この世界にくるまでの俺は寝起きが最悪だった。いつまで経っても布団から出ずにタイマーをかけて、鳴ったら止めてまたタイマーをかけての繰り返しだった。だから、午前中の講義もあまりとらないようにしていたっけ。だが、シャロンさんの体になってからはすこぶる寝起きが良い…という訳ではなかったが、起きて10分もすれば布団から出られる。
だけど、今日は体が重い、ような…やっぱり昨日の夜お風呂でのぼせたから調子が悪いんだろうか…。
俺はそう心配しながらゆるりと目を開けると、隣で一夏が寝ていた。
俺は目を閉じた。
再度目を開いた。
隣で一夏が寝ていた。
「………」
織斑一夏が、同じベッドで、俺と向かい合って、寝てる。
しかも、体が重いというのは体調が悪いからではなく、一夏の右腕が俺の体の上に乗っていたからだった。もっと言うと、右腕が背中に回されていたからだった。
(…なんだ)
まだ眠く覚醒していない俺の頭では叫ぶとか蹴飛ばすとかいうことは浮かばず、単にこれでもいいとしか思わなかった。少し固まっている体を動かすと、その拍子に一夏の手がぱたんとシーツの上に落ちてしまった。
温もりが消えて少し寂しい気がするが、腕の中にもぐりこむ体力もなく、もう一度目を閉じる。
瞼の裏側は真っ暗な闇が広がっていて、俺の手の先も輪郭も見えない。
そこでの俺は、シャロンさんではない。
少なくとも姿が見えないのだから、シャロンさんの体にいると思わされなくて済む…それがひどく心地よかった。
現実世界の俺は、シャロンさんで、シャロンさんが女の子だとバレないようにシャルルとしてふるまう。それだけなのに、少し俺は疲れていた。俺は、篠崎玲は、絶対にシャロンさんとしてでもいいから生きたいと思ってはならない。もし、シャロンさんが戻ってきたら、彼女の帰りを待っているお母さんのためにも彼女に体を明け渡す。それに命を懸けてシャルをかばった彼女の方が、いつまでもうじうじしている俺よりもよっぽどシャルを守れる。
『本当に、返してくれる?』
何も見えないと思っていた闇の中に、何故かはっきりとすでに見慣れた女の子が見えた。彼女は切なげで悲しげで俺の出来ないような表情を浮かべて、俺に手を伸ばしていた。
この手を掴むのが正しい。
だけど、掴んだら俺は。
(消える……?)
消滅の恐怖から汗が体から吹き出し、解放の安堵から涙が頬を伝った。
俺は葛藤の末、伸ばされている手にふれようとした。
すると、横から温かい手が俺の腕を掴む。暗闇に浮かぶ手は不気味であるはずなのに、俺はとても安心して、その方向にすり寄った。
意外にもがっしりとしたそれは今の消えそうで脆い俺をしっかり受け止められるには十分で、ほっとする。
「…!…シャルル?シャルル!」
少しかすれた声が俺の頭の上からいくつもふってきて、俺は目を開けた。
目と鼻の先に心配げな顔の一夏がいた。
「……おわっ?!」
「お前がすごい顔しかめてたから呼び起こしたんだが、悪い夢でも見たのか?それとも体調まだ悪い?」
「!みてない!だいじょうぶ!」
心配ですって書いてあるような一夏の顔を見ていられなくなって、俺はうつむき首を猛烈に横に振った。
「本当か?無理してないよな?」
一向に奴は信用をしてないらしく、体をこちらに寄せて俺の額に手を当てたり、首筋に流れる汗や目元の赤みをぬぐうように触れてくる。
