東方狐答録   作:佐藤秋

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お空「caution! caution! 注意だよ!」

さとり「今回の話より、警告タグにR-15を追加しました。苦手な人がいるかもしれないのでご注意ください。 ……ところで、このタグを追加するの遅すぎませんか? 私、第二十四話でお風呂に入ったりしてるんですけど。そのときにでも追加されておくべきだと思います」

お空「さとり様以外にも、『このタグをつけておくべきなんじゃないか』って考える人がいたら是非言ってね! それでは本編どうぞ! 私はもうすっかり元気だよ!」




第九十七話 地霊殿後 余話

 

 お空の能力が暴走してから、一週間ほど経っただろうか。霊夢は既に地上に戻っているが、俺は未だに地底に残っている。お空が能力を制御できるようになるまで相手をするためだ。

 お空の能力制御の修行はなかなかに順調であり、もう俺は必要無いんじゃないかと思う。というか元々お空には、能力を制御できる実力が備わっていた。俺の役目は、『仮に私が暴走しても、真がいるなら止めてくれる』と、お空に安心感を抱かせるという単純なものだったのだ。

 

 今日までずっとお空の相手をして過ごしていたというわけではなく、空いた時間にはそれなりに自由に過ごしていた。温泉は未だにさとりから禁止されているが、外出などは自由に行える。そもそも俺が怪我をしていることはさとり以外は知らない以上、地霊殿でずっと安静にするのも変な話だろう。一部の火傷についてはお燐にもバレてしまったけれど。

 俺が出歩くのは基本的に夜だ。お空の修行が無くて、地底の町もそれなりににぎやかな時間帯。水蜜やぬえなど妖怪寺の連中に会いに行ったり、ヤマメやパルスィたちにお土産を渡しに行ったり。それなりに知り合いのところを回って、地底での生活を満喫していた。

 

 そして今日もまた俺は、夜になって地底の町を出歩いていた。

 

 

 

 

「--いやー、まさか真が地底に帰ってきてたとはねぇ! 帰ってきてたなら言ってくれればよかったのに!」

 

 勇儀が俺の背中を叩きつつ、豪快に笑いながらそう口にする。ここにいるのは俺と勇儀の二人きり。俺たちがどこにいるかというと、勇儀が地底で(ねぐら)にしている家の一室である。

 背中に怪我は無いとはいえ鬼の力で叩かれるのは痛いんだけど。まぁ楽しそうにしている勇儀にわざわざ言うほどのことでもない。床に敷かれた座布団の上で、俺と勇儀は横に並んで座っていた。

 

「すまんな、今までちょっと忙しくて。会いに行く暇が取れなかったんだ」

「ははは、まぁこうして会えたんだから細かいことは言わないさ! ……でもパルスィにはもう会ってたみたいだねぇ、この私を差し置いて……」

 

 パルスィの念が乗り移ったのか嫉妬するように、水くさいじゃないか真、と勇儀が言う。そう言うお前は酒くさい。どうやら既にもう酔っているようだ。

 今日勇儀に出会ったときには、大勢の鬼たちと居酒屋をはしごしている途中だと聞いたから、まぁ酔っていることは分かっていた。そもそも勇儀や萃香なんかの鬼連中は酔っていないときのほうが珍しい。

 

「パルスィには地底の入り口で偶然会っただけだ。勇儀もあのときそこにいれば最初に報告できたんだけどな」

 

 俺は少し残念そうな顔をして勇儀に言う。別に俺と勇儀は恋人同士のような特別な関係でもなんでもないのだから、地底に来たら真っ先に会いたいわけでは無いし、会いに行くべき義務も無い。だけど、こう言ったほうが良いと思った。相手の言うことに同意するのは、楽しく会話する上での基本である。

 ……パルスィにはあの後もお土産を渡しに会いに行っているのは、わざわざ言わなくていいだろう。勇儀を後回しにしたつもりなど無いのだが、無駄に悲しませる必要もあるまい。

 

「むぅ……惜しいことをしたもんだね。 ……でもその代わり、今は真を私が独り占めだ! 久しぶりに会ったんだから付き合ってもらうよ真!」

 

