クラムの紹介で院内に顔を出した兄妹は、テレサ院長と数人の子供たちに歓迎され、お手製のアップルバイと自家栽培したハーブティーをご馳走になる。
どちらもエステルが舌鼓を打つ程の市販に耐えられる出来栄え。早速ヨシュアは舌分析のみで脳内レシピを構築。新規の六冊目のレシピ手帳に、AGL+30%効果のアップルパイと、「混乱」解除効果を持つ朝摘みハーブティーを追加する。
料理の鉄人から一級パティシエと認定されたテレサ院長は、数年前に事故で夫を失くした未亡人。以来、一人でこのマーシア孤児院を錐揉みし、四人の孤児を育てている。
穏やかに年輪を重ね、ヨシュアが欠損している慈愛と献身の精神に満ち溢れており、世にいう聖母とはテレサ婦人のような人をイメージするのだろうなと、若くして母親を失くしたエステルは亡きレナの面影を重ね合わせた。
テレサから出会いの経緯を聞かれたエステルはクラムの立場を慮って曖昧に暈したが、当の本人が馬鹿正直に告白し懺悔する。テレサは保護者としてエステルに謝罪した後、もう悪さはしない旨をエイドスに誓約させて改めてこの一件を水に流した。
テレサとクローゼを交えて色々と談笑し、一通り子供たちと遊んだ後、日が暮れる前にギルドのルーアン支部に顔を出す必要性から、再訪を約束してマーシア孤児院を後にする。ルーアン市への案内役を買って出たクローゼと一緒に、メーヴェ海道を下っていった。
◇
「テレサ院長は勿論として、本当リベールには、気立ての良い貴婦人が多いわね」
ヨシュアの主張したもう一人の貴婦人は、アリシア女王陛下のこと。貴婦人の貴とはこの場合、身分の高貴さでなく性根の気高さを指している。
院内を覆うように配備された十本の灯柱は市のなけなしの義援金で賄える代物でなく、バーゼル農園と同じくアリシア自身のポケットマネーから寄贈された。こんな地方の小さな孤児院にまで目が行き届くに当り、女王陛下のリベールの臣民への暖かい想いが染み渡ってくる。
他国侵略の口実に守るべき国民を贄としたエレボニア帝国とのギャップをヨシュアは痛感し、アリシア女王への賛辞にクローゼは自分が称賛されたかのように機嫌を良くする。
「そうだよな、魔獣対策さえキッチリやっておけば安心だろう。人の泥棒なんて、あそこには入りようが……」
「エステル!」
「あっ、悪い」
意図せず孤児院の清貧ぶりを揶揄する格好になってしまった。失言を窘められたエステルは素直に自分の落ち度を認めてバツが悪そうに謝罪するが、クローゼは別段気分を害した様子ない。
「気にしないでください、エステル君。確かにマーシア孤児院には、ミラや盗める金目の物は何もありません。けど、あそこには冷たい大理石の宮殿にはない暖かい愛があります」
歯の浮くような台詞を真顔で言い切ったクローゼを、エステルとヨシュアはマジマジと覗き込む。
「すいません、少しキザでしたか」
「いーえ、あなたが口にすると、物凄く様になっていますよ。誰かさんと違ってね」
ヨシュアはクスクスと微笑みながら、赤面する二枚目のイケメンと三枚目の原始人の誰かさんを邪気のない瞳で等分に見渡した。
ヨシュアの向日葵のような笑顔にクローゼはドキッとする。エステルは「どーぜ、俺には似合わねえよ」とへそを曲げ、何故かヨシュアではなくクローゼへの好感度を1マイナスする。
◇
「着きました、ここが開港都市ルーアンです」
道草しなかったせいか、思ったよりも早く目的地に到着する。折角だからクローゼに市を色々と案内してもらう。
ルーアン市は、跳ね橋であるラングランド大橋を境に、大きく二つの区域に分けられる。北地区にはギルドやホテル、飛行艇の発着場などホワイトカラー向けの産業施設が立ち並び、大橋を渡った南地区は倉庫や港場に酒場などのブルーカラー御用達の船員設備が存在する。
南地区のアイナ街道への玄関口に佇む、旧貴族のダルモア市長の豪奢な市長邸を紹介している時に、ちょっとしたハプニングが発生した。
「ふん、ベルフの報告通り、確かに上玉だな」
「はーい、そこの琥珀色の瞳の彼女。俺たちと遊ばない?」
