ブライト家の兄妹
「197……198……199……200……201…………」
エステル・ブライトの朝は早い。雀の囀りと天窓から零れる日の光を合図に、ベッドから跳ね起きると、寝間着から私服に着替え、棍術の修練に励む。
「311……312……313…………」
庭先で己の身長以上の長棒を振り回し、独闘を行う。
「487……488…………」
先から尋常ならざる施行回数か囁かれているが、単にカウントのみを目的とし機械的に素振りを繰り返しているわけではない。常に相手を想定し、目まぐるしく立ち位置を入れ換え、どうすればもっと早く攻撃できるか、効率良く敵に当てられるかを考える。
一振り一撃に常に一棍入魂の気合を篭める。その証拠にエステルの腕の筋肉は張り詰め、足元には水溜まりと錯覚せんばかりの夥しい量の汗が滴り落ちている。
(もっと強くなりたい)
多少なりとも武の世界に携わる者なら、誰もが抱くであろう根源的な想いが少年の
(絶対に強くなるんだ。あいつよりも)
今だ背中の影を踏むことすら叶わない義妹との力量差を思い出し、疲れた身体に鞭打ち、さらなる気合を注入する。
いつから、どうして義妹より強くなりたいと願ったのかは判らない。思い出そうとする都度、頭の中に黒い霧がかかり記憶を阻害する。
ただ、人を好きになるのに理屈がいらないのと同様、思春期の男子が強さを追い求めるのに、今更尤もらしい理由など必要ないであろう。
「997……998……999……1000」
目標として定めた回数に達すると同時に、エステルは棍を構えた態勢のまま静止する。独闘の稽古は終了したが、残心の心構えを忘れず、気持ちと呼吸が落ち着くまで緊張感を持続する。
そんなエステルの想いに呼応したのか、頭上から声がかかる。
「朝から精が出るわね、エステル」
「やっぱり、見ていたのかよ?」
それを合図にエステルの心身の緊迫感は限界に達する。棍を地面に取り落とすと、そのまま仰向けにぶっ倒れる。
パノラマさながらの澄みきった青空が視界一杯に広がる。さらに首だけを動かすと、樹齢百歳を越すという五アージュ級の大木が目に入り、頂上付近の枝に誰かが腰掛けている。
声の主であろうか。ちょうど逆光と重なった為、黒いシルエットしか視認できなかったが、エステルはその少女の正体を知っていた。
「……ヨシュア」
◇
やがて朝日が気紛れな雲に一時的に遮られ少女の姿が露になるが、未だ逆光に照らされているのと錯覚せんばかりに、木の上からエステルを見下ろす少女の黒さは変わらない。
腰まで届くサラサラとした漆黒の黒髪。黒を基調としたレース装飾のブラウスにすらりとした太股が露出する短さの黒のミニスカートと同じく黒のニーソックス。服調が黒で統一される中、唯一のアクセントとして両耳側の髪を結んだ二つのリボンだけが水色で、黒一色で染まったスポーティーな服飾に清楚さを醸し出している。
少女は黒猫さながらの身軽な動作で枝の上に立ち上がる。本物の猫が乗っても折れそうなぐらいか細い枝が不思議と少女の全体重を支え続け、エステルは軽く顔を顰める。
(見えねえな)
物理法則無視の少女の軽さにまるで頓着せず、エステルはこの角度からなら見えてしかるべき『とある布切れ』が黒い影のような何かに阻まれ観賞できない現実に小首を傾げる。
少女が枝から飛び下りる。五アージュ近い距離を垂直落下したが、体重そのものを全く感じさせない機敏な動作でクルリと一回転してからエステルの目の前で着地する。
今度は至近からエステルの顔を覗き込む。髪色や服飾とは真逆の透き通った白い肌に整った顔立ち。空の
