何の変哲もない昼下り。
春風が恋しく思えてくる初夏の風はなんとも生温く、頬に汗が浸る。
「おーい霊夢、入るぜ〜」
「私有地につき立入禁止よ」
「空き地みたいなもんだろ」
縁側から断りもなく入ってくるこの魔法使いは、どうやら自殺志願者らしい。
熱くて苛々してるし、鬱憤晴らしには良いかもしれない。
「……って、なにあんた、もうボロボロじゃない」
「そうなんだよ。何故かいつの間にかボロボロになってたんだよな。誰かに喧嘩を売ったのは覚えてるんだが」
私が立ち上がろうと目線を魔理沙へと向けると、当の本人はもう既に誰かにお灸を据えられていたようだ。
これから追い打ちをかけられるのだから、少しだけ可哀想ね……いや、喧嘩を売った魔理沙が十二割悪いのだから、自業自得ね。
「つまり返り討ちにあったって訳ね」
「いやまて、その理論はおかしい。私は敗けた訳じゃないぜ。何故なら、敗けた記憶がないんだからな!」
「敗けを認めたくないあまり記憶障害を起こしてるのね。往生際が悪いわよ」
「ほんとなんだって。戦ってる最中の事はなんとなく覚えてるんだが、いつの間にか大の字に倒れていて、対戦相手がいなくなってたんだ」
「明らかに敗けてるじゃない」
____________またこれか。
最近、巷でよく聞く『透明人間』。
人里でよく出没し、何かしらのアクションを起こすが、誰もその人物を見たにも関わらず顔どころか何をしていたのかすら覚えられないという。
誰も存在しかわからない事から、少数の人間が面白がって『透明人間』と騒ぎ立てているということを久々に人里を降りたときに聞いた。
特に危険性はないと判断したから放置していたけど、実害が出たとなると……って、喧嘩売ったのは魔理沙の方か。
「それで、なんで喧嘩売ったのよ」
「ほら、最近人里でよく聞くだろ? たぶん私が今日戦ったのは透明人間で間違いないぜ」
「顔は覚えてるの?」
「覚えてないから困ってる」
「使えないわね」
「へへ、馬鹿だな霊夢。私は覚えられないという噂が事実だということを身を持って証明したんだぜ?」
「それが事実だと分かって何になるのよ」
「私の証明意欲が満たされた」
この馬鹿は放っておいたほうが良さそうね。
喧嘩を買うのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
「どんな戦い方だったかは覚えてる?」
「なんだ霊夢。ついに透明人間討伐に乗り出すのか」
「討伐って……別に悪いことしているわけじゃないでしょ。妖怪かどうかもわからないし」
「何言ってんだ。私の知る霊夢は妖怪だろうが人間だろうが取り敢えずぶん殴るをモットーにした傍若無人の赤い悪魔だろうに」
「あんたに対して赤い悪魔になってやろうか?」
流石の私でも人畜無害な存在を退治したりはしないわよ___________
「(______なんて思ってるんだろうな。機嫌次第じゃ誰にだって容赦ないくせに)んで、話を戻すが、奴の戦い方に関してもやっぱり覚えてないんだよな。ただ覚えているのは、『そんなに強くはない』、だけど『とてつもなくやりにくかった』」
「強くはなくてやり辛い、ね。どうせ何故やりにくかったのかは忘れてるんでしょ?」
「まあな。記憶というよりも、感覚的に残っている事だから、そんなに当てにしないほうがいいぜ」
特段退治に乗り出す気はない______が、何かと妖怪退治の実績のあり、一応好敵手である魔理沙を倒したという事に関しては、どことなく引っ掛かりを感じる。
「ということで霊夢、情報料として煎餅頂くぜ」
「ちょっ、こら。それ最後の一枚なんだから」
いや、魔理沙がやられたからではない。
ある日を境に、私の中にある何かがずっと訴えかけているような、そんな感覚がある。
「仕方無いな。半分こしてやるよ。これ貸しだからな」
「貸しもなにも、この煎餅は私のものでしょうが」
この煎餅も、いつの間にか出来ていた保管庫から引っ張り出したものだ。
私が買った記憶はないが、明確に私の物だと言うことは何故か分かる。
「ほらよ」
「そっちの方が明らかに大きいじゃない」
「そうか? 私の方が小さいと思って大きいやつを渡したつもりなんだが」
「どう見ても8:2の割合で私の方が小さいでしょ。逆になんでそれで騙せると思った」
「いやぁ、霊夢ならいけるかなと思って」
「よし、表に出なさい。曲がってはいけない方に関節を曲げてあげる」
私をチンパンジーか何かと勘違いしてるの? いや、流石にチンパンジーでも分かるわどちらかの割合が多いのなんて。
「そんなに怒んなって。ほら、これでも食べて落ち着けよ」
「そう言って2割の方を食べさせようとするんじゃないわよ!」
「あだだだだ!」
「何やってるの貴女達……」
