「やはり中隊長殿は待ってないか。へへっ、そりゃ、そうだよな」
「小一時間程で戻ると約束したのに、中尉、カンカンに怒っているでしょうね」
ルクスとリオンが再び校門前に帰参した時には、ユリアの姿をそこにはない。
それもその筈。あれから聞き込みとか模擬店巡りやらに精を出していたら、いつの間にかお昼過ぎで、待ち合わせ時刻を三時間もオーバー。これがデートのすっぽかしなら、平手打ちを喰らい確実に振られるレベルの大遅刻。
「諦めてアルセイユの方に戻られたなんて、虫の良い話はないだろうな」
「へへっ、独力で黒髪娘を探し始めたんじゃないの? 騒ぎが起きてない所をみると、まだ遭遇していないみたいだけどな」
あれから少しばかり趣向を変えて、ヨシュアだけでなくクローゼに対する調査も並行しデータを収集してみた結果、いくつか判明した事実は。
(1)クローゼがヨシュアにゾッコンなのは一目瞭然だが、彼女の方は義兄と両天秤にかけてるっぽい。
(2)元々、むっつりスケベを疑われていたクローゼだが、最近は助平である事実を隠そうとしなくなり、あろうことか女子生徒へのスカート捲りまで敢行した。
(3)それでも女子人気は一向に衰える気配すらなく、後輩女子の差し入れ弁当で食い繋ぐ典型的なジゴロ生活を満喫中。
などで、黒髪娘の心証が悪化の一途を辿りそうなネタばかり次々に発覚。
特に(2)の事例が深刻。クローゼを世俗の塵垢とは無縁の天使か何かと妄信しているユリアが聞けば、卒倒するのは疑いない。
まあ、この件に関しては諸悪の根源はヨシュアでなくエステルの方。ちょっとした賭け事に負けたクローゼにペナルティとして課した罰ゲーム。「お前なら女子は笑って許してくれる」という世迷い言を真に受けてみたら、「もう、クローゼ君のエッチ」の一言で実際に恩赦を受けた。
尚、その光景を目撃したハンスが模倣すると女生徒から袋叩きにされており、つくづく
ただし、ユリアのクローゼに関するツケは全部ヨシュアの方へとまわされるので、このまま放置すれば学園祭に血の雨が降るのは間違いない。惨劇を未然に防ぐためにも、二人は校内に戻って手分けしてユリアの行方を捜索した。
◇
親衛隊の部下から暴走を危惧されたユリア中尉であるが、現在の彼女はアンニュイな気分で独りトボトボと人気のない校舎裏を歩いている。旧友のカノーネと去り際に交わした会話が胸の奥で燻っていた。
「以前のわたくしにはあなた程の器量の持ち主が他人に忠義を尽くす感覚が良く判らなかったけど、今なら理解できますわ。わたくしにも生涯を賭して仕えるに値する上官と巡り逢えましたから」
「それはリシャール大佐のことか?」
「そのあたりは想像にお任せしますわ。ただ、わたくしや同胞は閣下の理想を実現する為なら私欲を捨て生命さえ差し出せる覚悟です。あなたの王太子殿下に対する想いも同じなのでしょう、ユリア?」
専制国家の軍人でありながら軍閥化を示唆する発言は不用意にすぎるが、彼女の信念に妙に身に詰まらせられるものがあったユリアは普段の聰明さか鳴りを潜め、会話の端々に不穏の気配がダダ漏れていたことや、その時の彼女の瞳に悲壮な決意のようなものが宿っていたのも見落とし、ひたすら自分独りの思考に没頭する。
「王太子への忠誠か。私のやろうとしていることは、本当にクローゼの御為になるのであろうか?」
行き過ぎた庇護欲が暴発し勢いに任せて王立学園に乗り込んできたが、元々思慮と良識に富んだ人物なので、今更になって自らの行動に疑念を抱き始めた。
「きゃあああー。ちょっと、何なのですか、あなたは?」
「うるさい、殿下を誑かさんとする不届き極まる悪女め。成敗してくれるから、そこに直れ!」
「あーれぇー!」
一糸乱れぬランツェンレイターの見事な四段攻撃により、ヨシュアの衣服をビリビリに引き裂かれて、瞬く間にマッパにされる。
