星の在り処   作:KEBIN

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導かれし者たち(Ⅵ)

「ふっかふっかのフワフワね」

 最上階スイートルームのダブルベッドの上、ヨシュアはトランポリンのように宙を舞いながら、高級ベッドの感触を堪能する。

 流石にスイートと名乗るだけあり、部屋は広々とし、壁には装飾として二本の剣がクロスに飾られ、バルコニーからは市のほとんどを見渡せる豪奢な作り。

 贅沢志向のヨシュアと違いエステルはこういうハイカラな部屋は居心地が悪く性に合わないが、ヨシュアの子供のようにはしゃぐ姿を見てたまには背伸びするのも悪くないかなと思い直すも、無粋な闖入者が兄妹の憩いの時間を妨害する。

「ほほう、なかなか良い部屋ではないか」

「お待ちを、閣下。この部屋には既に利用客がいるとのこと」

 階下から声が聞こえてきた。一瞬、泥棒かと勘違いしたエステルは背中の物干し竿に手を伸ばす。ヨシュアもベッドにうつ伏したまま猫の夜目のように瞳を真っ赤に光らせるが、どうやら違うようだ。

 ラングランド大橋の前で一騒動を起こした成金と執事のコンビ。エステル達の存在を無視して、ずかずかと室内に乗り込んできた。

「なんじゃ、貧相な子供たちだな。お前らがフィリップの言う、この部屋の利用客か?」

 先の一件でこの男の自己中心的な生態は既に体験学習済みなので、今の傲岸不遜な物言いも、「部屋を明け渡して出て行け」という図々しさを通り越した非常識な要求にもさして驚きはない。

 ただ、フィリッブと名乗った執事から、この妙な髪型をした中年男性がアリシア女王の甥のリベール王族のデュナン公爵だと知らされた時には仰天した。

 本人は次期国王と詐称していたが、それがもし事実とすれば、ヨシュアに骨抜きにされたロレントの失墜どころの話でなく、リベールが傾きかねない大惨事。近い将来、周辺諸国への亡命を本気で検討しなければならぬやもしれぬ。

「ふふん、判ったか。まあ、私もケチではない。このスイートの倍額の料金をお前たちに授けてやるから、さっさとここから出て失せるがよい」

 懐から5000ミラの紙幣を取り出し、乞食に恵んでやらんと言わんばかりの横柄な態度で、エステル達の足元に投げ捨てる。

 大人しく部屋を譲渡すれば労せず高額クエストなみの丸儲けだが、人としての尊厳を土足で踏みにじった王族の傲慢さにたちまちエステルはブチ切れて紙幣を公爵の顔面に叩き返した。

「無礼な賤民め、何をするか?」

「おいおい、オッサン。ブレイサーに買収が通じるとでも思っているのか? 生憎と俺は筋を通さない人間と特権を笠に着る野郎が大嫌いでね。百万ミラ積まれたって譲る気は…………そういえばオリビエは、ヨシュアとの距離を5アージュ縮める為に本当に百万ミラの大金をドブに捨てたんだよな。どっちも非常識で傍迷惑な人種には違いないけど、人間のスケールだけは段違いだったな」

 しみじみとボースの漂白の詩人の切符の良さと、端金でデカイ面をする中年男のしみったれ振りを思い比べたエステルは意図せず公爵の顔に泥を塗る形になり、デュナンは怒りでにがトマトのように顔を真っ赤にする。

「おのれ、下賤の者め! 次期国王の私を、かような道化者と見比べようとは、打ち首にしてくれようか?」

「お止めくだされ、閣下。この少年の申す通り、筋を曲げているのは我々の方です。どうかご自重を」

 公爵と違い、フィリップという苦労人っぽい執事は常識人の模様。懸命にデュナンを宥めようとしているが、かといってエステルは引くつもりはサラサラない。

「ヨシュア、さっきから黙ってないで、お前も何か言ってやれ。おい?」

 本来ならこういう舌戦は、エステルでなくヨシュアの領分。

 何よりもお気に入りのスイートを守る為に、普段なら公爵の愚挙をグウの音も出ないくらい言葉の暴力で叩き潰している筈だが、何故かヨシュアは公爵の隣にいるフィリップに見惚れている。

