武術大会決勝トーナメント緒戦。ブレイサーズvsレイヴンの異色対決。
蒼の組の扉前、銛に拘束されたオリビエは一人妖しげな妄想に耽いり、センターライン上のサークル内でエステルと小競り合うディンにその背後で片膝をつき虎視眈々と機会を伺うロッコ。闘技場全域を縦横無尽に駆け巡って追いかけっこに興じるヨシュアとレイス。最後に赤の組の扉前、互いに拳を構えて睨み合うジンとシャークアイと各々の陣営は程よくばらけている。
「アンタもステゴロが主体みたいだな。なら、こいつを受けてみるか?」
ジンが得物を装備していないのを確認すると、ファイティングポーズを解いたシャークアイは自らの頭に巻いていたバンダナを取り外して右手に握り込むと、逆側の布先を相手に差し出した。
「ひゃははっ、出た! レイヴン伝統の決闘法・ルーザールーズ」
「何々? それ凄そうじゃない。教えて、教えて」
瞳を好奇心でキラキラ輝かせながら、お尻を八の字にフリフリする可愛らしい仕種でヨシュアは強請りする。トクンと心臓をときめかせたレイスは少し悩んだ後、警棒を懐に仕舞い込むと一時鬼ごっこを小休止する。
「へへっ、聞いて驚くなよ、ヨシュアちゃん。ルーザールーズってのはなあ…………」
自分だけが知る特別な知識を蒙昧なる者に授ける時ほど優越感を擽られる瞬間はそうそうない。ましてや、目の前の賢そうな少女が無学な己に教えを請うなど実に快感。レイスは得意気にレクチャーする。
元々は帝国の貴族の間で流行った殴り合いの決闘を不良が形だけ模倣した。互いに握り合った一枚の布切れを先に手離した者が負けというのが唯一の掟。
「文字通りに
「ふーん、なるほど。まさに漢同士の喧嘩に相応しいわね」
ヨシュアは感心した素振りでチヤホヤするが、博識の彼女はルーザールーズの実態を既に聞き及んでいたりする。
単に封技状態解除までの時間稼ぎに浅学な女子を装い持ち上げてやっただけだが、そうとは知らぬ憐れな道化者は、「でへへ、それほどでも」と照れ臭そうに頭を搔いている。
(意外に良く考えられているわね)
ルールは単純明快。一見フェアなタイマン勝負に見せ掛けているが、今回に限ってはあらゆる決まり事がシャークアイ側に有利に働いている。
ジンは大陸有数の拳法家の上に体型も違い過ぎるので、いかにシャークアイか優れた喧嘩師とはいえ相手が悪すぎで、マトモに素手で殴り合うなら勝敗は明白であるが。
(1)互いに布切れを握ることで、必然的に利き腕のみの殴り合いとなる。
まずこれが大きい。拳法家のジンは左右どちらも同威力で扱えるの対して、銛を全て左腕で投じていたようにシャークアイは順手と逆手の膂力に大きな隔たりがあるが、両者の攻撃性能が統一されることになる。
(2)互いを拘束し合う至近距離戦なので、防御技術差が相殺される。
これも地味に大きい。このゼロ距離バトルで攻撃を避けるのは、ほぼ不可能。シャークアイの見え見えのテレフォンパンチも高い防御テク持ちのジンに全てヒットする計算になる。逆に敵の攻撃は全て利き腕の右側から来るので、視界の半分が死角になる隻眼の低防御性能も気にする必要もない。
(3)ハンカチを離した者負けの性質上、根性だけで乗り切るのも可能。
何らかの武具を用いるならともかく、無手格闘技はとかくウェイトがモノを云うが、(ボクシングという殴り合い特化の競技スポーツは重量別に十七も階級が区分されている)耐久勝負じゃないので絶望的な体格差でも勝機有り。
とまあ、無学な粗忽者のように見えて、シャークアイは意外と策士のようだ。もし、ヨシュアがジンの立場なら、こんなハイリスク・ローリターンのハンディキャップマッチは無視するのだが。
「いいねぇ、そういうの大好きだぜ、俺は」
ジンは年甲斐もなく表情をワクワクさせると、利き腕の手甲を外した上で左手でバンダナの端っこを握り込んだ。
やはりというか、この手の馬鹿げた私闘は大好物のようで、ヨシュアの見抜いた箇条書きを大凡承知しながら正面切って受けて立つ。
