星の在り処   作:KEBIN

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ジェニス学園の黒い花(Ⅳ)

おい、ハンス。飯も食べずに、昼休みはどこで時間潰していたんだよ? 折角のブルマ拝み放題の体育の授業も途中で抜け出すしさ」

「ブ・ル・マ……ソ・レ・ハ・ナ・ン・デ・ス・カ……?」

 フラッセの看病で保健室に常駐していたレイナから授業時間中のハンスの不在を聞きつけ、一応悪友の心配をして声を掛けてみるが、ハンスはロボトミー手術を施された精神疾患患者のような機械的な音声でブルマの存在を否定し級友二人を驚愕させる。

「本当に由々しき事態ね。あのブルマニストにどんな心情変化が芽生えたのやら?」

「ほっとけば良いわよ、ジル。どうせ次の体育の時間には元に戻っているでしょうから」

 探偵役としてこの謎を説き明かしたくてウズウズしているジルに、制服に着替えたヨシュアは机に頬杖をついたままつまらなそうに囁く。

 例の異能の力でブルマに対する認識を抹消してみたもの、不屈の精神と何らかの契機があれば魔眼の支配を破れるのは、正遊撃士のエジルが身を以て立証済。

 盗撮の罰として記憶封鎖を処方したが、彼のブルマに対する異様な執着心を思えば、女生徒が現物を履いている姿を生鑑賞すれば再び熱い思いを滾らせ完全復活する未来図をヨシュアは露程も疑っていない。

(いっそ盗撮の事実を明るみにして、それを理由にブルマ廃止に追い込む手もあるけど、ちょっと勿体ないのよね)

 エステルの馬鹿発言の所為で、生下着をパンチラする以上にブルマ姿を晒すのに抵抗を覚えるも、真面目なクローゼを含めてあれだけ殿方を渇望させる最終兵器を破棄するのは惜しい。

 ちょうど生徒会副会長の弱みも掴んだことだし、何かに利用できないものかと奇麗な顔してお腹の中身は真っ黒な少女は思案を重ねる。

 そうこうしている間に、リンゴンとホームルーム終了の鐘が鳴り響き、本日の日程が全て満了する。

 生徒らは軽く伸びをして一日の終わりを祝ったが、学園祭が押し迫っているこの時期の放課後は、普段から部活動に汗を流す者、自由を満喫する帰宅部ともに平等に忙しい。何よりも助っ人遊撃士兄妹にとってはこれからが本番だ。

 

        ◇        

 

「ふーん、これが俺の着る舞台衣装か。窮屈な学生服と違って、これならチャンバラも可能だな」

 芝居の稽古場となる講堂で、王立親衛隊の制服をアレンジして拵えた舞台衣装に身を纏ったエステルは感心する。

 貴族の『紅騎士ユリウス』を演じるエステルの衣装カラーは、燃える闘志を反映するかの如く真紅で統一される。平民の『蒼騎士オスカー』に扮するクローゼは、彼のイメージカラーそのままの碧。王家の『白の姫セシリア』は当然、ホワイトということで、純白のドレスに身を包んで黄金のティアラを頭に被ったヨシュアが衆前に降臨する。

「ヨシュアさん、何と可憐な」

 皇族の子女と見間違わんばかりの華やかさに、クローゼが嘆息する。

 普段着のミニスカニーソックス、学生服、体操服のブルマ、そして舞台ドレスと、どれほどヨシュアがお色直ししてもクローゼのボキャブラリーに変化はないが、逆に言えば何を着ても絵になるという証。

(確かに綺麗っちゃ、美少女なんだけどな)

 義妹の美しさを称えること自体は吝かでないが。「髪と性格の色使いから、題名を『白き花のマドリガル』から『黒い花の腹黒姫』に変更した方がいいんじゃないか」と酷いことを考える。

「ふーう、流石にこんな逸材を連れてこられたら、認めるしかないわね。クローゼ君、これで文句無しに蒼騎士オスカー役は君に任せるわよ」

 キラキラと光り輝く粒子を振りまきながら、神々しいオーラを発散する白き姫を眩しそうに眺めながらジルがそう明言し、クローゼは安堵の溜息を漏らす。

「あれっ、オスカー役が未確定って、クローゼの他にも、この役に立候補していた奴がいたのか?」

 エステルが疑問を感じたのももっともで、凛々しい外観に卓越した剣の腕。まさにクローゼはナイト役にうってつけで、正直、クローゼをオスカー役から引きずり降ろそうなどと企む身の程知らずの男子生徒が、学園に存在しているとも思えない。