「信じられないぐらい完璧だわ、素敵」

「はあっ?」

 軽く頬を染めたまま初老の執事を見つめるヨシュアの戯言に、エステルは素っ頓狂な声を上げる。

 世の中には、ロリ、ショタ、レズにボーイズラブなど、エステルの理解が及ばない様々な愛の形が転がっているが、もしかして、こういうのをジジイ専と言うのか?

 プレイガールの意外な趣味に、エステルは公爵との対立を忘れ慄いたが、ヨシュアの言には続きがある。

「人として最適な呼吸術、重心の移動をまるで感じさせない理想の足使い。わざわざ掌を観察しなくても判る。このフィリップさんは間違いなく私が最も苦手とするタイプ」

「苦手なタイプ?」

「ええ、タイマン特化型よ、エステル」

 ヨシュアはタラリと冷や汗を流す。どうやら色恋でなく、武術的なお話のようだ。

 タイマン特化型とは、その名の通り一対一での戦闘の(ことわり)を突き詰めた戦士のことで、対集団戦闘を得意とするヨシュアが最も相性を悪くするバトルスタイル。

「あのー、俺も一応、タイマン特化型のつもりなんだけど」

 Sクラフトの烈波無双撃を始め、単体向けのクラフトを多く所持するエステルがなぜ、不得手のタイプと公言する雑魚専に勝てないのか疑問を投げ掛け、ヨシュアは無感動にエステルの顔をマジマジと眺めていたが。

「くすっ」

「あー、てめえ。今、鼻で笑いやがったな?」

 「エステルの場合、タイマン特化でなく単に中途半端なだけよ」と云わんばかりの小馬鹿にした仕種になけなしのプライドが傷ついたが、世に敗者の言い訳ほど見苦しいものはなく、サシ勝負で手玉に取られている内は何と罵られても堪えるしかない。

「ほーう、小娘。賤民の割に意外と見所があるな。確かにこの者はかつて王室親衛隊の大隊長を努め、『剣狐』と呼ばれた剣の達人。そこの口先だけの遊撃士見習いの小僧など足元にも及ばない武の使い手よ」

 フィリップの正体を看破したヨシュアに、公爵は少しばかり気色を良くする。

 従者の力量を己が能力の一部と錯覚する権力者特有の精神的傾向なのだろうが、当のフィリップ自身は「遠い昔の話です」と他人事のような仏頂面をしている。

「ねえ、公爵さん。こうしてはどうかしら?」

 ヨシュアは壁に飾られた二本のレイピアの一つを重そうに持ち上げて、困惑するフィリップの掌に手渡すとエステルとの決闘を示唆する。

「勝った方が、今晩この部屋を自由にするというのでどう?」

「ほう、面白いではないか。私も風聞でしかフィリップの力を知らぬゆえ、一度生で鑑賞してみたいと思っていた所よ」

「しかし、閣下」

「この者と戦い、そして勝て。これは命令だ。良いな、フィリップ」

「はっ」

 勅命とあれば、基本的に王宮の仕え人に拒否権はない。フィリップは片膝をついて、唯々諾々と公爵の言葉に従った。

「おい、ヨシュア」

「エステル、言いたいことは判るけど、これはまたとないチャンスよ」

 意外な話の流れにエステルは苦情をいれたが、その抗議を遮る。

 ヨシュアは実戦稽古で常にエステルを圧倒しているが、所詮はレベル差で強引に捻じ伏せているに過ぎず、その抜き身の戦闘スタイルはあまりエステルの参考にはならない。

 目の前の老人がヨシュアの見込み通りの本物であるのなら、僅かな時間のバトルでもエステルをさらなる高見へと連れていってくれる筈。

「騙されたと思って、やってみて、エステル。それとも、まさか負けるのが怖い訳じゃないわよね?」

 単細胞の扱い方を良く心得ているヨシュアは敢えて見え見えの挑発をし、エステルを引くに引けなくする。

 かくして、遊撃士見習いと王宮執事の異色のカードが組まれた。

 