 余計な心配だっただろうか、すぐに顔色を変えて勇儀は笑顔になる。今日の勇儀はテンションが高い。俺に久しぶりに会えて喜んでるんだろうなんて自惚れたことは思わないが、そう考えると俺の気分も上がるというものだ。どうせ酔ってるだけなんて冷めることは言ってくれるな、そんなこと俺が一番分かっている。

 

「はは。まぁお手柔らかに。明日に響かない程度にお願いする」

 

 嬉々として俺の杯にも酒を注ぎ始める勇儀を見ながら、つられて飲みすぎないようにしないとなと俺は思った。なんせ勇儀と一対一だ。もう勇儀は既に酔っているとはいえ、と同じくらいの酒を飲んでいたらあっという間に酔いつぶれてしまう。

 まぁ勇儀は無理に酒を飲ませてくることはしないため、一緒に酒を飲むこと自体はかなり楽しみだったりするのだが。付き合いが古いと相手に気を使わなくていいというのもありがたい。

 

 ちなみになぜ勇儀と二人きりかというと、「真もどうだい?」という勇儀の居酒屋のはしごに断った結果、勇儀に首根っこをつかまれて家まで運び込まれたのである。断った理由が「居酒屋を何件も回ると落ち着けない。一箇所でいいだろ」だったため、勇儀の行動は何も間違ってはいない。

 

「それじゃあ勇義、まずは乾杯しようか」

「おう! 乾杯!」

 

 俺が持っている杯を掲げると、勇儀もそれに合わせて杯を突き出してくる。ガシャン、とお互いの杯が大きく音を立てたのち、勇儀は一瞬で自分の杯の酒を飲み干した。

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

 勇儀と二人で酒を飲む。勇儀は俺と飲む前から既に大量に酒を飲んでいるはずなのに、相変わらずいい飲みっぷりだった。

 

「……っ、っ、っぷはー! 真、おかわり!」

「はいよ」

 

 アルコール的にも物理的にも、よくもまぁそんなに飲めるものだと俺は思った。勇儀が飲んだ酒の量は、誰がどう見たって勇儀の胃袋の体積を超えている。あの細い身体の一体どこに酒が収納されていくのかと、下心など全く無関係なところで勇儀の身体が気になった。

 

「……真、どこ見てんの? 私の身体になんかついてる?」

「いや、別に。勇儀も、いっつも同じ格好だなと思って」

 

 まぁ気にはなったのだが、妖怪という常識の埒外(らちがい)の存在に質量保存の法則を説いても仕方が無いなと俺は思い直す。お燐だって普段の姿と猫の姿では身体の重さが変化するし、俺だって狐の姿になれば体重は今と同じではないだろう。妖怪とは常識で測れない存在なのだ。そう自分を納得させた。

 

「……? 変なの。真だっていつも同じ格好じゃん」

「ははは、そうだな。妖怪のほとんどはいつも同じ格好だった」

 

 そう言って俺は、相変わらずの格好をしている勇儀を肴にしながら、注がれている酒を一口で飲み干した。 

 

 

 

 

 少人数で酒を飲むときは、どうしても静かになりがちだ。口が一つしか無い以上、話すことと飲むことは同時に行えないためである。

 しかしながら勇儀と一緒に飲むときに静かな雰囲気なんて似合わない。それならば飲む役割は勇儀に任せて、俺はたくさん話そうと思った。自分のことばかりじゃない。勇儀も楽しめるような話を。

 実際かなりたくさんの話を勇儀にした。

 

「……勇儀は、萃香のことは覚えてるか? あいつがなぁ……」

「萃香! 懐かしい名前が出てきたねぇ! 元気でやってる?」

 

 例えば同じ鬼である萃香の話。萃香の名前が出ることで、勇儀は楽しそうに相槌を打つ。萃香が起こした異変の話で、霊夢が萃香に勝ったという話をしたら勇儀は感心した様子を見せ、今は俺と一緒に神社に住んでいるという話をしたら今度は目を丸くした。

