「入院費は心配しなくてもいいよ。
こう見えて僕はデュノア社の社長だから」
バンッ
その途端、すごい音がして扉が開いた。
一人の女性が恐ろしい剣幕で扉を開けていた。元の顔の造詣は良いと思う。切れ長の目にきれいに通った鼻筋。お母さんが癒し系美人ならば、この人はクール系美女といったところだ。首元に大きめのリボンのついたふんわりとしたブラウスに淡い色のスカートをはいているが、何だか似合っていないなと思った。もっと原色のような濃い色の方がいい。こういう服はお母さんの方が似合うだろうに。
ぼんやりと俺がそう思っていると、扉を開けた勢いのまま俺のもとにツカツカと寄ってきて、
「泥棒猫の娘!!」
バチンッ!
左頬を叩かれた。
「いやらしいわ。泥棒猫が夫を寝取っただけではなく、子どもまで産んで、今度は病気だからってお金を払えと言ってくるなんて!!」
どうしてこうなった?
俺は女性…―いや、デュノア社社長の本妻のヒステリックな声を聞きながら、混乱する頭で、思い返す。
あれからお母さんの上司と言う人が来て、俺を一人にするのもと思ったのか(シャルが学校にいる間は一人で留守番しているのだが)、俺も一緒にデュノア社に隣接している病院に連れて行った。俺自身もお母さんの容体が心配だったし、着いて行くことに異論はなかったが。
お母さんの診察がされている間、もう一人上司だと言う人が現れた。すると、ここまで連れてきてくれたおじさんが深く礼をする。どうやら、後から来た人の方が上の人らしい。車で送ったおじさんは出社し、代わりに後から来た人が一緒にいてくれることになった。会社は大丈夫かと聞いたが、「僕がいなくても大丈夫。みんな優秀なんだよ」と言ってへにゃりと笑う。左手に結婚指輪をしているが、絶対にこの人は奥さんに尻に敷かれるタイプだろうなぁ。
何か会話すべきかと思ったが、それ以上に母さんが心配で、胸がふさがったように言葉が口から出ない。おじさんもその雰囲気が伝わったのか、二人して黙って診察室の前の椅子に座る。
どれほど経っただろうか。
お医者さんが、おじさんを俺の父親とでも思ったのか、彼にお母さんの病状を伝えた。俺は相変わらず診察室の前の椅子に座らされていた。
おじさんは深刻な顔をしていた。お母さんの様子を見たくて、どうしてもと言うと渋々病室に連れて行ってくれたが、…そこは無菌室だった。お母さんは眠っている。
ただの風邪のようだったのに、このものものしい部屋とお母さんの腕から伸びるチューブを見て、座り込みそうになった。実際おじさんがいなければそうしていただろう。
「大丈夫かい?」
おじさんが俺を支えてくれていた。
俺は大丈夫と言いたかったが、声が震えそうなので頷くだけにした。
おじさんは、申し訳なさそうに俺にも診察を受けてもらわなければならないと言う。何でもお母さんの病気に俺もかかっているかもしれないからだとか。
何だよ、お母さん。そんな悪いの?俺、何で気づかなかったの?