「いや、聞いてなかったのかよ? 元々、白の姫セシリアは、クローゼが演じることに」

「ハ、ハンス!」

 クローゼが慌ててハンスの口元を抑えるが手遅れだ。

「どういうことかしら、クローゼ?」

 冷やかな琥珀色の瞳がクローゼを射抜き、蛇に睨まれた蛙のように萎縮する。美人は怒った顔も美しいというが、ヨシュアを本気で敵にまわした時の悲惨さは先の盗撮小僧が物語っている。

「それについては、監督の私から説明させてもらうわ」

 ジルが苦笑いしながら、今回の芝居の裏事情をブライト兄妹に明かすことにした。

 企画当初、『白き花のマドリガル』は男子と女子が配役を入れ換えるという独特の趣向で舞台を演じるということで話が進んでおり、最も注目を浴びるヒロイン役のセシリアをこなせる男性の役者は白面の美貌のクローゼしかいないと満場一致で可決した。当然、当人のクローゼは猛反発するも彼の艶姿を拝みたい女子生徒の一団を中心に却下される。

 多数決という名の数の暴力の前に必死の抵抗も虚しく、追い詰められたクローゼは、「真の白の姫に相応しい美少女を必ず連れてくるので、その時は舞台を根源から見直して、男女の役を通常に戻して欲しい」と切実に訴えた。

 『性差別からの脱却』、『ジェンダーからの解放』などと煙に巻いて教師陣を強引に説き伏せながらも、その実、単に面白いからというだけの理由で反転劇を思いついたジルは、「私の眼鏡に適う人物を見つけてこられたらね」とはっぱをかけながら、「善処します」を口癖にする悪徳政治家並に口約束を反故にするつもりだが、実際にクローゼが伴ってきたのはヨシュアだ。

 監督役のジルは素直に白旗をあげ、今回の舞台劇を根本から煮詰め直すことにした。

「まっ、仮にクローゼがセシリア役を了承して男女反転劇を続行したとしても、ラストの決闘シーンを高レベルで演じられる女の子を今から二人も探し出すなんて無謀にも程があるから、ジルの脚本は最初から無理ゲーだったんだよな」

 ハンスが両掌を広げるお手上げのジェスチャーをし、ジルが「ぐっ……」と言葉を詰まらせる。

「ふーん、随分熱心に私たちを勧誘すると思ったら、そういう裏があったわけね」

 少しばかり醒めた色を琥珀色の瞳に浮かべて、後ろめたそうに顔を背けたクローゼを正面からじっと見つめる。

 企画を聞かされた当初から、ヒロインの座の空白を密かに不審に思ってはいた。ヨシュア程ではないが、ここに集まった配役の女子生徒は中々に可愛い娘が粒揃いしている。帝国オペラの主演を張れという無理難題ならともかく、学芸会のお芝居のヒロインを演じるだけなら過不足なくこなせた筈。

 喉の奥に引っ掛かった魚の小骨のような違和感の正体をようやく突き止められた気分だが、小骨を強引に引き抜いた所でますます傷口が広がるばかりで爽快感を感じる訳ではない。

「子供たちを楽しませたいとか奇麗事抜かしていたけど、結局は自分が女装するのが嫌だという御為倒しだったんだ?」

「そういう打算があったことは否定しません。けど、それでも僕は…………いえ、何でもありません」

「クエストの内情を秘匿されて、腹が立つのは判るけどよ、ヨシュア。クローゼのマーシア孤児院への思い入れまで、否定してやるなよ」

 言い訳を飲み込んで、素直に下心を認めたクローゼの潔さをエステルが庇う。出会ったばかりの頃は色々と反感を覚えたものの、今では良きマブダチだからだ。

「こいつがそんな利己的な奴じゃないのは、本当はお前だって判っている筈だろ? だからあんまり苛めるなよ、ヨシュア」

 女形は御免としても、お芝居を成功させたいと願う熱い思いに嘘偽りはない。だからこそ舞台を盛り上げる為、彼は身代わり役のヨシュアだけでなく、自分に匹敵する武術の遣い手のエステルにまで懸命に声を掛けた。

