「わたしは、アカサカ・ナノカ。BFN・ナノ。通称〝
そう言って、パソコン室で別れたのがもう先週の話。
あのあとすぐに帰宅したエイトは、両親に頼み込んで居間のパソコンにGBOのためのデバイスを置かせてもらった。デバイスセットさえあれば、GBOは基本プレイが無料だというのは、あとからナノカに聞いた話だったが――ともかく。
あれから一週間。パソコン室での話の通り、エイトとナノカはほぼ毎日のように、GBOで会っていた。
『Lounge 12. Arch Angel』
快活な男声のシステム音声と共に目の前が明るく開け、エイトのアバターはGBOの世界にログインした。
今日のナノカとの待ち合わせ場所は、アークエンジェル・ラウンジ。ガンダムSEEDシリーズ、主役級の母艦〝アークエンジェル〟。その甲板上という設定の、VR空間だ。おそらくは、オーブ連邦首長国近海に停泊しているということなのだろう、青い空と穏やかな海が、ラウンジの背景として広がっている。遠くに見えるジェットコースターの登り坂だけのような建築物は、オーブのマスドライバーだろう。ラウンジには、エイト以外にも数人のアバターがいたが、それぞれお互いに知り合い同士らしく、いくつかのグループに分かれてミッションの相談などをしていた。
エイトは一人、劇中でもキラ・ヤマトが寄りかかっていた手すりに寄りかかり、ぼんやりと風景を眺めることにした。涼しい海風が、アバターの髪をさらさらと撫でる。
「まるで、実写みたいだな……」
「そうだね。さすがは天下のヤジマ商事だ」
この一週間でずいぶんと聞き慣れた声に振り向くと、赤いドレスに身を包んだナノカのアバターが立っていた。こうしてアークエンジェルの上で見てみて気づいたことだったが、ナノカが着ている真っ赤なドレスは、SEED劇中でカガリ・ユラ・アスハが来ていたものの色違いのようだった。もっとも、長い黒髪とモデルのような体形――特に、主に、胸のふくらみのあたり――が少女時代のカガリ嬢とはあまりに違いすぎるせいで、全く違う服のように見えるのだが。
「どうしたんだい、そんなにじろじろと……さては、キミはえっちだね。エイト君」
「えっ? いや、そんな、ナノカ先輩!」
「わたしのことは、ナノさんと呼んでいい」
ナノカのアバターが、びしっとエイトを指さすアクションをした。
「オンでリアルの名前を出すのは、ご法度だよ。BGOでは
「は、はい……〝ナノ〟さん」
「うんうん。それでいいのさ、〝エイト〟君」
ナノカは満足げにうんうんと頷きながら、空中に一枚のディスプレイを呼び出した。連動して、エイトの眼前数十センチの距離にも、空中ディスプレイが開かれる。
「さて、今日の本題だよ……もうキミも、GBOに慣れただろう。ここでひとつ、レベルアップ・ミッションでもやっておこうか」
「レベルアップ・ミッション……」
GBOの世界には、相対的なファイターの強さを表すランキングとは別に、個人ごとのレベルが設定されている。レベルは最大で8まで設定されており、GBOを始めたばかりのエイトは当然レベル1だが、ナノカはレベル7だ。
レベルによってファイターやガンプラの実力にプラス補正などはないが、受けることのできるミッションが変わったり、各種大会の参加資格として扱われたりしている。高レベルのミッションや大会のほうが、当然、ゲーム内マネーを獲得できる額も大きくなる。レベルを上げていて損はない。
その、レベルを上げる方法は主に三つ。バトルで勝ち続けるか、相応の大会で入賞するか、レベルアップ・ミッションをクリアするかだ。
「そうですね。僕もそろそろ、レベル2に」
「4だよ」
「え?」
空中ディスプレイに、ナノカから送られてきたミッション情報が表示された。レベルアップ・ミッション