 

「……萃香が、真と一緒に住んでるって?」

「ああ、気が付いたらいつの間にか、な」

「そいつは、驚いたというか羨ましいというか…… 妖怪の山はどうしたんだい?」

 

 次にしたのは、俺たちが昔住んでいた妖怪の山の話。今はもう天狗が山を治めていることを話すと、まぁそうだろうねと勇儀が反応する。

 文という少し困った天狗がいるんだよという話をしたら、じゃあいつか私が地上に行ったときにこらしめてあげるよと勇儀が言うので、俺は笑って遠慮した。文の困った一面もなんだかんだでかわいいのだ。俺に迷惑を掛けない天狗になったら、それはそれで寂しい気がする。

 

「……ほー、相変わらず真は世話好きみたいだねぇ」

「今も昔も、そんな自覚は無いんだがなぁ」

そっちのほう(自覚が無いの)も相変わらずだ」

「? まぁ、たった数年でそう変わらないだろうしな」

 

 話が一段落したなと思ったところで、俺は一口酒を飲む。ずっと話していると喉が渇くもので、最初にあまり飲み過ぎないように決意したものの、既にいつも以上に飲んでしまった。

 

 酒が回ると気分が高揚し、いつも以上に大雑把な性格になってしまう。最初に決めた、飲むのは勇儀に任せ俺は主に話をする役目だというのはどこへやら。俺ばかり話をするのではなく、勇儀の話のほうも聞きたいなと俺は思った。

 思ったら、すぐに言葉が口に出る。

 

「勇儀のほうは、地底で何か面白いことは無かったのか?」

「面白いこと、か。そうだねぇ…… うーん……」

「無いのか? 俺なんて戻ってきて早々面白いことがあったぞ。人間の姿で戻ってきたら、ヤマメとキスメに人間と間違われて食われそうになった」

「……え。ああそっか、真の人間の姿をあいつら知らないんだっけ。あはは、そいつは災難だったね」

 

 災難だったとは思ってなさそうな顔で勇儀が笑う。まぁ、笑い話なので構わない。話を聞こうと思ったのに話をしているところが、いかにも酔っ払いみたいな一貫性の無さである。

 

「それで、どうしたの? 襲ってきたところを返り討ちにしてやった?」

「いや、困ってたらパルスィが来てくれてな。人間の姿でも俺だって気付いてくれて事無きを得た」

「おお、さすがパルスィ!」

 

 感心する様子を見せる勇儀。俺も、だろう? と同意する。なぜか俺と勇儀の間ではパルスィの評価が妙に高い。なぜかというか、普通にいいヤツだからなんだけど。

 

「さて、私のほうは……」

 

 次に勇儀は、自分は何か話が無いかと考える。面白いことはと聞いたが、面白さなんて期待していない。ただ勇儀がしたことを教えてくれればいいと俺は思った。どうせ半分くらいは酒を飲んでるんだろうなと予想される。

 

「……うーん、基本集まって宴会をしてるだけなんだよなぁ。真が地上に行ってから力比べする相手もいなくなって、もっぱら飲み比べの勝負ばっかりしてた」  

 

 やっぱりか。脳内でそう相槌を打つ。基本的に鬼は、酒と勝負事が好きな種族だ。

 

「相手がいない、ねぇ。地底の連中は結構厄介なヤツが多いと思うんだけど」

「真と比べるとどうしてもねー。真だって、そうそう苦戦する相手とかいないだろ?」

「まぁ確かに…… ん、待て、そうでもないぞ。ほら」

 

 勇儀の言葉を聞いて俺は、着物の襟を軽く引っ張りそこから覗く自身の肌を露にする。いくつもある青紫の(あざ)。それを見て勇儀は小さく声を上げた。悲鳴というよりかは感心したような声だった。

 

「……へぇ、これはこれは。どうしたんだいその傷は」

「お空にやられた」

 

 勇儀がジロジロと見てくるので、痣を隠し着物の襟を整えながら俺は言う。この前の、お空が暴走したときにできた傷だ。まだ治っていない両腕の火傷の痕を見せてもよかったのだが、そっちのほうは痛々しいのであまり見せるものではない。