8割の方の煎餅を取ろうと魔理沙の左腕の関節を極めていると、どこからともなくスキマから現れた紫が呆れたといった表情で此方を見ていた。
「聞いてくれよ。霊夢が怪我人をいじめてくるんだ」
「貴女は自業自得という言葉を知るべきよ」
「んー、
「隙あり」
「「あっ!」」
魔理沙からしれっと8割の方の煎餅を奪い取り、扇子で口を隠しながら食べ始める紫。
「貴方達に朗報よ。もしその透明人間を探すのなら、私が手伝ってあげる」
「要らないから煎餅返せ。ていうか勝手に家に入ってくるな」
紫が関わってこようとすることに、ろくな事があった試しがない。
「私も一度だけ遭った事があるのよ、透明人間に。その日からずっと何か引っ掛かるの。大切な何かを無くしたような感覚が」
大切な何か____________ね。
紫にも大切な物なんてのがあるなんて想像つかないんだけど。ほんとは法螺吹いて私を利用しようと企んでるんじゃないのだろうか。
でも、大切な何かを無くした感覚は、私にもあった。
いつからかこれまで当たり前にあった何かが、突如無くなっているにも関わらず、それを当たり前に受け入れている感覚。
いつからか明確な日は分からない。しかしそんな不思議な感覚を覚えたのはここ最近であることは確かだ。
「何か無くなった感覚。実は今、私も左腕の関節を動かす感覚が無くなりつつあるんだ。助けてくれ」
「いっその事無くしてあげるわよ」
「いでででっ!? 悪かったって! 今度お菓子もってくるから!」
紫が来ても関節を極めたままだった事が功を奏したようね。
言質を取ったことにより、私は漸く腕を離し魔理沙を解放する。
「私は別に透明人間を探すつもりはないわよ。それに探すとしても、別にあんたの力を借りるまでもないわ」
「あらそう……それは少し残念ね。私もまあ、気に掛かっていただけだから別に良いのだけれど」
「そんなに気になるのなら一人で探しなさい。あんたには式がいるでしょ」
「私の式ではおそらく解決どころか、そこまでに至る鍵すら掴めないわ____________それに、これは私が解決するべきものではないもの」
「私が解決するべきでもないわ」
違和感は確かにある。
透明人間が出現しだした時期と私の中で喪失感を感じ始めた時期が同じ最近である事。
だが、私がこれまで従ってきた勘は危険はないと報せている。
それはつまり、異変のような大事しかり、悪質な妖怪のような人を襲う類のものではないということ。
そんな相手にいちいち対応してたら、私の身が持たない_________
『僕__よ! 霊夢! 君の_____だよ。憶え_____い_____』
「うっ……」
私の脳裏に、聞き憶えがないようであるような声が過る。
『や______……______は、霊夢だ___は____________れると______てたのに。それならいっそ___________』
これは、私が以前に誰かと出会った記憶……?
いや、そんな筈はない。私に今の声の主と実際に話したことなんて…………
「……もしかして」
私も、知らぬうちに透明人間と会っていた……?
なら何故会ったという記憶まで無くしていた?
魔理沙や紫でさえ誰かと会ったという記憶は残っていたというのに。
もしかして、私の中にある喪失感とも透明人間は関係している……?
「なあ、なんか霊夢の奴自分の世界に入ってるみたいだぜ」
「……どうやら、思うところがあるみたいね」
疑問を感じるというのは、非常に厄介で面倒くさい。
何故なら、調べる意思がないと解決しないし、必ずしもその疑問が解消するとは限らないから。
調べなければいつまでも疑問は解消されず、悶々とした日々を過ごさなければならなくなる。
「ねえ紫。協力するって具体的に何をしてくれるの?」
「ふふ、動いてくれる気になったのね__________これよ」
紫がスキマから取り出したのは数枚に渡って書き記された資料であった。
「ここに透明人間の目撃情報、その時間帯に痕跡について纏めているわ。これを基に調査してほしいの」
「なんだ、用意周到だな。そこまで出来てるのなら、胡散臭いお前なら簡単に見つけられるんじゃないか?」
「胡散臭いは余計よ……それに、先程も話したようにこれは私が解決するべきものではない」
「んっ、なんでた?」
「それは______」
「異変解決は、博麗の巫女の仕事って事でしょ」
私はそこまでの事ではないと思料しているが、紫はこの案件を異変だと認識しているという事ね。
「それに、紫じゃたぶん解決できないわよ」
「それは何故かしら?」
「私の勘よ」
非常に面倒くさい。
だが、動かなければ絶対に脳内に過った声の主の真意を確かめる事はできない。
ならばさっさと解決して、いつも通りの生活を取り戻そう。
そう、いつも通りの生活に。