「何で俺まで剣道を…」
「デュノア?何か言ったか?」
「ううん、何でもないよ」
俺は、『にっこり』と効果音が出てもおかしくない笑顔を浮かべた。防具と竹刀を持っている俺と一夏、同様の格好をした箒とクラスメートの四十院神楽さんがいる。
「猫かぶり…」だなんて、横から聞こえた気がしたので、俺はことさらにっこり笑った。そうか、一夏。そんなにボコボコにされたいか。
「織斑くん、頑張ってー!」「デュノアくん、ファイトー!」
ギャラリーの声援が聞こえる。
俺は、一夏と向き合って見よう見まねで礼をし、 帯刀の姿勢をとった。右足からすり足で前に進み、三歩目の足を前に出しながら、竹刀を抜き、しゃがむ。審判役の箒の「はじめ!」の声が剣道場に響いた―。
事の始まりは今日の休憩時間だった。俺が餡パン(食堂のパンの中で一番のお気に入りなのだ)を買いに行こうとして廊下を歩いていると、「織斑」や「篠ノ之」という言葉が聞こえた。どうやら、昨日の一夏と箒の特訓を見に行った女の子がその感想を友だちに言っているらしい。
「昨日の放課後剣道場に織斑くんと篠ノ之さんの稽古を見に行ったんだけどさ…織斑くんって弱いみたい。篠ノ之さんに手も足も出なかったんだー」
「やっぱり男って弱いのよ!」
「もうISだけじゃなくって生身でも女の子より下なのねぇ」
「あーあ、織斑くん狙ってたけど、弱いって…ショックだなぁ」
「基礎中の基礎の授業にもついていけてないみたいだしねぇ」
「あれは驚いたよぉ。電話帳と間違って捨てたとも言ってたし、織斑くんって」
「ねぇ」
女の子が振り返って初めて俺は自分が声をかけていることに気づいた。
何で女子の会話に割って入ってしまったのか分からない。俺は、驚いた顔をしている子たちを見ながら内心では冷や汗で一杯だった。続きの言葉なんて考えているはずない。
「…一夏のことなんかよりもっと面白い話しようよ?たとえば、…僕のこと、とか」
ええい、ままよ!
俺はやけっぱちな気分になって、三流ホストか、下手なナンパ男のようなセリフを吐いた。女の子たちが気恥ずかしそうに顔を見合わせていなかったら穴に埋まりたいと考えただろう。良かった、しらけた顔をされなくて!
「じゃあ、その、デュノアくんは、…剣道ってしたことある?」
その子は聞いた後顔を赤らめた。確かクラスメートの四十院神楽さん、だっけ?黒髪でお団子頭の可愛い大和撫子といった感じの女の子だ。先ほどの会話が尾を引いてこの質問をしたんだろう。小さく「フランス出身なのに…」とか「もっと違う話題が…」とつぶやいている。俺は安心させるようにふんわりと笑って答えた。
「僕はまだしたことないかな。ISでも、剣じゃなくて槍を使うしね。でも、日本伝統の武道なんだよね?興味あるよ」
すると、四十院さんの周りの女の子(違うクラスだと思う)がにわかにざわめいて四十院さんを肘でこづいた。彼女は何かを察して、もじもじとした後、ぱっと顔を上げる。
「あの、私!剣道部なんですけど、よろしければ、暇ならでいいんですが!…今日の放課後剣道場に来てくれませんか?!剣道の体験、出来ると思うので!」
目をうるうるさせて胸の前でお祈りのように手を合わせ、緊張で体を震わせている少女と期待に目を輝かせている彼女の友人の前で、誰が否と言えるだろうか。
俺は「ありがとう。是非行かせてもらうよ」と言いながら、『放課後の剣道場』という言葉に面倒なことになりそうな気配を感じていた。
俺の予感は当たってしまった。
防具と竹刀、胴着を借りて(借り物なので「汗がついちゃ駄目だから」と言って下にタートルネックと短パンをはいたまま胴着を着た)、剣道の基礎を四十院さんに教えてもらっていると、ボロ雑巾のような一夏に話しかけられたのだ。
「シャルル…何でここに?」
