レイストン要塞から、一機の警備飛行艇が夜空へと羽ばたく。
後部ハッチを閉める間もなく管制官の指示抜きで離陸したこの船は、正規の手順で飛ばされたわけではない。カプア一家に再ハイジャックされたのだ。
もっとも、乗員は僅か三人。混乱した発着所では、十数人の囚人が身体を張って、数倍の兵士の進行を必死に食い止めている。剥き出しの後部部分から男二人が身を乗り出して絶叫する。
「うおおお! お前らー!」
「キー姐。戻ってよ、まだ皆が」
「今はとにかく逃げるのよ、ジョゼット、ドルン兄さん。私たちまで捕まったら、自ら足止めに残ったあいつらの想いが全て無駄になるわ!」
操縦席に跨がって導力キーでエンジンを始動させたキールは、非情だが正しい判断で艇をスクランブル発進させ、未練を断ち切るようにハッチをクローズする。
仲間が次々と捕縛される悪夢の光景が、分厚いシャッターに遮断される。ドルンは号泣しジョゼットは放心したように膝をつくが、姉に叱咤される。
「直ぐに追手が来るわよ! 手伝って、ジョゼット」
横窓から下界を覗き込む。もう人は豆粒程の大きさにしか映らないが、管制塔がチカチカと点滅しているが分かる。キールの予測通りに他の警備艇を飛ばす準備に入っているのだろう。
涙を拭いて精神のチャンネルを切り換えると、「必ず助けるから、待っていて」と自らに誓いを立て、助手席に座り込んで各種計器類を操作しパイロットを補助する。
「ほおら、おいでなすった。ヴァレリア湖を突っ切って、最短距離で国境線を越えるわよ」
エレボニア帝国の空域に逃げ込んでしまえば、国際協定上、リベール正規軍にはそれ以上の追撃は不可能になる。
その暁には一難去って、次は帝国憲兵に追われる立場となる。国事犯のカプア一家にとって祖国はもはや安息の地ではないが、今は目の前の窮地を遣り過ごすのに手一杯で、後日の厄介事まで憂慮する心の余裕はない。
カルガモの親子のように五機の警備飛行艇を引き連れながら、発泡示唆による停止警告をひたすらシカトし、カプア三兄弟を乗せた強奪艇は五大地方全てと接するヴァレリア湖上空を通過していった。
◇
「以上が、ラッセル博士の救出クエストの顛末です」
翌朝、遊撃士協会ツァイス支部に戻ってきたエステルとヨシュアの二人は、受付のキリカに非公式に報告する。
王国屈指の要害堅固な城塞を相手取ったリベールの頭脳ともいうべき博士の奪還作戦は、本来なら定期船失踪事件クラスの高難度クエストに該当する。
ただし、キリカが非合法な手段で軍事施設の設計図を入手したように、諜報能力に秀でた情報部がギルドの内部資料を参照できないとも限らないので、あくまでオフレコ扱いで報告書を本部に提出するのは見送られた。
何時か仇敵が解体された時こそ、今回のエステル達の功績が日の目を見ることになる。
「それで要塞から脱出した後、全員で話し合ったのですが、ラッセル祖父孫がこの先も狙われるのは間違いないので、アガットさんを護衛に一時身を隠すことになりました」
博士は中央工房すら存在を把握していない秘密の工房を隠し持っているそうだが、敵軍の影響力が色濃いツァイスに留まるのは危険。エステル達の故郷ロレントへ夜逃げが決定した。
ジョゼット達が副業で寄り道しただけの黒幕の影が最も薄かった平和な田舎町で、シェラザードのように話が判る頼もしい協力者もいる。
現在のブライト亭はたまにお酒目当ての風来人が仮宿するだけの空き家状態なので、合い鍵を手渡して隠れ家として生活してもらうつもりだ。
「人が住まない家屋はどうしたって痛むから、ちょうど良かったわ。あそこは導力とは別原理の警備システムで侵入者を事前に察知できるし、便利な導力グッズに頼りきった連中にはまず見つけられない地下の秘密部屋も完備されているしね」
S級遊撃士として敵が多いカシウスは伊達や酔狂で市から遠く離れた緑地に一軒家を構えていた訳ではない。忍者屋敷のようなアナログ改造が施されているそうだが、エステルには初耳だ。
「シェラ姐も当然知っていただろうし、結局、また俺だけ真相からハブにされていたのかよ?」
「あら、私もシェラさんも自力で探し当てたのであって、別段父さんから贔屓されたわけじゃないわよ」
