「市長、結晶が盗まれたった本当かよ?」
早朝のギルト一階の受付前。自分たちでも受けられる零細クエストを求めて、殊勝にも朝一番でロレント支部に顔を出したブライト家の兄妹は、大慌てで駆け込んできたクラウス市長とかち合った。
聞けば昨夜の内に、市長邸に何者かが忍び込み、金庫の中の宝石が強奪されたという。
市長は目が覚めるまで賊の侵入に気づかず、幸い家族に怪我人は出なかったが、ロレント市民全員の感謝の意を女王に示す貴重なセプチウムの結晶を何者かに奪われてしまった。
「ちきしょう、犯人は絶対にあいつらに違いねえ」
「だとしても、腑に落ちない点が色々とあるわね。警報が鳴らなかったということは、賊は正規の手順で金庫のロックを解除したことになる。どうやって暗証番号を解析したのかしら?」
憤慨したエステルは下手人を例の三人組に決めつけるが、市長の話と照らし合わせたアイナが疑問を提示する。
「んなことは、後でゆっくり調べればいいだろう。とにかく早く賊を追い掛けないと、手遅れになるぞ」
「今回は珍しくエステルが正論ね」
黙して三者の議論を傍観していたヨシュアが初めて口を挟み、市長に向き直る。
「クラウス市長。事件の調査を、私達に任せてはもらえないでしょうか? この件は先の依頼での私達の不手際が原因なので、報酬もブレイサーズポイントも要りません。あなたもそれで構わないわよね、エステル?」
「勿論だ。女王陛下の胸元にあの結晶の細工が飾られるのをこの目で見るまでは、俺にとってこのクエストは終わらないんだよ」
「ちょっと、あなた達。何を勝手に」
「いや、いいんだよ、アイナ君。二人の若人に託してみよう」
兄妹の熱意を肌で感じ取った市長は、本件を正式な新クエスト『市長邸の強盗事件』として、ギルドに依頼することを決意する。
「エステル君、ヨシュア君。君らを直接指定しよう。ただし、これは正当な依頼だから、きちんと報酬も支払わせてもらうし、仕事の成果に応じたBPの査定もさせよう。それで構わないだろう、アイナ君?」
「ええ、クラウス市長がそうおっしゃるのなら」
市の最高責任者の鶴の一声とあっては是非もない。アイナは了承したものの、少し歯切れが悪い。既に二人は一度、父親の威光を上手く利用し、本来手が届かない高額クエストを掠めている。この上市長の懇意で他の正遊撃士に更に割りを喰らわせたら、ギルド内での心証が悪化するのを懸念したからだ。
「ありがとうございます。実のところ、犯人の手口と逃走先に些か心当たりがあるのです」
ヨシュアはアイナの気遣いを悟ったが、今回だけは譲れなかったので自分達が抱える事件の機密情報をちらつかせる。その行為に呼応したように、頭上から女性の声が掛かる。
「あら、それは興味深いわね。是非ともお姉さんにも、話を聞かせてもらえないかしら?」
「シェラ姐?」
上階から顔見知りの遊撃士であるシェラザードが目を擦り、大きな欠伸をしながら、階段を降りてきた。ギルドを仮宿代わりに二階の休憩室で惰眠を貪っていたらしい。
「このクエストはあたしが預からせてもらうわ。その上であなた達二人をあたしの助手として参加させてあげる。それが一番波風が立たない配役みたいだしね」
一連の短い遣り取りを又聞きしただけで、一通りの裏事情を悟ったよう。
アイナとヨシュアは軽く安堵する。エステルとクラウス市長は、何故この場の女性陣の空気が弛緩したのか判らずに互いにキョトンとした表情を見合わせた。
時間がないので手短に推理説明会が始まり、一同は耳を傾ける。
「結晶を奪った犯人はジョゼットです。この名前が本名ならですが」
「おいおい、ヨシュア。内心、いけ好かないガキだとは思っていたけど、いきなり犯人扱いは酷いんじゃないか?」
「ふ~む、今どき珍しい、裏表のない好少年だと思ったが、信じられんのう」
「あたしはその男の子を知らないけど、そう断言するからにはちゃんとした根拠はあるんでしょうね?」
ヨシュアは頷く。金庫のセキュリティの固さを考えても犯人は事前に暗証番号を認識していとしか思えないが、肝心の番号は家族にも知らせずメモ書きも残していない。