考えてみれば、その恵まれすぎた体躯と戦闘力ゆえにガチンコで渡り合える強敵など滅多に存在しないから、態々地下洞窟まで伝説のヌシに喧嘩を売りに行ったのだ。
多少のハンデが加えられたとはいえ、そんな彼と素手で競い合おうという命知らずの勇者が現れたのだから、諸手をあげて歓迎するのは当然かもしれない。
「いくぞ!」「おうっ!」
鼻息がかかりそうな超がつくクロスレンジから、バンダナで繋がった二匹のオスはクロスカウンター気味に拳を奮う。互いの腕同士が交差し大きく頬が拉げる。
一瞬バンダナが伸びたが、直ぐに縮こまって二人の距離を零に戻す。レイヴン意匠の真紅のカーチフは伸縮性に優れた特注品。どれだけの衝撃で引っ張っても裂けることのない素材で
「おらっ!」「まだまだ!」
更に二撃目以降がストレート、アッパー、フックと手を変え品を変えて、鈍い音をたてながら肉体に刻まれる。
頬が腫れ口の中が切れて血が零れながらも、どちらも避けることも臆することもなく、どんどん攻撃の速度だけが上昇していく。
「ヒューヒュー、どっちもスゲエぞ!」
「いいぞ、もっとやれ!」
ノーガードの派手などつき合いに、満場の観客は沸騰する。
生物の本能ともいうべき原始的闘争に周囲は極上のワインを飲み干すが如く酔っぱらっているが、バトルマニアの心意気を解さないヨシュアは軽く嘆息する。
「やれやれ、勝ちゲームの勝率をみすみす下げるなんて、効率主義の私には理解できないわね。これじゃ勝負はどちらに転ぶか判らない…………」
「うひゃひゃっ、勝つのはシャークアイの兄貴だよ。何せ兄貴はルーザールーズで負けたことは一度もねえからな」
レイスの楽観じみた自信の源を訝しむ。
ここまで策を講じて、ようやく五分に持ち込めただけ。必勝を期する程の勝算はない筈だが、ジンの肌が青紫色に変化しているのを目敏く発見したヨシュアはハッとする。
「これは典型的なチアノーゼ現象?」
両者共に絶え間なく拳を出し続ける様はまさしく無酸素運動。呼吸による血液の循環が追いつかないので従来所持する肺活量の容量がアドバンテージを意味し、シャークアイの肌は未だに健康的なピンク色を維持している。
「ひゃははっ、やっと気づいたかい、ヨシュアちゃん? この水中戦を始めた時から、あのデカブツの溺死は決定していたのよ!」
一般的に酸素の息継ぎなしでの素潜時間は常人はまず1分と持たず、海女さんなどは2分程とされているが、シャークアイは天性の資質と訓練により、5分前後の無呼吸活動を可能とする驚異的な肺活量を保持している。
五年前、体長8アージュの獰猛なオオジロサメに襲われた艱難事故があった。体当たりで漁船に穴を空けられて多くの船乗りが船外に投げ出された時、シャークアイはナイフ一本を口に銜えただけで仲間を助けに海中に飛び込んだ武勇伝がある。
命懸けで時間を稼いでいる間に船員は全員救助されるも、海面の5分近い沈黙に生存は絶望視されたが、ナイフで削り取った総入れ歯のような鮫の大型の歯形を戦利品に血塗れの左目を抑えたシャークアイが浮上してきた時には誰もが目と常識を疑った。
その名誉の負傷で片側の視力を永久に失ったものの、水中戦で
「もはや、あの拳法家は人喰鮫に海中に引きずり込まれた餌も同然よ」
レイスが「うひひっ」と卑下た笑いを浮かべる。褌一丁のジンさんが同じ褌姿のシャークアイに後ろから羽交い締めにされて、海の底へと沈んでいくイメージ映像が出現する。
「あんまり需要が無さそうね、それ……」
中年のマッチョマン同士が裸で絡み合う誰得アッー!な心象風景に流石のヨシュアも傷食気味な表情を浮かべたが、脳内で配役をエステルとクローゼの瑞々しいコンビに変更すると、「こいつは間違いなく王立学園で馬鹿売れする」と妙なアドレナリンを漲らせる。