        ◇        

 

「はあ、はあ、マジかよ」

 ヨシュアとデュナン公爵の立ち会いの元、市の隅々まで見渡せる広大なバルコニーで、フィリップとの決闘が始まった。開始十秒で老人と侮る気は失せ、三十秒であまりの格の違いに愕然とする。

 エステルのように一撃一撃のパワーに優れるわけでも、ヨシュアみたいな視認不可能な超スピードで動くわけでもない。

 だが、エステルにはこの老人の動きが、全くと言っていいほど読めない。

 気配というものを感じさせない幽鬼のようなステップで蜃気楼のように立ち位置を変え、気づくと何時の間にか棍の間合いを外し剣の距離を維持している。

 さらに特筆すべきは独特の呼吸から繰り出される神技ともいうべき防御不能の剣捌きで、エステルは剣筋を見切ることができず攻撃を複数箇所ヒットされる。

 その動きは真に虚にして実、実にして虚。

 人として最適な呼吸術と理想の足捌きとのコントラストから生み出される完璧な剣技。

 まさしく対人特化の(ことわり)の一端に到達した身震いするほどの実力者。総合的な戦闘能力はともかく、差し勝負一つに戦場を限定するならヨシュアをも上回るかもしれない。

 

「がはっ!」

 再びフィリップの剣撃が炸裂する。今度はエステルの肩口にヒットし軽く片膝をつく。

「エステル殿とおっしゃられましたな? そろそろ棍を納めてはもらえないでしょうか?」

 細剣を構えたフィリップは勝ち誇るでなく、淡々と勧告する。

(やれやれ、参ったな。ヨシュアの他にもまだこんな怪物がリベールに隠れ住んでいたのかよ)

 剣狐の防御不能の剣捌きは全て急所を外しており、明らかに手心が加えられている。

 エステルとこの老人の力の差は顕著で、その隔たりは一朝一夕では埋まらない。

 この実戦ルールだと、武器の落とし合いのヨシュアとの朝稽古以上に勝ち目がないのは判っているが、先程からエステルは心の奥底から込み上げてくる衝動を抑えられない。

 絶望、恐怖、諦観? いや、どれも違う。

 己以上の強者と戦うことに対して沸き上がる歓喜の武者震い。余人はいざ知らず、戦闘馬鹿に『諦める』という選択肢はない。持てる力の全てを出し尽くさないことには、この戦い勿体なくてとても終わらせられない。

「悪いな、爺さん。もう少しばかり付き合ってもらうぜ。はあああああ……ムンっ!」

 そう宣言すると、再び立ち上がって棍を構える。目を閉じたエステルが思いっきり闘気を溜め込んだ後、一気に解放。エステルを中心とした半円に軽い衝撃波が発生する。

「麒麟功」

 衝撃波の余波に堪らず肘で顔をガードした公爵の隣でヨシュアが叫ぶ。

 父カシウス譲りの自己ブースト技。一定時間、(STR)行動力(SPD)を大幅にアップさせるが、効果が切れたら反動で身体能力を著しく低下させるので、使い所の難しい補助クラフト。

 いずれにしても、麒麟功のデメリットには目を瞑り、捨て身の特攻を仕掛ける。

「うおりゃあああ!」

 先を遥かに上回るパワーとヨシュア顔負けの超スピードで、物干し竿を振り回しフィリップに襲いかかる。

 残像すら残さぬレベルの棍の連射に、素人のデュナンは目を瞬かせるが、ヨシュアは首を横に振る。

(それじゃ駄目なのよ、エステル)