 

「お空? お空ってあの地霊殿の地獄鴉の? あの子そんなに強かったんだ」

「いや、強くなったのはここ最近だよ。なんでも夢に出てきた神様が力をくれて、起きたら強くなってたんだと」

「なんだそりゃ」

「で、力が暴走して、止めるときにできたのがこの傷だ」

 

 そう言って俺は握りこんだ左手で自分の胸を軽く叩いた。左腕の火傷の痕は変化で隠しているままだ。右腕はもうすぐ治りそうなので、左右を逆にするのもそう遠くない。

 

 そりゃなかなかやるもんだねと勇儀は言う。痣を見せたとき、もしかして心配されるんじゃないか思ったが杞憂だった。勇儀と互角に闘える俺にはこの程度の怪我大したことないと信頼されているのだろう。俺も勇儀がちょっと怪我したくらいでは心配したりはしない。

 

「他の連中には、俺が怪我をしてることは内緒にしといてくれよ」

 

 人差し指を唇に当てながら俺は言う。

 

「いいけど、そりゃまたどうして? 何か不都合なことでもあるのかい?」

「なに、暴走して俺を傷付けたとお空が知ると罪悪感を与えてしまうかと思ってな」

 

 勇儀にも言うつもりは無かったんだが、酔うと口が軽くなっていけない。そう俺が続けて言うと、勇儀はなんだか少し嬉しそうに見えた。お空が強いと知ったことが、遅れて笑みに現れたのだろうか。

 

「……なんだ、真はもうそんなに酔ってるの?」

 

 勇儀が楽しそうな様子で聞いてくる。『もう』って、俺がかなり酒が弱いみたいな言い方だ。実際酒は弱いほうなのだが、普通の人でも酔っているくらいの量は飲んでいると思う。

 

「そりゃあ当然酔ってるけど。それなりに時間が経ってるから妥当じゃないか? 勇儀だってかなり酔ってるだろ?」

「なぁに、私はまだ全然だよ」

 

 普段から常に酔っているため、これくらい酔ったうちに入らないと豪語する勇儀。もし勇儀が満足するまで俺たち二人の宴会が終わらないのならば、俺が帰れるのは一体いつごろの話になるのだろうか。途方もないほどの時間が掛かりそうで、俺は少しだけ心配になった。

 

 もっとも、このあとすぐに俺は、そんな心配は必要なかったことを知ることになる。それが決していいことだったとは、残念ながら言えないのだけど。

 

 

 

 

「……あ、そうだ。面白い話とは違うんだけど、ちょっと面白い物があるんだよね」

 

 話が少し戻って、地底での話をするために、勇儀がその場から立ち上がる。面白い物とはなんだろうか。俺は何が出てくるのかという期待半分、勇儀のことだしという予想半分で、勇儀が戻ってくるのを待つ。

 戻ってきた勇儀の手にはやはりというべきか、酒が入っているであろう一升瓶が握られていた。

 

「……なんだそれ。『鬼ごろし』?」

 

 一升瓶のラベルに墨痕淋漓(ぼっこんりんり)鮮やかに書き付けられている文字を読み上げる。おそらくそのビンに入っている酒の名前だろうが、なんて物騒な名前だろう。

 名前の通りなら勇儀が死んでしまうんだが。俺は勇儀に死んでほしくないし、そんな原因で死なれたら泣くに泣けないというものだ。

 

「ははは、そう警戒しなさんな。これは最近地底で作った酒なんだ。鬼でも酔える強い酒ってのを造ってみた」

「……まぁ、本気で鬼を殺す酒だとは思ってないけど」

 

 だがそれでも、別の意味で警戒はしてしまう。鬼でも酔えるってことはつまり、勇儀でも酔わせてしまう酒なわけだろう? 俺より遥かに飲んでいながらまだまだ余裕な顔をしているこの勇儀を。

 そんな酒、俺が飲んだら気絶するぐらいあるんじゃないか。死なないのなら別にいいけど、あまり情けない姿は勇儀にだって見られたくない。

 