嫌悪でないぞくぞくしたものが胸の奥から全身に波打って、俺はそれを振り払うために「大丈夫だって!」と叫んで顔を上げた。
触っていた手が滑り落ち、かすかに唇をかすめる。
俺の剣幕に驚き、「す、すまん!」と一夏は離れようとして…そこまで広くないベッドの端に手をつくことに失敗し、下に落ちた。
(…いかん、冷静になれ、俺)
一夏が横からいなくなったので、隣のベッドが見えた。シーツがまだびしょびしょで昨日の失態が思い出される。IS学園はホテルみたいにシーツを変えてくれるが、さすがにびしょ濡れになったのは門限過ぎた後だから変えられなかったのか。それで濡れていない方の俺のベッドで寝たってところか。
さらに、うなされている俺がなかなか起きないから顔を覗き込んだり耳元で名前呼んだりしたり…
「あー!!もう!!」
胸の中にたまったもやもやを吐き出すために出した俺の声に一夏はびくっとして、「ごめん!」と言う。だからお前は謝りすぎなんだよ。
「…昨日はありがとうな。ベッドびしょびしょだからこっちでねてたんだろ。…さき、洗面所、かりる」
一夏がぽかんとベッド下から見上げてくる中、俺は制服とタートルネック、その下に胸当てを隠し持ってすたすたと洗面所に入り鍵をかけた。高速で着替え、冷たい水で顔を洗い、髪の毛をきゅっと締める。鏡に映るのは、〈貴公子〉シャルル・デュノアだ。
昨日と同じ、いつもどおりの俺。
昨日みたいな失態はもうしない。もっと強くなるんだ。俺はほっぺを軽く叩いて気合いを入れた。
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それから6日間、放課後、暇なときは一夏と剣道、そしてISの基礎講座を行った。
それで分かったこと。
一夏はやっぱりすごいってこと。
そんなことも分からないのかーって思ってたら、ある時から急にいきなり、何の前兆もなくぽーんとすごい勢いでその関連知識まで理解してしまうのだ。
剣道だって(「箒、今日からシャルルも放課後一緒に訓練するぞ」と一夏が言ったときは、またもや箒がこちらに恐ろしい目を向けてきたが、その話は置いておこう)そうだ。未熟な足さばきだと思っていたら、練習試合の最中急にプロになったように俊敏になるのだ。咄嗟にいい一撃をもらいそうになった俺が、後で「途中から良かったじゃん」と悔しさ半分驚き半分で言うと「何となくつかめた気がする」とやつは答えた。俺は不器用で何回も練習してその分徐々に上達していくが、一夏には多分そういうのがないのだ。
理解して取り込むまでが時間がかかっても、一夏のそこからの世界は常人では見ることのできない達人の世界なのだろう。
俺はと言えば、双剣ランケアスの代用品として薙刀部から薙刀を借りて一夏と練習試合をする。大分ましになったが、これがISだったら…雪片弐型だったら…と思うと、不安になる。
だが、俺の不安をよそにどんどん時は過ぎ、一夏は飛躍的にIS知識を増やし、剣道もさまになってきて…――ついにクラス代表決定戦の日となったのだった。
「くじ引きだ」
白いA4の紙に雑に引かれた三本の線。「線の先に黒丸が書かれている二人が初めに対戦、残った一人がそのうちの勝った方と対戦だ」と説明する織斑先生の図はなかなかシュールだった。確かに公平な方法なんだが、
「機械でランダムに選ぶとかいうやり方もあったんじゃ…」
スパンッ!!!
