シャロンは、私の娘だ。
生まれも育ちもフランス。話す言葉は、もちろんフランス語。日本語は私が教える約束…だったのだ。
自宅で篠ノ之束博士の全世界に向けたメッセージを聞いていた私は、急に後ろから抱きつかれた。
「おかーさん?なに、きいてるの?」
シャロンだ。もう夜遅く、シャルロットと寝ているはずであったが、トイレに行きたくなって起きたらしい。シャルロットといる時は、お姉さんであることを意識してか、小学生にしては大人びた言動や包容力(※ただし、シャルロットに限る)を見せるシャロンだが、私といる時のシャロンは年相応である。今は寝ぼけているようでいつも以上に子どもっぽい。
「日本語よ。シャロンはISって知ってる?」
「えーと、すごいきかい?」
「ISはね、宇宙空間での活動を想定して開発されたマルチフォーム・スーツなの」
「まるちほーむ??」
堅苦しすぎたわね。ISについて話すのは研究者たちばかりだったから。
…思えば、この子たちの父親の件もあり、私はこれまでに一度も自分の仕事やそれにまつわること―ISのことを話したことがなかった。
家にテレビが置いていないこともあり、シャロンのISの知識は学校の友達や近所の人から聞き齧った程度だ。
「……お空を鳥さんみたいに自由に飛べる機械よ。ISを作った人は日本語を話すの。ISを一番上手に動かせる人も。お母さんはISを作るお仕事をしてるから、同じ日本語を勉強しているのよ」
そういう機械であってほしい。
ISはそうあるべきなの。ただの夢物語で甘い考えだと思いながら答えると、目の前にいる寝ぼけ眼だったシャロンが突然目を輝せた。
「ほんとうっ?!シャロンもあいえすのりたい!おかーさん、ニホンゴおしえて!」
ああ、この子を生めてよかった。
私は、無意識のうちにシャロンを抱きしめた。
ISに乗るということはこの子の父親と…その奥さんに存在が知られてしまうだろうし、ISは今や兵器化の道に進んでいる。だが、嬉しそうな笑顔を浮かべた我が子の頼みには勝てない。私は苦笑しながら、「もっと大きくなったらお母さんが教えるわ。約束する」と答えた。シャロンは約束を破らないし、「お母さんが教える」まで待つだろう。そう思って興奮する娘を寝室まで連れて行った…
だからこそ。
起きたシャロンが日本語を話す訳がないのだ。
私の指摘に青ざめて、自分の姿にすら動揺するなんてことも。
あんなにシャルロットに似ていると喜んでいた顔立ちを見て絶望の表情を浮かべるなんてことも。
私は、大けがをしている「娘」がベッドから起き上がろうとするのを茫然と見ていた。
『シャロン』は語る。
「俺は篠崎玲…レイ シノザキと申します。男で、日本人で、日本の大学に通って…―いました」
「事故に遭って、お…おそらく死んでしまって」
「この子として目を覚ましました。
…ごめんなさい!俺はシャロさんではないんです!!」
顔が歪むのが分かった。
科学者としてそんなことありえないと言ってしまいたかったが、母親として…この子がシャロンではないと感じていた。
シャロンの体にシノザキレイと名乗る少年がいるなんて。
どうして、と思った。
実際自分の口から洩れてしまったのかも分からないが、シャロン…いや、レイくんは苦しそうな声で私の問いに答えた。
「どうして、こうなったのか俺にも分かりません。その、…シャロさんがどこにいるのかも…分からないんです…ごめんなさい。…この状態がいつまで続くのかも分かりません…でもっ…この体は本来シャロさんのものなので、いつか、その、…シャロさんが帰ってくる…かも、しれません…」
最後のほうの声はかすれていて聞こえづらい。静かな病室にレイくんの小さく消え入りそうな謝罪の言葉が何度も聞こえた。
レイくんが意図せずしてシャロンの体に憑依してしまったのだし、
自分が死んでしまったことにショックを受けながらもシャロンの帰る可能性を示唆してくれるほど優しい子だと分かっている。
罪もない彼を責めるのはおかしいし、
シャロンが帰る可能性がある以上、彼に私たちと継続して傍にいてもらった方がいいというのは決まりきっている。
分かってる。
だが、得体のしれない彼と元の家族のように過ごしていられるのか。
私は彼に言わないでいられるだろうか…「シャロンを返して」、と。
「………」
言葉を探していると、
『ただいまー!はい、これ』
『!シャルロット…ありがとう』
シャルロットがオレンジジュースと紅茶を一本ずつ持って帰ってきた。沈黙を打ち破ってくれた安堵が湧き上がる。が、続くレイくんの発言に紅茶を取り落しそうになった。
『シャルロット、ありがとう』
!