「そうね、確かに言いすぎたわ」

 ヨシュアは素直に前言を撤回し、クローゼはそもそもの説明不足を詫びる。

「ありがとう、エステル君。ですが、やはり責任は恥ずかしがって事情を告げられなかった僕にあると思います」

「気にすんなよ、クローゼ。山場のクライマックスシーンで、素人女同士のしょぼいチャンバラを見せられても客は白けるだけだから、男女の配役を戻そうとしたお前の判断は正しいと思うぜ」

 「ただし、お前の女装も見てみたかったけどな」とエステルはシシシと笑いながら、指を銜えて配役変更を残念がっている女生徒の群に幾ばくかのシンパシーを示すが、クローゼはその件に関してだけは断固として突っぱねる。

「いくら僕が女顔だからといって男子が女子の格好をして、あまつさえ多くの人間にその姿を晒すなどと死に等しい屈辱です。そんな辱めを受けて平気で街を歩ける男性は、もはや男のプライドを捨てたとしか……」

「うっ?」

 女装反対運動の演説の最中、いつぞやのようにヨシュアは心臓を抑えてうずくまった。

「どうした、ヨシュア?」

 今のクローゼの言の中に、ヨシュアの琴線に触れるようなキーワードは含まれていなかったと思うが。

「私にも判らない。けど、別領域から突き立てられた刃が私の中に潜む心の傷を切り裂いて」

「また恒例の中二病(おかしなやまい)かよ? 頼むから、片目を抑えながら「鎮まって、私の魔眼よー」とか、こっ恥ずかしい台詞を吐かないでくれよ」

「本当に私にも、何が何やら見当もつかないのよ。けど別次元のもう一人の私が、今のクローゼの言葉にいたく傷ついたことだけは確かよ」

「あのー、何だか良く判らないけど、やっぱり僕が悪かったのでしょうか?」

 ヨシュアの謎の発作を治まるまで、幾ばくかの時間を必要とした。

 

「さてと、話を纏めると、元々男女反転で芝居を行うつもりだったのを、急遽配役を元に戻したから、ほとんどの俳優は台詞や役作りを一から覚え直している最中だと?」

 ヨシュアの質問を、ジルは心苦しそうに首肯する。

「本番まで二週間を切っているこの段階で、お話にもならないわね」

 ジルはさらに恐縮する。脚本自体は、彼女が直接手掛けただけあって時代考証はきちんと練れている。その上、手間暇惜しまず、小説家志望の同級生に台本を書き直してもらったので、各々のキャラクターの台詞回しの方も今のところ申し分ないとのお墨付きを頂戴する。

「だから、結局は実際に舞台を演じる貴方達がどこまで頑張れるか次第ね。一週間後にもう一度訪ねて来るから、それまでに各々自分の役をマスターしておきなさい」

 明らかな上から目線でそう宣告したヨシュアは、そのままスタスタと講堂からお暇しようとしたが、女生徒に引き止められる。

「ちょっと、あんた。何一人で勝手なこと言っているのよ? それをこれから皆で、稽古していくんでしょう?」

「生憎と私は昨日一晩でジルから渡された台本を一通り暗記して、自分の役と全体の台詞は全部覚えたわよ」

「はあー? そんな直ぐにばれる出鱈目を」

「確かめてみる?」

ヨシュアは琥珀色の瞳に挑発的な色を浮かべて、台本をリチェルという女子生徒に手渡す。

「紅騎士ユリウスの台詞 か-14」

「我が友よ。こうなれば是非もない。我々は、いつか雌雄を決する運命にあったのだ。抜け、互いの背負うもののために。何よりも愛しき姫の為に」

「蒼騎士オスカーの台詞 か-18」

「だが、この身に駆け抜ける狂おしいまでの情熱は何だ? 自分もまた本気になった君と戦いたくて仕方ないらしい」

「ナ、ナレーション あ-1」

「時は七耀歴1100年代。百年前のリベールではいまだ貴族制が残っていました。一方、商人たちを中心とした平民勢力の台頭も著しく、貴族勢力と平民勢力の対立は日増しに激化していったのです。王家と協会による仲裁も………………」