後から少し不機嫌そうな箒もやって来たので、俺は「四十院さんに誘われてね。日本の武道に興味があったし、お言葉に甘えたんだよ」と返した。
いいか、箒。そういう訳で、俺は一夏に付きまとっているのではないんだから、そんなに睨むな。
「デュノアくん、そろそろ休憩にしよう?織斑くんの試合見学をすればいいよ」
その言葉を聞いて、ボロ雑巾が床に落ちた…いや、一夏がへたへたっと床にしゃがみこんだ。箒とは実力差がありすぎて、練習というよりもしごきのように感じるとつぶやいている。周りの剣道部の女の子が口々に、「篠ノ之さんは全国一の腕前があるから」「織斑くん、ブランクが長いから」などと言って慰めている。箒は「しごき…だと…?」と怒ったようなショックを受けたかのような顔だ。
「ねぇ、織斑くんとデュノアくんが試合したらいいんじゃない?」
そう言ったのが誰だったのかは分からなかった。しかし、「篠ノ之さん以外とも試合した方がいいよね」「実力差もそんなにないだろうし」「何より目の保養になる」と賛成する一同と、ここで断ったら試合が怖いと思われそうという男の矜持が、俺に一夏との試合をさせたということだけは分かる。
そして、今。
一夏の打った面を体を半身にさせてかわしながら、俺は必死に他に回想することを考えていた。「剣道らしくない避け方するかもしれないけど、ごめんね」とは先に言ってあるから、ずっと紙一重でかわしたり竹刀で受け流したりしているのだが、先ほどからあの、あのビジョンが浮かぶのだ。
もう、覚悟を決めたからには見ないと思っていたビジョンが。
シャルをさらおうとした男。
駆けつけようとする近所の人たちの声が聞こえると、自分を守ろうと…俺を排除するという明確な意思をもった目で、刃物で思い切り俺を切った。
(イタイ…コワイ…!!)
あの男と切られた痛みが、恐怖が体を硬直させる。
何か別のことを考えようとしてもその映像は強制的に俺の脳裏に浮かび、攻撃のために踏み込まなければいけない足が思い通りに動かず、浅い攻撃しか出ない。
男で、竹刀…剣を持っているからだろうか…それとも。
昨夜の一夏の言葉を思い出した。
『俺が男性操縦者として世界から狙われるから千冬姉はもっと俺のために頑張っちゃうと思うんだ。俺は逆に守れるくらい強くなりたい。シャルルのおかげでその覚悟くらいはできた』
防具から見える一夏の目は、『守る』という意志と、目の前の障害を排除するという覚悟で溢れていた。
(ちゃんと昨日の俺の話、覚えててくれたんだな…)
だから、強くなるために、守るために、試合でも敵と仮定して全力で戦うんだ。だから、保身のために俺を敵として殺そうとしたあの男とは違う…違うのに…
完全に男と一夏が重なって見える。
(くそ…!こんなんじゃ駄目なんだよ…これじゃISに乗ったときはどうなる?もし、代表戦で一夏と当たれば?!絶対防御がISにはあるけど一夏は零落白夜があって、…死ぬかもしれないのに、竹刀でこれじゃ…)
避け続ける俺に焦れたのだろうか。一夏が連続して攻撃してきた。
最後の面が体勢を崩しがちになったところを無理して放ったので大分傾いて…俺の左首筋をかすって右に振り下ろされた。
「……ッ!!!!!!」
イタイ!!
コワイ!!
今までにないほど強いフラッシュバックが起こった。
大きく飛びのいたところで、さっきのはそのまま踏み込んで銅をすれば確実に一本取れていたのに、とぼんやり思う。頭の中が『切られた』という衝撃と恐怖でいっぱいになり、意識が朦朧とした。一夏のほうを見れず、足元に視線を落とす。試合場の白いラインテープを越えている自分の足があったので、真ん中に戻らないと、と思ったとき、
「お兄ちゃん、風邪気味なんだから今日は休んでって言ったでしょ!!」
シャル?