……俺は、お母さんを救うために、ここに、いたんじゃ……
俺は、ふらふらと指示されるままに体にぴったりとした服を着てスキャンなどを取ってもらった。
検査後、ひどく疲れている俺を見てお母さんが起きるまで時間があるだろうし、デュノア社も近いからそこでお茶でも飲もうかと言った。俺はゆるゆると首を横に振ったが、おじさんは見ちゃいなかったようだ。半ば強引に俺をデュノア社まで連れて行った。
通された部屋は豪華な応接間だった。そこにあったソファに腰かけると、体が深く沈む。今の俺のへろへろな足では立ち上がるのに苦労しそうなくらいだった。「今はついでくれる人いないからね」と笑い、おじさんは慣れない手つきで俺に温かい紅茶を差し出した。
「母は」
苦い紅茶がむしろ意識をしゃんとさせる。
もう一口すすって口の中を紅茶で湿らせると、俺はようやくお母さんの容体を聞くことができた。
母は、とだけしか言わなかったが、おじさんは俺の聞きたいことを正確に読み取ったようだ。
「君のお母さんは、重い病気にかかっていて…しばらく入院しなきゃいけなくなったんだ」
絶句してしまった。
「母は…大丈夫なんですか」
「――大丈夫さ…。
ただ、さっきも言ったように、君のお母さんは、長く入院する必要がある。お母さんが治るまで、僕の…いや、子どもを預かってくれる施設があるから手配するよ。君とシャルロットちゃんはそこで暮らせばいい。僕が君たちの暮らすお金を出そう。
あと入院費も心配しなくてもいいよ。
こう見えて僕はデュノア社の社長だから」
そのあと女性が入ってきて殴られたのだ。
それにしても、「泥棒猫の娘」…このセリフはもしかして…
「お前、子どもに手をあげるなんて、ひどい…!」
「うるさい!!!!」
女性の叫んだ声が、俺を現実に戻した。
おじさん…いや、デュノア社社長も固まっている。
「あなたの方こそひどい…!愛人を作って、そのうえ子どもまで孕ませて…!」
社長は焦ったように声を上げた。
「そ、そんなことは…」
「しらばっくれる気?!…あなた、4か月ほど前シャロン・アズナヴールが刺されたって報告されたとき、動揺していたわよね?」
「…そ、それは社員の子どもが事件に巻き込まれたら誰だって…」
「嘘!!」
社長が何か言うほど女性の目がぎらぎらとしていく。
「彼女があなたの子どもだからだわ!私、あなたが以前調査したDNA検査の結果表を見つけたの」
女性は俺の方を初めて見た。俺は前世も含めて、こんなに恨みの目で見られたことは初めてだった。
「あなたの子どもだから、愛人だから、情けをかけるんでしょう?!だから、この子たちを養おうとするし、泥棒猫の為に病院だって手配したんだわ!!」
「違う…!!僕は確かにミス・アズナヴールと…関係を持ってしまったが、一度きりのことだし、子どもが生まれただなんて報告を受けていなかった!病院は、女性社員を無下に扱うと風評が悪くなるから手配したまでだ!暮らしに関しても同じだし……それにその子は……ISの適性があるんだ!双子のシャルロットもその可能性があるし、養っておいて損はないだろう!?」
部屋に社長のはぁはぁという息と、…俺の息を飲む音だけが響いた。
こいつとお母さんの間に愛はない。
この女尊男卑の世の中で、「女」を孕ませたという風評が心底嫌で、保身ばかり考えているんだ。
それに俺とシャルを利用しようとしている。
しかし、俺がいつIS適性検査を…さっきか!お母さんの病室に行った後の、俺にも病気があるかもしれないというのは嘘か!?
俺が怒りのあまり震えていると、本妻が口を開いた。
「今は女尊男卑の時代だもの。さらに前社長の娘であり元々地位もある私が、夫に愛人ばかりでなく私生児も作られたと訴えたらどうなるかしら?世間からの糾弾、多額の慰謝料、不埒で女性を敵に回した男…
ねぇ、あなた。私を愛している?」
先ほどまでの叫び声とは違い、穏やかだが、その数倍恐ろしく甘い感じがした。
「も、もちろんだ…」
「私も愛している。だから、信じるわ」
社長に向ける目は優しくてまるで慈母のようだ。ただ、口元だけが歪に弧を描いている。
「あなた、私を愛しているなら、アズナヴールと二度と会わないし、その子どもも利用こそすれ、個人的に会うなんて
…もちろんするはずないわよね」
「あ、ああ」
これは脅しだ。そんなことすれば世間に訴えるぞという脅しなのだ。
「じゃあ、あなたの代わりに、私はアズナヴールとその子どもの相手をするわ。だって、もう二度と会わないって言ったものね?」
「ああ…」
肯定の言葉というよりもはやうめき声だった。そのままよろよろと応接室の扉に手をかけ、
「……ミス・アズナヴールとその子の対応を一任するが…ミス・アズナヴールは優秀な社の研究員だし、その子どももISに乗れる…。
デュノア社の繁栄と利益の為になる対応をするよう、良ければ行動してほしい…」
それは俺たちに対する謝罪か、命乞いなのか。もう分からない。
問い詰める機会もないだろう。
本妻は「もちろんよ」と軽やかに言ったが、それを聞いた途端、拳をぎゅっと握りしめたのが見えた。手入れされた爪が掌に食い込んでいる。
俺は、もう「父親」に会うことはないのだから。
社長が出て行き、部屋には沈黙が走った。
扉から目を離し、振り返った本妻は満面の笑みを浮かべていた。
「そうね…
まず、契約してもらいましょうか」
この女が、もう二度と会わせないのだから。