……一夏が思わず声にだし、出席簿で叩かれた。
口は災いの元だよな。
「どなたから選びますの?」
「レディファーストで。オルコットさん」
俺はそう言いながらじっと薄っぺらい紙を見た。すけて見えるんじゃないかと思ったんだが、織斑先生の指が絶妙な位置にあり、不可能そうだ。
「では」とセシリアが選び、俺が選び、呻いている一夏は余りになった。
セシリアと対戦した方が、俺の「腰抜け」疑惑も晴れるし、一夏よりはやりやすそうだ。セシリアと俺になれ、セシリアと俺、セシリアと俺………
織斑先生は指をどけて、黒丸のついた線を選んだ二人の名を言う。
「織斑とデュノア」
俺はもはや何度目か分からないが、俺をIS世界に来させた誰かさんに思いをはせた。せめて運を下さい。
クラス代表決定戦
男子トイレの個室、というのはこの学園で貴重な存在である。というか自室以外じゃ、一か所しかない。俺はくじ引きの後、アリーナから遠いそこに向かった。決してお腹が緊張して痛いとかそういうことではなく、――我が契約主様に指示を仰ぐために。
「一夏くんの戦闘データをより多くとるために、負けなさい。
一夏くんが勝てば、イギリスの代表候補生とも戦うことになるのだから」
端的にババアは告げる。「了解」と俺は言って切る。
何てことはない。ババアの言うことは理に適っているし、俺がこの学園に来た訳を思えば正直指示をもらうまでもなく、俺が負けて一夏の戦闘データを増やした方がいいなんて分かりきっていたことだ。それなのに、男のプライドか?……釈然としない。
もやもやしている俺の眼前には青い空と大勢の人、アリーナの白い壁面が広がる。
「シャロ?……大丈夫?」
「うん」
シャルが心配そうなので、俺は頭を切り替える。俺は、シャルの為なら絶対に負けられる。
シャルに笑いかけて俺はオレンジの機体を空に舞わせた。同時に対面に銀色の機体がきた。まだ最適化してない白の名を冠するのにふさわしくない物体だ。白式でないのならば、戦っても仕方がない。
「シャルル?戦わないのか?!」という一夏の声が届いてきたが、「お前が最適化するまで待ってんだろ」と言うと静かに空を周回し始めた。
「さいてきか……」
うん、一夏。最適化の意味って何だっけな。多分、30分くらいかかるんだろうから、その間に思い出せるだろ。
「俺の体とか調子にISが合わせてくれることだよな。今は初期の状態だけど、最適化が終わるとこの機体は俺専用の機械になる……いいのか?」
さすがというか早々思い出した一夏はそう言いながら俺のリヴァイヴに追いつこうとする。
「合ってる合ってる」
俺は素知らぬ顔でさらにスピードを上げた。
「正解か、どうかって聞きたいんじゃなくて……まあ、いいけどさ」とつぶやく一夏に最後まで言わせたくなかった。最適化になるまで待ってるのは、俺が優しいわけでも何でもない。ただ、お前のデータがほしいだけなんて、言ったらどんな顔をするのかな。
そう考えながら俺はさらにスピードを上げた。
銀とオレンジの機体が会場をぐるぐるまわるだけという地味な絵面が20分ほど続いただろうか。
「びゃく…しき…??」
ようやく、白式のお出ましか。
やはり出てきた武器は雪片弐型。真っ白な機体が穢れを知らない色が本当にきれい。
俺が空中で急停止をしたのを見て一夏も何か察したのか、距離をとって止まる。戦える距離だ。俺が向き直りながらISのコマンドでその性能を見るように言うと一夏は「零落白夜ってのが…あるけど…」と口をつぐむ。
ああ、素直だな。そういうとこ、いいと思うぞ?
「ISのシールドそのものを消し去る機能ってところか?」
と笑った。
原作通りだったらそうだし、一夏が俺に言いにくそうにしているからな、と思いながら。
一夏がはっとしたようにこちらを見るけど、気にせず口を動かす。
「そういう武器って大抵持っているだけでもエネルギーだだ漏れになるし、気をつけろよ?
お姉さん、おっと織斑先生も同じような武器もってただろ?あれを参考にしろ。
相手を切り裂く瞬間だけ、一局限定でその武器を展開するんだ。じゃないと『うおー』って気合い入れた途端『エネルギーがっ!』ってなるからな。
お前信じられないって顔してるけど、絶対やるからな、何回も言っておくけど相手を切る時だけ接近して展開を…」
「シャルル!」
「…なんだよ?」
べらべらと知識を披露してやってるのに俺の言葉を一夏が遮る。
「お前…こんなときにかっこつけてどうすんだよ…」
「は…?」
こんなとき?
