「先程はすいませんでした、エステル君」
「ああっ、いいって、いいって。俺もちっとばかし言い過ぎたしな」
女性の窮地を見過ごさず、さらには格の違いを見せつけて誰一人傷つけることなく場を治めたエステルの器量に、思い違いをしていたのを悟ったクローゼは潔く謝罪する。
下手に出られたことで、元々竹を割ったような気性のエステルは、お互いに至らない所があったということで両成敗で水に流すことにした。
「一見、冷淡だった先の態度は、ヨシュアさんの力量を信頼していたということですよね?」
考えてみれば、まがりなりにも正遊撃士を目指す立場の人間が、見せ掛けだけのチンピラに遅れを取る筈もない。華奢な外観とは裏腹にヨシュアもそれなりの手練なのだろう。
冷静な状況分析能力からクローゼは、闇の衣に覆われたヨシュアの真実の一端を見抜き、そもそもの諍いの発端であるヨシュアは後ろめたそうにそっぽを向く。
「けど、エステル君。それでも君は、ヨシュアさんの盾となるべきだと僕は思います」
ヨシュアの猫かぶりを知って尚、クローゼはフェミニストの看板を降ろす気はないらしく、エステルはおろかヨシュアも蓋然する。
クローゼの初恋の年上の君がそうだったように今時分は強い女性も多いので、女は守られるべき対象などと前時代的な主張をする気はないが、少なくともヨシュア本人が荒事を欲していないのは明白なので、その希望に沿うよう行動するのが男子の務めというのが彼の持論。
「だってよ、ヨシュア。そのデカイおっぱいに宿したちっぽけな良心が疼かないか?」
「ええ、今のはかなり堪えたわね」
エステルがつんつんとヨシュアの胸の先端を指先で突っ付き、まるで心臓発作を起こしたように、ヨシュアは乳房を抑えてうずくまる。
海千山千のヨシュアは裏表のある人間の打算的な駆け引きに鬼強い反面、真摯な人物の投げ込んだ直球ど真ん中の熱い想いを苦手にしている。
薄暗い洞窟に棲息する闇の眷属は、クローゼの菩薩の如き後光の眩しさに目を焼かれた。
「な、なんて羨ま……いや、兄妹なら普通のスキンシップなのか? けど、二人は血が繋がってないそうだし、いや、しかし……」
ヨシュアの脳内男性ランクで、鴨より一つ上の階層への昇格を果たしたクローゼはというと、軽く頬を染めたままエステルのセクハラ紛いの行為を食い入るように眺める。
人によってはお縄になる胸タッチを自然とスルーした二人の関係性の深さに、本人も意識しない嫉妬の感情を交え葛藤するが、突然何かに気づいたようにハッとすると二人から距離を置いた。
「クローゼ?」
「ジェニス王立学園の門限を忘れていたので、これで失礼します。また、どこかでお会いしましょう、ヨシュアさん、エステル君」
軽く会釈すると二人に背を向けて、慌ててメーヴェ海道に駆け出していく。いくら刻限が迫っているとはいえ、二人の挨拶を待たずに早急に消え去る様は礼儀正しいクローゼらしくない。
「何だ、クローゼの奴、やけに慌ててやがったな? やっぱり王立学園ともなると、規則に厳しいだろうし、下手したら停学騒動に発展するから必死だったのか?」
エステルも小さい頃はよく真っ暗になるまで遊び回って、門限を破っては親父に締め出されて、ヨシュアが二階から垂らしてくれた縄梯子で家内に密入していたのでノスタルジーを刺激されたが、ヨシュアの見解は異なった。
「そうかしら。私にはクローゼが顔を合わせたくない人物から逃走したように見受けたけど」
何でも借金を踏み倒そうと算段していた折にヨシュアを発見した時の「げっ、嫌な奴に会った」というシェラザードの後ろ暗い形相と良く似ていたらしい。もっとも、シェラザードはともかく、クローゼがミラにルーズなように二人には思えないが。
一応、背後を振り返ってみる。
開き切ったラングランド大橋の手前で、恰幅の良い身なりの妙な髪型の中年男が横柄に何かを喚いていて、黒い執事服を纏った銀髪の初老の男性が必死に窘めている構図が目に入る。