少女は掛け値なしに美しかったが、少女の視線に何となく居心地の悪さを感じたエステルはまだ呼吸が落ち着いてないにも関わらず強引に立ち上がる。すると今度は逆にエステルの方が少女を大きく見下ろす形になる。
五年前に初めてエステルか少女と出会った時、両者の身長は等しい。胸尻に全く凹凸もなく、性別以外に身体的差異は特に見当たらなかった。だが、長い年月を重ねて、エステルは見違えるほど逞しく、義妹は儚くも美しく成長する。
ある時期を境にエステルはグングンと背を伸ばし始め、今では小柄な義妹とは頭一つ以上の差がある。筋骨逞しいエステルとは逆に華奢な少女の身体はますます細く、しかし、胸部や臀部だけは同年代の子女と比べて著しく膨よかに第二次性徴を遂げる。
この少女が、ヨシュア・ブライト。
とある因果から、カシウス・ブライトの養女となったエステルの
本人は誕生日が半年以上早いことを根拠に自分の方が義姉だと主張するが、既にロレントの住民は二人をブライト家の名物兄妹と認識しているので手遅れだ。
ただ、この一見清楚で荒事とは無縁そうな華奢な義妹は、エステルにとって庇護の対象ではなく超克すべき存在。
(ヨシュアが俺より強いなんて、普段こいつの猫かぶりに騙されている鼻の下伸ばした連中は絶対に信じないだろうな)
自身の
「よし、ヨシュア。やるぞ」
呼吸の落ち着いたエステルは棍を拾い上げると、ヨシュアに向け構える。鼻先に棍を突きつけられたヨシュアは目をパチクリすると軽く肩を竦める。
「エステル、今日は午後から準遊撃士の資格取得試験があるんだし、このぐらいに……」
「一日、一回、手合わせしないと落ち着かないんだよ。今日こそ俺はお前を超えてみせる」
「判った」
エステルの一徹にあっさりと説得を諦める。義兄の図抜けた頑丈さと回復力の高さを重々承知なので、元より深く心配していたわけではないのだろう。
「いつでもいらっしゃい」
ヨシュアがそう宣言すると、エステルは棍を振り回して無言のまま襲いかかる。
エステルが使用している得物は先を丸めた練習用武器ではなく、殺傷力の高い実棍。しかも、別名『物干し竿』と呼ばれる特注品で、通常の棍よりも射程が長く倍重い。
これをエステルの腕力と技量で扱うと、大木の幹を貫通して穴を穿つ程のとてつもない破壊力を得る。人や魔獣などの対生物相手では一溜まりもなく、ましてや細身のヨシュアなど怪我じゃすまない。
ただし、あくまで『当たれば』という仮定の話。
ヨシュアは腕を後ろに組んだまま涼しい表情で、既に五分近いエステルの波状攻撃を交わし続けている。
連続で突く。上から振り降ろす。横から薙ぎ払う。下からしゃくり上げる。その全ての攻撃を、敢えて紙一重で避ける。
物干し竿の威力を知りながらも、琥珀色の瞳には微塵も恐怖心は感じられない。むしろ、口元にうっすらと笑みさえ浮かべている。完璧に手玉に取られているが、別段エステルに驚きも焦りもない。これが現地点の二人の正しい距離だからだ。
まずはヨシュアを本気にさせる所からエステルの修行は始まる。
エステルが棍を旋風のように振り回す。今までほぼ上半身の見切りだけで避けていたヨシュアが跳んだ。
次の瞬間、ヨシュアは信じられない身の軽さで棍の上に着地する。棍先にヨシュアの体重が加わったが不思議と重さを感じない。
流石に少し腹が立ったエステルは乱暴に棍を払う。その刹那、棍から飛び下りたヨシュアは、そのままエステルの頭の上を飛び越え一回転して後方に着地する。
(何でだよ)
頭上を見上げたやや間の抜けた格好のまま、強く思う。
(何で、今のでもパンツが見えねえんだよ?)