そのエステルはというと、ディンを一方的に打ち負かして敗北寸前まで追い込んでいる。以前倉庫で手合わせした時はあっさり瞬殺したのでこれほど長く持ち堪えるとは想像だにせず、見違える程の成長具合に感心しながらも止めを刺す為に大きく棍を振り被る。
「大分、力をつけたみたいだけど、まだまだだな。これで終わりだ!」
「へっ、お終いなのは、テメエだよ、脳筋遊撃士。確かに俺一人の力量じゃ叶わないけど、これは団体戦だと宣言したのはお前の方だぜ!」
「何?」
得意の直感が身の危険を訴える。殺気に反応して反射的に頭上を見上げると、凄まじい闘気を纏ったロッコが襲いかかってきた。
先代から継承された数々の不良テクとは別に三馬鹿が独自に編み出した『ブチ切れアタック』。本来なら追い詰められた瀕死時に発動させる最後の切札だが、以前ヨシュアに待機中に潰された教訓を活かして、まだ壁役の仲間が生存し余裕のある開幕時の積極使用に踏み切った。
「死ねや、おらぁ!」
「ぐああっ!」
待機型Sクラフトともいうべき変則戦技が炸裂。闘気を含んだ警棒がエステルの身体を縦に切り裂き巨体が大地に斃れる。
「よっしゃ、とうとうあのブレイサーの兄貴を倒したぞ!」
即死率100%を誇る一撃必殺の奥義なので、勝利を確信したディンとロッコがハイタッチを交わすが、次の瞬間、エステルがヨロヨロと立ち上がってきて二人はギョッとする。
「馬鹿な、どうして…………って、それはスカルペンダント?」
エステルの逞しい胸部にドクロを模した首飾が嵌められているのを視認したディンは、「有り得ねえ」と愕然とする。
前戦闘で発動前に阻止された怪我の功名でこのオリジナル技の即死効果を隠し通せた筈なのに、それを嘲笑うかの如く予め対抗策を施されてきたからだが、実際にはエステルに深い考えがあった訳でない。オリビエがエーデル百貨店で買い溜めしてきたアクセサリの中から、デザインが気に入ったという単純な理由で身につけただけ。
「まっ、お陰で命拾いしたか」
魂を砕かれるような嫌な即死感覚を身体全体で味わったエステルは、即時戦闘不能を約束する最悪の状態異常をレジストしてくれた髑髏装飾のネックレスに感謝の意を捧げて軽く指先で弾く。
ヨシュアの理詰めの計算式ではまず防げない事故が、単なる気紛れで装備した装飾品に阻まれるとはラッキーにも程があるが、実戦というのはこういう偶然の巡り合わせが馬鹿にできない。
ヨシュアも人の身の限界を自ら弁えているからこそ、二つ目のアクセサリを自由に選ばせたのであり、早速、エステルは嬉しいサプライズの恩恵に預かった。
「けっ、だからどうした? 単に敗北を先延ばしただけじゃねえか!」
「おうよ、奇跡は二度は起きねえってな!」
二人はそう強がりながら、配置換えを行う。今の一撃でCPを遣い果たしたロッコが壁役としてエステルと渡り合い、今度はディンが後方に下がって待機状態で闘気を溜め始める。
元々、追加の即死効果などオマケみたいなもので、元来高火力のSクラフトを敢えて待機状態で増幅させて一撃必殺の奥義へと昇華させたのだから、いくら耐久力の高いエステルでも二発も喰らえば戦闘不能を免れない。
「くっ……」
今の手負い状態のエステルでは、三馬鹿一の戦闘力を保有し守勢に徹しているロッコの防御壁を突破するのは簡単ではない。こうして足止めを喰らっている中に、息の根を止めるブチ切れアタックの発動時間が刻一刻と迫っていた。
「な、なんで? どうして、こんな理不尽なことが?」
エステルがディンとロッコの連携に窮地に陥っていた頃、勝利を確信していたシャークアイの戦況が急変。レイスは焦りに顔を青ざめさせる。
チアノーゼを起こしたのはジンの方が先だが、やがてシャークアイの呼吸も乱れて肩で息をし始めた。岩をも砕く豪快な破壊力は見る影もなくペチペチと手打ちで叩くのが精一杯なのに、ジンは変わらず重厚そうな拳をシャークアイの顔面に叩き込んでいる。
「まさか、デカイ体躯通りに兄貴並の肺活量を持っているのか?」
