「だから、さっきから俺はブレイサーだって主張しているだろ?」
「ふん、それが本当だとして、その立場が身の潔白の証になるものか」
警備飛行艇でエステルはハーケン門へと護送される。取調室でモルガン将軍から直々に尋問させるが、会話は平行線を辿り一向に進展しない。
「特に見習いの準遊撃士には、窃盗目的の者が多く紛れていると聞いた。大方、お主もそういう手合いだろう? とすれば、あの場所にいたのも辻褄が合う」
「なっ? このクソ爺、ブレイサーを犯罪者扱いするんじゃねえ!」
遊撃士としての誇りを侮辱され、エステルはブチ切れる。後ろ手に手錠を掛けられた態勢のままモルガンに踊り掛かる。
当然、脇を固める二人の警備兵が取り抑えようとしたが、エステルはラガーマンのようなパワフルさで暴走を続ける。更に三人の兵士がおぶさって、ようやく鎮静化に成功する。
「威勢だけは一丁前だな、小僧」
大人五人に組み伏せられたまま、ガルルーと大型魔獣のような唸り声で威嚇するエステルを、筋骨逞しい老軍人は呆れたような視線で見下ろす。
「小僧じゃねえ。俺はロレントの準遊撃士、エステル・ブライトだ。覚えておけ、ジジイ」
「何、ロレントのブライトだと?」
郷土の地名と何よりもエステルのファミリーネームに反応し、至近からエステルの顔を覗き込む。
「まさか、お前、カシウスの」
「あん、親父のことを知っているのか、爺さん?」
目の前の白髪白髭の老人から父親の名前が出て、エステルは戸惑う。そういえば、カシウスは遊撃士になる以前は軍に在籍していたし、その当時の知り合いだろうか?
「自称ブレイサーの若造、先程からモルガン将軍に対して無礼であろう」
「モルガン? じゃあ、この爺さんがあのモルガンか?」
ジジイを連呼する老人敬護心の欠如を副官が窘めようとしたが、エステルの傍若無人はさらに悪化し、とうとう呼び捨てレベルへと到達。
日曜学校の歴史の授業をお昼寝タイムに割り当てていた劣等生は、モルガン将軍を百日戦役の表の英雄としてでなく、武術大会覇者の単なる一武芸者と記憶していた。
「王都の武術大会は、大陸全土から腕自慢が集うと聞いていたけど、こんな年寄りが勝ち残れる程レベルが低いのかよ? いや、ヨシュアの例もあるし、見た目や年齢で強さを図るのはNGだな。今年は俺も五年ぶりに大人の部に参戦するつもりだから、決勝で手合わせ出来るのを楽しみにしているぜ、爺さん」
「貴様、自分の立場が本当に判っているのか?」
リベールの武神と畏怖された将軍閣下を前に減らず口を叩き続けるエステルに周りの兵士は沸騰したが、肝心のモルガン自身は他者には与かり知れない葛藤を胸中に抱え、無言を貫く。
「モルガン将軍?」
「コホン、今日の取り調べは、ここまでする。その者は牢屋にでも放り込んでおけ」
副官の声に現実に返る。軽く咳払いし尋問を中途半端に打ち切ると、取調室を後にする。その時、一瞬だけエステルを振り返ったが、取り調べ前と異なり、将軍の瞳にエステルを嘲る色は残されていなかった。
◇
「やあ、奇遇だね、マイブラザー」
地下牢には既に先客がいた。金髪の青年が人好きのする笑顔で、手枷を解かれたエステルを出迎えてくれる。
「えっと、誰だっけ?」
「僕だよ、僕。稀代の演奏家、オリビエ・レンハイム。将来、君のお義兄ちゃんになる男だよ。というか、今朝方、自己紹介を済ませたばかりだというのに連れなくないかい?」
牢獄という暗い場を和ませるジョークでなく、どうも本気で忘れているっぽい。オリビエは常になく取り乱して自己アピールを繰り返す。
「ああ、そういえば、そんな奴もいたっけか?」
人は今日まで食してきたパンの枚数を数えないのと同様に、エステルにしても義妹に玉砕した鴨の顔など面倒で一々記憶に留めてはいられない。
「多分、今頃、ヨシュアもあんたの存在を記憶チップから抹消しているぜ。あいつ、面食いじゃない上に男を利用価値の有無で篩に掛けやがるからな」
カラカラと大笑いしながら太鼓判を押し、さらにオリビエをへこませる。
「ああっ、彼女の心は何と無情なのだろうか。僕はヨシュア君の為にこの煉獄で縛めを受けているというのに」
リュートを奏でて哀愁漂うメロディーで悲しみを表現し、エステルはその発言を聞き咎めた。
