、せっかく来た霊夢さんをそのまま帰すのは、いくらなんでもどうかと思いますよ」
「む……それもそうなんだが……」
次に霊夢のほうを向いて、
「霊夢さんも、真さんが地底に残る理由は私のほうから説明しますから落ち着いて。一応私も関係者ですからね、説明くらいはできるんです」
「むぅ……」
霊夢の勢いが止められる。よし、これで霊夢にも話が聞いてもらえる状態になった。さとりはどうやってまとめるのだろう。
「……ただ、説明は長くなりますから、今日のところは霊夢さんもここに泊まっていってはどうでしょう? ここには温泉もありますよ」
「……え? お、温泉……? い、いいの泊まっても……?」
「ええ、もちろん。紫さんもそれでいいですね?」
『む……』
紫が、霊夢と同じような反応を返す。やはり付き合いが長いと似るんだろうなとは思うがそれはさておき。ここで紫がイエスと返せば、一旦話はまとまることになる。
まったく、たいした手腕である、これほどあっという間にまとめてしまうとは。霊夢を泊まらせるという考えはさとりにしか出せないものだとしても、結論を先延ばしにする俺とはぜんぜん違うなと感心させられた。
『……分かった、今日のところはそれでいいわ。でも明日になったらちゃんと霊夢を帰してよね』
陰陽玉の奥にいる紫がそう口にすることで、いよいよ話はまとめられた。うぅむ、紫は霊夢のことが大好きだな。俺の帰りももう少し心待ちにされると嬉しいのだが。
『……真も、できるだけ早く帰ってきてね』
「……! ああ、そりゃあもちろん……」
『……へー、霊夢さんも真さんも、今日は地底に残るんですか。それは寂しいですねぇ紫さん』
「……ん?」
急に陰陽玉から、紫ではない声が聞こえてきた。今のは、文の声だろうか。
どうして文が紫と一緒にいるのだろう。その疑問を思い浮かべるのとほぼ同時に、陰陽玉から次々と声が聞こえてくる。
『えー! 霊夢今日帰ってこれないの!? なんで!?』
『なんだ、久しぶりに神社に来たってのに。霊夢がいないなら
『やめときなー、後で絶対怒られるよ』
それぞれ、天子、魔理沙、萃香の声だ。どうやら紫たちは博麗神社にいるみたいだが、家主不在の神社にどうしてこうも人が集まっているのだろう。おそらくは、宴会が終わってから皆でまとまって来たのだと考えられる。
『あ! もしかしてそこに真いる!? ねえねえ真、神社に間欠泉が起きたのって、私が地震を起こそうとしたからじゃないわよね!? なんか紫がものすごく睨んでくるんだけど、私のせいじゃないわよね!?』
「天子か。そうだな、お前が紫に睨まれているのは、お前がうるさいからだと思う」
『真と霊夢はもう少し地底に残るんだね~、了解。その間は私に神社をまかせといて~。間欠泉も、私が整備して温泉には入れるくらいはしておくよ~』
「おお萃香、すまないな。ありがとう、助かる」
『真さーん! 地底から戻ってきたら……』
「文、お前は帰ったら説教だ」
『ええ! なんで!?』
陰陽玉から次々に言葉が聞こえてくる。どうやらこの陰陽玉、こちらからは通信が切れないようで、霊夢が一方的に無視しないための細工らしい。向こうが話しかけてくる以上、そんな細工が無くても俺は無視はしないけれど、それでも少々やかましく感じる。
『温泉! そんなのもあるのか! できたら早く入りたいぜ!』
『あ、萃香、私も温泉を作るの手伝うわよ! 天人の力とコネを持ってすればそれくらいは……って紫がまた睨んでくる!』
『……貴女、また神社の土地を奪おうなんて考えてるんじゃないでしょうねぇ?』
『げっ、バレてる!』
陰陽玉は次々といろんな人の言葉を吐き出してきて、本当に呪いの装備みたいである。霊夢がここに来る道中も同じようなことがあったのならば、登場して早々霊夢の機嫌が悪かったのはこいつらのせいなんじゃないかと俺は思った。
「……あー、紫。話はまとまったってことでいいか? 霊夢は今日地底に泊まっていくということで」
『……え、ええ分かったわ。 ……ちょっと待っててね、少し席を外すから、また後で』
や、したい話も残ってないから、もう通信してこなくていいのだけど。そう返事をする前に、紫が天子の名前を呼ぶ声と、次いでドタドタと慌ただしい足音が聞こえてきて、最終的に通信が途切れた。
「……さて、静かになりましたね。では立ち話もなんですから、どこか部屋まで行きましょうか」
今の通信の終わり方に何の感想も持たずそう言ってのけるさとりは、なかなかに大物の器があると思った。歩き始めるさとりの後ろを、霊夢と共についていく。
こうして霊夢と地霊殿の中を歩いていると、経緯も目的も何一つそうとは言えないんだが、なんとなく、霊夢を温泉旅行に連れてきたみたいだな、と思った。