「そんな訳ないでしょう? そりゃ一般人よりは上でしょうけど、肺容積と体型にそこまで因果関係はないから、多分専門職の海女さんにも及ばない筈よ」
ヨシュアがしたり顔で解説役を買ってでて、レイスの脳味噌でも解るように判り易く補説を入れる。
「シャークアイさんの仰せの通り、武闘家はチンピラを素人と見下す悪癖があるけど、貴方たちも対人戦闘に特化した武術の積み重ねの歴史を軽く見過ぎよ」
シャークアイはモーションが過剰な大降りのパンチを繰り出している。あれではいかに肺活量に優れていても数倍のペースで酸素を消耗するのに対して、ジンの拳は実にコンパクトに振り抜かれてエネルギーの消費を最小限で抑えている。
「エステルが一日千回の素振りを欠かさないのと同じく、求道者のジンさんもそれに等しい独闘を己に課している筈。そうやって尋常でない反復練習で身体に染み込ませ錬磨された体術こそが、効率よく標的を攻撃せんとするまさに武の
本当に水の中で競ったのなら、海人に勝てる道理など皆無であろう。
だが、今戦っている場所は海中はおろか船の上ですらない地上の闘技場で、紛れもなく
「ふんっ、せいやっ!」
体重を乗せた渾身の一撃がシャークアイの顔面にめり込む。バンダナを大きく伸ばしながら彼の巨体が後方に引っ張られる。
一瞬意識が遠のくも、無意識化の根性でシャークアイは布切れを固く握りしめる。肉体は砕けても心が決して折れないのを肌と魂で感じ取ったジンは自らの逆手をパッと開く。
その行為で支えを失ったシャークアイの身体は、バンダナを握りしめたまま空気が抜けた風船のように数アージュの彼方に吹き飛ばされた。
「よう、漁師さん。大丈夫か?」
倒れ込んだシャークアイの目前に座り込むとジンは軽く鼻血を拭き取りながら労るように声を掛け、顔がボコボコに腫れた瀕死の鮫は嗄れた声をだす。
「テメエ、なぜ手を離した?」
そう尋ねたが、本当は薄々悟っていた。
あのまま無理な態勢で踏ん張れば、拳のダメージが全て体内に残留し深刻な後遺症を残した危険性もあるが、バンダナを離して派手に殴り飛ばすことにより衝撃を身体の外へと逃がした。ありたいていに言えば、彼は情けをかけられたのだ。
「けっ、甘ちゃんにも程があるぜ」
その代償としてルール上ではルーザールーズに破れた形になるが、ジンは何の言い訳もせずに有りの儘の結果を受け入れて、この後の他の戦闘には介入しない旨を誓約した。
「勝ったお前さんの方が助太刀するのは自由だが」
「馬鹿を言うな、もう指一本満足に動かせやしねえ。けど、あんたは本当にそれでいいのかよ?」
まさしく『勝負に勝って試合に負けた』状態であるが、余力を残したままの戦線離脱に悔いはないのか問い掛けるも、曇り一つない晴々とした表情で明言する。
「俺は仲間を信じる。だから、お前さんも後輩を信じてやれ」
そう諭されたシャークアイは、平地の上で完全に大の字になると緊張感を解いた。
力には絶対に跪くことがなかった不屈の精神が、大海原に匹敵するスケールの器の大きさに触れはじめて敗北を受け入れられた。オブザーバーの出しゃばりはこのぐらいにして、最後は現役世代に任せることにする。
「ジンさんだっけか? 俺は不良時代、何人ものエセ武道家を葬ってきたが、そいつらの拳はみな軽かった。けど、アンタの拳は重かったな。これが本物のウーシュウの拳か……」
ジンはその述懐には答えずに、隣に同じように大の字で寝転がる。
シャークアイもまた本物の喧嘩師。この決闘で相応のダメージを負い、見掛けほどの圧勝劇では無かったからだ。後事をエステル達に託すと、傷を癒す為に休息モードに突入する。
「シャークアイさんだよな? 本来ならお前さんと俺では戦う土俵が全く違うから、もうこんな形で遣り合うことはないかもしれんが、本当に楽しい勝負だったぜ。試合が終わったら今夜あたり仲良く一杯やろうや、海の戦士よ」
かくして中年二人が密かに戦場の舞台から退場し、ブレイサーズとレイヴンの死闘の決着は三馬鹿と遊撃士兄妹の当事者の手へと委ねられた。