ヨシュアは澄まし顔でそう開き直る。実の父親からも秘密主義の除け者にされて嫡子としては面白かろう筈はないが、生まれ育った魔伏殿の正体に気づかない当人の観察力にも問題があったので堪えることにする。
「はい、これがブライト宅の裏見取り図よ。ティータや博士なら問題なく使いこなせるでしょ?」
「ありがとです、ヨシュアお姉ちゃん。ご恩は一生忘れないです」
嘘泣きコンビの片割れが、偽りでない涙を零してハグし合って、一時の別れを惜しんでいる。傍目には美しい光景であるのだが、幼子を帽子越しにナデナデしている時の義妹の妖しい瞳が気になって仕方がない。
「これから長い間住む事になるから、特に地下室には慣れておいてね」
とかウキウキしながら口走っていたが、それはどういう意味だろうか? まさかお気に入りのティータをそのまま拾ってきた捨て犬みたいに地下で隠れて飼うつもりだったとか、いくらヨシュアでもそんなことは……。
「それでキリカさん。お願いがあるのですが、ツァイス地方の登録を一旦取り止めてもらえないでしょうか?」
別れ際のシーンを回想し、疑心暗鬼をルフランさせたエステルを無視して、ヨシュアは更に話を進める。
二人がティータ達の逃亡を直接手伝わずに慣れ親しんだ実家に一緒に戻らないのは、修行中の身の上ということもあるが、ラッセル博士から重大なクエストを請け負ったからだ。
何とアリシア女王に直接面談して、ゴスペルの存在を伝えて欲しいとのこと。
任意に導力停止現象を引き起こすのを可能としたリシャール大佐が王都で何を成そうとするのか、博士はその動機に心当たりがある。
内容については、国家規模の機密事項とのことで話してくれなかったが、二人に否応ある筈もない。本来なら見習い期間中に修行場を変更するのは好ましくないが、状況が状況だけに一刻も早く王都に行く必要性に迫られ、それがキャンセルを申し入れた理由。
「一連の事件が解決したら、必ずツァイスに戻って修行を遣り直しますので…………」
「その心配には及ばない」
話を聞いたキリカは途中でヨシュアの嘆願を遮ると、受付の引出しから二通の封書を取り出してデスクの上に置いた。
「ツァイス支部からの『正遊撃士資格の推薦状』。だから、ここに帰る手間も登録を破棄する必要も無し」
無表情に推薦状を翳したキリカを前に、ここ最近計算外のハプニングに悩まされるヨシュアは更なる困惑を隠せない。
「あの、キリカさん。私達のブレイザーズ・ポイントは、まだ規定の目安の半分ぐらいにしか達していなと思うのですが?」
ロレントの時と似たよう遣り取りが再現されるが、アイナと異なり縁故される義理もない。たんまりBPを稼げたであろう例の救出クエストは書類上決済されないので尚更不可思議だ。
「私は自分の定めた掟にしか従わない。推薦状の裁定は受付に一任されているし、その見習いが既に正遊撃士として活動可能な能力を備えているなら即日渡しても良かった」
しかし、レマン自治州にあるギルド総本山から、もう少しTPOを弁えて欲しいとの苦情がきたので、空気を読んで一ヶ月ほどは発行を控えることにした。
いずれにしても、今回のヤマと関係なく近日中に手渡すつもりだったそうで、二人が初めてキリカと出会った日の「合格」との摩訶不思議な呟きはそういう意味だったみたいでヨシュアは嘆息する。
「なるほど、これはまた、えらく厳しい受付もいたものね」
「何でだよ、ヨシュア? BP完全度外視とか、どう考えても今までの支部の中でも一番簡単な査定じゃねえかよ?」
「逆よ、エステル。一見お買い得に思えるけど、裏を返せばキリカさんの正遊撃士基準を満たさない場合、どれだけの期間を費やしても一切の温情抜きで推薦状は発行されないということよ」
このヨシュアの指摘は正しい。二年前に彼女が赴任してからのツァイス支部は、直ぐさま推薦状を手にする者と一年近く燻り挫折する者に二極化されて、ギルドから『冷徹な門番』と恐れられることになる。
その独自審査法が祟り、基本的に自治を尊重し受付の方針に介入しない総本部から指導が入るという異例の事態まで引き起こしたぐらいだが、キリカの御眼鏡に適った若手遊撃士は皆即戦力として活躍しているので、その目利きは確かなのだろう。
「あー、なるほど。そういえばアネラスさんが、ツァイスの受付のおばさんは厳しくて半年も掛かったとか愚痴を…………」