「何だ? どこぞの成金っぽいけど、こいつらからクローゼはミラを借りたのか?」
「さっきから、何を訴えているのやら……って、呆れて物も言えないわね」
ヨシュアが魔眼の超視力と読心術を掛け合わせて、近づくことなく中年男性の唇を読み取る。何でも橋が跳ね上がる絶景を見損ねてしまったので、ルーアン観光協会にミラを握らせてもう一度橋を開閉させろと、初老の男に無茶な命令を下しているそうだ。
「目茶苦茶だな。貴族の馬鹿息子なんてそんなものかもしれないが、あのオリビエだってもう少し良識を……弁えてなかったな、あいつは」
遠目にも暑苦しそうな中年男と、一応イケメン青年のカテゴリーに分類される伊達男を一緒だくにしたら、当のオリビエから苦情が来そうであるが。
「いずれにしても、関わらない方が良さそうな人種ね。行きましょう、エステル」
特に面食いでないヨシュアにとっては、どちらも非常識な忌避すべき人物であることに違いはない。
既に夕日が立ち上っているので、二人は日が暮れる前にギルドに顔を出すことにした。
◇
扉を開いた刹那、パンパンと立て続けに銃声が響き、二人は反射的に得物を構える。
「ルーアン支部へようこそ、エステル君、ヨシュア君。たはは、その首筋に充てた得物をしまってくれないかな?」
受付の席に腰を下ろした眼鏡をかけた人のよさそうな青年は、喉元に双剣の刃を突き付けられて、冷や汗を掻きながら空になった二本のクラッカーの筒を捨ててホールドアップする。
彼が話に聞いていた新人の受付。エステル達を歓迎しようと鳴らしたクラッカーの音を、二人は迂闊にも銃の発砲と勘違いした。ヨシュアは得意の超スピードで避けて本丸を抑えたが、エステルはクラッカーの内容物をモロに頭から被る羽目になった。
「すいません、親父が出張している帝国ギルドが、
物干し竿を元の長さに戻したエステルが大きく頭を下げ、紙テープや紙ふぶきが床下に零れ落ちる。ヨシュアは軽く嘆息して、双剣を太股に巻いたバインダーに仕舞い込む。
受付男性の予期せぬ先制攻撃に図らずも本性を露見させてしまった為、得意の猫かぶりを発動させる余地を奪われたことを無念に思っているみたいだ。
「いやいや、ブレイサーとして頼もしい限りだよ。早速で悪いけど机の上の転属手続きの書類にサインして貰えるかな?」
受付のジャンは几帳面にも箒と塵取りで、パーティーグッズで汚れた部屋を掃除しながら手続きを促し、エステル達が署名した刹那、キラリと眼鏡の端を光らせながら二人の肩に手をまわして強く抱き締める。
「うふふ、ルーアン支部へようこそ。もう絶対に逃がさないよ、二人とも。何しろルーアンの未来は君達二人の双肩にかかっているんだからね」
ジャンの説明によると、今現在ルーアンにはエステルとヨシュアの二人しか遊撃士がいない。所属している四人の正遊撃士の内、エース格のカルナは同士クルツの誘いで王都に出張。他の三人は例の空賊事件でボースに出向いたきり、音信不通のまま。
「そういえばエジルさんが、正遊撃士のチームでヴァレリア湖畔にしばらく逗留するとか言っていたわね」
例の調査費用の申告の時に、ちゃっかり未来分の滞在費用を割り増し請求しておいた一堂は、これを機に川蝉亭で少し骨休めをするつもりだ。
請求額の水増しに対しては、ほとんど言葉遊びレベルの着服行為であるが、ボースで解決した事件の規模と今まで彼らが世界に尽くしてきた代償を鑑みれば、このぐらいの恩恵は与えられてしかるべきだとヨシュアは思うし、だからこそルグラン爺さんも言い値でミラを支払った。
ただし、それで割を食ったのは他の各支部だ。特にルーアンは先日までメルツというエステル達と同じ見習いが一人でクエストをこなしていたが、強い責任感に反比例して妙に気弱な彼は、ルーアンの推薦状と引き換えに胃潰瘍で入院してしまう。