エステルの疑問は、攻撃が当たらないことでも、ヨシュアの異常な身の軽さでもない。
謎の暗闇に覆われて、この至近からでも観賞できなかったスカートの中身である。
別段、義妹のパンチラに欲情しているわけではない。まだ胸がぺったんこだった三年前まで一緒に風呂に入っていたし、黒系の服色の好みとは逆にピンクのリボンのついた純白の下着を好んで愛用しているのも洗濯当番の時に確認済み。
何よりもエステルはヨシュアの美しさを認めながらも、自分より圧倒的に強い義妹を女として認識していない。本来見えてしかるべき筈のものが見えないのが気になるだけ。他に他意などあろう筈がない。
(ヨシュアの奴、一体どんな手品で、あんな短いスカートの中身を守ってるんだ? そういえば発着所案内係のアランさんが、『最近のアニメは昔に比べて理不尽にパンツが見えなくなった』とか愚痴を零していたけど、これが噂の絶対領域という奴か? それともシンプルに実は本当に履いてない? だとすると、あの黒い闇はまさか。なら、やるしかねえのか? かつて封印した究極奥義スカートめく……)
「エステル、稽古中に何を考えているの?」
「うわぉ?」
ヨシュアは目と鼻の先まで自身の顔を近づける。身長差からくる自然な上目遣いでエステルの表情を覗き込み、慌てて後方に仰け反った。普段は義妹を異性として意識しないエステルだが、不意打ちでこういう可愛らしい仕種を見せられると、ドキマキしてしまう。
「何か妙なこと企んでいなかった?」
「悪い、悪い。ここからは真面目にやるから」
鋭い女の勘を発揮しながら、彼にしか見せないジト目で睨むヨシュアに後ろめたそうに目線を逸らす。それから煩悩を打ち払うように強く頭を振ると、再度気合いを入れ直して棍を構える。
エステルの判り易すぎる態度から、疑惑を確信に変えたヨシュアの目がますます細まる。
だが、次の瞬間、妖艶な笑みを浮かべると、ミニスカートの両裾を掴んで思いっきり捲りあげる。剥き出しの白い太股がさらに露になる。
エステルの密かな願いを叶えたかに見えるが、そうではない。ヨシュアは両太股に巻かれたバインダーから、彼女の得物である
(ここからが、正念場だな)
両の腕に短剣を構えるヨシュアの姿に緊張感が高まる。
標準より長めの棍を扱うエステルとは逆に、ヨシュアの武器は、正規品よりも極端に短くて軽い。リーチは半分もなく、重さに至っては1/10。何しろ、ミニスカートの内側に隠せるコンパクトサイズなのだ。ダガーというよりは、ほとんどナイフである。
ぶっちゃけると、ヨシュアの非力な腕力ではこのサイズしか装備できないのだが、こんな猫が爪を伸ばした程度の武装でもヨシュアの手に握られると、
エステルが再びヨシュアに襲いかかったが、今度は避けようとせず正面から迎え撃つ。単棍と双子の剣が激突し火花を散らす。
一撃の威力はエステルに分があるが、ヨシュアは手数の多さとマインゴーシュー(※盾代わりに用いる左手用短剣のこと)さながらの捌きで攻撃を受け止めいなし、パワーの差を相殺する。
結果、虚空の彼方に吸い込まれるように攻撃は全て雲散霧消する。武器同士の撃ち合いをしているのに、その実感は与えられず、まるで実体のない幽霊を殴っているような錯覚さえ陥る。
それでも先のように空を切り続けるよりはよっぽどマシだが、こうした暖簾に腕押しのような膠着状態を続けている内に否応なく一つの事実に気づかされる。
(やっぱり、さっきから撃たされているな)
ヨシュアは敢えて構えの一部に隙を作って、その箇所に攻撃を誘発している節がある。攻勢に出る時でさえ、攻撃前にわざと微かな予兆動作の溜めを行うことにより、防御の先読みが可能なように配慮している。
さながら指導碁の如く、実践的な攻防の手筋を叩き込んでくれているわけだ。
実際、この形式の修行を取り入れてから、エステルの技量は格段に向上した。
ヨシュア本人と闘っている時は、攻撃が掠りもしないので上達を全く実感できないのだが、ヴェルテ橋の関所の兵士訓練に定期的に参加するようになって、初めは負け続けていた複数の兵士に今ではヨシュアのサポート抜きでも連勝できるようになったからだ。
(けど、これじゃ、まるで釈迦の掌の上の孫悟空だよな)
本来、感謝すべきなのは理屈では判っているのだか、昔、母親に読んでもらった西遊記とかいう絵本の主人公さながらに義妹の手の内で弄ばれている感が先立って、反抗期の子供染みた反発心を抑えることができない。
「そろそろ終わりにしましょうか、エステル」
そんなエステルの焦燥感に感応したわけでもないのだろうが、ヨシュアは隠していた力の一端を開放する。エステルの動体視力では追いきれない超スピードで残像を残しながら高速移動を繰り返し、死角から一瞬で懐深くに潜り込むと今までの倍以上の手数の斬撃を見舞い、また離脱して再度隙を伺う。
「くそっ」
適度に保たれていた攻守のバランスが一気に崩壊する。ヨシュアの回転率がどんどん上昇し、瞬く間に防戦一方に追い込まれる。
二人の決着はどちらかが武器を失ったらという暗黙の了解がある。ヨシュアの攻撃はエステル本体を無視し、棍だけに集中している。故に背面の無防備さを気にせず、棍を手放さないことだけに意識を高めれば良いが、左右から繰り出される変幻自在の斬撃に本丸は陥落寸前まで追い込まれる。
(また負けるのか? このまま何もなし得ないまま)
追い詰められたエステルの脳裏にとある秘策が駆けめぐる。一向に縮まる気配のない義妹との力量差を愚痴っていた時に、彼の幼馴染みが悪戯っぽく微笑みながら授けてくれた。
効能については未だに半信半疑だが、迷っている時間はない。先程から両腕は痺れ、棍を持つ掌の感覚が薄れ始めている。
「ヨシュア!」
大声で叫ぶも、ヨシュアは無視して止めのモーションに入る。駄目元でとある言葉を添えながら、カウンター気味に自身の棍を突き出す。
「好きだ」
カーンという鈍い音が鳴り響く。エステルの棍が、ヨシュアの片剣を後方に弾き飛ばした。武具の半分を失ったのにヨシュアは棒立ちのまま未だに惚けている。
だが、それ以上に驚いたのはエステルの方だった。まさか本当に効果があるとは。理由は判らないが、これは千載一遇のチャンス。
(本当にヨシュアに勝てる?)