「真も一杯どう? ほら」

 

 再び座布団に腰を下ろした勇儀が、鬼ごろしを杯に注ぎそのまま俺に差し出してくる。注がれたのは勇儀がいつも持っている、普通の杯に比べてかなりの大きさを誇る杯だ。

 そんな大量に飲めるはずがないので、丁重に俺は断っておく。というか勇儀も本気で飲ませるつもりはないのだろう。先ほどまで勇儀が使っていた杯に注いだのがその証拠だ。

 

「いらないよ。でも……」

「お? でも?」

 

 しかし怖いもの見たさという言葉があるように、ほんの少しだけこの酒に興味が注がれる。いくら強い酒とは言ってもそこまでヤバいものでも無いんじゃないか? 酒には弱いが飲んで記憶を失ったことは無いし、酔うなんてのは気合があれば我慢できるような気もする。ほらあれだ、麻酔を打たれても頑張れば意識を保てそうだとか、睡眠薬を嗅がされても頑張れば眠らないんじゃないか、みたいな根拠の無い自信のような感じ。 

 そう思った俺は、勇儀の手にある杯に顔を近付け、匂いだけでもと嗅いでみた。すると……

 

「……っ!」

 

 鼻の奥に強烈な匂いが侵入してきて、俺はすぐに勇儀の杯から距離をとる。酒の匂いというかアルコールそのものの匂い。その刺激を追い出すようにゴホゴホと咳が出てきて、ついでに涙も少し出てきた。

 前言撤回。気合でどうにかできるものじゃない。頭の奥がくらくらする。匂いだけでも酔ってしまいそうだ。

 

「……っかぁーっ、キツい」

「ははは、まあ真には無理だろうね」

 

 けらけらと楽しそうに笑いながら、勇儀は持っていた酒を一気に飲み干す。俺が匂いだけで()せた酒をあんなに軽々と飲むなんて。見ているだけで胸焼けを起こしそうになってきた。というか多分起こした、胸痛い。

 

 勇儀は杯から口を離すと、ぷはぁ! と大きく息を吐く。漫画だったら間違いなく白く描かれているであろう酒気帯び吐息。俺は目の前の勇儀の息を吸い込まないよう空気を拡散させながら、先ほどより少しだけ顔が赤くなっている勇儀に、うまいか? と一言尋ねてみる。

 

「いやいや~、全然うまくないよぉ。鬼ごろしは酔わせることに特化した酒で、味は度外視してるからね~」

 

 ふにゃんと頬を緩ませた表情で、語尾を変に伸ばしながら勇儀は言う。美味しくないと言いつつもそんな表情に全く見えないが、酔えれば勇儀は満足なのだろうか。確かに先ほどとは違い勇儀は酔っているように見える。いや最初から酔っ払ってはいたのだけど。

 

「味は度外視って……そんなのを俺に勧めてきたのか」

「なんだよぅ、宴会で酒を勧めるのは当然だろ~? それに私は真の嫌がることはしたこと無いよ~」

「……まぁ、そうだな。冗談だよ。勇儀がそんなヤツじゃないのは知っている。だから勇儀と飲むのは結構好きなん……」

「さぁて、もう一杯いくよ~」

「聞けよ。いま俺なかなかいいこと言ってたぞ」

 

 勇儀は再び、一升瓶に入った鬼ごろしを自分の杯に注ぎ直す。美味しくないと言っていたのに。これが『まずい、もう一杯』というやつだろうか。

 二回しか杯に注いでいないのに一升瓶は早くも空になってしまったようだ。一杯の量に驚いている俺を尻目に、勇儀はまたも鬼ごろしという酒に口をつける。まるで水みたいにゴクゴクと喉を鳴らして酒を飲む姿は、さながら砂漠でようやくオアシスを見つけた旅人のようだと俺は思った。旅人とは違いこちらは見ていて安心できるどころか、逆に不安になってくるけど。ただもし勇儀が酔いつぶれたら、介抱するのはちょっとだけ楽しみだったりする。

 