 どれほど力と速度を上乗せした所で、技量が追いつかなければ、このレベルの相手には通じない。

 実際、フィリップは完璧にエステルの棍撃の軌道を読み切っていて、最小限度の動きで棍を捌いて、効率的なカウンターでダメージを蓄積させる。

 ただ、この達人にしても、こうまで一方的に打ちのめされながら一向に沈む気配を見せない異常な耐久力と、何よりも絶望的な力量差に怯まぬ不屈の精神力は大いに誤算。

 敵の弱点を抉るのを至上とする漆黒の牙と違い、敢えて急所を攻めなかった剣狐の甘さが命取りになる。

 

 決闘が開始されて三分が過ぎる。フィリップの呼吸の質が微かに変化した。

(ジャスト三分。思いの外、早かったわね)

 デュナン公爵もエステルも気づいてないが、既に剣狐の魔法が解けたのをヨシュアと当のフィリップだけが認識する。

 ヨシュアは軽く嘆息すると、双剣を構えて二人の間に飛び込んでいった。

「よし、いくぜ…………?」

「はい、そこまでよ、エステル」

  熱くなって周りが見えないエステルを止める為、ヨシュアは絶影を応用しエステルの影に短剣をぶっ刺して影縫いの要領で動きを拘束。勝負終了を告げる。

「離せよ、ヨシュア。折角楽しくなってきたのに、邪魔するんじゃねえよ」

 「まだ麒麟功は持続している」と駄々を捏ねたが、制限時間を迎えたのは実はエステルの方ではない。

「あなたは良くても、フェリップさんの方がもう限界よ。ほらっ」

 ヨシュアが指差した先では、無傷のフィリップが肩で息をしている。

 剣を置いて久しいとはいえ、一度身体に染み込ませた剣技はそうそう忘れるものではないが、悲しいかな。その神技を支えられるだけの体力が今の老体のフィリップには残されていない。

 地面に突き刺したレイピアを杖代わりに、何とか倒れるのを堪えている剣狐の老衰した姿に唖然とし、拍子抜けしたエステルは意図せず麒麟功を解除してしまう。

「フィリップ、大丈夫か?」

「は、はい、閣下。何とか……」

 剣狐の圧勝劇を堪能していた先までとガラリと態度を変え、デュナンは心配そうに声を掛ける。自己中心的で傲慢な男だが、育ての親である執事を思う気持ちはある模様。

 フィリップに肩を貸すようにエステルに促すと、ヨシュアは公爵にお辞儀する。

「公爵閣下、この決闘は私たちの負けなので、約束通り部屋はお譲りしますわ。あなたもそれで構わないわよね、エステル?」

「ああっ」

 手加減されまくったこの低落で勝ちを主張するほど、エステルは厚顔ではない。

 或いはヨシュアが止めなければ電池切れを起こしたフィリップに一矢を報いたのかもしれないが、そんな情けない勝ち方には何の意味もない。

 

        ◇        

 