こんな有り様では、ジャンが諸手を上げてエステル達の来訪を大歓迎するのも無理はない。
「ボースではクエストが枯渇していたのに、ルーアンでは飽和状態なのかよ? 本当に地方によってクエストの扱いが極端だな」
「まあまあ、エステル。依頼に困ることがなさそうなのは見習いの私達には有り難い話よ」
ロレントはアイナの縁故、ボースでは十年に一度級の高難易度クエストの解決で、一月とせずに推薦状を手に入れた兄妹だが、流石にルーアンにはそんな裏技は転がっていまい。
とすれば、コツコツと真っ当にクエストをこなして、
更にこの人当たりの良さそうな青年なら、アネラスを苛めていた前任者と違って、成果を公平に判定してくれる筈。
「うーん、イジメというのとは少し違うかな?」
ヨシュアからさり気なく友人が被った不利益に釘を刺されたジャンは、何とも言えない表情で言葉を濁す。
何でもカシウスとほぼ同年配の旧受付の中年男は密かにアネラスに恋慕していたが、年代の差から想いを告げる勇気もなく、推薦状の交付を延々と引き延ばしてルーアンに留めておくことしか出来なかった。
「きっと何時までも自分の側にいて欲しかったのだろうね」
ジャンは遠くを見る目でしみじみと語ったが、今の話は前任者をフォローしたというより、むしろ著しく評価を下落させたようにしか思えない。
いかに美化しようと、中年男のしでかした所業は単なる職権乱用。身から出た錆とはいえ、その受付はネガティブな感情に乏しいアネラスからの嫌悪を受けたまま離別するという最悪の報いを受けたので、因果応報の結末を迎えたといえなくもない。
ただ、そんな理由で無意味にルーアンに足止めされていたと知ったら、寛容な先輩遊撃士も遣り切れまい。
「全く、好きなら好きで堂々と告白すりゃいいだけだろうに。たとえ玉砕しても、自分の中に毒を溜め込んでいるよりよっぽどマシだろ?」
「エステル、それはいくらなんでも横暴よ」
この手の葛藤に全く縁のないエステルがストレートに意気地の無さを詰ったが、ヨシュアが男の怯懦を庇う。てっきり、親友の肩を持つと思っていたエステルは意外そうな顔をする。
「エステル、あなたはまだ若くて無限の可能性に溢れているから夢想すら及ばないだろうけど、それでも想察してみて。世に何も成し得ず惰性で生きてきて、ダラダラと年輪を重ねて、気づくともう若くない。夢も未来への希望もなく、終末の足音だけがヒタヒタと忍び寄り、胸を掻き乱されそうな孤独と絶望に怯えて生活している中年男性の元に輝かしい生命の鼓動に溢れた若くて奇麗な女の子が現れたとしたら……って、ジャンさん、どうしたのですか?」
論調の最中、ジャンは先のヨシュアのように心臓を強く抑えたままうずくまる。童顔の為に若く見られがちだが、彼も既にアラサー。ヨシュアの話は身につまされたが、軽く容相を歪ませ脂汗を掻きながらも続きを催促する。
「い、いや、何でもないよ。続けて」
「コホン、では、改めて。そういう男性は自分が若い女の子から受け入れられる筈がないと最初っから諦観し、エステルが言うように歪な形でドス黒い感情を己の中に溜め込んでしまうので、無限の未来を秘めた若人を道連れにしようと周囲に破壊的な衝動を撒き散らすことになる。アネラスさんのように巻き込まれる側としては迷惑な話よね? けど、だからといって私は彼らが世の中から見捨てられて良い筈はないと思う。だからね、エステル。若くて奇麗な女の子には義務があるの。自らの持つ可能性の一部をそういう男性に還元して、ガス抜きの役割を……」
「多少のミラと引き換えにか?」
「ええ、そうよ。って、チッ」
珍しくもエステルの誘導に引っ掛かったヨシュアは、図らずも本音の一言を漏らしてしまい舌打ちする。色々、偉そうなことを宣ふっていたが、結局は美人局を正当化する単なる自己弁護。