「……っぷはぁ! うん、美味しくない!」

「……あー、お疲れ?」

「美味しくなかったから、別の酒で口直しを……ありゃ?」

 

 杯にあった酒を飲み干し、なんだか焦点が定まっていないような目で勇儀が周囲を見渡す。周りにあるのは(から)になったビンやらコップやら瓢箪ばかり。よくよく探せば中身が入っている物もあるのだが、勇儀が手に取るのはことごとく全部がハズレだった。

 

「……むぅ」

「ははは、なにやってんだよ勇儀」

 

 そんな間抜けな様子の勇儀を見ながら、俺は自分の杯に残る酒を口に含む。俺は俺で鼻に残った鬼ごろしの口直しがしたかった。

 アルコールをアルコールで消すなんておかしな話だが、それほどまでに鬼ごろしの風味は凄まじかったのだ。それはもう、酒の味なんて分からない俺が、普通の酒なら美味しいと感じてしまう程に。心なしか口をつけている杯の角度も、いつもより少し高くなっている気がする。

 

「……ん? なんだぁ、まだあるじゃん。真、ちょっと私にも一口分けて……」

「……? ……!」

 

 飲み始めた姿の俺を見て、勇儀が俺の杯に手を伸ばしてくる。数秒くらい待てばいいものを。俺はまだ飲んでいる最中なのに。

 杯を持っていない手で勇儀の手を払えばよかったのだが、俺は避けるという選択肢を選んでしまった。最近ずっと片手で生活していたためだろうか。勇儀の手から逃れるべく、俺は座ったまま器用に後ろへと下がる。

 

「え? ちょっ……うわっ!」

「!」

 

 それでもなお手を伸ばそうとしてきた勇儀が体勢を崩し、前のめりになって倒れてきた。酔っていると咄嗟の判断も鈍るもので、俺は勇儀を支えることに間に合わない。

 それどころか自らを支えようとした勇儀の手を俺の杯を持つ手が互いにぶつかり、そのまま俺は押し倒された。出来の悪いコントでもやっている気分だ。

 

「っ、げほっ! げほっ! うわ……酒が……」

 

 倒れた拍子に飲んでいた酒が気管に入り咳が出る。その上こぼれた酒が口元や襟を濡らして気持ち悪い。

 杯を落として割らなかったことだけは自分を褒めつつ、それ以外のところは要反省。さっさと手に持っている酒など飲み干してしまえばよかったのだ。もしくは飲めないにしてもこぼさないように口の中にすべて含むか。ゆっくりと酒を飲む俺の癖が変なところで仇となった。

 

「う……冷たい。それにスースーする」

「ああ、勿体無い……」

「……そっちのほうの心配かよ」

 

 のしかかったまま俺の胸に顔を乗せている勇儀に対して、ため息と同時にそう口にする。こぼれた酒の心配よりも倒れて濡れた俺の心配をしてくれまいか。

 もしくは謝罪。多分今の場面を見た十人の内の八人は、勇儀のほうに非があると判断してくれると思う。酒だけに、酌量の余地は無いのである。いま俺そこそこうまいこと言った。

 

「……勿体無い、じゃないよ。ほら、どけ勇儀。それと、なにか拭くものを……」

 

 両腕も、乗っている勇儀が邪魔で動かしにくい。俺はあごで勇儀に、体の上からどくように指示をする。

 酒で濡れてしまった俺にくっついていると、勇儀まで濡れてしまうだろう。いやもう濡れてしまっただろうか。そのことも考慮して、ついでに拭くものも頼もうとしたのだが。

 

「……いや、まだ飲める」

「? お、おい勇儀……?」

「……あー、んっ」

「っ!?」

 

 何を思ったか、勇儀が俺の首元に噛み付いてきた。先ほど零した酒により濡れた部分だ。

 吸血鬼のように歯を立てるような噛み付きではなく、ただ上唇と下唇で挟むだけ。ここにも痣はあるものの、痛みは特に感じない。

 

「……あー、勇儀? 痛くは無いんだけど、くすぐったいというか…… それ以上に別の問題があるというか……」

「はむ……ん……」

「ちょっ…… おい!?」

 