「ラドー侯爵の台詞 お-9」

「ユリウスよ、判っておろうな。これ以上、平民どもの増長を許すわけにはいかんのだ。ましてや、我等が主と仰ぐものが平民出身となった日には。伝統あるリベールの権威は地に落ちるであろう」

(ど、どうすれば、そうだ)

「レイニの台詞 い-7」

「はあーどちらも素敵ですわ」

「う、嘘でしょう? こんな端役の、どーでもいい台詞まで」

 二十以上のランダムに抜き取った場面場面を、一文字一句間違えることなく、カンペもなしに空で謳い上げる。一晩で台本を丸暗記したというのは、ハッタリでない。

「ちなみにラドー氏は、侯爵(こうしゃく)でなく公爵(こうしゃく)よ。読み方が同じでも階級が異なり、侯爵は爵位の第二位で、公爵は第一位。一つのランク差は貴族社会ではとても重要なことだから、きちんと峻別できるようにしておかないと駄目よ」

 へなへなと崩れ落ちるリチェルに、ヨシュアは間違い探しレベルのあげ足取りを行い、さらなる追い打ちをかける。このあたりの同性に対する容赦の無さが、腹黒完璧超人らしい。

「まっ、まだよ、いくら台詞を完璧に覚えたとしても、演技だけはきちんと練習しないと自分の物には」

「なら、白き姫セシリアの一人舞台を堪能させてあげましょうか?」

 雉も鳴かずば撃たれまいに。自ら底無し沼に沈み込もうとしている哀れな少女の末路を、ヨシュアはむしろ憐憫の眼差しで見下ろした。

 

「不思議……あの風景が浮かんできます。幼い頃……お城を抜け出して遊びに行った路地裏の。だ……から……どうか。いつも……笑って……い……て……」

 力尽きて息絶えるセシリア、もといヨシュア。顔からは完全に血の気が引き瞳孔は見開いて肌の色も青褪め、実は一時的に脈まで止めている。どこからどう見ても死体そのもの。ここまで来ると感動するよりも恐怖を覚える。

「復活後の感動のクライマックスシーンがまだ残っているけど、続けましょうか?」

「いや、もう、十分……」

 再び透明度の高い白い肌を復帰させて立ち上がったヨシュアが、ドヤ顔で芝居継続の有無を確かめたが、完全に心が折れたリチェルはうなだれたまま首を横に振る。

 実際、ヨシュアの迫真の演技には、誰一人としてケチのつけようがない。

 憂いを帯びた白き姫の溜息。ユリウスとオスカーを思い浮かべ、姫でなく一人の少女として物思いに耽る少女の横顔。二人の騎士に看取られ死に往く時に成すべきことを果たした人間が今際の祭に見せた満足げな笑顔。

 これらはもはや演技と呼べる次元でなく、百年の歴史を超えて実在の白き姫セシリアがヨシュアに憑依したとしか思えない。

 腕立て伏せの回数が二桁に届かないように相変わらずヨシュアは『出来ないこと』はてんで駄目だが、裏を返せば『出来ること』は全て極北を極めているといえる。普段の生活から呼吸するが如く猫被りし、ボース地方での別人格のカリンによる正遊撃士無双を含め多くの殿方を魅了してきたヨシュアの演技力があれば、どこの劇団に所属しても食うには困らないだろう。

「理解してもらえたみたいね。それじゃ、一週間の間、精々精進することね」

「ちょっと待てよ、ヨシュア。いくらなんでも身勝手にも程があるだろ?」

 再び講堂から消え去ろうとしたヨシュアを今度は身内のエステルか呼び止め、煩わしそうに振り返る。

「お前の演技力がアマチュアレベルを超越しているのは、皆よーく判ったよ。けど、お芝居は一人でやるものじゃないし、俺たちは依頼として参加しているんだぞ」

 ヨシュアの協調性の無さというか猫みたいな気紛れさは毎度のことだが、日曜学校ならともかく、僅かなミラとはいえ報酬を貰って活動しているプロの遊撃士がクエスト中に我が儘を通すなどもっての外。

