「はーい、皆。今日から新しい仲間が私達のクラスに加わるわよ。ほら、挨拶して」
「え、えっと、ロレント出身のエステル・ブライトです。よろしく」
ジェニス王立学園、高等中課の教室。赤いリボンでオリーブ色の髪を束ねた眼鏡少女から催促されたエステルは、常になく緊張した面持ちで自己紹介を行う。
「彼と今ここにはいないけど義妹さんの二人は、例のお芝居を手伝う為に編入した短期留学生です。学園祭までの二週間という短い期間だけど、私達と机を並べて共に学び、苦難と喜びを分かち合うことになりました。あと聞いて驚け。この兄妹は揃って準遊撃士なんだってさ」
生徒会長とクラス委員長を兼任する学園きっての才女ジル・リードナーがノリノリでエステルの身の上を暴露し、三十名を数える生徒が喧騒する。
「聞いたか、ブレイサーだってよ」
「それって、十代でプロデビューしたアイドルかスボーツ選手が転校してきたようなものか? 俺、今のうちにサイン貰っとこうかな」
「そういえば背も高いし、彼って結構イケてない? 彼女にしてもらえたら、友達に自慢できそうじゃん」
「義妹さんもブレイサーなのか? 午後から顔を出すみたいだし、どんな娘か楽しみだぜ」
好奇に満ちた視線の山々がエステルに注がれ、まるで見せ物小屋の珍獣になったような居心地の悪い気分を味わう。ふと、窓際の席のクローゼと目が合うと、彼は笑いの衝動を必死に押し殺している。
(あんにゃろめ。お前の依頼で俺はここにいるんだろうに)
「エステル君の席は一番後ろ。ちょうどハンスの隣ね。義妹さんは私とクローゼ君に挟まれる形になるのかな」
ジルの誘導で自分の席に向かう際、忍び笑いを続けるクローゼの革靴を思いっきり踏みつける。一瞬だけ腰を浮かしかけたクローゼが顔を真っ赤にして必死に悲鳴を堪えたが、このぐらいしても罰は当たるまい。
「エステルだっけ。俺はクラスの副委員長を努めているハンスっていうんだ。コリンズ学園長から面倒を見るように頼まれているし、学園で判らないことがあったら、何でも俺に聞いてくれ」
紅髪の学生が人の良さそうな笑顔で自己アピールしながら、机をぴったりくっつけてエステルに教科書を見せてくれた。中には解析幾何やらいう魔法の呪文がびっしりと刻まれており、古代文明の叡知を刻んだ象形文字さながらの数式の数々にエステルはクラリと目眩がし、魔獣に袋叩きにされた時以上の精神的ダメージを味わう。
(駄目だ、ヨシュア。俺、こんな魔境で二週間も生きていく自信がねえ)
学園祭までの長い一日がようやくスタートしたばかりだが、エステルが漕ぎだした大海には多くの前途遼遠が待ち構えていた。
◇
昨日、学園祭の目玉、舞台劇『白き花のマドリガル』の上演の手伝いをして欲しいと、クローゼから依頼を受けた時は、二人とも小首を傾げた。
何でも紅騎士ユリウスと王家の白の姫セシリアの二つの重要な役所が埋まっておらず、このまま公演中止になったら、芝居を楽しみに毎年学園祭に顔を出しているマーシア孤児院の子供たちに申し訳が立たない。
「それで、俺たちにその劇の俳優になれと?」
「そうです。『弘法筆を選ばず』という諺もある通り、エステル君ならきっと僕以上の剣の腕前で紅騎士ユリウスをこなせると思いますし、ヨシュアさんの美しさと利発さは白の姫セシリアに相応しいです」
クローゼが懸命に二人を勧誘し、ヨシュアは「嫌だわ、クローゼったら、そんな本当のことを」とはにかんだ後、真顔になって依頼の難物さを訴える。
「私はどんな役柄でもこなせる自信はあるけど、エステルがね。剣演舞の方は大丈夫でしょうけど、果たしてきちんと台詞を覚えられるものか」
ジト目で眺める義妹に何か言い返したくて仕方がなかったが、エステル自身百文字以上の長文を丸暗記できる自信がなく、ぐっと堪える。
「平気ですよ。きちんと学園長の許可を頂いて、お二人をジェニス王立学園の短期留学生として迎える手筈は既に整っています。学園祭までの二週間、学生寮に寝泊まりして毎日夜遅くまで練習すれば、どんな馬鹿……いえ、物覚えの悪いエステル君でもきっと台詞を頭の中に叩き込めると思います」
クローゼが表現に気を遣いながらも、その実あまりフォローになっていない失礼な言い草で至れり尽くせりの万全のサポート態勢を顕示して、熱心に口説きにかかる。
「もし、テレサ院長がダルモア市長の懇意を受けて、王都に逗留することになれば、これがクラム君たちにとって、学園祭を見物できる最後の機会になるかもしれないですし」
そうしんみりと供述して、二人の良心をチクチクと刺激する。世間知らずのお坊ちゃんに見せ掛けて、意外と策士なのかも。
「そこまで拝み倒されたら、引き下がれないわね。この依頼、受けましょう、エステル」
「おいおい、本当に良いのかよ、ヨシュア?」
基本、損得より義を重んじるエステルは、クラムらが喜ぶのなら是非とも舞台を成功させてやりたいと願っているが、合理主義のヨシュアは内心どう思っているのだろうか?