レイくんはシャロンではないから、知らない。シャルロットをシャロンが普段どう呼んでいるのか。
シャルロットはシャロンがいなくなったことを知らない。自分が誘拐されかかり、自分を守るためにシャロンが大けがを負ったということしか知らない。
つまり、
『うぅ…シャロぉ、怒ってるよね?…ひっく…私のせいで怪我しちゃったんだから、当たり前だよね…ご、ごめんね…!』
シャルロットから涙が零れ落ちる。
レイくんは焦った顔をしている。
私は絶望的な思いだった。
これで、シャロンがシャロンでないとはっきり分かってしまったから。シャロンはシャルロットを
「…シャル?」
『!』『!』
はっとした。そう、あの子はシャルロットをシャルと呼んだ。
呼び方も、シャルロットがすると目元が赤くなるからといつも涙を丁寧にぬぐってやるところも、紛れもなくシャロンに見えた。
ふと思い出す。
この子がシャロンでないなら初めからそう言えば良かった。シャルロットの笑顔を守ろうとしているように、懸命にシャロンの振りをしていたのだ。初対面の娘にそこまでするだろうか。自分の生死も分からないのに、何かをしてもらった訳でもないのに。
笑いあう二人の様子はまさに姉妹で、私は確かにレイくんだけではなく、シャロンもいると感じた。
(シャロン…)
いつの間にか笑い声は止んでおり、ベッドの上を見るとレイくんは膝を曲げて座っていた。これは日本で言う、セイザだったかしら。
現代の日本では重要な場面でこのポーズをするのだと聞いている。
「俺はシャロさんではありません。ですが、シャロさんの代わりに、シャルロットちゃんを支えていきたい。
お母さん、シャルロットちゃんを幸せにします!
俺をあなた達の家族にして下さい!!」
ど、ドゲザ?!
まるでプロポーズみたいで、こんな真剣に言ってくれているのに笑いそうになってしまった。
この子の中にシャロンはいると思う。だって、シャルロットの笑顔、シャルロットを幸せにすることが、シャロンの一番の生きがいだったから。
お母さんとしては、自分自身の幸せを優先してもらいたいんだけど。
それに、レイくんの消え入りそうな謝罪も思い出した。自分がここにいてもいいのか、という目だった。シャルロットの笑顔、シャルロットを幸せにすることが、彼にとっても一番の生きがいであり、―存在意義であり、ここにいてもいいという免罪符になるのならば。
それならば、私から言えることはひとつだ。
「………レイくん」
肩に手を置くと、やっぱりまだ迷子みたいな顔をしていた。
ここに、いなさい。
そのまま痛くないように出来るだけ優しく抱きしめる。
「二人で、シャルを幸せにしましょう」
私は、娘であり息子として、彼を家族として受け入れる。
シャルロットがレイくんに飛びつくと、彼の悲鳴が病室に響き渡った。
私はその声を聞きながら、考える。
二人で、と言った意味を、いつかレイくんの中にいると願うシャロンとレイくん自身に分かって欲しい、と。
シャロン、自分自身も幸せになる努力をしなさい。私だってお母さんなんだから、シャルロットが幸せになれるように動く。だから、少しくらい自分を優先しなさい。
レイくん、あなたが全部背負う必要はない。私だってシャロンがいない分、頑張る。だから、あなたも自分が幸せになれるように願いなさい。
……あと、もうシャルロットのお姉さんなんだから、シャルロットはお嫁さんにはしませんよ。
ふふっ、これじゃ姑だわ。
私は考えを切り上げ、シャルロットをレイくんから引き離すことにした。