「そんな生っちょろい小僧共放っといて、俺たちと楽しもうぜ。何なら、観光よりもっと刺激的なことを教えてやるぜ、へへっ」
地元で『レイヴン』と呼ばれる、札付きのチンピラグループ。その頭目格の三人(ディン、ロッコ、レイス)が、ヨシュアの美しさに目をつけ、下心丸出しで声を掛ける。
三人の強面に見込まれたヨシュアの表情が強張る。そそくさとエステルとクローゼの背後に隠れ、二人のシャツを掴む。ヨシュアはガタガタと震えていて、背中のシャツから直に怯えが伝わってくる。
(あの闊達なヨシュアさんが、まるで生まれたての子鹿のように震えている? そうだよな、いくらブレイサーとはいえ、ヨシュアさんも一人の普通の女の子なんだ。二度と彼女の笑顔を曇らせない為にも男として僕が彼女を守らないと)
(ヨシュアの奴、また可愛い子振りっこを始めやがった。目の前の厄介ごとを俺たちに押し付けるつもりだな)
「ちょ、ちょっと、エステル?」
「おい、ヨシュア。お前の客だろ? 何時も手玉に取っているみたいに、手前できっちり対応しろよ」
エステルがヨシュアの右肩を掴んで、ロッコ達の面前に押し出す。ヨシュアは「むー」と頬を膨らまして、不満そうにエステルを見上げる。
「エステル君、か弱い女性に対してその態度はないだろ? ましてや、彼女は君の可愛い義妹じゃないのかい?」
義兄の酷薄さを見かねたクローゼは、紫苑色の瞳に水のように静かな怒りを称えながら苦言を呈する。ヨシュアの魔性にあまりにも無知な王子様が騎士道精神を発揮してヨシュアを左手に庇い、これ幸いとクローゼの影から薄情な肉親に向かってヨシュアは舌を出す。
(また鴨が一匹、釣人の釣針に引っ掛かりやがった。こいつが、ここにいる全員を瞬殺可能な化物だと知ったら、どんな顔を……)
「エステル君、君が戦いもせずに強者の恫喝に屈して、無垢な少女を差し出すような臆病者だとは思わなかったよ」
「はあ、か弱い? 無垢? 寝言は寝てほざけよ、クローゼ!」
虫が好かない奴だと思いながらも、狡猾な義妹に踊らされた憐れなドンキホーテだと憐憫し堪えてきたが、流石にこの言い種にはカチンときた。
「お利口そうに見えて、意外と女で破滅するタイプか、お前? そんな世間知らずな様じゃヨシュアにケツの毛まで毟られるぞ」
「下品な上に根拠のない誹謗中傷は止めてもらえないかな。僕はともかくヨシュアさんに対して失礼でしょう?」
「品性がなくて悪かったな、こちとらロレントの田舎者なもんでな。ルーアン育ちのお坊ちゃんほど人間できちゃいねえんだよ」
ヨシュアの扱いを巡って、性格が水と油ぐらい異なるエステルとクローゼの仲が一層険悪になり、激しい火花を散らしながら睨み合う。
ヨシュアは目の前で角突き合わせた男衆を特に諫めるでなく、「私を巡って二人を仲違いさせるなんて、なんて罪な女なの」と掌を頭に当てて自分に酔い始める。
良い面の皮なのはヨシュアをナンパした三人である。自分らの存在を無視して諍いを始めたエステル達に元々気の短いロッコはぶち切れる。
「おいっ、てめえら! さっきから俺たちをシカトしてんじゃ……」
「お止めなさい、あなた達。ここをどこだと思っていらっしゃるの?」
甲高い女性の声が割り込み、反射的に三人が振り返る。青髪をポニーテールに束ねたちょっときつそうなレディーススーツ姿の若い女性が市長宅から現れた。
ダルモア市長の秘書を努めているギルハート。かつてジェニス王立学園を首席で卒業した才媛で、クローゼの先輩筋に当たる。
「いい歳した男性が親の脛を齧って仕事もせずにぶらぶらし、あまつさえ真っ当な一般市民に迷惑をかけるなんて恥をお知りなさい」
レイヴンの幹部三人を前に、ギルハートは凛として啖呵を切ったが少し膝が震えていた。
人生勝ち組のエリート街道一直線の彼女としては、好き好んでこんな負け組のニートと関わりたい筈もない。本来なら邸内で頬被りを決め込みたかったが、市長邸の真ん前で発生したゴタゴタに他の観光客への体裁と市長の面子を慮って、のこのこと仲裁しに顔出しした。