「ふーん、プロのブレイサーとしてねえ?」

 先のクローゼ関連のイザコザのように、普段は比較的寛大にエステルの意見を汲んでくれるヨシュアが、この時はなぜかシニカルな笑みを浮かべてエステルの主張を嘲笑う。

「その言葉をそっくりそのまま、お返ししてあげましょうか、エステル。そこまで偉そうに私を諭す以上、自分の役柄の台詞ぐらいはちゃんと覚えてきたんでしょうね?」

「うっ!」

 台本のコピーは一人一冊、関係者全員に配られていたが、昨晩は男三人の四方山話に夢中になりすぎて、まだ目を通してすらいない。嘘を吐けないエステルは馬鹿正直に自分の落ち度を告白し、ヨシュアは大袈裟に両肩を竦める。

「だと思ったわ。語るに落ちたわね、エステル。色々と馬鹿をやるのも結構だけど、貴重な時間を無為に潰しているのは、私でなくあなたの方じゃなくて? 本当に学園祭の本番までに間に合わせる自信があるのかしら?」

 元々口下手なエステルが口喧嘩でヨシュアに勝てる道理はないが、現在の所どちらがクエストに真面目に取り組んでいるかと問われれば、学園の伝説作りに終始していたエステルでなく、きちんと己の役をマスターしてきたヨシュアである。それは屁理屈でも口から出任せでもない歴然とした事実。

「私が参加するのは、最低でも通し稽古が可能な段階からにさせてもらうわ。それができるようになったら、別に一週間待たなくてもいいから何時でも声を掛けてちょうだい」

 そう最後通告して、長いドレスの裾を引きずるようにして、制服に着替える為に講堂の衣装部屋に向かう。流石に誰からも声が掛けらず、今度こそ講堂から退出する。もはやヨシュアをこの場に繋ぎ止められる鎖を持つ者は一人もいなかった。

 

「一体何なのよ、あの女の横暴な態度は?」

 女子生徒がフツフツと腸を煮え繰り返らせて沸騰する。

「ちょっとばかり顔と頭が良くて演技も完璧だからって、調子に乗りすぎよ」

 そう息巻いてはみたが、それだけカードを保持して増長しないのはよほどの人格者。ヨシュアの性格がその方角から著しく隔離しているのは、エステルはおろか密かに憧憬の想いを寄せていたクローゼですら弁えていた。

「あんな性悪な義妹の言う事なんか気にすることないわよ、エステル君。台詞も役もこれから覚えればいいんだし、私たちでフォローするから一緒に頑張ろうね」

「あっ、ああ、悪いな」

 一見キツイように見せ掛けて、常に影からサポートしてくれたヨシュアからコテンパンに叩きのめされて少し意気消沈していたエステルは、暖かい励ましの言葉で慰めてくれた女子生徒の気遣いを心から有り難いと思った。

 誰しも才能に胡座を掻いている嫌な奴よりも、足りない所を懸命に補うと努力する頑張り屋さんの方に好感を抱くもので、女学生らが一致団結してエステルの肩を持つのは自然な流れだ。

「ちょっとジル。いくら演技が上手いからって、あんな協調性ゼロの人間に本気で主役を任せる気?」

 突如牙を剥いた黒髪天使の変貌に困惑する男子生徒を無視し、女子の一団が監督役のジルに詰め寄る。

「うーん、それは皆が目標をどこに定めるかにもよるんじゃないかな?」

「どういう意味よ、それ?」

「つまり、このお芝居をどういうレベルで成功させたいと願っているか、その志の高さによりけるということ」

 質問に質問で鸚鵡返しされたが、さらなる別なクエスチョンが発生したので、堂々巡りになる前にジル自身の意図を明瞭にする。

 あくまでも学生の自主活動の一環として、和気あいあいと楽しみながら、自分たちなりのベターを尽くせたことで満足するか。それともヨシュアという稀代の才能を活かして、このお芝居を学園祭史に残るようなベストの結末を目指すのか。

「前者だとしたら、ヨシュアはいらない。というか、むしろ邪魔ね。皆が雑なお芝居をしている中でオスカー女優が一人紛れられても、反って浮いちゃうからね」

 球技などのスポーツ競技なら、突出した天才のワンマンプレーもある程度のレベルまでは有効だが、集団で物語を紡ぐ演劇には役者、裏方を含めた全員の協力が大事。個の力でカバー出来る範囲はたかが知れている。