エステルは最後まで言い終えることは出来なかった。彼女のダブダブの左袖の下に隠されていた
「この至近距離から的を逸らすとは、受付業務にかまけて私の腕も随分と鈍ったようね」
「今のは絶対的にエステルが悪い」
キリカはそう韜晦したが、この棘がビッシリ詰まった円盤のふざけた破壊力を鑑みるにこんな凶器が顔面に突き刺さったら頑丈なエステルとて大怪我では済まされず、警告として態と外したのだ。
エステルの額からつーっと血が滴り落ちてきて、未だに心臓はドクドク波打っている。ヨシュアは全面的にキリカの味方をしており、妙齢の女性の年齢を揶揄するのはタブーであるらしい。
最後に一悶着あり、エステルはキリカの心証を幾分か害したものの、それを口実に推薦を取り下げるような、かつてのルーアン受付みたいな公私混同な真似はしなかった。二人は中央工房などの世話になった人達に挨拶まわりをしてから、ツァイスを旅立つことにする。
後で良く考えてみたら、これはクールビューティーな東風美人の初めての感情露出かもしれず、それを引き出したエステルもまた只者ではない証明なのかもしれない。
◇
「昨夜は随分と派手なパーティーを催していたようね、シード少佐」
暴動の事情徴収の為にレイストン要塞に派遣されたカノーネ大尉を前にして、シードは恐縮した風で自分よりも年齢も階級も低い女士官相手に礼を尽くす。
情報部はこれから王都で始まる計画の準備で忙しく更迭や軍法会議は免れたものの、その対価として口開け一番に姑のような厭味節の女狐の相手をせねばならなかった。
「カプア一家がラッセル博士を人質に警備飛行艇を奪って逃走し、その飛行艇は国境線付近のクローネ山道に墜落したと。この報告に誤りはないですね、少佐?」
「事実だ」
シードは澄まし顔で嘘八百を並べ立てる。
アガット達と逃走した博士の行く先を目眩ます意味でも、ドルンらに余罪を押し付けることにした。兵士はおろか再逮捕したカプア一家の虜囚にも箝口令を敷いたのでばれる心配はないと信じたいが、猜疑深い副官は早速、ねちっこい視線を守備隊長に注いでいる。
「博士も搭乗している船を撃ち落とすとは、随分と大胆なことをなさったわね?」
「発砲したのは、貴殿らの増援隊だ!」
シードの命令は威嚇射撃に終始していたが、ハーケン門から駆けつけた特務飛行艇は帝国領に逃がして禍根の種となられるより撃墜する道を選んだ。
半壊した飛行艇内部はもぬけの空。死体が見つからなかったことから三兄弟の生存は確実だが、峠の守備隊総出で山狩りを行っているのにキール達の行方は未だ不明のまま。
状況がこうなってしまった以上、博士の秘事を守り通す為にも軍人としては真に遺憾だが、ジョゼット達が逃げ切るのを祈るのみである。
この後も自らの職務に忠実な大佐の腹心から、ネチネチとした質問責めに遭ってウンザリしたシードは、いい加減お引き取り願えるよう飴と鞭を用意する。
「どうやら人手が足らないようだし、この際、帝国政府に応援を頼むのはどうでしょうか? 元々カプア一家はあちらの犯罪者だし、喜んで軍を派遣してくれると思いますが?」
その少佐の一言に、今まで上から目線でゆとりに溢れていたカノーネの表情がはじめて強張った。
「何を仰いますの? これはわたくし達、王国軍で解決せねばならない問題です!」
軍事クーデターを企むこの大事な時期に帝国軍などに国内に乱入されてはたまったものではなく、口酸っぱく警告する。
「博士と脱獄犯の捜索は情報部の方で引き継ぎますので、あなたはくれぐれも余計な真似はしないように。でないと……」
カノーネはその先は敢えて云わなかったが、何を主張したいかは判っていた。
家族を人質に取られて、沈黙を強いられた高級軍人は何もモルガン将軍のようなお偉方に限った話でない。彼のような重要ポストにいる中間管理職クラスにまで魔の手は伸びているのだ。
「了解しました。ところで、リシャール大佐に届けて欲しい逸品があるのですが」
今の苦境の立場で精一杯の脅しをかけた後、例のアンティークの軍人将棋セットをチラつかせたら、瞳をキラキラと輝かせたカノーネはあっさりと買収されてルンルン気分で要塞を後にしていった。
悪女ぶりなからも意外と乙女思考な副官は「これで審判役の第三者に邪魔されずに、密室で閣下と二人っきりでプレイできる」と薔薇色の未来に心をときめかせていた。