残る最後の短剣が舞い上がる。エステルの勝利? いや、違う。ヨシュアは弾かれる寸前、自ら武器を宙に放り投げた。そのまま懐に潜り込むと、片手でエステルの襟首を掴んだ。
(やばい)
手負いの草食獣が満腹の肉食獣より獰猛であるように、無手のヨシュアはある意味、武装した状態よりも危険極まりない存在なのを知っている。
目が合うと、琥珀色の瞳が真っ赤に光り輝いている。怪物が本気になった証。
「かはっ!」
次の瞬間、エステルの身体は宙を舞い背中から地面に叩きつけられる。四股がバラバラになりそうな強い衝撃が全身を駆けめぐり棍を取り零す。
それを合図に稽古終了の筈が、ヨシュアの攻撃はまだ終わらない。エステルの左腕にしがみつくと、そのまま腕挫十字固めの態勢に持ち込み、関節を極める。
「あだ……いだだだだだ!」
肘関節の可動域を超えて、逆方向に伸ばされたエステルは、痛みと降参の意を訴えて、自由な右腕でバンバンと地面を叩く。左腕はヨシュアの豊満な胸の谷間に納められ、太股の付け根のとある敏感な部分が肩口に密着しているが、その感触を楽しめる余裕は今のエステルにはない。
「ねえ、エステル。さっきのアレは、誰の入れ知恵?」
アレとは「好きだ」と口走った件だろうか? 軽く微笑みながら、猫なで声で尋ねたが、怒気を孕んでいるのは明白。その証拠にヨシュアの瞳は、未だ血を溶かしたかのように真紅に染まったまま。
「入れ知恵って、俺が自分で考え……痛ててて!」
「あなたが、ああいう策を自前で遂行できる観察力と性格の持ち主なら、私は何の心配も要らなかった。半年前、一人で準遊撃士の旅にでて、今頃、とっくに正遊撃士の資格を取っていたわ。もう一度だけ聞くわ。誰に唆されたの?」
「何言ってんだか、さっぱり判らな……だああ、痛たた。折れる、マジに折れる」
「大丈夫よ、エステル。ちゃんと奇麗に外して奇麗に嵌め直してあげるから、物凄く痛いだけよ。ただ靱帯を損傷する危険があるから、もしかしたら午後の試験を受けられなくなるかもね」
猫が鼠をいたぶるような嗜虐的な表情で突きつけられた最後通告に、エステルの顔が引きつる。ヨシュアの背筋力に力が籠もる。弓を引き絞るように限界ぎりぎりまで肘が曲げられる。
エステルは一瞬何かを口走ろうとしたが、思い直したように頭を強く振る。目を瞑り、思いっきり歯を食いしばった。
エステルの覚悟をじっと見定めていたヨシュアの瞳が、赤から本来の琥珀色へと変化。軽くため息を吐くと、極めていた腕を開放する。
「ヨシュア?」
「エステル、あなたって本当に馬鹿ね」
「どういう意味だよ?」
胡座をかき左肘を摩りながら、拗ねたような目でヨシュアを見上げる。
「その名の通りの意味よ。折られる覚悟で痛みに耐えようとしたのは見上げた根性だけど、その所為で逆に犯人を絞り込めたわ。ティオかエリッサ。性格まで考慮するとティオ一択かな?」
「何で判っ……んぐっ」
慌てて口を閉ざそうとしたが、身体の隅々まで行き渡った動揺がヨシュアの仮説の正しさを雄弁に物語っていた。追い打ちをかけるように、得意の合理的な思考フレームによる解説が追加される。
「簡単な推理よ。エステルが私との稽古について相談を持ちかけられる相手は、さほど多くない。武術関係者か親しい友人ぐらいしか私たちの力量を知らないしね。その上でエステルが多分、私の報復を恐れて口を噤んだ所を見ると、父さんやシェラさんなどの武道系も除外される。更には指折り楽しみにしていた遊撃士試験をフイにする危険を冒してまで守ろうとする程の知り合いの中であの助言を思いつけるのは、エリッサとティオの二人だけ。最後に性格まで考慮……」