なら、犯人は何時どこで暗証番号を知り得たのか? それはクラウス市長が結晶を保管する為に実際に金庫を開錠した瞬間以外にない。その時に現場に居合わせたのは兄妹を除けばジョゼット一人。
「あとジョゼットは自分を戦闘素人と詐称していました。彼の掌には、
『手は嘘をつかない』という有名な格言が武術の世界にはある。掌を翳してみれば何を得物にしているのか、またどの程度の熟練者か大凡見当がつくものなのだ。
ちなみに軽量のナイフしか扱わない上にほとんど反復練習をこなさないヨシュアの痣一つない奇麗な手は一切の修練の痕を残さず、初心者とまるで区別がつかないのでエステルから『嘘つきの手』と皮肉られている。
「お前、何時もの調子で粉掛けているのかと思いきや、あの時点からジョゼットを疑っていたのかよ?」
「なるほどね。けど、それだけでは犯人と特定するには、ちょっと弱いんじゃない?」
ヨシュアの抜け目の無さにエステルが呆れたが、シェラザードの嫌疑は晴れない。確かにこれだけの状況証拠では、まだまだ灰色止まりで黒とは言い切れない。
「最後に決定的な証拠を見せます。金庫のアナログダイヤルの数値は、時計周りに00~30で間違いないですね?」
持主から確認を取ると、ヨシュアは目を瞑りブレイサー手帳にすらすらと自動書記で何かを手書きする。一同は釣られるように手帳の中を覗き込み、市長が驚愕の声を上げる。
「12……08……21……23……05……って、これは、金庫の暗証番号の一部ではないか。ヨシュア君、どうやって、この数字を知ってのかね?」
市長の言によると、手帳に書き殴られた数値は、先頭の二回を除いた残り五回分の番号と見事に一致した。
「おい、ヨシュア。これは一体どういうことだよ?」
結晶を書斎に届けた折、ヨシュアはエステルの隣のソファに座っていた。あの位置からだと市長の背中そのものが壁になって金庫のダイヤルは見えなかった筈。
「眼球運動よ。私は金庫でなく、彼の目の動きをずっと観察していた」
ヨシュアの説明によると、市長が金庫を開ける際にジョゼットの目の動きが不自然に慌ただしくなったのを確認したので、その時の彼の網膜の変化を記憶しておいた。
三十桁のアナログダイヤルをイメージし、ジョゼットの眼球運動をトレース化して再現したのが手帳に書かれた数字だが、流石に彼の行動を意識する前の最初の二回分は復元不可能だ。
「ジョゼットは単純にクラウス市長のダイヤル捌きを盗み見ただけです。誰にでも出来ることではないけど、人並み外れた動態視力と認識能力があれば、あの距離からでもダイヤルの数値を特定するのは十分に可能です」
その推理が技術的に可能か否かは今更検証するまでもない。たった今、目の前で披露された神業に比べれば稚技そのもの。
「結局、私の判断ミスですね。すぐに他人を色眼鏡で監視するのは私の悪い癖だったのであの時は自重していたのですが、きちんとあの場でクラウス市長に暗証番号を確認しておけば事件そのものを未然に」
「というよりは、どう考えても市長さんの責任でしょう。いくらなんでも第三者がいる前で暗証番号を隠しもせずに金庫を開けたりする?」
自虐モードに入る前にシェラザードが口を挟む。別段、ヨシュアを庇う義理はないのだが、落ち込まれて推理が遅れられても困るからだ。
ただ、そういった思惑とは別に彼女の主張そのものは正論だったので、危機意識が欠落し過ぎていた市長は「面目ない」と肩を落とす。
「にしても、眼球運動のトレース作業って、それも例の七十七の特技の一つかよ?」
「ええ、そうよ、エステル。けど、見習いの内はいいけど、このぐらいの芸当は朝飯前でこなせるようにならないと正規の遊撃士はやっていけないわよ」
「マジかよ?」
「コラ、コラ、そこの腹黒娘。真面目な顔して大嘘こかないの」
シェラザードが呆れ顔で諫める。嘆かわしいことに只でさえ大陸各地では戦闘に特化しすぎた脳筋系遊撃士が幅を利かせ始めているというのに、あんな瞬間記憶能力と演算オーブメントをセットにしたようなスキルを正遊撃士の必須技能にされたらほとんどの遊撃士は廃業に追い込まれてしまう。