 戸惑っている俺をよそに、勇儀は噛み付いてくる位置を少しずつ上昇させてくる。首の少し下から鎖骨を通り過ぎ、今度は首回りを念入りに。たったいま喉仏を通り過ぎた。そこら辺には火傷痕が無く、両腕と違い感覚が残っているため少々くすぐったい。

 

 ふと我に返り、今の状況がとてもまずいことに俺は気付く。フランが冗談で指先や首元に噛み付いてくることがあるが、それとは話が違うのだ。人物的な意味というよりかは、主に部位的な意味で。うまくは説明できないがとてもまずい。

 

「ゆ、勇……」

「ん…… んっ」

()っ、あだだだだだ!!」

 

 火傷の痕があるからなんて理由は無視し、両手を使って勇儀を遠ざけようとする。束の間、外側から大きな力により押さえ込まれた。

 勇儀は抱きしめるような形で、俺の両腕含む全身を押さえつける。鬼の力で動けなくなるほど押さえつけられたら、怪我をしていなくてもそりゃあ痛い。反射的に情けない声が出てしまう。

 

「へへ、口直し…… んっ」

「~~~!!」

 

 唇同士が重なり合い、俺は呼吸ができなくなる。目の前にあるのは近すぎる勇儀の閉じられた目。わぁ、意外と勇儀って睫毛(まつげ)が長いんだなぁ……なんて、現実逃避してる場合じゃなくて。

……ああ、まさかこんな形でファーストキスを終えることになろうとは。昔の記憶は曖昧だからもしかしたら初めてではないかもしれないけれど。

 

 鼻と鼻とが軽く触れ、額には勇儀の角がコツンと当たる。誰かの顔がこんなに近くにあるなんて初めてだ。勇儀に離れろと言いたいのに、口が塞がれているために当然声など出せやしない。 

 この状況を抜け出そうとなおも身を動かそうとするが、少し動くたびに勇儀の腕の力が強くなる。唇以上に密着してくる勇儀の体を引き離せない。なぜだか力が入らない。

 おそらくは、勇儀の口から伝わってくる、鬼ごろしの風味のせいだと思う。キスの味がレモン味なんてのは嘘っぱちだ。今現在の俺の口内にはアルコールの味しか感じられない。

 

「……ぷはっ」

 

 息継ぎのため、勇儀の唇が俺から離れる。やっと自由になった口で勇儀に離れるよう言おうと息を吸ったら、またすぐに口を塞がれた。手ではなく先ほどと同じ唇で。そりゃそうだ、今のは息継ぎなのだから。

 

 相変わらず、勇儀に締められている部分の腕や身体がとても痛い。しかし、できるだけ痛みを感じないように別のところに意識を向けようとすると、今度は口内の様子が鮮明に頭に思い浮かぶわけで。

 四面楚歌。前門の虎、後門の狼。どうしようもないとはこのことである。

 

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………」

「………………、ふう……」

 

 気分的にはかなり長く感じたが、程なくして勇儀の動きが止まる(どの部分の動きが止まったかは敢えて言わない。言わせないでくれ)。そっと唇が俺から離されて、それと同時に俺を締め付けていた腕の力も弱まった。息をつきたいタイミングなのだが、いま息を吐いたのは勇儀のほうだ。俺には息を吐く元気も残っていない。

 

「……」

 

 目の前には勇儀の顔がある。トロンとした目つきに、少しだけ荒れている呼吸。鬼ごろしによって酔ったためのことなのだろうが、今のようなことの後だとなんとも扇情的な雰囲気に見えた。

 なんだか恥ずかしくて勇儀の顔を見ていられない。それなのに勇儀から目を逸らせない。勇儀もまたそんな俺の目を見つめ返し、そしておもむろにニコッと微笑んだ。

 

「……っ!」

 

 そんな勇儀の表情を見て、なぜだか顔がどんどん赤くなっていく気がした。こんなとき、俺はどういった表情をすべきだったんだろう。笑い返すべきか、いや、普通に考えたら怒るべきな気がする。

