魔獣の襲撃から一夜明ける。関所の休憩室で目を覚ますと、アガットと手負いの黒装束は姿を消していた。
兵士に聞いた所、ルーアンへの手続きを一時保留し、ボース方面に逆戻りした。護送車が入り込める西ボース街道までに限定しても、女性の身で人間一人担いだまま、足場の悪いクローネ山道を走破したタフさは敬重に値する。
兄妹は普通に開港都市を目指しクローネ山道を下っていく。アガットは元々ルーアン地方に用事があったのは確かなので、近い将来、市のどこかで再会するかもしれない。
◇
「ふーん、ここがマノリア村か。何か、ロレントと変わらず田舎町って感じだな」
マノリア海岸に面したマノリア間道を通って、ルーアンへの中間ポイントとなる宿場町に辿り着いた。
エステルの感慨通り、途切れることがない海風を受けて、半永久的に周り続ける風車小屋が目立つ程度の素朴な村。各々の市が導力革命により繁栄しても、ボースのラヴェンダ村がそうであるように各地に点在する村々の産業レベルに大きな変化はない。
休憩と腹拵えを兼ね、食事所の白の木連亭で村名産のお弁当を買い込み、海が見える絶妙のロケーションの風車小屋の下の展望台で昼食を堪能する。
「青い海。白い砂浜。空は澄み渡りーと歌ってみても、花より団子のエステルが相方じゃ、雰囲気も何もあったものじゃないわね」
目の前の絶景に頓着せず五箱目の弁当に手を掛けた大食漢に、ヨシュアは軽く嘆息しながらサービス品のハーブティーを啜る。
「んっ、何か言ったか、ヨシュア?」
「何でもないわよ、エステ……」
ほっぺたにお弁当がついているのを目敏く発見すると、何を思ったのかべろりと舌なめずりし、自分の顔をエステルの顔に近づけ御飯粒を舐め取った。
「ヨシュア?」
あまりに大胆なスキンシップに赤面したが、戯れ合いはこれで打ち止めではない。お行儀良く小さな欠伸を漏らすと、エステルの膝の上に頭を乗せてゴロンと横になる。
「おい?」
「何か潮風が気持ちよくて、眠くなってきちゃったわね。少し、食後の
そう宣言すると、了承も取らずに膝全体を敷布団にする。子猫のように身体を丸めると、軽く寝息の音を立て始める。
「シエスタしようって、お前」
膝枕ならぬ膝布団状態で、膝全体に柔らかい肌の温もりが直に伝わってくる。例によってヨシュアの重みはさほど感じないが、このような蛇の生殺し状態で寝られる筈もない。
「こんな恥ずかしい所、誰かに見られたら」と肝の太いエステルが、ヨシュアが目を覚ますまでハラハラし通した。
◇
「あー、良く寝たわね」
三十分後、ヨシュアは何事もなかったかのように大きく伸びをする。羞恥プレイからようやく解放されたエステルは、居心地悪そうにそっぽを向く。普段は義妹を女と意識したことはないが、旅に出て以来、時折見せる無防備な仕種に調子を狂わさる。
だから、常になくボーっとしており、十歳前後の少年にぶつかられても、「あっ、悪い」、「いや、こちらこそ」とテンプレの挨拶を交わしただけで素通りしそうになる。
「待ちなさい、坊や」
エステルの代役にヨシュアが声を掛ける。特徴的な帽子を被った少年はギクリと動揺する。
「今、エステルから掠め取った物を返しなさい」
琥珀色の瞳に威圧感を込めて少年を睨む。その言葉にエステルは我に返って、身体を点検すると、生命の次の次の次ぐらいに大事な遊撃士の紋章がチョッキの胸元の位置から消えていた。
「マジかよ? ヨシュア、良く気がついたな?」
「エステルが鈍すぎるのよ。まあ、私も子供のかっぱらいには独特のぶつかり方があるって、シェラさんから生身で実演してもらったから、一発で見抜けただけだけどね」
「お前ら、本当は仲良いんじゃないか?」
互いに反目しているように見せて、お酒を含めて妙に場と情報を共有している二人の女性の関係性に一石を投じてみたが、ヨシュアの側には彼女に含む所はないと訴える。
「ただ、私の方がシェラさんよりも、若くて美人で賢く殿方にモテモテで物理的に強くて酒豪ランクも上でお金持ちなのが物凄く気に入らないみたいなの」
謙遜をさしたる美徳とは考えないヨシュアは、ヌケヌケと数々の優位性をアピールし、エステルを呆れさせる。
「あと第二次性徴前の子供の私をずっと貧乳腹黒娘と大人気なく馬鹿にしていたのに、その最後の砦だったバストサイズもとうとう去年追いつかれてしまったからね。既にオワコンのシェラさんと違い、まだ発育途上中の私に来年には大きな差をつけられるのが目に見えているのが決定的な垣根になっているみたい」