「待て、待て。どうしてラストの推論であの幼馴染み二人だと断定できるんだよ?」
「あなたは判らなくても良いことよ、エステル。どうせ、あの下らない策が成功しかけた理由も見当つかないんでしょ?」
名探偵モードを途中で遮られたからでもないだろうが、不機嫌さを滲ませた口調でそう言い切ると、自分の表情を隠すようにクルリと後ろを振り返る。
背中から妙に禍々しいオーラが噴出しているように感じられたエステルは、それ以上の追求を躊躇わせたが、それでも一つだけ確認しておかなければならない事柄がある。
「なあ、ヨシュア。あまりティオに手荒なことはしないでくれよ。悪気があった訳じゃないし、むしろ責任は安直な策に頼ろうとした俺にあるんだからよ」
「やだなぁ、エステル。私がティオに酷いことする筈がないじゃない? エリッサとティオの二人は私の数少ない同性の大切な友人なんだから」
再度、振り向くと、一点の曇りのない満面の笑みで幼馴染みの身の安全を保証してくれたが、却って不安だ。今まで一体どれだけのロレントの男性があのヨシュアの笑顔と嘘泣きに騙されてきたことか。
尚、稀少な女友達というのは、誇張や謙遜でもない歴然とした事実。ヨシュアは幅広い年代の男性から受けが良い反面、特に同年代の少女達から疎まれており、もう五年来のつき合いになるシェラザードとの間にさえ実に微妙な空気が漂っていたりする。
「どのみち今日は遊撃士の試験があるんだから、ティオに会いに行く時間はないわよ。そろそろ朝食の準備にしましょう。あなたもお腹が空いたでしょう、エステル?」
ヨシュアは双剣を拾い上げ、ミニスカートの内側に装着すると、駆け足で家の中へ消えていく。
物理的な確約に、幼馴染みの身の上を案じていたエステルの気が楽になる。安堵したら、お腹がグーっと鳴った。確かにもうお腹がぺこぺこだ。ヨシュアは「あなたも」と囁いたが、もしかすると腹の虫を聞かれるのが嫌で慌てて逃げたのかもしれない。そう妄想すると可笑しくなって、戦闘の疲れも敗北の屈辱も忘れて地面に大の字に寝ころがってゲラゲラと笑い転げた。
その笑い声は、顔を真っ赤にして飛び出してきたヨシュアに顔面を踏み潰されるまで途切れることはなかった。
◇
「パーゼル農園の魔獣退治!?」
ロレント市にある
「そうよ。正式なクエストではあるけど、依頼人は貴方達の顔見知りだし、色々と都合が良いので準遊撃士の資格取得試験の内容に割り当てることにしたの。もっとも……」
露出度の高い踊り子風の衣装に身を包み、健康的な褐色の肌を惜しみなく晒した若い銀髪の女性は何とも言えない視線をエステルの隣に佇む少女に向ける。
「エステルはともかく、あんたに今更こんな試験が必要なのかあたしは疑問だけどね。というわけで、ヨシュア。あなたは今回、極力手を出さないこと。確かめたいのはエステルのブレイサーとしての適正と、依頼に対する判断力だからね。判った……って、ちゃんと、聞いているの、ヨシュア?」
シェラザードは更に念を押したが返事はない。ただヨシュアがボソリと呟いた一言をエステルは聞き逃さなかった。
「手間が省けたわね」
一瞬黒い笑みを浮かべながらも、直ぐさま営業スマイルに切り換えてシェラザードに対応した変わり身の速さに、自身の試験結果よりも幼馴染みの少女の行く末が気になって仕方なかった。