「ユリアさん、一体彼女に何をしているのですか?」
「で、殿下?」
裸でへたり込むヨシュアの背後から、そっと自分のブレザーを被せる。ユリアから庇うように彼女を抱き寄せると、紺色の瞳に静かな怒りを称えてユリアを怯ませる。
「無辜の女性を辱めて悦に浸るのが、あなたが剣聖から引き継いだ剣の心なのですか、ユリアさん?」
「殿下、これには、その深い事情が……」
「しくしく、クローゼ君。私このおばさんに穢されてしまって、もうお嫁にいけません」
「大丈夫ですよ、ヨシュアさん。僕があなたのことを貰ってあげますから。今日からあなたは僕の妃として、この国の女王になるのです」
「まあ、素敵ね。国民の血税から野原に咲き乱れる草花の一本一本に至るまで、王国の総てが私の物になるのね?」
「ええっ、二人でこの国の明るい未来を一緒に築いていきましょう」
「クローゼ、お止めください。この女はリベールを滅さんとする傾国の魔女で……」
「ユリアさん、婚期を逃して焦るのは判りますけど、彼女の若さに嫉妬するのは見苦しいですよ」
養豚所の豚を見下すような蔑む目でユリアを一瞥。お互いに身体を寄せ合い仲睦まじく離れていくラブラブカップルの姿を尻目に、ユリアは両手を地についてガックリと腰を落とした。
「帰ろう」
いつの間にやら妄想が暴走してしまった。
クローゼがそんな性悪ではないとか、彼に半裸女性に上着をかける甲斐性などないのは異空間のむっつりスケベ振りが証明しているなど色々と突っ込み所はあるが、物証も無しに現職の親衛隊が一般庶女に暴力を振るい、何のお咎めがない筈がないという根源的な問題点に気がついた。
「思えば、私は少しばかり殿下に見返りを求めてしまったのかもしれない。王太子の交友関係にまで口を挟もうとは分を弁えないにも程がある」
妄想ついでに、もし自分の仕える主がクローゼでなく、デュナン公爵だったらという仮説を検証。可愛いクローゼ坊やとのセピア色の甘酸っぱい思い出の数々が公爵のむさ苦しい中年顔に上書きされた刹那、思わず吐き気が込み上げてきた。
「なんたる僥倖。なんという望外の幸福の享受。私はもう存分に報われているではないか。これ以上を望もうとは畏れ多いぞ、ユリア・シュバルツ」
デュナン本人に含む所はなく、尊敬する鬼の大隊長の職務を否定する訳ではないが、もし、自分が公爵の世話係を任命されていたら、とっくに実家に帰郷し母の勧める見合い話を受けていた。
リストラされたサラリーマンに似た哀愁を背中に漂わせながら、ユリアは校門の方角へと歩を進める。
こうして、ヨシュアの預かり知らぬ場所で芽吹いた人災の種が人知れず刈り取られようとしていたのだが、その途上で隠れて煙草を吸う不良学生の如く人目を避けて裏門の焼却炉前にたむろし興奮しながら『とある写真』の分配を行っている女子生徒の一団を見かけたことから、再び運命が奔流する。
「ハァハァ、これなんか凄くない?」
「うんうん、この恥辱に震える顔が最高でたまんないよね」
「けど、ヨシュアの奴、どうやってクローゼ君のこんな写真を撮ったのかしら?」
「別にそんなこと、どうだっていいじゃない。本当にヨシュア様さまよね……って、今忙しくて手が離せない………………きゃあああ!?」
クローゼファンのお芝居不参加組は先の騎馬戦の報酬を物色しながら、ダブった写真を互いにトレード中。肩を叩かれた生徒はうざそうに振り返ったが、黒スーツに黒眼鏡の堅気と思えぬ危険人物が素人目にも視別可能な凄まじい量の闘気を解放しサングラス越しにじっとこちらを睨んでいて、思わず悲鳴を上げる。
「あ、あの、何か私たちに御用でしょうか?」
路上でヤクザと肩がぶつかった一般庶民よろしく、女子生徒は丁重な言葉遣いでガクブル震える。
「貴殿ら、この写真を一体どこで手に入れた?」