さらには積年の怨念を込めて、乳比べのフレーズを嫌味ったらしく強調する。アガットの爆乳に明らかに嫉妬していた件といい、エステルにはよー判らんが、女性にとって胸脂肪の大小は結構重要なファクターらしい。
「背の高さとか肌の濃さとか手癖の悪さとか、シェラさんの方が局地的に勝っている所もたくさんあるのだから引け目を感じる必要もないのにね」
「とりあえず、シェラ姐が本当に気に食わないのはスペック云々でなく、お前のそのひん曲がった性格そのもの……おい、逃げられるわけないだろ、小僧」
兄妹漫才が始まった隙を見計らい、少年は忍び足で場を離れようとしたが、宣告通り手練の遊撃士二人から逃げ果せる筈もなく、猫のように襟首を持ち上げられる。
「離せよ、ブレイサーが民間人に暴力振るっていいのかよ? 大体、オイラが盗んだって証拠でもあるのか?」
懐を弄ろうとしたエステルの手を払いのけた少年は完全に居直った。「助けて、人攫いに誘拐されるー」と叫び宙釣りの空中で手足をばたつかせるが、ヨシュアに冷たい瞳で見つめられ蛇に睨まれた蛙のように萎縮し動作を停止させる。
「ねえ、ボクぅ。遊撃士の紋章なんてミラに交換できる代物でないし、ほんの出来心なんだろうけどそろそろ折れといた方が得よ?」
今なら単なる子供の悪戯で済ませられるが、これ以上、大事になれば王国軍の駐屯所まで連れていかれ、保護者の方にも話を通さなければならなくなると脅しを掛ける。
軍や保護者という単語を聞いて少年は明らかに怯んだが、それでも今更引込みかつかないのか。表情を青ざめたまま片意地を張って、首をブンブンと横に振る。
ヨシュアは良い子には性別を問わず優しい反面、悪い子には一切容赦がない。更なるプレッシャーが加えられるのを看取ったエステルは中指と人指し指でトントンと軽く自分の肩を小突くと、掴んでいる襟首を放して少年は地べたに尻餅をつく。
「痛えな。離せと言ったけど、この高さからいきなり離す奴が」
「悪いな、坊主。俺の勘違いだ。紋章はこの村に着く前のマノリア間道で、失くしたんだった」
その言葉に少年はぽかんとし、ヨシュアも不審な視線を注ぐ。
「というわけだ、落としたエンブレムを探しにいくぞ、ヨシュア」
本当に紛失したなら来た道を戻らないといけないのに、ヨシュアの手を引っ張りメーヴェ海道に向かって行く。
取り残された少年は地面に座り込んだまま、先とは異なる良心の呵責に耐え兼ねる戸惑いの眼で、エステルの筋骨逞しい背中をじっと見つめていた。
◇
「ちょっと、エステル。どういうつもり?」
村の外に出たヨシュアは不満そうに声を掛けるが、エステルは何時になく真摯な表情で、軽くヨシュアの額をデコピンする。
「ヨシュア、確かに倫理的にはお前の方が正しい。けど、いくら過ちを犯したからって、あんまりガキを本気で追い詰めるな」
狼少年の逸話のように、些細な悪戯のつもりが大事故に発展するケースもある。時には大人の側できちんと逃げ道を作ってやらないと、どうにもならない場合があるというのがエステルの経験則に基づいた持論。
エステル自身がロレントきっての悪童だったせいか、悪ガキへの対処を心得ている。そのあたりの匙加減は優等生のヨシュアには判りづらい。
「まあ、被害者はエステルなんだし、私は別にいいのだけど。紋章なしでギルドに顔を出して、どう言い繕うつもりなの?」
「素直に事情を話して、再発行して貰えばいいだろ?」
そう楽観したが、事は単純ではない。紋章はまさしく遊撃士の象徴そのもの。邪なる者の手に渡れば、エステルの立場を騙り様々な悪事を働くことも可能。
故に再発行は不可能ではないが、色々と面倒な手続きが必要。少なくとも受付のエステルへの印象は著しく悪化し、推薦状を貰うクエスト活動にも支障をきたすと勧告する。
「ようは、あの幼子を精神的に追い詰めなければ良い話でしょう? なら、今からマノリア村に戻って、私があの子に気づかれないように紋章を奪い返してきましょうか?」
一瞬考え込んだ後、エステルは首を横に振る。ヨシュア得意の隠密能力と、シェラザード直伝の盗人テクを駆使すれば造作もないだろうが。今回はエステルの不注意から始まった失策で、他人に尻拭いを頼むのは筋が通らない。
ボースの成功で少し増長し、気を緩めていたからこそ発生した不始末なので、自戒するには良い教訓だと己に言い聞かせ、敢えて火中の栗を拾う覚悟。
(これが、シェラさんが言っていた、取り返しがつくレベルの失敗なのかしら?)