一応、運営予算から報酬が賄われるとのことだが雀の涙程度だろうし、危険度の低さからBPも低ランク。学園祭までの二週間と決して短くない期間を拘束されるにしては、割が合わない方のクエストだ。
「確かにお世辞にも、実入りが良い依頼とは言えないわよね、エステル。けど、私だって算盤だけで子供達の想いを切り捨てる程鬼じゃないし、何よりも他の高難易度クエストにはない利点があるわ」
「高額依頼にもない凄いメリット?」
「それは『経験』よ、エステル。世の中には若人にしか成し得ない冒険が幾つかあって、その中の一つが学生という立場を得ることね」
リベールには高等教育機関はジェニス王立学園一つだが、ゼムリア大陸には初等、中等、高等、さらには大学院など、多くの私立、公立の学校が併存する。
ただし、数が増えれば、その分だけ聖域の闇も濃くなる。悪徳教師の内偵調査、番長グループの武力的鎮圧、苛め問題の解決など、秘密厳守を条件にギルドに相談が持ち掛けられるケースが年々増加している。
カシウスも教師役として帝国のとある有名女子高に潜入捜査したことがあり、女生徒の一人からラブレターを貰ったと得々とヨシュアに自慢していた。
「ただ、教師役に比べて、生徒役をこなせるブレイサーの絶対数が不足しているそうよ。こればっかりは賞味期限が決まっていて、どんなに優秀でもよほどの童顔の人でないと無理があるからね。そんなわけで、まだ十代の私達に価値が出でくるわけよ、エステル」
外国に出張する機会を持てば、学園への潜入ミッションのような若者専用クエストが割り当てられる可能性もある。二週間とはいえ学び舎の雰囲気を体感しておくのは、将来の選択肢を広げる上で有効と主張する。
(なるほど。そういう有名校なら、小国の王子とか貴族のボンボンみたいな格好の鴨がゴロゴロ留学してそうだしな)
最近、ヨシュアの裏を読むのが得意になったエステルは、プレイガールの隠された思惑を看破したが、敢えて黙秘する。
クラムに再訪を約束しながら、クエスト三昧に日々を費やしている中に孤児院が焼け落ちたのをエステルは気に病んでおり、せめてもの慰みに楽しみにしている演劇ぐらい堪能させてやりたいものだ。
かくして、二人の思惑が見事に一致。クローゼの風変わりな依頼を受けて、一時的にとはいえ王立学園に籍を置くことになる。
エステルは翌日の朝からクラスに参加して授業を受ける。ヨシュアはルーアン支部に復帰した正遊撃士にテレサ院長や子供たちの護衛の件で相談があり、午後から顔を出す程合いになった。
かつて、この学園のレプリカ服を纏ったことがあるジョゼットは、脳筋遊撃士と馬鹿にしたエステルが本物の王立学生の身分を手に入れたと知れば驚くだろうか? それとも悔しがる?