「体、震わせながら、俺に注意してる…」
いつのまにか、震えていた体に嫌悪しながらも、一夏を見て思わず笑った。
俺、気づいたんだ。零落白夜しか目に入ってなくって気づかなかったけどさ、
「お前もな」
哀れなくらいおろおろしている。
彼を見ながら俺は、肩の力が抜けるのを感じた。
覚悟をしていようが傷つける、傷つけられるってのは、怖いんだな。
こんな青ざめている男が主人公なんだもんな。ハイパーセンサーでまつげの先まで震えているのがまるわかりだ。仕方ない、最後までかっこつけさせてもらうか。
パッケージから俺の背丈半分ほどはあるライフルを取り出し、目の前にスコープを装着する。シャロンさんの容姿だからこそ似合う完璧な仕草で、一瞬後には臨戦態勢だ。淡い金の髪がヴェールのように翻り、菫色の目の周囲が光学照準の赤いラインが虹彩のように色めく。
ぽかんと口を開ける同居人を見据えた。せいぜい見惚れろ。そして、あなどるな。
「おい、真剣勝負なんだ。手加減は要らないっての」
「?!…何言ってんだよ、お前…トラウマだってあるし、これ、この零落白夜使ったら、もしかしたら、もしかしたら…」
俺は、弱くない。守られるような奴じゃないって思え。
「IS一回しか乗ったことないやつが、それこそ何言ってんだよ。お前の腕でどうこうなるとかないわーマジありえんわー」
それに、1回しか乗ってなくてもお前の腕は確かだよ。俺を殺さない程度に負かしてくれるって信じてるからな!
いつまでもぐだぐだ言う奴に向かってライフルの引き金を引いた。
「おい、シャルル!!」と、横っ飛びにまだ叫ぶあいつに向かってさらに連射する。これくらいじゃ当たらないか。この震える手じゃ無理だな。
それにしても相変わらずすごい反応速度。二回目でこれだというのだから恐れ入る。
青い空の下を高速回転しながら白い機体が舞い、光を放つ。反射の光だけではなく、着弾時に出る火花も交じっているから綺麗って一言では言い表せない刹那的なものがあった。
(これが真剣勝負ならな)
まだまだ一夏は俺には勝てない。
かすっているからちょいちょいダメージ与えられてるし、このまま遠距離攻撃をし続けたら俺が勝ってしまうだろう。雪片を使ってもらわなければ俺のここに来た意味がない。
ライフル全弾を一気に撃ち切ると、間髪入れずにランケアスを取り出し、俺はにこりと微笑んだ。息切れしてる一夏が口を開く前に「ちゃんと避けろよな!」と警告しながら瞬間加速でとっつく。
「な?!」
そのまま驚愕する一夏を切りつけた。
それでも反応できたのはさすが剣道特訓の成果が…って、おい。
「あ」
一夏は体をねじって避けたが、手からぽろりと雪片が落ちた。
(ちゃんと武器くらい握ってろ!)
一夏は焦ったような顔をしているが、負けなければならない俺はそれ以上に焦っている。
「おらおら、どうした?!避けてばっかりかよ?!」
「ちょっと!待てよ…!!」
連続で攻撃しながら、地面に落ちた雪片の方に一夏を誘導する。勢い余って地面に追突した一夏がわらにでもすがる思いでとったのは一振りの白銀の刀だった。
「絶対怪我すんなよ!!!!」
と言いながらそのまま思いっきりそれを振る。
いや、この場面でそのセリフおかしいだろ。
俺まで切られそうなのに、何だか泣きたいような笑いたいような、嬉しいような気持ちになる。
怖いけど、穏やかだった。
零落白夜は想像以上の威力で、どんなものからも身を守ってくれるシールドが紙切れかチーズみたいに切り捨てられ、俺とISは
「あ」
「『エネルギーがっ!』ってか?」
同時になるブザー。
俺のシールドエネルギーと一夏の零落白夜に使用されるエネルギーが切れたのは同時だったのだ。
(ただ、まぁ…)
結果オーライ。
機体に入った傷を見た。これじゃあ、続けて試合は出来ない。
俺は一夏の肩をたたきながら言った。
「セシリアと戦うときは『エネルギーがっ!』ってならないようにな」
さっきあのビジョンは見えなかった。あのとき一夏がずれてること言ったからそっちのつっこみに頭が回ってたからかもしれないけど…
(命危なかったってのに、…何も見えなかった)
俺は清々しい気分で自分のピットに向かった。アリーナにカメラはばっちり設置してあるし、一夏とセシリアの試合は見なくてもいいよな。
部屋帰ってさっさと風呂入って寝ようっと。
俺に怪我がないか心配して一夏が焦りながら試合をしていたとか、焦った一夏が再度同じようにエネルギー切れを起こすとか、安らかに就寝した俺に知る由もない。