 

 回らない頭で下らないことに悩んでいたら、また勇儀の顔が近付いてきた。俺は反射的にビクッと身体が震わせ、左手で口元をガードする。

 しかし勇儀は俺の顔を通り過ぎ、そのまま地面に頭をぶつける。身体は俺の上に残ったまま。全体重を俺に任せ、どうやら眠ってしまったようだ。よくよく耳を澄ませてみると、勇儀からは寝息が聞こえてくる。

 

「……はぁ、終わった……」

 

 すっかり静かになった部屋で俺は一人、無意識にそう小さく口にする。なんだかとても久しぶりに、言葉を発せたような気がした。

 

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

「い、いたたたたた……」

 

 宿(ふつか)酔いの頭痛に頭を押さえて、勇儀が布団の上で目を覚ます。年中酒を飲んでいる勇儀であるが、実は宿酔いの姿を見せるというのは珍しい。それほどまでに鬼ごろしとは強力な酒だったのだろう。金輪際、そんな酒を開発するのは禁止にしよう。地底にそういう法を作るんだ。

 

「……ここは……」

「おはよう、勇儀」

「え……真? ……ああ、そういえば昨日は真と飲んだんだっけ……」

 

 あれから、身体の上にのしかかる勇儀からなんとか抜け出し、俺は勇儀を布団へ運んだ。昨日俺を締め付けているときには随分力強く感じた勇儀の身体でも、寝ているときはなんとも柔らかい。抜け出すときと運ぶときにこんなことを思い、俺は少しだけ顔が赤くなった。でもあのときでも唇だけは柔らかかったな、と思い出してしまい、今度はもっと赤くなったのは絶対誰にも知られてはいけない。

 

「……それにしても頭が痛い…… そんなに私飲んだっけなー。途中から記憶が曖昧だよ……」

 

 どうやら勇儀は、昨日のことを何も覚えていないようだった。酔っ払いすぎて記憶を失う経験は俺には無いが、まぁよくあることなんだろう。たとえ酒に強い鬼だとしても、強い酒を飲んでひどく酔えばそこは人間と変わらない。

 良かった、と思うべきなのだろうが、俺はなんとも納得がいかなかった。昨日あれだけ俺を大変な目にあわせておきながら、勇儀のほうは何も覚えていないなんて。ふとした動作が相手を傷付けるなんてことはままあれど、あれはふとした動作で片付けられるような行為ではないと思う。

 

「……勇儀」

「ん? どしたの真」

 

 布団から上半身を起こす勇儀の隣に行き、俺は勇儀の顔をじっと見つめる。きょとんとしている勇儀の顔を見ていると、なんだか無性にイラッとした。

 俺はそのまま顔を近付け、勇儀の唇に自分の唇を重ねる。昨日の勇儀と同じでいきなりであり無理矢理であるが、昨日の勇儀とは違い軽く触れるだけの短いキスだ。

 

「……!?」

「……昨日のお返し。俺だけ覚えてるなんて不公平だ」

 

 勇儀から唇をそっと離し俺は言う。何が起こったのかよく分からないような、そんな感じで固まっている勇儀。俺はメドューサでもコカトリスでも無いのだが、石化の能力でも手に入れた気分だ。

 

 そんな勇儀を見て少しだけ溜飲が下がった俺は、さっさと部屋を出ることにした。もともと勇儀が覚えてないことを予想して、こうするためだけに残ったようなものだ。

 勇儀が固まっているのも丁度いい。三十六計逃げるにしかず、騒ぎ出す前にいなくなってしまおう。そんな姑息なことを考えながら俺はこの部屋の外に出る。出るときに一言、じゃあまたな、と固まっている勇儀に言い残して。

 

 

 

 

「……は? えーと……どゆこと……?」

 

「……あ、そうか、これは夢か…… 真がこんなことしてくるわけ無いもんね。馬鹿だなぁ私、浮かれすぎ」

 

「……」

 

「いたっ! ……あれ、夢じゃない……」

 

「……」

 

「……夢じゃない? ……えっ!」

 

 


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