いずれにしても、エステルは今の立場をそれほど楽しむことは叶わず。ようやく午前の科目が終了し、クラブハウスで昼休みを迎えた時には、ミストヴルドの森まで全力疾走した時以上にクタクタにへばってしまう。
◇
「あー、俺もう死んだ。昨日と今日で、向こう三年分の脳味噌をフル可動させた気分だぜ」
食堂のテーブルの一つにうつ伏したエステルは、大好きな昼食を取る元気もなく塞ぎ込み、相席のハンスとクローゼ人が団扇で扇いで、新鮮な空気を送り込む。
一応規則ということで、二人は昨晩に形だけの編入試験を受ける。五科目五時間も拘束されたエステルは、神経をヤスリで削られるようなしんどさを味わった。
「にしても、初めて着たが、学生服っていうのは窮屈でしょうがねえ。お前ら、よくこんな動きにくい格好で毎日普通に生活していられるよな」
今のエステルは普段の私服姿でなく、王立学園指定のブレザー。革靴は履き慣れたストレガー社のスニーカーに比べて歩き辛いことこの上ない。Yシャツを第一ボタンまで填めて堅苦しいネクタイを締めると窒息しそうなぐらい息苦しいので、第三ボタンまで解放し襟元を不良学生のようにだらしなく着崩している。
「贅沢言わないの、エステル。こんな経緯でもない限り、あなたの頭で王立学園の生徒になれる機会なんてまずないのだから」
聞き慣れた声色での馴染みの軽い嫌味節。エステルが頭をあげると、予想通り我が肉親がジルと連れ立って姿を現した。
「ヨシュアさん、何て可憐な」
「凄え、こんな衝撃度はルーシー先輩以来だぜ」
予測と違えていたのは、他二人の歓声で分かり通り、ヨシュアがジェニス王立学園の学生服を着こなしていること。
男子とお揃いの意匠の紺色の上着と、緑の章玉に白のスリーブ。膝下長さのミディサイズの白のフレアスカートと学園指定の紺色のハイソックスの組み合わせは、普段愛用している黒のミニスカ&ニーソックスに比べ色気は幾分制限されるものの、その分だけ清楚さとチャーミングが割り増される。腰まで届く漆黒の髪との白と黒のコントラストが冴え渡り、他を律する圧倒的な存在感でクラブハウスの注目を一身に集める。
「こりゃまた、男子が判り易く鼻の下伸ばしちゃっているわね。オマケに隣にいる私の存在を完璧に無視してくれちゃってからに」
男子学生の熱い眼差しと同時に、女子学生からの嫉妬の冷やかな視線を肌で感じたジルが苦笑いする。好悪どちらの感情も慣れっこになっているヨシュアは昂然としながら、軽く黒髪をかき上げてキラキラと光り輝く粒子を振り撒いたが、途中で動作を停止させる。
何時になく生真面目な表情で、エステルがじっと自分を見つめているのに気づいたからだ。
「何よ、エステル? 馬子にも衣装とか思っていたりするの?」
真っ正面に陣取り、滅多にないシリアス顔で自分を見下ろすエステルに、ヨシュアは目を逸らし憎まれ口を叩いたが、語調に勢いがなく頬にも微かに赤みが射している。
無言のまま、ヨシュアの顔に自分の顔を近づける。ヨシュアはゴクリと生唾を呑み込み、密かに胸の鼓動を高鳴らせ次の言葉を待ち続ける。そして、エステルは次の挙動として。
ヨシュアのスカートを思いっきり捲くり上げた。愛用のピンクのリボンのついた純白の下着が、衆人の前で露わになる。
「な、何たる眼福。エイドスよ、この奇跡の光景に心から感謝します」
「エステル君、君って人は」
男子生徒の大歓声が沸き上がる中、真近にいた二人はエステルの暴挙に興奮する。エステルは未だにスカートを掴んだまま、トキメキ乙女顔から恒例のジト目にクラスチェンジしたヨシュアの変化に気づかす、至近距離からマジマジと義妹の下着を覗き込む。
「なーんだ、戦闘中ミニスカートでピョンピョン跳んだり跳ねたりしても、何も見えないから、もしかしてパンツはいてないのかと思ったけど、しっかり履いてんじゃんか。やっぱり、あの不自然に股間をガードしていた暗闇は、噂に聞いた絶対領域…………ほげえ!」
本当にノーパンだと当たりをつけたのなら、衆人環視の前でスカート捲りの凶行に及ぶのは人としてどうかと思うが、当然、ヨシュアの報復を受ける。
