「急に眠くなっちゃったので…お母さんも早く寝て下さい。夜も遅いし」
「ええ…あの」
「何ですか?」
「…シャルロットには私がデュノア社でISの研究をしていることを話していないの。だから、レイくんからは、その、言わないでほしいな」
「…はい。じゃあ、えっと、おやすみなさい」
「おやすみ…」
こんな重苦しい雰囲気は病室以来だったと思う。
俺はデュノア社の名前が出て以降、お母さんにいくつか質問していった。だが、なんだろう。お母さんは質問には答えてくれるけど、答えづらそうというか、すごく悲しそうな顔をしていて…答えたくないような感じだった。俺は特に眠くはなかったが、おやすみと言って部屋を出た。
お母さんにはあんな顔をして欲しくなかった。
俺がシャロンさん(「シャロ」は、俺とシャルだけの呼び名で「シャロン」が本名だそうだ)として生活して2か月。
この家にはテレビがなかったし、俺も怪我やフランス語が喋れないことから家の外に出ることもなかったので、気付かなかった。
この世界にISが登場して6年経っていること。
女尊男卑がすでに定着していること。
お母さんがデュノア社に所属していて、ISの研究員だということ。
…お母さんがそれをシャルに黙っていること。
多分俺やシャロンさんやシャルがデュノア社と関わることを良しと思っていないこと。
ISは世界の風潮を変えてしまうくらい強大な力を持ち、それに関わり、研究する立場ということは、誇りこそすれ、恥じることではないはずだ。
なら、何故それを隠し、悲しげにしていたのか。
俺は何となく気付いていた。
湧き上がる不安を胸に、ゆっくり音を立てないように寝室のドアを開ける。そのまま手探りでシャルと一緒に寝ている布団をめくり、シャルが起きないようにそっと布団にもぐりこんだ。
双子のシャロンさんはいるし、「シャルロット」はフランス人の女性ではよくある名前だ。
だが。
俺の手をシャルがつかんだ。温かい手に少しだけ緊張がとける。
『シャロ…手が冷たい』
『ごめん、起こした。トイレ、行った』
もし、シャルがあの「シャルロット」ならば。お母さんがあのシャルロットの「母さん」ならば。
俺の知る二人の運命を変える為に。
二人を幸せにする為に、この世界に来させたんだろう?
『寒くない?』と俺の手をこすりながらふぅふぅと息を吐きかけているシャルに、『大丈夫』と返しながら、俺をこの世界に送った何かに問いかけた。
それからの俺は、シャルとお母さんをして「勉強の鬼」と言わせるほどだった。
シャルとお母さんを守るために、何が必要か。
もし、「シャルロット・デュノア」とその「母さん」ならば、お母さんはいつか死んでしまうし、その結果シャルは居場所をなくしてデュノア社に引き取られてIS学園に行くことになる。
フランス語の習得はもちろん、家事の習得にまず励んだ。
どのような経緯で亡くなってしまったか、原作では語られていなかったが、今のお母さんは働きすぎだと思う。双子の学費や養育費、俺の入院費など稼ぐためでもあるし、お母さんは言っていないがデュノア社は現在深刻なISの情報量不足と技術開発の遅れがあるはずだ。第三世代開発のため、必死に研究をしているにちがいない。お母さんは元気に見えるが、一番注意すべきなのは過労ではないだろうか。お母さんの負担を減らしたいが、俺に出来ることといったら家事くらいしか思い浮かばない。
最初は何もかも失敗ばかりだった。
フランス語の勉強を朝夕問わずしたら知恵熱を出して、二人を心配させてしまったり、洗濯物は自分のセーター(黒い男物にも見えるセーターだった…これを買う為にシャルを説得するのは大変だったのに)を伸ばしてしまったり。
簡単なパニーニを作ろうとしたら、レタスとトマトやらを入れすぎてあふれてしまったし。それにパンに何も塗っていなかったので、野菜の水分でいやにべちょべちょしたパンになってしまったし。
笑いながら皿にとってフォークで食べるお母さんと、懸命に頬張ろうとして具材を膝の上の方に多く落としているシャルを見て、精進しようと思った。躍起になって料理していると、髪の毛を焦がしてしまったこともあったし…あの時はいっそショートカットにしようと思ったのが、シャルが『お揃いがいいの!』って言ったから、毛先だけ切ったんだよなぁ。