ヨシュアがそう思案した砌、誰かが後ろから二人に声を掛けてきた。
「その、お兄ちゃん」
そこにいたのはさっきの幼子だ。トイレを我慢するようなもじもじとした仕種で、何かを躊躇っていたが、やがて意を決したように謝罪する。
「ごめんなさい」
オーバーオールの内ポケットから遊撃士の紋章を取り出し、エステルの手に返却する。これで少年は窃盗の証拠を自ら指し示したことになる。
エステルの逞しく大きな手が振り降ろされて、少年はビクついて目を瞑ったが、エステルはニカッと笑うと少年の頭を帽子越しに撫でる。
「良く出来たな。偉いぞ、坊主」
怒るでなく、小さな勇気を褒め称え、少年の表情もぱっと明るくなる。
「北風と太陽ね」
ヨシュアの力と理屈では決して解きほぐせなかった頑な心を、エステルの懐の深さに触れさせる事により自ずと改心させた。
ボースのクエストとは比較にならない小事とはいえ、意図せず状況を好転させたエステルの世界を広げる可能性を再び目の当たりにし、世の中には合理性とは異なるアプローチによる解法が様々に存在する現実を改めて学習した。
◇
その後、男児二名は当然のように意気投合し、エステルに肩車され、はしゃいでいる。少年の名はクラムといい、この先にあるマーシア孤児院の児童らしい。ついでの道草に孤児院に顔を出すということで何時の間にか話は纏まっていた。
ふと、肩車されたクラムとヨシュアの目が合う。クラムは思いっきり舌を出して、アッカンベーした。
「あらあら、珍しい。嫌われちゃったみたいね」
小さい子供とはいえ、エステルに懐いた
メーヴェ海道に道沿いにある『マーシア孤児院』の看板を右折し、程なくするとこぢんまりとした木造の一戸建てが姿を現す。
「ふーん、ここがクラムの家か。けど、ちっとばかり物騒でないか?」
家族構成は、数人の子供に女性の院長がいるだけだと聞いたので、安全対策に不安を抱いたが、「大丈夫みたいよ、エステル」とヨシュアは入り口に埋められた二本の灯柱を指差す。
「これって、バーゼル農園にあった魔獣除けの」
「ええ、そうです。マーシア孤児院が開院した時に、お祖母。いえ、女王陛下から賜れたものです」
庭のハーブにジョウロで水やりをしていた学生服姿の少年が、二人の会話に割り込んで補説をいれる。
「クローゼ兄ちゃん、来てたんだ」
クラムがエステルの頭の上で両手を振る。クローゼと呼ばれた少年は軽くクラムの頭を撫で孤児院を尋ねた来客に会釈し、エステル達を困惑させる。
その少年の年齢はエステル達と同じぐらい。背丈はちょうどエステルとヨシュアの中間に位置した。
紫の短めの髪を清潔に整え、髪色と同じ瞳には理知的で穏やかな光が宿す。肌はまるで女子のように透き通るように白く、水も滴る美少年というキャッチコピーをその身で体現する。
身体はやや細身で、全身から落ち着いた雰囲気と品の良さが感じられ、敵意や攻撃性のような薄暗い属性とは皆無。
それでも兄妹がやや対応に躊躇った理由は彼が着ている制服が曰くつきのジェニス王立学園のブレザーだったからだが、地元のルーアンでは特に不自然ではなく、何よりも目の前の好少年を空賊の関係者と疑うのは色々と無理がある。
「ご挨拶が遅れました。私達は遊撃士見習いで、旅をしているヨシュア・ブライトとエステル・ブライトの姉……」
「ブライト兄弟だ。クローゼだっけか、宜しく頼むぜ!」
さっさく、ヨシュアが得意の猫被りモードで姉弟のPR活動を始めたが、エステルが自慢の肺活量を駆使した数倍の音量で姉弟の単語を塗り潰して、兄妹に強引に上書きする。
「ご兄妹の方ですか、その若さでブレイサーを目指すとは凄いバイタリティですね」
嫌味のない口調で素直に感嘆する。
初見の者に一端、兄妹をインプリンティングされてしまうと、身長差がありすぎるので、そのイメージを覆すのは不可能に近い。
ヨシュアの額に怒りマークが複数個浮かんだが、目の前の男性の前で擬態を解くわけにもいかず、しぶしぶ営業スマイルを継続する。
「僕の方も改めて自己紹介させていただきます。僕はクローゼ・リンツと言います。ジェニス王立学園に籍を置く学生で、テレサ院長に懇意にしてもらってこちらに良く遊びに来ています。よろしくお願いします、ヨシュアさん、エステル君」
自然体の動作で利き腕を差し出す。まずはヨシュアが満面の笑みでクローゼの手に自らの両掌を重ね、続いてエステルも握手する。
流石は都会育ちの本物の王立学生というべきか。落ち着き払った物腰に利発そうな表情といい、田舎育ちのエステルとは住んでいる世界の違いを肌で実感させる。
ヤワそうな掌を本気の握力で握り潰してやろうかと、一瞬意地悪を思惟たが、偽物の空賊ボーイと異なりこの少年からは後ろ暗い衝動を何も感じ取れなかったので、八つ当たりじみた情けない真似はしないことにした。
クローゼもまた導かれし者の一人で、先のアガットとは逆にヨシュアとは互いに好感情で迎えられたが、エステルはこのジョゼット以上にいけ好かなそうな優等生然とした少年への態度を決め兼ねている。
謎の美少年の存在が、停滞していたエステルとヨシュアの関係に新たな波紋を投げ掛ける。