「レベル4だ、エイト君。キミの速さなら、ここまでいけるよ」
「いや、そんな急に」
「受注資格が特になしのレベルアップ・ミッションが、最大で4だからね。そうでなければキミには、いきなりレベル7でも受けてほしかったところだよ。はっはっは」
「先輩、はっはっはじゃ」
「わたしのことは、ナノさんと呼びなさい」
真顔で、人差し指をぐいぐいと額に押し付けてくる。
この一週間ほどの付き合いでだいたいわかったが、この人は基本的に、「聞く耳」というものを持たない。しかし不思議とこの押しの強さが不快にならないのは、美人だからなのかなんなのか……。
「さあ、ミッションを受けてくれエイト君。わたしはもう受注しているよ」
「はあ、はい、ナノさん」
「さて、レベル4か……わたしのガンプラはマイナスがかかるからなあ」
レベルアップにプラス補正はないが、自分のレベルより低いレベルのミッションを受けるときには、ガンプラの性能にマイナス補正はかかる。ゲームバランスの調整というやつだ。
「せめてもう一人、仲間がいたほうが安心だけれども……」
「ぅおォォい! 赤姫ェェッ!」
大声と共に、黒いジオン系ノーマルスーツ姿のアバターが、エイトたちのほうへどすどすと大股に詰め寄ってきた。大柄だが、ぴっちりとしたノーマルスーツからわかる体形から、女性だと見える。
「てめェ、なんでこんなァ!」
女性アバターは、エイトの目の前でヘルメットを投げ捨てた。乱雑にまとめた赤茶けた髪と、ギザギザの八重歯が目立つ口元が露わになる。そのアバターは、突然の出来事に目を丸くしているエイトの胸元を、乱暴につかみ上げた。
「こんなレベル1のモヤシ野郎に、赤タグなんてつけてやがる! あァんッ!?」
「落ち着かないか、ビス子。女の子だろう?」
「オレサマを女扱いするなァッ! あとビス子じゃねェ、ビス丸サマだァッ!」
「ビス丸、って……あのドムゲルグの……?」
「あァそうだよルーキー!」
ビス丸は敵意むき出しで、エイトを睨みつける。
「〝
「男性だと、思っていました」
ズゴンッ。至近距離からのヘッドパット。アバターなので痛みはないが、エイトは思わず「痛っ」と叫んでしまった。
「感心しないなあ。オンライン上だからこそ、マナーというものが大切なんだよ、ビス子」
「うるせェ。こんなクソモヤシ知ったことか。あとビス子じゃねェ」
ビス丸はエイトをぽいっと投げ捨て、少しだけ落ち着いた様子でナノカへと向き直った。
「なんで高位ランカー赤姫サマともあろうファイターがよォ、こんなクソメガネに赤タグつけてんのかって聞いてんだよ」
「赤……タグ……?」
「エイト君。わたしのネームプレートを見てくれるかい」
言われて、エイトはナノカの頭上にぷかぷか浮かんでいるネームプレートに目を向けた。当然、「ナノ」というBFNが表示されているのだが、その右端に、小さな赤い付箋のようなものが張り付いていて、そこにはなぜか、「エイト(仮)」と表示されていた。
「それは、チーム・タグ。通称・赤タグ、戦友の証さ。まだ仮登録だけれどね。システム画面のフレンド設定、下のほうにチーム設定というのがあるから、わたしからの赤タグ申請を承認してくれるかい。それでお互いに赤タグが付く」
「あ、はい」
「あァんッ!? てめェ!」
ビス丸は再びエイトに掴みかかろうとするが、ナノカにひょいっと足をひっかけられ、「きゃん!?」とその場にすっ転んでしまった。
「おお。今の悲鳴は、なかなか女の子らしかったんじゃないかな、ビス子」
「てんめェ、ふざけてんじゃあねェぞコラァァ! あとビス子じゃねェ!」
「ナノさん、承認しました」
「あァっ、このクソモヤシィィィィ!」