「なんだ、市長の腰巾着のタカピー女かよ」
「姉ちゃん、あの娘の代わりに、あんたが俺らと遊んでくれるのか?」
「へへっ、琥珀色の瞳の娘ほどじゃないけど、あんたも見てくれは悪くないよな」
「ちょ、ちょっと、何よ、あなた達……」
早速、三馬鹿に取り囲まれたギルハートは顔面蒼白になる。
先程、彼女が彼らにぶつけた忠言は正論ではあるが、「人を見て道理を解け」という諺があるように場違いな感が否めない。
「百の理屈は一の暴力に潰される」という、かつてアガットがお題目に掲げた摂理はヨシュアでなく、この世間擦れしていない姉ちゃんこそ学習すべきであろう。
「くんくん、ちょっとケバいな。あの黒髪娘を見習って、すっぴんで勝負しろや、おらっ!」
「おお、腰や足も細えー。その小振りな胸も触っちゃっていいのかな?」
「うっひょおー、パンツは白と水色のストライプか。流石にエリート様は時代の最先端をいってやがるな」
「あ、あなた達、こんな非道はエイドスやギルドが見逃さな……ひっ! いやぁー。お助けぇー!」
うなじの臭いを嗅がれ、腰元や太股をベタベタと触れられ、更にはスカートを捲くり上げられて公衆の面前で縞パンを晒される。それでも気丈に振る舞おうと虚勢を張っていたが、あっさりと臨界に達し悲鳴をあげる。
「ほら、エステル。ブレイサーに助けを求めている民間人がいるわよ?」
本来ならヨシュアは赤の他人の運命に無関心な性質だ。特にギルハートのように中途半端に能力がある高慢ちきなタイプは最もヨシュアを嫌悪する確率が高く、メイベル市長やアネラスほど心を通わすのは難しそうであるが、それでも動機はともあれ一応は自分を助けに仲立ちに入っての顛末なのでエステルの袖を引っ張って救助を催促する。
確かにレイヴンの行動は既にナンパのスキンシップの域を超え、集団セクハラと言っても差し支えない痴漢行為。遊撃士として看破できない。
「ちょっと、ごめんよ」
エステルはクローゼとの対立を一時保留にすると、ディンとレイスの襟首を子猫のように掴み、大人二人の足が宙に浮かぶ。
「てめえ、何しやがる!」
仲間二人を余裕で宙づりにする馬鹿力に内心肝を冷やしながらも、ロッコは得物の警棒を展開させる。そのまま肩口のあたりを思いっきり叩いたが、信じられない頑丈さで毛ほどもダメージを与えられた形跡はない。それどころか強打した警棒の先端が飴細工のようにひん曲がってしまい、三人はギョッとする。
「準遊撃士のエステル・ブライトだ。素人相手に大人気ないけど、これ以上オイタするなら本気で相手になるぜ。さあ、どうする?」
ロッコの目の前に軽々と二人を放り捨てると、コキコキと肩を鳴らしてから、背中の物干し竿に手を掛ける。
遊撃士という単語を聞きつけ、さらにエステルの化物染みたパワーの片鱗をまざまざと見せつけられた三人は、「今度遭ったら覚えていろ」というチープな悪役に相応しい捨て台詞を吐きながら、彼らのテリトリーの倉庫に撤退していった。
「えっと、大丈夫だったか?」
白馬の王子様よろしくチンピラを追い払ったエステルの凛々しい姿を、ギルハートは頬を赤く染めでボーっとしたまま見惚れる。
エリート女性の割には意外とテンプレ的な出会いに弱いらしい。着衣の乱れに気づいたギルハートは赤面しながら、大慌てで捲れあがっていたスカートを元に戻し胸元のシャツのボタンを止める。両腕で控え目の胸部を隠すように自分自身をきゅっと抱き締めながら、キッと涙目になってエステルを睨む。
「べ、別にあんたのことが好きなわけじゃないんだから、勘違いしないでよね!」
恐らくは照れ隠しであろう珍妙な科白を残すと、謝意を述べるのも忘れて市長邸に逃げ込んでいく。エステルは何とも言えない表情で、ヨシュアとクローゼを振り返る。
「何だったんだ、あれ?」
「今、流行りのツンデレって奴じゃないの、エステル? いずれにしても、ルーアンは退屈しなさそうな街みたいね」
これが、本当に先の先で長いつき合いになるギルハート・スタインとの初邂逅だが、彼女は導かれし者とは何の関係もありません、念の為。