「何とか誤魔化せたようだが、その代償は高くついてしまったな」
思惑通りに何とか女狐を追い払ったシード少佐だが、二度と入手不可能な虎の子の家宝を手離す羽目になってしまい、このような損な役回りを押しつけた黒髪の少女への恨めしさの感情を抑えるのは難しかった。
◇
「そうか、王都に旅立つのか?」
「はい、そういうわけで、長い間お借りしていたコレをお返しします」
要塞の後始末に奔走するシード少佐の苦労を露知らず、挨拶まわりの締めにお好み焼き屋を尋ねたヨシュアは商い中のエジルとカトリアに事情を話して、例のレーダー一式を借りパクすることなくきちんと返却する。
「これで、しばらく激ウマお好み焼きともお別れだし十枚程頼むぜ、エジルさん」
熱心な常連客だったエステルは最後の晩餐として大量発注し、鉄板に油を引き注文通りに焼き上げたエジルは意味深な目つきで二人を眺める。
「ヨシュア君、これからとんでもない事件の渦中に入り込むようだし、もし良ければ……」
「大丈夫ですよ、エジルさん。博士の救出にもう十分役立ってくれたし、ここからは私たちの力で頑張ってみますから」
「そうそう、俺らはまだ見習いだし、こんな便利な物に頼りすぎたら、どこからが自分の能力なのか判らなくなっちまいそうだしな」
ヨシュアはたこ焼きを頬張り、エステルはお好み焼きを踊り食いのように一呑みしながら、エジルの主張を先読みして固辞する。
この二人になら餞別として無償で託しても良いとエジルは考えたが、長年愛用した商売道具への思い入れを知る兄妹には極小の発信機も重すぎるようだ。
「そうか……」
やはりこのアーティファクトは、姉弟に必要な代物ではなかった。
特にヨシュアのような理不尽極まりない怪傑と常々比較されてきたエステルには焦りや憤りもあるだろうに、それでも安直に小道具に頼る近道を潔しとせずに、我が道を貫こうとしている。
(あの時、この少年から感じた希望の光は見紛いではなかったようだ)
小手先の技量云々ではなく、その心意気こそがまさしく英雄たる者の資質に他ならず、必ずやリベールを覆った暗雲を祓えるとエジルは確信した。
漢同士が別れの握手を交わしている間、ヨシュアはカリトアからの手紙を預かる。
王都で屋台を営んでいる婚約者に届けてほしいとのことだが、その時の彼女の言い回しか少しばかり気になった。
「けど、この調子だとフィネルと一緒になれるのは当分先になりそうですね。あの人は負けず嫌いだから、私がこんな大きな店で働いていると知ったら、自分も一国一城の主になるまでは……とか、また意地を張りそうですし」
(他意はない筈よね?)
「そういう子供っぽい所も、可愛いのですけどね」
とのカトリアの惚気話を聞き流しながらも、嫌な予感がこびりついて離れない。そのヨシュアの不安を助長するかのように、ネットで店の評判を聞きつけた訪問客が「ここが噂のカトリアお好み焼き店か?」とガイドブックを片手に暖簾を潜ってきた。
(エジルさんがクエストの長期出張から帰って来たら、本当に店の看板名が変化していそうな雰囲気よね)
ツァイスチャンネル掲示板の『エジルお好み焼き店』のスレッドが、Part7から『カトリアお好み焼き店』のスレ名に変更され、そのままPart10まで継続されてのを見かけたヨシュアは乗っ取りが秒読み態勢に突入しているような錯覚を覚えたが、実は単純に経営効率だけを考えれば、夢追人のエジルよりもカトリアに任せた方が家計簿はよっぽど安泰だったりする。
(これ以上、私が横から口出しするのも、一端の大人に反って失礼よね)
元々エジルにとって店を持つ目標は副次的な要素でしかなく、既に彼の夢は叶っている。子供たちを相手にお安価なお好み焼きを焼き続けられる限りは店主以外の身分でも充足感を覚えるだろうから、後は成り行きに任せることにした。
こうして方々に別れの挨拶を済ませて、無事にツァイスでの修行を完了させた兄妹は、旅の終着点たるグランセル地方に向けて旅立つことになる。
ただし、王都で待ち構えるラストクエストは二人の若人の未来だけでなく、このリベールの命運をも左右しかねない大任であるのを薄々察しながらも、数々の修羅場を潜り抜けてきたエステルとヨシュアに胸にもはや臆するところは何もなかった。