スカートを摘み上げた左手首を掴んで軽く力を篭めると、エステルの巨体は180°回転。脳天から地面に垂直に叩きつけられた。
「おい、何だ? あのエステルとかいう転校生。いきなり義妹さんに痴漢行為を働いたと思ったら、今度は自分から床に頭を打ちつけたぞ」
エステルの奇行の連続に、周りの生徒はザワザワと騒めく。
いうまでもなく、今の現象はヨシュアが得意とする柔術の技の一つ。『隅落とし』をエステルの身体に行使した成果。
柔術とは『柔よく剛を制する』を基本理念とする投げ技や関節技などの体術を主体としたカルバード共和国発祥の伝統武術。
ただし、武器による戦闘が主流となった昨今、無手格闘技の中でも組み合うという余計な一手を必要とし、実戦的でないという理由で古典芸能として廃れる。今では『柔道』という別称の元、統一されたルールの中で身内同士で競い合う民営スポーツと化す。
さらには勝利優先主義で選手の大型化が顕著となり、『体力に恵まれぬ弱き者が、理を用いて体格に秀でた強者に抗う』という柔の開闢当初の理念は事実上、有名無実化してしまうが、未だにその資質を正しく受け継ぐ少女がここに現存する。
先程エステルに喰らわした技は、別名『空気投げ』と呼ばれる。力の流れを完璧に見極め制御することにより、掴んだ手以外一切触れずに腰の動きも足の払いもなしに、相手に空中遊泳を強いる達人級の奥義。
彼女がどこでこの技術を習得したのかは不明だが、『柔よく剛を制する』とは、いかにも非力なヨシュアが好みそうな理合ではある。ただし、柔の概念を全く知らない周りの人間は小柄な少女が大男を投げ飛ばしたなど想像できよう筈もなく、エステルが一人でダイビングを敢行したようにしか見えずに正気を疑わざるを得なかった。
「いやー、ヨシュア。あんたの兄貴、良い感じに馬鹿だねえー」
マニュアル教育の弊害か、没個性的な男子生徒が量産されがちな学舎の中で超がつく異端児を発見したジルは実に興味津々という顔つきで、尺取り虫のような無様な格好で倒れているエステルの姿を体育座りで見下ろしながら彼の頬をツンツンと突っ突く。
「義兄じゃないわ。手間のかかるスケベでお調子者の、どうしようもない義弟よ」
ジルの言葉に少しだけ訂正を入れたヨシュアは、パンパンと手を払いながら、無表情にフレアスカートの乱れを直すと、ちょうど自分の下腹部を一心に見つめていたクローゼ達と目線が合う。
「す、すいません。見るつもりはなかった……いえ、むしろ見惚れて……いや……だから……」
目と目があったクローゼは、普段の流暢な言動が嘘のようにパニくって、しどろもどろになり言い訳を探すが、ヨシュアは軽く肩を竦め、彼の挙動不審を宥める。
「気にすることはないわよ、クローゼ。見られた所で別に減るものじゃないし、何よりもあの馬鹿が勝手に仕出かしたことだから。行きましょう、ジル」
「それじゃ、またね。可笑しなお兄ちゃん」
少しばかり不機嫌さを滲ませ、養豚場の豚を見るような冷やかな目で一瞥した後、クラブハウスを後にする。ジルはエステルが次にやらかす珍動に未練を残したものの、この場はヨシュアの顔を立てて一緒にお暇するが、親友が望む姉弟の呼称へと改める気はなさそうだ。
「そっか、ルーアンでもまた新しい友達を見つけられたんだな。良かったな、ヨシュア」
同い年の女子生徒と仲睦まじく連れ添うボッチ妹の姿を、上下反転した視界から眩しそうに見つめる。ついでに家族思いのちょっとばかり良い台詞を吐いていたが、先の痴漢行為とクの字に折り曲がった今現在の珍妙な格好の所為で台無しだ。
ちなみに地面に這いつくばった今のこの角度からだと、ジルの水玉の下着が丸見えだが、ヨシュアのスカートの中身は恒例の謎の暗闇に守られる。
先程一時的に絶対領域が解除されて衆人がパンツを鑑賞できたのを不思議がるが、朝稽古の偽告白でヨシュアが油断を生じさせた理由に、未だに解答を得ていない朴念仁では生涯費やしても解けない謎だろう。
遊撃士兼転入生という只でさえ好奇を集めやすい出自に加えて、黙っていてもやたら目立つ秀眉のブライト兄妹はこのクラブハウスの一件で一躍有名人になる。転校一日目にして意図せず園内の生徒に超弩級のインパクトを与えるのに成功した。