そのまま防具が次々とはずされる。
シャルの澄んだ目に青ざめて全身汗まみれの俺の姿が映った。
なさけない。
シャルの前なんだからしっかりしないと、と思ったが、これ以上は耐えられなかった。後ろから誰かが支えてくれたような気がしたけど、お礼を言う余裕なんてなく、俺は重力にしたがって床の方へ倒れこみ、意識を失った。
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目を覚ますと、寮の自分の部屋だった。
胴着は脱がされているが、まだタートルネックやら下に短パンをはいたままなのを確認して安心する。
「しゃる…?いちか…?」
呼んでも返事がないし、二人はいないようだ。
俺は汗でべたつく体と服を何とかするためによろよろと風呂の準備をして、鍵をかけ、湯船に座り込んだ。上から熱いシャワーをかけ、湯船の蛇口を最大に開く。
全身が重い倦怠感に包まれていた。
もう覚悟をしたから、あんな光景見ないんだと思っていた。
実際、あれから女性のIS操縦者と戦うときはブレードを使われても、薄く見える程度になっていたから。
だけど、今日は…。
これから、俺は一夏が戦う姿を…男が剣を持っている姿を、見られるのだろうか…あいつから目をそらしてしまってはお母さんのためのデータも集められない…シャルも守れない…。
「あれは、シャロンさんのきおくで、おれのきおくじゃない…シャロンさんにおきたことで、おれの身に起こったわけじゃ…」
そう言ったところで俺ははっとした。俺の体はシャロンさんのものだし、俺はただシャルとお母さんをシャロンさんのいない間守るために体を貸してもらっている…はずだ。
そうなって、3年とちょっと。
俺は、すでに『シャロンさん』になった気でいるじゃないか?
嫌な記憶だけ思い出したときにシャロンさんを意識して、シャルやお母さんと楽しく過ごしているときにはそれにかまけて、シャロンさんを忘れがちになってきている。自分が男装しなければならないときも、『まぁ、俺は男だから楽だし』と…『原作でもこうだったし、やっぱり変えられなかった』と…どこか軽い気持ちで、『追々対策しないと』程度に…シャロンさんが戻ってくることを後回しにして考えていたんじゃないか?!あんなにシャロンさんの体を乗っ取ってしまったと罪悪感を持っていたはずなのにそれが今では薄れていないか?!もしかして……このままシャロンさんとしてでもいいから、この世に…生きていたいと思っている?
考え始めると止まらなかった。俺は頭までお湯につかる。息苦しくなると、頭がぼうっとしてこの罪悪感が一時でも忘れられるような気がして。胸のもやもやが流されていくような気がして。
いつの間にか、湯船がいっぱいになっており、熱いお湯が外に流れ出るほど長い間つかっていた。
どれくらいそのままでいたか、ドア付近で思い切り何かをぶつける音と破壊音がした。
「シャルル?!」
「い、ちか……?」
一夏のこえだ。脱衣所から聞こえる。
返事をしようと思ったが、視界がぼんやりして、頭がぐらぐらして妙にかすれた声になった。
のぼせた。
そう自覚すると同時に今のままではまずいと脳内のアラートが真っ赤に点灯する。慌てて立ち上がると、すさまじいめまいに襲われた。
何とかバスタブのへりを掴んでからはいずり出たが、近くにあったシャンプーやリンスのボトルなどを次々と倒してしまう。シャワーの音とバスタブからひっきりなしに流れ出るお湯の音、物が倒れる音が狭いバスルームにこだました。
「シャルル!?入るぞ!」
ちょ、一夏?!
俺は重い体を必死で動かして、胎児のように体を丸めて胸を隠した。そのとき、風呂場の扉が開き、冷たい風が入ってきた。
「何でシャワーも風呂も流しっぱなしにしてるんだよ?!溺れる気か?!」
一夏がシャワーと、湯船の蛇口を止め、換気扇を回す音が聞こえた。白く充満していた風呂場の湯気がどんどん薄くなっていく。
シャロンさんが女の子だってバレる!
俺はあわてて言った。
「きず、みられたくない、たおる」
ひどく片言になったが、あまりの吐き気にそれ以上は言葉を発することなんて出来なかった。
一夏は俺の方を見ると、急いで何枚かタオルをかぶせ、後ろを向いた。
「俺は見ないから早くタオルで隠せ!」
体を起こすのも辛かったが、厳重にタオルで胸や股間を隠した。女の子みたいな隠し方だが仕方がない。そのまま立とうとしたが、思うように動けず、風呂場の床にべちゃっと倒れる。
「あー、もう!何でそんなに、無茶するんだよ!!」
珍しく一夏は怒っているようだ。傷口が見えないように俺の上半身を自分の胸にしっかりと押し付けて膝の裏に手を入れ、ベッドに連れて行ってくれた。あれ、これ一夏の方のベッドじゃね?