「なあ、ヨシュア。もしかして、ジョゼットは例の盗賊達の一味なのか?」
「物理的な確証は何一つないけど、そう考えた方が自然ね。偶然、二つの勢力が結晶を狙ったというにしては時期が重なりすぎているわ」
「なら、これ以上ここでうだうだだべってないで、とっととジョゼットを探し出そうぜ」
確かに今は犯人の特定や手口の検証よりも、宝石の奪還を最優先すべき。
「とにかく三手に別れようぜ。結晶を手に入れた賊はロレントの外に逃げようとする筈だから、飛行船発着場とヴェルデ橋の関所とあとは王都に通じるグリューネ門を俺達三人で抑えて」
「落ち着きなさい、エステル。多分、そのどの場所にもジョゼットは姿を現さない」
先走るエステルを宥めながら、犯人視点で物事を考察する。
結晶を強奪した地点で賊はロレント市そのものに喧嘩を売ったようなもの。市長がその気になれば定期飛行船の発着を一時的に停止するのも、関所に検問を引いて賊共をロレント市内に封じ込めることも可能。
「えっ、そうなのか?」
自らの権限の大きさを自覚せずに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした市長の発言をヨシュアは聞かなかったことにする。
何だか周りを過大評価し一人で空回りしているような気がしないでもないが、賊が逃走を合理的に行おうとするのなら敵の行動は自ずとヨシュアの予測の範囲内に留まる筈。
「つまり賊は、自力でロレントを脱出できる手段を持っているということね。 例えは独自の
「その通りです」
シェラザードの見解を全面肯定したヨシュアは、同レベルの会話が維持できそう人材がいた現実に感謝する。エステルのボケに突っ込みを入れ続けるのが彼女の人生の日常茶飯事になってしまったが、一人頭の切れる人間が混じっていると話が早くて助かる。
「それが本当なら厄介ね。その気になればアシを止められる場所なんていくらでも」
「手掛かりならここにあります。入手できたのは全くの偶然ですけど」
スカートの内ポケットから、小さなビニール袋を取り出してシェラザードに手渡す。透明袋の中には小枝のようなものが入っている。
「ミストヴルドの森に生えているセルベの木の枝です。多分、ジョゼットの制服の袖口にでも引っ掛かっていたものが、握手した際に私の掌の中に転がり落ちてきました。自主研究中の学生があんな危険な場所に足を運ぶのを不審に思ったので捨てないで保管しておいたのですが、思わぬ形で役に立ちそうですね」
「でかした、ヨシュア。ようするに奴らは飛行艇でロレントの森中に来て、また同じ場所からトンズラかまそうとしているわけだな?」
ここまで会話が推移すれば、エステルにも本質が理解できるようになる。
「そういえばナイアルさんが、ボース地方で謎の空賊団による強盗が相次いでいると情報を漏らしていたけど、ジョゼット達と何か関連があるのかも」
「その詮索は後回しね。迎えの飛行艇がロレントに到着する前に、ミストヴルドの森でやつらを捕らえましょう。急ぐわよ、エステル、ヨシュア」
シェラザードの掛け声を合図に、三人の遊撃士はギルドを飛び出していった。
◇
ミストヴルドの森の最奥。三人の男性と一人の少年が、この場に設置した仮営キャンプの後始末をしている。ジョゼットと例の三人組の盗賊。
ジェニス王立学園のレプリカの制服からカプア一家のユニフォームに着替えたジョゼットは、得物のベア・アサルトに信号弾を詰め込んで空高く打ち上げる。天空で信号弾が炸裂し辺り一帯を明るく照らしだす。
「よし、これで後三十分もすれば、キール姐が
戦利品の結晶を右手の掌の上で転がしながら、銃を持った左手で前髪をかきあげる。ジョゼットは不敵な笑顔で微笑んでいる。市長邸での人の良さそうな姿は全て演技。
「それにしても、あのお人好しの市長には参ったよな。君らをコテンパンに叩きのめしたというブレイサーも、予想した通りの脳筋だったし」
そこで結晶を懐に仕舞い込んだジョゼットは、じっと自分の手の平を見つめる。
(でも、あの娘の手は随分と柔らかかったな。琥珀色の瞳も奇麗だったし。確かヨシュアという名前だったよな?)