多くの男性を謀ってきたヨシュアの行動は褒められた物ではないが、基本的には意図的な出会いと円満な破局を繰り返す合法詐欺師で、使い捨てた男性を破滅にまで追い込んだことはない筈。
「おお、聞いておくれ、マイブラザー。この僕の身の上に降りかかった悲劇の顛末と、彼女への愛故の業の深さを」
多額の借金の連帯保証人にでもさせられたのかと、最初は熱心に耳を傾けていたが、話が進んでいく内に馬鹿らしくなってきた。
要約するとオリビエは、ヨシュアの気を引くにはどうすれば良いか悩んだ挙げ句、バイト先のアンテローゼの貯蔵庫に保存されていた高級そうなワインを無断で拝借した。
そのまま持ち逃げしたりしないのが、この男の規格外な所で、勝手に席の一つを
堪忍袋の緒が切れた支配人が呼んだのは当然ヨシュアではなく、王国軍の兵士たち。あれよという間にオリビエは
それからグラン=シャリネの美味しさとヨシュアの美貌を賛美するオリビエの歯の浮くような台詞が聞こえてきたが、エステルの耳には入らない。
たかがワイン一本でここまで大騒ぎするレストラン側の対応もどうかと思うが、流石にこれはヨシュアの責任とは違うだろ。
「ああー、ヨシュア・ブライト。愛しき人よー。君の儚き美しさが、僕の心を狂わせる」
再びリュートを奏で自己陶酔モードに入ったが、構わず寝ることにする。
寝付きの良さには定評のあるエステルは、かしましい隣人のリュートを子守歌に一晩を留置場で過ごした。
◇
「おい、エステル・ブライトだっけ? 釈放するから外に出ろ」
翌日の昼過ぎ、寝坊したエステルが目を覚ますと、見張りの兵士が鍵を開けて牢から解放し、没収された得物の物干し竿まで返却してくれた。
「おいおい、たった一晩で何があったんだよ?」
急激な情勢の変化に面食らう。ギルドに照会して彼の身元を確認できたとしても、遊撃士を歪んだ偏見のレンズで眺めていたモルガン将軍が簡単に自由の身にしてくれるとも思えないが。
「エステルぅー、無事だったのねー」
突然、瞳に涙を溜めた我が義妹が、凄い勢いで胸元に飛び込んできた。
リンデ号の内部は、王国軍の兵士たちにより鼠の隠れる隙間もないぐらい隈なく探索された筈なのに、得意の隠密能力を駆使し見事にあの場から逃げ果せてきたみたいだ。
「ヨシュア、お前」
「お義姉さんに感謝するんだね。彼女がメイベル市長から預かった手紙を見せて、将軍閣下を説得してくれたから、早期釈放に踏み切れたわけだしね」
「馬鹿、馬鹿、エステルの馬鹿。私を置いて一人で調査に行って、捕まるなんて。ずっと心配していたんだから」
どうやって現職のボース市長を丸め込んだのかは判らないが、そういう設定で話が進んでいる模様。
「エステル、エステルぅー、ひっく、ひっく、ううっ」
義兄の名を連呼し、さめざめと真珠の涙を零しながら弱々しく胸元に縋ってきたが、以前石化した時と違い今度は100%純正の演技。
白い目でヨシュアの後頭部の生え際を見下ろしたエステルは、その小賢しい頭を小突きたくなったが、周りの兵士たちが姉弟の麗しい再開劇に感動して最中、手が出し辛い。
「さあ、ここにはもう用はないから、モルガン将軍に挨拶して戻りましょう、エステル」
人指し指で睫毛についた涙を拭き取ると、満面の笑みでエステルの左腕を掴んで、さっさとこの場を立ち去ろうとする。
「ヨシュア君。無視するにしても、少しあからさま過ぎやしないかい?」
牢の奥から一緒に一夜を明かした男性から非難の声が上がり、胸下から軽く舌打ちした音が聞こえた。
(喜べ、オリビエ。義妹はまだお前のことを覚えていたみたいだぞ。ただし、このまま煉獄で一人で朽ち果てて欲しいと望んでいるみたいだけどな)
「エステル、一応聞くけど、どうしてオリビエさんはここにいるの?」
その原始的な質問に、昨晩にオリビエから得々と聞かされた喜劇についてかい摘んで説明する。
「ワインの窃盗ねえ。思い詰めるのは自由だけど、人を勝手に従犯扱いして巻き込まないで欲しいわね」
無慈悲な感想ではあるが、確かにヨシュアでなくても、振られた男の自暴自棄に一々女の側が責任を取らされては敵わないだろう。
「まあ、オリビエも非常識だけど、レストランの大袈裟な反応もどうかと思うけどな。いくら高いといっても、たかがワイン一本だろ? えっと、ぐらんしゃり……何て、言ったっけ?」