ビス丸は怒りに全身をわなわなと震わせながらも、爆発させるタイミングを逃してしまい、目を三角にしてエイトとナノカを交互に睨みつけるばかりだった。
「何をそんなに興奮してるんだ。キミにも青タグはつけているだろう」
「フレンド・タグとチーム・タグじゃァ、全然意味が違うだろうがァ!」
「フレンド・タグ……?」
「ただの行きずりのオトモダチと、ガチの戦友の違いってこったよ……ってなんでオレサマがてめェに教えてやんなきゃなんねェんだよ、あァんッ!?」
「なんだい、ビス子。キミも赤タグが欲しいのかい?」
「……ッ!」
ぼん、とまるで湯気でも出たように、ビス丸の顔が赤くなった。それを見たナノカはほんの一瞬だけ、この上なく悪戯っぽい、獲物を見つけた肉食獣の微笑みを浮かべた。――このGBO、実に優秀なアバターを備えているようだ。
「べ、別にっ。あああ、赤タグなんざ、オレサマは……」
「まあ、
「うぐっ」
「そういえばキミは、
「ぐぬぬ……」
「もしかして、キミ――友達、いないのかい?」
「ぐはあっ!」
胸を押さえて倒れこんできたビス丸の体を、期せずしてエイトが抱きかかえる形となった。アバターなので感じることはできないが、エイトの手はかなりきわどくやわらかくふくらんだあたりをがっしりと掴むような形になってしまっている。
「大丈夫ですか?」
「お、おう。すまねェなルーキー……」
エイトに支えられ、ビス丸はよろよろと立ち上がり――
「よし。キミに赤タグをあげよう」
「ほ、ホントかァ!?」
「へぶっ!?」
どーんと突き飛ばされ、エイトは危うく、アークエンジェルからオーブの海へとダイブしてしまうところだった。
「ああ、嘘はつかないさ。ただし、ちょっと手伝ってもらうよ」
「は、はんッ。べべ、別に赤タグなんざァどうでもいいけどよォ。あの赤姫がこのオレサマを頼りてェってんなら聞いてやるぜェ、仕方なくなァ!」
腕組みをして斜に構えたようなふりをするビス丸に、ナノカは満足そうにうんうんと頷きながら、空中ディスプレイを操作した。エイトの元に届いたのと同じ、「ローエングリンを撃て」のミッション情報がビス丸のもとに送られる。
「レベルアップ・ミッション……あァ、そーゆーことかよ。いいぜェ、ヤってやらァ。いくら天下の赤姫サマでも、一人でルーキーのお守りはキツイだろうよォ」
さっきまでの赤面が嘘のように、ビス丸は獰猛な笑みを浮かべていた。ためらうことなくミッションを受注すると、くるりと向き直ってエイトに右手を差し出した。
「ってェわけで、だ。ルーキー。この一戦だけは停戦だァ。とりあえずは
「はい、お願いします。……でも」
エイトも右手を差し出し、ビス丸と握手を交わした。同時に、左手で空中ディスプレイを操作する。システム画面、フレンド設定、チーム設定――
「一緒に、戦うんですから」
ぴこん。軽い電子音がして、今まで空白だったビス丸のネームプレートの右端に、赤色のタグが、ひとつ、ついた。
「戦友ってことで、お願いします」
「えっ……へっ、あァ……赤、タグ、ついた……のか?」
「あ、はい……迷惑、でしたか……?」
もしかして、格下の相手からチーム・タグを送るのは、失礼だっただろうか。オンラインゲームには、そのゲームごとに独特の常識があるということが、よくある。エイトは、失礼なことをしてしまったのかもしれないと謝りかけたが、
「ルーキー! いや、エイトォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」
「う、うわあっ!?」
抱きしめられた、全力で! リアルだったらきっと背骨がバキバキと音を立てているであろう抱擁に、エイトはあたふたとどうしていいかわからなくなってしまった。その時、出しっぱなしだった空中ディスプレイに、ナノカからのメッセージが届いた。