とはいえ、ヨシュアが容姿、話術、気配り、歌唱、裁縫、料理など持てるチートなスキルの限りを尽くして多くの殿方を楽しませて、ほとんどの場合消費したミラに見合うだけの一時の豊かな時間を提供してきたのも事実なので、援助交際じみたヨシュアの主張にも一理あるのかもしれない。決して、二理はないが。
「恵まれない大人たちに夢を与えるのは結構だけど、それで実は自分は惚れられているとか面倒な勘違いを起こされたら、どう対処するんだよ?」
「その時は、始末……いえ、すみやかに現実を知らしめて、夢から醒めていただくだけよ。恋愛はボランティアじゃないのだから、若い娘にも相手を選ぶ権利はある筈よ」
あっさりと開き直る。結局、最終的には男と女の関係はそこへ行き着くわけだ。ヨシュアも相手を本気にさせた後の、アフターサービスまで施すつもりはない。
まあ、恋愛はボランティアじゃないというのは至言だが、失恋という大きな痛手を負う男性側に比べて、ヨシュアの方では失う物が皆無に等しいのは卑怯でないかとエステルなどは思う。
ヨシュアはさらに持論を展開しようしたが、エステルはおろかジャンの聞き熱が醒めたのを肌で感じ取ったので、脱線に終止符を打つことにする。
「話を元に戻しますけど、その流れでいくと、よくアネラスさんはルーアンの推薦状を貰えましたね?」
適度な所でその中年男が改心したのかというと、そうではない。
アネラスから相談を受けた彼女の後継人のクルツが、「ルーアン在住中に準遊撃士ランクを四級から一級にまで昇級させたアネラス君が未だに推薦状が貰えないのは不自然だ」と本部に意義を申し立て、協会が本腰をあげて調査した結果、男の公私混同が明るみになり更迭された。
「なあ、ヨシュア。ブレイサーのランクはAからGまでのアルファベットじゃなかったっけ? 何で数字なんだ?」
「正遊撃士とは別に、準遊撃士の間にだけ採用される階級があるのよ。九級から一級まであって、当然一級が最高位で、私達はまだ七級ね」
「この間、昇級の褒美に『鷹目』のクォーツを貰ったでしょう」と、そんなことも知らなかったのかという呆れた眼差しで補説を入れる。
この調子では、A級の上に
「七級か。思ったよりも低いんだな」
「まあ、見習い中のランクは基本正遊撃士に昇格したら意味を成さなくなるし、むしろ君らのような低いランクで推薦状を集めた方が出世が早かった証明でもあるから気にすることはないんじゃないかな?」
これまで、さほどクエストをこなせなかったツケが見事に昇級に顕れたわけで、エステルは自分たちの未熟さを恥じたが、そうジャンが擁護する。
確かにアネラスのように正遊撃士になるのに時間を喰った人間はほとんど一級まで登り詰めているので、遊撃士としての有能さを指し示す尺度としてはあまり参考にはならないかもしれない。
ふと、ジャンが窓の外を眺めると、もう完全に日が落ちている。
これ以上与太話を続けて、明日からのクエスト活動に支障をきたされても困るので、そろそろ打ち止めにする。
「色々、楽しい話を聞かせてもらえたけど、今日はもう遅くなったから、続きはまた今度でいいんじゃないかな? ホテル・ブランシュの最上階のスイートルームを確保しておいたから、今夜はそこに泊まるといいよ」
今日あたり二人がルーアンに辿り着くという情報を受付同士のネットワークでルグラン爺さんから聞きつけていたジャンは、奮発して豪華絢爛な宿を予約しておいた。
翌日から二人を気前良く働かせようという魂胆のよう。スイートと聞いてヨシュアはぱっと表情を輝かせて、キスせんばかりの勢いでジャンの手を強く握った。
こうして機嫌を良くしたヨシュアは、明日からのクエストの重労働(※主にエステルが)をジャンに約束して鼻唄を口ずさみながらホテル・ブランシュに向かったが、そこで予期せぬ闖入者と一騒動起こす事態になる。