「グラン=シャリネ1183年物だよ、エステル君。鼻腔くすぐる福音たる香り。喉元を愛撫する芳醇な味わい。ヨシュア君も結構な酒客のようだし、あの薔薇色に輝く時間と空間を共有できれば、彼女のハートも鷲掴みと思っていたんだけどね」
檻の向こう側から高級ワインの解説を加えながら、昨日の至福の一時を思い出して心ときめかす。その後、現実に返ったオリビエは、鉄格子を隔てた自分とヨシュアの今現在の立ち位置の違いに嘆息した。
「エステル、オリビエさんの申告に偽りがなければ、アンテローゼの対応は至極マトモよ。グラン=シャリネ1183年物は、シェラさんが一口でいいから賞味したいと羨望していた王都のオークションに出品された幻の逸品で、確か五十万ミラで落札されたそうよ」
酒飲み悪友から仕入れたネタを披露され、エステルは仰天する。
目の前の不良少女と異なり、エステルは未だに飲酒経験はないが、酒なんて高くても数千ミラで購買できる代物だと多寡を括っていた。たかだが葡萄を発酵させただけの飲料に一戸建て住宅を購入するのに等しい値がつくとは、売る方も買う方もいかれているとしか思えない。
「エステル君、そうやって表層的な事象だけで、物事を切り捨てるのは良くない。それを言うなら、一千万ミラの巨匠アマデウスの絵画も単なる絵の具の塗りたぐりだし、君の美しい義姉君だって水と蛋白質の複合体で落ち着いてしまう。玲瓏たる美女、水も滴る美少年、天上の調べ、心洗われる風景、匠の傑作、魂を震わせる物語に極上の酒と料理。全ては儚くも美しい人類の英知の結晶だよ」
再び長ったらしい演説を交えて芸術を讃歌したが、かといって虜囚の立場が変わるでも、飲み逃げ行為が正当化される訳でもない。
「まあ確かにこんな傍迷惑な奴は、ずっと檻の中に閉じ込めておいた方が世の中の為かもしれないな」
「そんな酷い、エステル君。掌を返すように」
エステルの中に残留していた同情心が限りなくゼロに萎んだが、逆にヨシュアははじめてオリビエという存在に興味を示したかのように、マジマジと彼の顔を眺める。
「オリビエさん、年式まで空で言える所を見ると、あなた、グラン=シャリネの価値を予め知っていたのよね? 仮に昨晩、私の招待に成功したとして、その後どうやって莫大なミラを支払うつもりだったの?」
「ふっ、決まっているだろう。この僕の華麗な演奏でだよ。以前も話したと思うけど、帝都の大劇場でオペラの主演を努めた時は、一晩で百万ミラを稼いだものさ」
「おい、さっさと行くぞ、ヨシュア」
これ以上、与太話には付き合っていられないとばかりに、エステルが急かす。この帝国人の正体は単なる法螺吹きか、もしくは誇大妄想癖のキチガイらしく、どちらにしてもロクな代物じゃない。
「ねえ、兵士さん。ブレイサーの私が、オリビエさんの身元引受人になる上で保釈金を払うから、この人をここから出してあげられないかしら?」
何やらとんでもない主張がなされて、この場にいる全員の度肝を抜く。
見張り役の兵士は上役を呼んで、ヨシュアの発言を協議する。現在、王国軍は例の空賊対策で忙しく、それと無関係な軽犯罪に一々携わっていられないのが実状で、ギルドの側でこの問題児を引き取ってくれるのなら大歓迎だ。
ネックはレストラン側から民事訴訟が届いている為、和解を求めるなら保釈金の代わりに相応の示談金を支払う必要があるのだが。
「五十万ミラね、ギリギリ足りるかしら」
懐からカードを取り出すと、机の上に置かれた機械に差し込んで、兵士長に何かを告げる。それから周囲の様子が慌ただしくなり、兵士長が電話で何かを確認すると、オリビエを閉じ込めていた檻が解錠された。
ヨシュアはニコニコと微笑みながらオリビエの手を握ると、一枚の紙切れを彼に差し出した。
「おめでとう、オリビエさん。後はこの書類にサインすれば、あなたは自由の身ですよ」
「ありがとう、ヨシュア君。僕の為にここまでしてくれるなんて。とうとう僕の真心が君のハートに届いたのだね」
瞳をキラキラと輝かせながら、ヨシュアの手を強く握り返すと、碌に文面も読まずに、すらすらと達筆で『オリビエ・レンハイム』と一筆書きした。
悪魔との契約書に、血印で署名してしまったとも知らずに。
こうして信じられないことに、エステルに続いてオリビエまでもが、たった一晩で釈放されることになる。エステルとヨシュアは、モルガン将軍に二三、父親に関する質疑を交えて挨拶した上で、ハーケン門を後にした。