「もう大丈夫です。かたじけない」

 エステルにソファまで運ばれたフィリップは、十分間ほど長椅子に横になり、呼吸を落ち着けると、しゃきっと立ち上がる。

 まだ少し膝が笑っているので戦闘は不可能だろうが、執事の業務だけなら支障はない。エステル達に軽く頭を下げたフィリップは、レイピアを壁の装飾の元にあった位置に戻す。

「もう剣は持たないのですか、フィリップさん?」

「わたくしは既に剣を捨てた身なので」

 かつて血が滲むような修練の果てに習得しただあろう神技の数々に些かの未練も残さずに答える。先の決闘ですら彼の本位ではなかった。

「ですが、とても楽しい時間でございました。この老骨の枯れ枝のような血管にも、まだ熱い血が流れているのを久方ぶりに思いださせていだだけました」

 そう呟いた時、仏頂面を基本とするフィリップが、微かに微笑んでいたように見えた。やはりオス(♂)というのは、戦いが好きな生物なのかとヨシュアは呆れる。

「うむ、お前たち、思ったより潔いな。気に入ったぞ。何かあったら特別にお前たち二人を指名して、クエストの依頼を用立ててやろう」

 望みのスイートルームを手に入れ、さらには己の執事の強さを再確認できた公爵は、大層機嫌が良い。

 これもまた、「雨降って地固まる」というのか、先のエステルとの確執はすっかり記憶から抜け落ちた。

 ヨシュアは得意の営業スマイルで公爵に名刺を渡してから、二人に挨拶しエステルと退出した。

 

        ◇        

 

「なあ、ヨシュア。お前はこれで良かったのか?」

 戦闘民族としては、達人との望外のバトルにありつけたので何の不服もないが、代わりにヨシュアが割を食った形になり、あれだけ楽しみにしていたスイートの一夜を手放す羽目となる。

「今回のエステルの貴重な体験と比べれば、お釣りがくるくらいよ。けど、悪いといえば、どちらかと言えばフィリップさんにかな? もう良いご老人なのに、無理やり稽古に借り出しちゃったしね」

 ヨシュアが睨んだ所、フィリップの戦闘継続時間はTVの特撮番組の巨大ヒーローさながらに三分が限界らしいが、その180秒に限定するなら彼は大陸最強クラスの剣士。

 再戦の機会は恐らく二度とない。そうまでして老体に無理を強いた以上、この経験を生かせずに腐らせてしまったらフィリップに申し訳ないので、今以上に強くなるのがエステルに課せられた責務だと真顔で告げる。

「ヨシュア、お前」

 腹黒い筈のヨシュアの菩薩の如き振る舞いの数々に、戸惑いの眼差しを向ける。もしかするとエステルは、この義妹を色々と誤解していたのだろうか?

「あと今回は、デュナン公爵との間にパイプを繋げたのも収穫よね。オリビエさん同様に困り者のタイプだけど、プライドを擽って上手く誘導してあげれば、きっと私たちに多くの恩恵を齎してくれるわよ」

 「豚も煽てりゃ木に登るというしね」と特太りの鴨を発見した狩人の表情で、ウッシシと笑いを堪える。やはりというか我が義妹は転んでもタダでは起きない頼もしい性格だ。

 

        ◇        

 

 公爵との賭けに負け宿無しとなったので、一階のフロントに顔を出し空き部屋の有無を確かめたが、今は観光シーズン真っ盛りで全て満室とのこと。今宵の寝床をどう工面するか思案する。

「よう、ヨシュアにエステル。何か困った事態に遭遇したみたいだな? 良かったら、一緒に俺の部屋へ来て、話しを…………」

「しょうがないわね、エステル。ジャンさんに事情を話して、ギルドの二階に泊めてもらいましょう」

 無精髭を生やした中年男が二人に声を掛けたが、無視してホテルから出ようとする。

「こら、お前ら、シカトするんじゃねえ!」

 男は大声を張り上げる。正体は神出鬼没のナイアルだ。これで三つの地方でヨシュアと鉢合わせた形になり、ここまで来ると偶然というよりストーカーの領域である。

「これはこれは、『ペンは剣よりも強し』と嘯きながら、長物に巻かれてしまったジャーナリストの鏡のナイアルさんじゃないですか?」

 ナイアルのよく通るキンキン声に、ようやくヨシュアは振り返ったが、その態度は全く好意的でなく、琥珀色の瞳に軽蔑の色を浮かべている。

「ぐっ、言いたいことは大体判っているつもりだ。ただ、俺としては今後もお前たちと仲良くやりたいから、きっちりと誤解を解いておきたいんだよ」

 苦虫を噛み潰したような表情で、再度ナイアルは二人を誘う。

 下手に出ているようには見えないが、これでもこの男の性格を鑑みると十分妥協の範疇であり、ヨシュアは軽く思慮した後に行動の選択権を兄に丸投げする。

「だってさ。どうする、エステル?」

「飯を奢ってくれるのなら、付き合ってもいいぜ」

 先の戦闘で著しくカロリーを消費したエステルが御飯の催促をし、居酒屋アーベントでの大食漢振りを思い出したナイアルは一瞬怯んだか、すぐに腹を括る。

「判ったよ、ルームサービスで、好きな物を頼みやがれ」

 