「けど、もし後者を選ぶのなら、ヨシュアの存在は必要不可欠ね」

 皆で切磋琢磨し合い全体の底上げが完了した時にこそ、ヨシュアの輝きは一段と増しさらなる高みのステージへと皆を誘ってくれる。ただし、その場合には、我が儘なプロスポーツ選手か勘違い芸能人なみのヨシュアの素行の悪さに目を瞑る必要があるが。

「どっちを選ぶかは、一人一人が自分で決めること。数学の試験問題と違って、正解の答えがあるわけじゃなしね」

 ジルが示した二つの選択肢に頭を悩ませ、女子生徒の何人かは後ろ暗そうな表情でクローゼをチラ見する。

「あっ、それと孤児院のおチビちゃんにお芝居を楽しませたいというのは、あくまでクローゼ君の個人的な感傷だから、どういう選別をした所でそれで引け目を感じる必要はないわよ」

 聡いジルは少女たちの深層心理を見抜き、意外と容赦ない物言いながら外的要因に左右されることなく、思い思いの自分の考えを忌憚なく述べるよう促した。

「私は、今回のお芝居をきちんと成功させたい」

 ヨシュアに最も凹ませさたリチェルが、立ち直って自分の意志を表明する。「私はそれでもクローゼ先輩の役に立ちたい」、「あの性悪女をギャフンと言わせたい」など動機は人によって微妙に異なるようだが、どんどん皆のやる気が溢れ返り、その覇気が男子の側にも伝染し始めた。

「はーあ、俺はダルイから、芝居なんて適当に」

「女子がこれだけ気を張っている中で、大の男がしみったれたことを言う気はないよな?」

「と、当然であります、軍曹殿」

 ミックという空気の読めない若干一名の怠け者の男子生徒が盛り上がった場の雰囲気をぶち壊し掛けた刹那、エステルが丸太のようなぶっとい腕を首に廻してプラプラと宙づりにし、彼はコクコクと鳩のように首を縦に振る。

「それじゃあ、決まったわね。もうあまり時間がないけど、これからは授業の終わりから、学生寮の門限まで毎日ビシバシ稽古するわよ。いいわね、皆?」

「「「「「おおおっっーー!」」」」「はあー」

 ジルの号令に全員で円陣を組んで、手と手を重ね合わせる。一つの尊い目標に向かって、皆(約一名除く)の心が一つになった瞬間だ。

「ありがとう、皆さん」

 目頭を熱くさせながらクローゼは感謝の言葉を捧げる。こういう熱血なノリが大好物のエステルは、学園の中は苦手なことだらけだけど授業も含めて逃げずに努力してみようと心に誓う。

 ただ、一つに纏まった人の輪の中にヨシュアが加わっていないのが心残りというか寂しかった。

 

        ◇        

 

 それから猛稽古がスタートした。公言した通り、翌日からヨシュアは講堂に姿を見せず、そんな傲岸不遜な少女を見返したい一心できつい練習に耐える。男子生徒も華奢な女子たちが泣き言を言わない以上、そのペースにつき合い続けて少しずつだが芝居は形になり始めた。

 監督のジルや演出担当のハンスは生徒会の仕事もあり、稽古につきっきりという訳にもいかなかったが、それでも可能な限り講堂に顔を出して皆を励ます。さらにはクラス行事や他の出し物などの雑務に時間を奪われないように、生徒会の権限を駆使して便宜を図り稽古に集中できる環境を整えてくれた。

 エステルも主に台詞関係で何度もとちり四苦八苦しながら、確実に昨日以上の成果を残して紅騎士ユリウスを己がものとするよう努める。

 メインとなるクローゼとの剣演舞は、迫力第一で防御を無視した実戦形式で行う。お互い何度も手傷を負い女子生徒を顔面蒼白にさせたものの、それだけに武術に造形があるコアな観客の試聴にも耐えうる濃いバトルが生み出せそうだ。

 この調子なら思ったよりも早く、ヨシュアが最低ノルマとして掲げた通し稽古に持ち込めそうであるが、そのヨシュアに関して不埒な噂が流れつつある。必死に稽古している皆の努力を嘲笑うが如く、学園の外に一人抜け出し毎日男遊びに興じているという。

