少女が落ち着いて、俺の首から離れるまでに三途の川を見た気がする。
(じいちゃんが川で水切りして、ばあちゃんが笑って見てて…、父さんと母さんは川のほとりでバーベキューしてたような…)
え、いつから三途の川ってデートスポットになったの?それにじいちゃん、その歳で水切りって。
俺が先程の光景についてツッコミを入れていると、少女は財布を持って俺の傍らにあった椅子から立ち上がった。俺を見るその顔には涙の跡がくっきりと残ってはいるが、悲壮な顔ではなく、安堵と喜びの色が見てとれる。
『シャロ、オレンジジュースでいい?』
(…何言ってるのか、分かんねぇ)
日本語でも英語でもない。残念ながら他の言語が分からない俺では少女の質問――多分質問だと思う。小首を傾げながら俺の返事を待ってるみたいだし。それにしても可愛い――に答えることは出来ない。
というか、この子は誰。場所は病室っぽいし、俺は怪我人らしく包帯ぐるぐる巻きにされて、ベッドに寝ている。
(エレベーターで7階から落ちて、怪我で済んで病院?しかも、傍には金髪の知らない幼女と女が二人…)
ありえない。
生きているのも。
傍にいるのが、見慣れた家族や友人じゃないのも。
「……」
『シャロ?』
黙っていると、少女が心配げに声をかけた。喜びで輝いていた顔が曇り、紫の瞳が不安で揺れている。途端、体の芯から痺れるように自分に対する悪寒が沸き上がった。
ああ、その顔すっげぇ嫌だ。特に俺がそんな顔させているってのが。
ここで素直に「言葉が分かりません」「あなたは誰ですか」と聞くのは簡単だ。不安と混乱にまかせて声をあげてしまいたい。早く自分の認識を話して、現状を把握するのが最善だって分かってる。
けど。
俺は黙ってニッコリ笑って頷いていた。
『…!じゃあ、オレンジジュース買ってくるね!』
よく分からんが、絶対俺はこの少女を悲しませたくない。
少女とは初対面だが(こんな可愛い子一度会ったなら忘れないだろう)、彼女には笑って欲しいと心から思うのだ。明らかにこれから俺は困るだろう(何せ言葉もどうしてこの状況になっているのかも分からないのだから)が、少女の輝かんばかりの笑顔と弾む声に比べたら、そんなの軽いもんだ。
『シャロン』
声をかけられて、はっとした。そういえばもう一人病室に残っている女性がいたんだった…!そこから矢継ぎ早に言葉をかけられる。質問かただの伝達事項かも分からない。どうしよう、あの少女と同様にこの人も不安にさせたくないと思うのに…
俺が焦っていると、女性は何かためらうようにうつむき、また俺の目を見て言った。
「…あなたは、誰ですか?」
それは、紛れもない日本語であった。