キリハの言葉を、ありえないと言える者はいなかった。メニューウィンドウは設定しない限り他人に見られることはないが、ゲーム内端末は複数人で操作する場合もあるため、初期設定では誰にでも中身を見ることが出来る。シノン自身、前大会でも今大会でも初期設定のまま弄っていない。そもそも、望遠アイテムを使用してアカウントをBANされる可能性が多分にあるのに、住所を特定しようとする者がいるなんて、想像すらしなかった。
「…仮に住所を特定したとしても、鍵はどうするの?」
「ゼクシードさんと薄塩たらこさんに限って言えば、二人とも家は古いアパートで一人暮らしでした。恐らくはドアの電子錠も、古いものでセキュリティの甘いものだったのでしょう」
それに加え、標的GGOにログインしている間は、生身の体は完全な無意識状態。侵入に多少手間取ったとしても、気づかれる心配はない。
住宅の鍵が電子錠になったのは、ここ七、八年のことだ。物理的なピッキングこそ不可能になったが、初期型のものは解析されてしまい、マスター
そこまでシノンが考えたところで、キリハが歩み寄ってきた。ついで真剣な表情で目を合わせてくる。
「シノンさん、あなたは一人暮らしですか?」
突然の問いに一瞬呆けるが、すぐに肯定する。
「鍵は?チェーンは掛けてありますか?」
「一応、電子ロックだけじゃなくてシリンダー錠も掛けてあるけど…鍵そのものは初期型よ。チェーンは…掛けてないかも」
だが、それが一体どうしたのだろうか。そうやって
─やめて、意識させないで。それ以上、何も言わないで─
キリハの問いの意味を無意識にでも理解してしまったからこそ、そう願うが、キリハは「落ち着いて聞いてください」と口を開く。
「奴らはあなたに弾丸を放ちました。それはつまり…準備が完了しているということです」
その言葉を聞いて呼吸が止まる。息が漏れ始めると、それは過呼吸のようになる。焦点が合わなくなっていく。脳裏に映し出されたのは、自分の住んでいる六畳の部屋だ。
こまめに掃除機をかけている床。ラグマット。小さな木製テーブル。黒いランディングデスクとパイプベッド。その上に横たわる
「嫌…いやよ…」
頭を抱えて、そう呻いた。
恐怖、なんて生易しいものではない。強烈な拒否反応が体中を駆け巡り、全身が震える。周囲を認識することも、動くこともできない現実の自分を、見知らぬ誰かがすぐ近くで見ている。
「あ…ああ…」
光が遠ざかる。耳鳴りが響く。そのまま仮初の肉体から離脱─しようとしたところで、頭を抱えられた。
「…落ち着いて、シノン」
頭が、アレンの胸に抱えられる。ゆっくりと落ち着かせられるように、背中を撫でてくれる。
「…大丈夫…奴らに撃たせたりしない」
頭部からはトクン、トクンとアレンの心音を感じ取れる。それが仮初のものだとはわかっているが、シノンを落ち着かせるには十分なものだった。
その様子を外から見ていても確認できたのか、キリハが関心したように口を開く。
「人を落ち着かせるの上手ですね」
まるで心理カウンセラーですね、とキリハが笑うと、アレンはほんの少しだけ眉をひそめた。
「…目指してるのは医者なんだけど」
「おや、そうでしたか」
ふふっと変わらずキリハは笑った。少し和やかな雰囲気が流れ始めたところで、シノンは口を開く。
「─どうするの?」
思ったよりもしっかりとした声を出せて、内心驚く。だが隣にアレンがいることを考えると何も不思議に感じない。
シノンの問いに、キリハは笑顔から真剣な表情に切り替えて答える。
「
「…大丈夫なの?」
不安そうにシノンはそう言うと、キリハは少しだけ表情を緩めた。
「えぇ、僕はエントリーするときに住所を書いていませんし、そもそも僕もコウも自宅からログインしているわけではありませんから。すぐ近くに人もいます」
だからこっちの心配はいらないのだと、キリハは言う。コウに視線を向ければ、彼もその通りだと頷いている。ならば彼女達の、現実世界での心配はいらない。自分のことだけを考えていられる。
「でも、あいつはかなりの手練れよ。たった百メートルからの狙撃を避けたの、見たでしょう?」
「…ほんとに?」
シノンの言葉に、キリハではなくアレンが反応した。顔を上に向ければ、彼の瞳に多少の期待の色が見える。それに少しだけうんざりしながら、シノンは肯定する。
「えぇ本当よ。私の狙撃を避けたのよ。先にこっちを確認していたようだけど、背後から狙撃したのに避けたんだから、それでも凄まじい回避力よ」
そう言うと、心なしか期待の色が強まったように見える。その瞳のまま、何かを確認するようにキリハの方に顔を向けた。
「どうしました?」
「…強いの?」
「…コウ?」
意図が読めなかったようだ。困惑気味にコウの名前を呼ぶと、彼は苦笑しながら話し始める。
「アレン君は強敵と戦うことが好きみたいでね。だから
「納得しました」
「同類なの…」
今度はシノンが困惑した。昨日今日で彼女を見ている限りだと、戦闘症の気配をまったく感じなかったからだ。そういえば、昨日は調子が良くなかったんだったか。そのせいだろうか。
「それで、作戦はどうする?」
「…本当は僕が次のサテライトスキャンでわざと映ろうとしたのですが…」
ちらりとキリハは先ほどまで説明をしていたアレンに視線を送る。するとアレンは力強く頷き、キリハはそれを見て肩をすくめた。
「ザザと戦いたいそうなので、その役はアレンさんに譲ります」
正気かと思いつつ、こうなったアレンは止められないことをよぉく知っているので溜息を吐くだけにとどめる。そしてふと顔を天井に見上げて「…あ」と零れた。全員に聞こえたようで、三人がこちらを見てくる。アレンがシノンの視線を追って、納得したように頷いた。それに倣って残りの二人も視線を天井に送ると、そこには奇妙な同心円が浮いていた。
ライブ中継カメラだ。普段は戦闘中のPLしか追わないが、現在は人数が減っているのでこんなところまで来たのだろう。そう説明しつつ、音声が拾われることはないことも付け加えておく。すると「それは良いんですが…」と、どこかキリハは言いにくそうに続きを口にする。
「この構図、傍から見たらシノンさんの逆ハーレムに見えませんか?」
「…」
そう言われればそうだ。実際は男女二人ずつだが、キリハの見た目は完全に男だ。
「あぁ…まぁいいわ。少なくともアレンとコウがいれば、絡んでくる奴少なさそうだし」
なんて言っていると、カメラがふっと消えた。恐らく別のPLのところへ行ったのだろう。
「さて、そろそろ時間だね。次のスキャンまで二分。僕らは…そういえばどうするか話してないね」
「シノンさんの護衛でいいでしょう」
「そうしようか」
なんか護衛されることになったが、特に異論はないので黙っておく。アレンが立ち上がり、洞窟の外に歩き出した。そしてただ一言。
「…行ってくる」
それに対してシノンは、静かに「気を付けてね」と言った。その言葉にアレンは頷き、今度こそ洞窟の外に出ていった。