        ◇        

 

「お前ら、ちっとは加減というものを知れよ。本当に記者の薄給を何だと思ってやがるんだ?」

 机の上に並べられた皿の枚数とワインのボトルの山々に、さっそく食べ放題の宣布を後悔する。

 大食らいの覚悟を決めていたエステルはともかく、食が細いと多寡を括っていたヨシュアの悪飲みを忘れていたのは、この男にしては迂闊。

 二人が箸休めをした僅かな隙を見計らって、原稿の束をデスクの上に投げ入れる。

「こいつは、俺が王都のリベール通信本社に郵送した原稿のコピーだ。とにかく読んでみろ」

 二人は原稿に目を通す。この段階では、先行して空賊のアジトに潜入した遊撃士による武装解除の成功について、控え目ながらも報じられていた。

 王国軍と遊撃士のどちらにも肩入れしない、いかにもナイアルらしい客観見地の文章。特別号に掲載された、ひたすら情報部をマンセーした空賊記事の内容との隔離に二人は小首を傾げる。

「軍による検閲でも入ったのですか、ナイアルさん」

「いや、本社に問い合わせたが、郵送した原稿をそのまま載せたそうだ。ただし、心当たりはある。多分、あの女狐の仕業だ」

 ナイアルは忌ま忌ましそうに、まだ火がついたままの煙草を灰皿に押し付ける。

 彼がいう女狐とは、リシャール大佐の副官を名乗るカノーネ大尉という妙齢の女性軍人。「新設された情報部の活躍をぜひ取材して欲しい」と彼女からのお誘いを受けて、空賊の捕り物に向かった警備飛行艇への同行を許された。

 それ自体はネタ不足に悩んでいたナイアルにとって願ったり叶ったりだが、書き終えた原稿を王都に郵送するようドロシーに手渡した所、カノーネ大尉から「わたくし達が速達で届けてさしあげます」とか誑かされて無警戒に原稿を差し出した。

「その間にあの女狐によって、記事の一部を差し替えられたに違いねえ。全くあのトンチキ娘が。ジャーナリストが掲載前の原稿を第三者に改竄させる機会を与えてどうするんだよ」

 ナイアルは頭を搔きむしって責任を天然助手に押し付けたが、彼女の頭の緩さは既に周知である。そんな大役でもないが、きちんと最後まで監督しなかったナイアルの責任のように思える。

「切れ者のように見せ掛けて、どこか抜けている人ね。あなた達二人はメイベル市長を怒らせたみたいだけど、どういう遣り取りがあったか容易に目に浮かぶわ」

 市長のインタビューをしている時に、「噂の美人市長と無表情メイドで、百合百合しい表紙を飾れば、おっさんホイホイ効果で部数倍増間違いなし」とかドロシーが口を滑らせてしまい屋敷から叩き出されたのだろう。

 あの娘に守秘義務とか空気を読むなどという根本概念を理解できる筈もない。彼女の前で本音を漏らした先輩記者のミスで、まさにその通りだったナイアルは「エスパーか、お前は?」と改めて体感した魔性振りに戦々恐々する。

「ポイントは市長さんが本気で怒っていた所ね。単に彼女自身への誹謗中傷であれば、あそこまで悪しざまには罵らなかった」

 メディアへの露出慣れしている市長は、この手の客寄せパンダ扱いに一々目くじらを立てることはないが、有能なメイド以上に大切な親友であるリラ嬢を巻き込んだのに立腹していたと推測し、「お前もメイベル市長の友達だから判るんだな」とからかわれたヨシュアは顔を真っ赤にしてそっぽを向く。