今すぐこの場でSクラフト『トリニティクライス』を発動させて、この不埒な子女どもを一網打尽にしたい欲求を何とか捻じ伏せると写真の出所を追求する。
ドラッグの売人を逐一検挙しても単なる対処療法に過ぎないように、末端の枝だけを取り除いても意味はない。きちんと大元の根を枯らさないことには美悪の華の萌芽を断てないのを経験上弁えている。
女子らは互いに顔を見合わる。騎馬戦の一件でアレを敵にまわす恐ろしさを骨身に沁みていたからだが、ここで黙秘を貫いたら明日の朝日が拝めない予感がプンプンする。後日の禍根よりも、まずは目の前の窮地を乗り切ることを優先し黒幕クイーン・オブ・ハートの真名を告げる。
「もしかして、ヨシュアというのはこの少女のことか?」
何か女の直感に閃くものがあったのか、ユリアは例のスナップショットを見せる。
ただし、『もうあの頃には戻れないだろう、常識的に考えて……』の亀裂が入った女同士の友情のようにクローゼが映った右半分は切り取られていたが、琥珀色の瞳の少女の御尊顔を確認するには十分でコクコクと頷いた。
「そうか……」
最も欲していた物的証拠を手に入れたユリアは有象無象の雑魚は放置することにし、写真を一枚残らず巻き上げてこの場を去る。
危機は暴風のように過ぎ去ったようで、女子たちはヘナヘナとその場に崩れ落ちた。貴重な御宝映像を奪われたのは痛手だが何事もまずは生命あっての物種だ。
「あー、怖かった。一体なんだったのかしら、アレ?」
「分かんないけど、多分クローゼ君の関係者よね? 何か凄い殺気を漲らしていたけど」
「ヤクザみたいな男装だけど、あの人女性でしょ? でも宝塚みたいでちょっと格好良かったかな」
「やはり、私の勘に狂いはなかった。あの売女め。よくもかような合成写真で殿下を辱めようと………………」
紺碧の塔の経緯を知らないので、捏造と決めてかかったユリアは検めて内容を検分し、頬が完熟トマトのように真っ赤に染まる。
女生徒がしつこく拘ったように、触手云々よりもクローゼの艶やかなアヘ顔の方で御飯三杯はいけそうだが、鋼の如き強靱な意志の力で己が煩悩を薙ぎ払う。
「ええーい、私の王太子殿下への忠誠心を舐めるなー!」
バトルセイバーを抜刀し持てる全ての精神力を発揮して、全ての写真を原型を留めない程にビリビリに引き裂いた。
「はあ、はあ、次は貴様の番だ、世紀の悪女め。無垢な殿下を穢さんとした原罪を己の身体で償わせてやる!」
ついさっきまで潔く身を引こうとしていたが、討伐の口実……もとい、大義名分を手に入れたことで黒髪少女への敵意を再燃させる。
もはやクローゼの目の前であろうと躊躇う必要性を感じず、比喩でなく本当に刀の錆としてくれようと意気込んだが、その瞬間に校内放送のアナウンスが流される。
「ご来場の皆様に申し上げます。間もなく講堂にて、『白き花のマドリガル』の上演劇が開始されます。講堂内は大変混み合っており既に満席となっておりますが、立ち見でよければまだいくらかスペースの余裕はありますので、節度を以って鑑賞されるようお願いします」
ピンポンパンポンという気の抜けたチャイムがユリアの闘争本能に水を浴びせる。顎先に手を当てると意味深に考え込んだ。
「『白き花のマドリガル』か。確かファルコンの報告によれば孤児院の子供たちを楽しませようと、クローゼはこの劇の稽古に毎日のように明け暮れていたらしいな」
更には主演ヒロインのセシリア姫を例の黒髪娘が演じるらしいという情報をリオン経由で聞き及んでいる。ユリアは軽く舌打ちすると、剣を鞘に納めた。
「ちっ、運が良かったな、黒髪の毒婦。劇が終わるまでの間、貴様の生命を一時預けておいてやる」
かくして、再びヨシュアの関知しない場所で破局が先延ばしされるが、クローゼを巡る二人の女性の衝突はもはや不可避。様々な人間の思惑が絡んだ学園祭の最終イベント『白き花のマドリガル』の開演はもう間もなくだ。