 実に悪意的な流言であるが、普段の女王然とした生活振りを鑑みれば、そんなスキャンダルな噂の一つや二つ流されても不思議はない。

 いくらヨシュアでもそこまでお芝居に賭ける皆の想いを蔑ろにする筈はないとエステルは信じたかったが。授業には真面目に出ているものの放課後から女子寮の門限までの時間に少女の姿を学内で見た者がおらず、噂をデマだと笑い飛ばせる根拠を誰も持ち合わせていない。

 

        ◇        

 

 放課後のチャイムが鳴る。クラス展示の準備を手伝い稽古に遅れたクローゼは、慌てながら靴を上履きに履き替える為に下駄箱を開けると、中には一枚の封筒が置かれていた。

「これが噂のラブレターという奴かな? 僕にもそんな青春に縁があったのですね」

 本当は望めばいくらでも薔薇色の未来が開けているのに、その無限の可能性を無意識に封印してきた王子様は、「どう返事をしたものか」と悩み、封筒をひっくり返す。裏側の名前を見た途端、トクンと心臓の鼓動をワンオクターブ上昇させる。

 もう一度、名前を確認して自分の見間違えじゃないのを確認したクローゼは、辺りに人がいないのを確認すると乱雑に封を切り、中の便箋の内容を検めた。

 

        ◇        

 

「えっ、クローゼが今日の稽古には来られない?」

「はい、急用ができたとかで、明日からの稽古で必ず遅れを取り戻すからと、申し訳なさそうに」

 同じくクラス展示の準備で遅れてきた後輩のリチェルが、クローゼから申し遣った伝言を伝え、エステルは軽く小首を傾げる。

 どんな用事か知らないが、クラムらを楽しませる芝居の稽古以上に重要なことはないだろうと訝しんだが、あの超がつく真面目なクローゼが欠席するぐらいだから、親の法事とかの本当に外せない約定なのだろう。

 事実、隙あらばサボろうと目論んでいるミックなどと異なり、周りの生徒は誰一人としてクローゼを疑ってないし、台詞や役作りも含めて蒼騎士オスカーをほぼ我が物としており、一日休んだ所で支障はない。

 それよりエステルの方が全然やばい状況なので、この機に今日中に台詞を全て頭の中に叩き込む覚悟で自分の役柄に没頭することにした。

 

        ◇        

 

「本当に来てしまった、皆さんすいません」

 外出許可を申請して、ジェニス王立学園の外に飛び出したクローゼは、そのままヴィスタ林道とメーヴェ海道を渡り歩いて、ルーアン市に到着。講堂で汗を流しているエステルや他の仲間の苦労を思えば、後ろ髪を引かれるような後ろめたい気分を味わい、己が裏切り行為を心から謝罪する。

 「ルーアン市の三つ目の灯台まで来て欲しい」というシンプルな一文に誘われて、ご苦労にも遠く離れたルーアンの市街地まで出張してきた。

 普段のクローゼであれば、こんな意図不明の怪文はおろか、どれほど想いのこもった熱い恋文であっても芝居より優先させることはないが、差出人の名前をどうしても無視できなかった。

「会って、きちんと確かめたい。彼女を蝕むあの噂が本当なのか」

「正直、来てもらえるとは思わなかった。ううん、きっと来てくれると判っていて、あの手紙を出したのよね。本当に狡い女ね、私って」

 気配無しでいきなり背後から聞こえてきた少女の声に、クローゼは背にした灯台の方角を振り返る。そこにはジェニス学園の制服を纏った黒髪の美少女が佇んでいた。

「ヨシュアさん」

 それっきり口を噤み、次に掛けるべき言葉を見失う。性質の悪い風説を事実無根の中傷だと証明したくて、こんな場所までのこのこ足を運んだのに。態々尋ねるまでもなく、ここに当人がいること自体が噂が事実という動かぬ証拠ではないか?

 それでも弁明の言葉を本人の口から直接聞きたかったのだが、彼女から溢れ出た一言はそんな彼の願いを更なる虚無へと叩き落としながらも、クローゼを誘惑して止まない。

 

「ねえ、クローゼ。これから私とデートしない?」

 

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