「何かヨシュアの貴重なショットを見た気がするぜ。この場にカメラマンのドロシーがいなくて残念……って、んなことは、どうでもいい。とにかく俺はお前たちや遊撃士協会(ギルド)に含む所はないって判ってくれただろ?」

 生真面目な面持ちでデスクに顔を乗り出したが、お人好しのエステルはともかく、ヨシュアの態度は非好意的から中立にシフトした程度で、まだ友好の域には達しない。だから情報部そのものが一連の空賊事件の黒幕の可能性があるというキールから託された置き土産も、この場では伏せておくことにした。

 先日アガットに掠め取られた黒装束の男も例の情報部と関連があるかもしれず、ナイアルに餌を与えるのは相応の働きを顕示してもらってからでも遅くはない。

「そうね、気が向いたら、私たちが今掴んでいるカードを供覧してあげる。ただし、あなたの側でもこれからも誠意を見せ続けることね」

「無垢な少女の弱みにつけ込んでネタを搔き集めようとする腐った性根じゃ、とてもじゃないけど女の子の心は掴めないわよ」

 以前のカリン事件の脅迫を未だに根に持っているのをチクリと警告する。

「さてと、お腹も一杯になって、眠くなっちゃったね。そろそろ寝ましょう、エステル」

 ヨシュアは軽く欠伸をすると、シングルベッドの中央に潜り込み、麒麟功が切れた反動に程よい満腹感が加わり、急激な睡魔に襲われたエステルも続く。

「おいっ、ちょっと待て。ベッドはそれ一つだぞ。俺はどこで寝れば?」

 ヨシュアがクイクイと脇のソファを指差す。次の瞬間には、複数の寝息の音か聞こえ、二人は狭いシングルベッドの上で絡み合うように熟睡する。寝付きが良いのは彼の後輩のドロシーだけの専売特許ではなさそうだ。

「全く、なんて図々しいガキどもだ。しかも、姉弟とはいえ血は繋がってないだろうに、極めて自然体に一つのベッドを共有していやがるし。いや、落ち着け、俺。クールになれ」

 弁明に設けた接待の場とはいえ。感謝の意も示さずに、ただ寝、ただ食いに興じる客人の姿にフツフツと沸き上がった怒りの衝動を必死に抑制する。

 単なるお飾りでない無限の可能性を秘めた英雄の寵児に、それを凌駕する魔性を宿した不思議少女。

 この二人を追い続ければ、いずれリベール通信創業以来の大スクープにぶち当たると長年の記者の勘が告げており、その片鱗は空賊事件の活躍からも伺える。

 未成年で一回りも年上のナイアルを呼び捨てにする無作法な小僧に、一見礼儀正しく見せ掛けながら慇懃無礼を絵に描いたような腹黒娘。どちらも年長者を敬うことを知らない困ったお子様だが、まかり間違えばナイアルにフューリッツア賞を授けることになるかもしれない金の卵。

「その先行投資と思えば安い代償だな」

 煙草を一箱消費し気分を落ち着けると、ナイアルは窮屈なソファに足を縮めて、猫のように丸くなって就寝した。

 

        ◇        

 

 その夜、エステルは義妹の体温と呼吸を無意識に肌で感じながら、夢の中で剣狐との決闘を何度も反芻し、一対一の闘いの新たな境地を切り拓こうと切磋琢磨する。

 新たな土地での生活は、まだ最初の一日を数えたばかりだが、導かれし者もそうでない脇役も様々な影響をエステルに与え、多感な少年の心は砂が水を吸収するように多くの実りを受け入れ成長していく。

 

 明日から始まる更なる冒険(クエスト)の数々が、少年と少女の目覚めを今や遅しと待ち構えていた。

 

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