逆に、二人は俺が頑張りすぎていると考えたようだ。
シャルは、料理を交代で作るって言うし、俺が料理する前には俺の髪をいっつも結んでくれるし。やっぱり俺の妹はかわいい。俺は、シャルが作ったものならどんな料理でも食べるつもりだったが、シャルは器用で初めからどの料理もおいしかったなぁ。お母さんの料理にはかなわないけど。
お母さんも気晴らしに、と外に連れて行ってくれた。図書館に行ったときは大変だったなぁ。シャルがフランス語で書かれているお勧めの本をたくさん持ってきて『この中から読みたい本を選んで!』と言ってくれたが、せっかく選んでくれた本のどれかを選ぶなんて俺には難しかった。1人5冊までしか借りられない決まりだったのだが、明らかにそれ以上の量があるし…と困っていた俺を見て、お母さんは『私の貸し出しカードも使うわ』と言って全部借りてきてくれた。みんなで15冊の重い本をえっちらおっちら持って帰ったなぁ。帰るまでに疲れて、二軒も屋台に寄ることになったのはいい思い出だ。
…うん、結局迷惑かけちゃっている。
でも、二人は「シャロン/シャロが回復した証拠」って喜んでくれているんだ。俺が安静状態から抜け出して色々行動出来るようになったこと自体が嬉しいから、それに伴う小さな失敗なんか目じゃないと。改めて二人を絶対守りたいと思ったね。
時間はどんどん過ぎていく。
クリスマス。プレゼント用意しようと思ったが、お金がないので、肩こりがひどいと言うお母さんに手製の肩叩き券と何でもお願いを聞いてあげるというなんでも券をシャルとプレゼントした。シャルが「かたたたたき」と噛んでいたのがかわいかった。お母さんは素敵な料理を用意してくれて、朝起きると俺とシャルの枕元にお揃いの髪紐と腕時計がおいてあった。
大晦日にはカウントダウンしようとしたが、シャルがうとうとしてて、俺とお母さんでこっそり「7、6、5」とカウントダウンしていたが、シャルが寝言で「よん!」と言い、ビックリしている間に次の年になっちゃったっけ。お母さんと二人で笑ってシャルを真ん中にして川の字に寝たなぁ。雪が積もった日にはみんなで雪だるまを作ったり、買い物に行ったり。
小学校6年生の2月になった。
俺は、跡は残ったものの傷は全快したし、フランス語の習得に成功した。学校の方は、もう小学校も終わりかけなので、中学校から編入することになっている。
中学生に入ったらベビーシッターでもして、少しは家計の足しにしてもらおう。
そう思っている矢先のことだった。
朝、お母さんは食が進まないらしくかなりの量を残していた。シャルは心配しながらも、俺が様子を見ておくからと言うと渋々学校に向かった。
「ちょっと、熱があるみたいで…」
測ってみると39度ほど。お母さんはもうスーツに着替えているが、会社は休んだ方がいいだろう。
「会社は休みなよ。お母さん、スーツ脱いで」
「そうね…」
だが、本当にだるいようでなかなか腕からスーツの上着が抜けない。俺は手伝うことにしたが、人の着ているものを脱がすのは案外難しい。
「お母さん、もうちょっと腕あげてくれる?」
「痛くてむり……肩こりが最近ひどくなったみたいでうでを肩より上にあげるといたいの…もう年ね」
俺は頭が真っ白になった。
それって完全におかしいよ。何で言ってくれなかったの……
お母さんは呆然とする俺に弱弱しく笑いかけながら、ポケットにあった携帯電話を取り出すと、電話を始めた。相手は会社の上司のようだが、普段にないお母さんの様子から相当心配しているようだ。
「いいえ…大丈夫です…、ただのかぜだと…いえ、娘だけですが……びょういん、ですか?…え?」
電話は一方的に切られたようで、お母さんは茫然としている。
「…お母さん?」
問いかけた俺にお母さんは少々間延びした声で言った。
「会社のじょうしがびょういんに行くように、ですって…。就業まえだから、会社にいくついでに社経営のびょういんにくるまで送ってくれるそうよ」
だから、スーツは脱がなくていいわと言うお母さんを見ながら、俺は漠然とした不安を覚えた。