「いちか、ベッド…」
タオル巻いたとはいえ、俺はずぶぬれだ。
一夏のベッドはすぐぐしょぐしょになった。
「あー、俺のベッドのほうが風呂場から近いからな」と事も無げに言いつつ、一夏は冷たいタオルと水の入ったグラスをよこした。体を支えられてようやく水を飲む。薄い塩味のする冷たい水だった。冷たいタオルは、首筋の傷を隠すように置かれる。ちょっと吐き気が治まってきたところで俺は聞いた。
「なんで、きず」
何で傷のこと知っているんだ?と聞こうとしたが、途中までしか言えなかった。
一夏が俺が全部言う前に話し始めたからだ。
「シャルルが倒れて、俺が医務室に運ぼうと思ったら、シャルロットにこの部屋まで連れて行って欲しい、って頼まれたんだ。風邪なのに寮に運ぶのはおかしいから何でか聞いたら…話してくれたんだよ。傷のことも…誘拐されそうになったシャルロットを助けるために負ったことも…それ以来、お前が剣とか持った人間…がダメだってことも……だから、今日倒れちゃったんだな。言いたいことは色々あるかもしれないだろうけど、今はしゃべるなよ。治ったら何でも聞いてやる」
悔しかった。倒れたことも。俺があの事件がシャロンさんにとってトラウマになっていると隠していたのにシャルに気づかせてしまったことも。そんな過去まで話させてしまったことも。
俺は水を飲んで手首や首筋を冷やし、体をふいてくれている一夏を見ながら、せめて反撃しようとして「けんもった『おとこ』がだめな、だけだ」と言った。一夏は呆れたようにため息をつきながら、「もう一杯飲め」と水を勧める。
そして、着替えを入れた脱衣所の籠を持ってきて、「氷も用意するから、その間に着替えろよ?」と言って離れた。
できる限りダッシュで部屋着の首まで隠すジャージに着替えた。まだ熱かったが背に腹は変えられない。一夏はまだ台所にいる。ゆっくり準備してくれてるんだなぁ。
着替えることに体力を費やした俺は、一夏のベッドのかろうじてぬれていない部分にもぞもぞと這って行って体を丸めた。
しばらくして一夏が帰ってきた。
「シャルル…?」
「またその格好か」と一夏はちょっと苦笑して(また呆れたようだった)、今度は俺のベッドに俺を運ぶ。ベッドの端に座らされ、氷の入った袋を渡された。本当に甲斐甲斐しい。
「いいよめに、なるよ…」
ラウラが嫁にするとか言ってたもんな。ん?あれはただのオタク用語だっけ?
「それ言うなら、婿だろ…」
呆れた声がして、横から冷たい風がふいた。俺の横に立って一夏がドライヤーのスイッチを入れていた。冷たい風が気持ちよくうとうとしてしまう。体を起こしているのが辛いので横にいる一夏にもたれかかってしまった。本当今日の俺はどうしようもないよ。
風呂場でのシャロンさんのことやシャルに勘付かれていたこと、一夏に頼っているこの状況、やっぱり克服出来ていなかったあの事件…
「おれってなさけない」
ぽつりと言葉が漏れた。
体の水分が足りなくて良かったと思う。そうでないと、目から水がこぼれていただろうから。
こんな後ろ向きのことを言う自分が一番情けなかった。今の言葉に一夏はまた呆れてくれればいい。あるいは聞こえてなければいい。
「俺がお前を…」と一夏は言いかけて、口をつぐんだ。
ばっちり聞こえていたらしい。
ちょっと部屋に沈黙がよぎった後、再度一夏は口を開いた。
「俺が練習相手になる。
お前やお前の守りたい人の前に剣をもって立ちふさがるやつがいて、…お前がどうしても無理なら、俺が倒すよ」
「シャルロットやお母さんを守るのはお前の役目なんだろ?」と続けた一夏を俺は意外そうに見た。こいつは何でもかんでも自分だけで守るって言うやつだと思っていた。でも、俺の存在意義…シャルとお母さんを守ることをとらないで、尊重してくれるんだな。
嬉しかった。体に水分がもうちょっと残っていたら涙が出てきそうなほど。
素直に「ありがとう」という言葉が漏れた。
「昨日とは逆だな」と、ちょっと茶化すように言われたので、ムカッときたが、それでももう一度言った。
「……本当にありがとう」
昨日の一夏の言葉と一字一句同じだが、別に一夏の言葉が心に残ったからとかそういう訳ではない。俺の心からの感謝の言葉が偶然一緒だっただけだ。
こんなこと、今後はもうないんだろうから素直に受け取っておけ。
俺はすがすがしい気持ちで笑って、目を閉じた。
「おい…、シャルル?」
一夏のあわてたような声をBGMに俺は夢の世界へ旅立ったのだった。