「―…!」
急な日本語と質問の内容に絶句してしまった俺に、女性はさらに言葉を続ける。
「…あなたはSharon Aznavourであるはずです」
しゃ、しゃろ?あず?名前の部分までは母国語ではないから、うまく発音できなかったのだろう。彼女、金髪だし日本人には見えんから。それにしても、目覚めてからシャロか、それに近い名前で呼びかけられていた気がする。…ということは、彼女たちは俺をシャロ(仮)さんという人と間違えているのか!?
「Sharonは私の娘で、生まれも育ちもフランスです。フランス語を理解出来ないはずはないですし、ましてや目を覚まして急に日本語を話すというのもおかしな話です」
確かに、金髪の少女が抱きついてきたとき痛みのあまり「離してくれ」と言った気がするが…って、
「む、娘っ?!」
さっき声を出したときはあまりに痛くて意識していなかったが、今の俺の声は驚いていたことを差し引いても、高くなっていた。
首を起こすとサラサラな長い薄金色の髪の毛が顔にかかり、パジャマの襟元から真っ白な肌が見えた。
女性から差し出された鏡には―
先ほどの少女と幾分も違わない顔の少女が、ぽかんとした顔で映っていた。
「先程いた女の子がCharlotte。あなたはCharlotteの双子の姉でもあります」
「お、おれじゃない…ちがう…」
シャンパンゴールドの髪に青紫の瞳。年のころは小学校5,6年生ほどか。
俺ではない。絶対に。
7階からエレベーターで落ちたはずの俺が、今ここに姿を変えて、生きて、存在していること。
この状況から導き出される結論は1つだ。俺は何とか上半身を起こして、女性を見た。
「俺は篠崎玲…レイ シノザキと申します。男で、日本人で、日本の大学に通って…――いました」
認めたくはないが、「通っています」とは今の状況からして言えなかった。
「事故に遭って、お…おそらく死んでしまって」
自分の死を認めるのはもっと苦しい。
でも、これから、もっと言いづらいことをこの少女の母親には言わねばならない。
「この子として目を覚ましました。
…ごめんなさい!俺はシャロさんではないんです!!」
女性の顔が歪んでいる。フランス語か日本語でもないうめき声が彼女の口から漏れた。だが、俺には彼女が何を言いたいか聞かなくても分かった。
「どうして、こうなったのか俺にも分かりません。その、…シャロさんがどこにいるのかも…分からないんです…ごめんなさい。…この状態がいつまで続くのかも分かりません…でもっ…この体は本来シャロさんのものなので、いつか、その、…シャロさんが帰ってくる…かも、しれません…」
俺は現状を述べながら希望的観測を探す。シャロさんは帰ってくるはずだから、泣かないでほしいと。
もちろん俺は怖いし悲しいし不安だ。
もし、シャロさんが帰ってきたら俺はどうなるのか、なんて誰にも分からない。
もしも、あんな中万に一生きていたら。突然エレベーターの中で苦痛にのた打ち回りながら起きるかもしれない。あるいは一瞬にしてあの世に逝くか、誰にも見えず触れられずの虚空に漂う幽霊になるかもしれない。それとも気づいていないだけで〈篠崎玲〉はそもそも人ではなく、シャロさんを主人格とした別人格なのかもしれない。それと同時に、俺の代わりにシャロさんが…いなくなってしまったのかもしれないと思うと、罪悪感で息もできない。
どちらにせよ分かるのは、
俺がシャロさんを奪ってしまった シャロさんの体を乗っ取ってしまった
と、いうこと。
シャロさんのお母さんはきっと俺のことを罵るだろう。あるいは信じられないと叫ぶかもしれない。娘を返してと泣いてすがられたら、俺は、きっと……
ごめんなさい、とまた口の中で繰り返した。
しかし、訪れたのは重苦しいほどの沈黙だった。シャロさんのお母さんは、俯いていて顔が見えない。
部屋には重苦しい沈黙が走った。それを打破したのは今の俺と同じ顔の少女だった。
『ただいまー!はい、これ』
『!シャルロット…ありがとう』
女の子はオレンジジュースと紅茶を一本ずつ持っている。両手がふさがっているので、肘やお尻で病室の扉を開けようとする様が愛らしい。お母さんは少しぎこちないが、笑みを浮かべて女の子から渡された紅茶の缶を受け取った。先程までの重苦しい空気がこの子の登場1つで変わっていた。
女の子は続けて俺の方にジュースを差し出してきた。
この子にお姉さんがいなくなったと思わせてはならない。まだ、小学校くらいの子が本当のことを知るのは酷だ。…だが何も話さないのは変すぎるな。フランス語で「ありがとう」が『メルシィ』だよな。で、この子の名前は〈シャルロット〉ちゃんだ。幸運なことにシャルロッ党員だった俺には、たとえフランス語発音でも同名だと理解出来た!
『シャルロット、ありがとう』
よし、これで大丈夫だ!そう思った俺は、すぐ後悔した。
シャルロットちゃんが泣き出したからだ。