恐らく錯覚なのだろうが、未だに掌に少女の温もりが残っているように感じる。頬にほんのりと赤みが射したが、すぐに首を大きく横に振る。
「ああもう、何を考えているんだ、僕は。あの娘もブレイサーの一員で僕たちカプア一家の敵だろうが。田舎町のノーテンキな気風にでも当てられたのかな?」
「誰が能天気だって、盗賊のクソガキ」
突然、どこかで聞いたような根太い声が聞こえてきて、ジョゼットはギクリとする。恐る恐る振り返ると、既に物干し竿を完全装備したエステルが軽く息を切らしながら、強い敵意の視線と共に棍先をこちらに向けていた。
「そっちの三馬鹿にも見覚えがあるぞ。その格好といい、やっぱりお前らグルだったわけか」
「坊ちゃん、ヤバいですぜ。あいつ、信じられない強さで」
「ふん、今度は僕がついているんだ。そう簡単には」
「ジョゼットが偽名か本名かは知らねえが、お前、ガンナーだろ? あと、そっちの三人は、
これ見よがしに既にクオーツを取り外した短剣を目の前に放り捨てる。手の内を見透かされたジョゼット達はドキリと心臓を震わせる。昨夜、ヨシュアが夜通し調べた『毒の刃』の詳細情報は、盗賊たちに心理的な先制パンチを食らわせるのに役立った。
「降参するなら今の内だぞ、コソ泥ども。今の俺は少し気が荒いから、手加減できそうにないからな」
そう宣戦布告すると物干し竿を振り回して襲いかかり、盗賊たちも自分らの得物を抜き出して迎撃する。
もはや言葉はいらない。準遊撃士エステルとジョゼット率いるカプア一家は正面から激突した。
◇
「はあっ、はあっ、ねえ、シェラさん。エ……ステ……ルは、だい・・・じょう……ぶかしら?」
「ぜえ、ぜえ、心配いらないでしょう。相手の手札は全て明かされているわけだし、単純なガチンコ戦闘になれば、今のあの子はもうあたしよりも強いわよ」
森中、ようやく中間地点の橋を渡ったヨシュアとシェラザードだが二人の足どりは重い。
何しろロレントの町からここまで、体力自慢のエステルの無茶苦茶なペースに付き合って片時も休まずに全力疾走してきた。恋煩いよりも激しく波打つ心臓も三日間の筋肉痛の予約が入った両足の筋肉も、とうに限界に達し悲鳴をあげ続けている。
「あーん、もう、さっきから踵が痛いったらありゃしない。ハイヒールなんか履いてくるんじゃなかった」
森の奥深くに進むにつれ、足場が更に悪化してどんどんしんどくなる。いくら遊撃士は身体が資本と言っても限度がある。
ましてや、筋肉のほとんどが
疲弊する女性陣とは裏腹に元気印のエステルは、ジョゼットが打ち上げた信号弾から奴らの位置を特定すると、さらにペースアップして完全に二人を置き去りにする。
すぐに単身で突っ走るのはエステルの悪癖だが、元々このクエストは時間との勝負。何時、敵の救援の飛行艇が到着するか判らない現状ではスタミナに余力がある者が先行するのに意義はあるので、エステルの行動が独断専行かは判断が難しい。
「けど、シェ……ラさん、もしジョ……ゼットが、まだ……きり……ふ……だを……かく……しもっ……て……」
「ああっ、もう、本当にうっとおしいわね」
さらに呂律が怪しくなったヨシュアを持ち上げると、強引に背中に背負う。
エステルが常々大げさに主張していたように、何故かヨシュアからは体重の観念がまるで感じられない。大した力自慢でもない女のシェラザードでも楽々おぶるのが可能。
「ホントにぶざまな格好ね。町の男連中に今のあんたの姿を見せたら、百年の恋も醒めちゃいそう」
「し……ぇらさ…………?」
困惑したヨシュアは、シャラザードの背中で弱々しく暴れる。
「いいから大人しくしていなさい。少しでも体力を回復させること。もし、あんたの危惧通りエステルが窮地に陥っていたとしても、戦力にならなければ助けられないでしょ?」
大切な家族の名前を出して叱咤されると、抵抗を止める。それ以上喋らずに目を瞑ると軽い寝息の音が聞こえてくる。こういう時のヨシュアは徹底した合理主義者で、不仲の女性に身体を預けるのも借りを作るのも厭わない。
「全くこういう力仕事は、本来、男の子の役割でしょうに。ましてや、この娘。図々しくも、本当に寝てるし」
ロレント市に戻ったら報酬を独り占めした上で、二人のツケで居酒屋アーベントで蟒蛇のアイナと飲み放題してやろうと心から誓う。ホームドラマのようにこれを機に女の友情が芽生えるという温い展開にはならぬようだ。
◇
あれから少しペースを緩めながらも、人一人を抱えたまま足を止めずにシェラザードは走り続け、ようやく賊の拠点と思わしきポイントか近づいてきた。
谺する銃声。武器と武具とがぶつかり合う激しい金属音。さらには荒々しい男たちの怒号や、エステルの気迫の雄叫びまで響いてくる。
「とっくに戦闘は始まっているみたいね。何よ、あの光は? まさか地の
目の前の草むらから、黄色い光がだだ漏れている。嫌な予感を覚える。
昨晩、エステルの運命を占ったタロットのカードは、正位置の『
「うわあああああ!」
「エステル?」
義兄の叫び声に呼応して、ヨシュアは跳ね起きる。琥珀色の目をぱちっと開く。先のへろへろ具合が嘘のような俊敏さで、シェラザードの後頭部を踏み台にして前方に大きくジャンプする。
「あたた、全くあの恩知らず娘が」
軽く頭を抑えたまま、忌ま忌ましそうにヨシュアを睨んだが、今はエステルの容態の方が気になる。得物の
「エステル、無事? って、一体なんなのよ、コレ?」
広場のような場所に躍り出たシェラザードが見たもの。棍を構えた態勢のまま石像と化した変わり果てたエステルの姿。その目の前でヨシュアは呆然と立ち尽くしていた。