『ちょろいなあ(笑)』
「せ、先輩……腹黒……っ!」
一瞬だけ黒い微笑を浮かべたナノカは、すぐにいつもの澄ました顔に戻り、いつもの口調で「ナノさんと呼びなさい」とだけ言って、ラウンジ端の出撃ゲートへとすたすた歩いて行ってしまった。エイトはビス丸にへし折られる勢いで抱きしめられながら、その後姿を見送ることしかできなかった。
「エイトォォォォ! おまえ、いいヤツだったんだなァ、エイトォォォォ!」
「ちょ、ちょっとビス丸さんっ。出撃、出撃ですよーーっ!」
――この日エイトは、少しだけ女性不信になりかけたという。
◆◆◆◇◆◆◆
『GANPRA BATTLE. Mission Mode. Damage Level, Set to O.』
快活な男声のシステム音声が鳴り響き、見慣れたバトルシステムのコックピット表示が現れる。この景色はどうやら、アークエンジェルのカタパルトデッキらしい。単なる背景やオブジェクトなのだろうが、壁面や格納庫の奥に、ストライカーパックやスカイグラスパーなどの姿も見える。
プレイしていて思うことだが、このGBO、つくりの各所に製作者の愛情というか、こだわりが見て取れる。ガンダムファンのひとりとして、もちろんエイトも悪い気はしない。
「へェ……そいつがてめェの機体かァ?」
何とも擬音化しがたいあの独特な音と共に、エイトのすぐ隣でモノアイが点灯した。ビス丸の機体、ドムゲルグ・ファットゴートだ。先に出撃するつもりらしく、エイトの脇を追い抜いて、カタパルトに足を乗せた。ナノカの機体はもう一方のカタパルトから出撃するらしく、見える範囲にはいなかった。
「ベースはF91だな。しかしまァ、わざわざヴェスバーを外すたァな。顔に似合わずトガったビルドをするじゃあねェか。気に入ったぜ、エイト」
「ありがとうございます、ビス丸さん」
GBOに来る前から、エイトはこの機体を愛用していた。中学を卒業し、高校入学までの春休みのすべてを注ぎ込んだ、ガンプラバトル用の自信作。
「ガンダムF108――これが、僕のガンダムです」
ベースはガンダムF91。MS小型化のはしり、十五メートル級のガンダムタイプだ。ガンプラにもそのサイズ変化は忠実に再現されており、今、目の前に立つドムゲルグと比べても、機体サイズはかなり小さく見える。
F91の最大最強の武装は、背中に二門装備した強力な可変速ビーム砲・ヴェスバー……だがそれをエイトは、あえて取り外していた。そしてその位置には、自作した大推力のバーニアスラスターユニットを搭載している。遠距離攻撃は二丁持ちにしたビームライフルで補い、基本的には突撃主体、至近距離での乱打戦で決着をつける。それに特化した機体構成だ。
ほかにも、本来は左腕だけに装備されているビームシールドを両腕に装備したり、排熱用のフィンやダクトを増設したりするなど、ベース機からの細かい変更点は多々ある。そして――
「へっ、しかしその色。まるで赤姫に合わせたみてェだな」
――そして、装甲は赤く塗られている。ガンダムタイプによくある白が多い配色だが、機体の各所に塗られた鮮やかな赤色が、この機体を「赤いガンダム」と印象付けていた。
「はは。偶然ですよ……きっと」
『Special Field, Desert & Valley.』
エイトの言葉を遮るように、アークエンジェルのカタパルトハッチが開き、その先の景色が露わになる。険しく切り立ち、複雑に入り組んだ巨大渓谷。そして広がる大砂漠――原作の劇中ではアークエンジェルではなくミネルバが激戦を繰り広げた、ガルナハン渓谷の威容が目に飛び込んできた。雲一つない空、容赦のない太陽。画面越しにも灼熱が伝わってきそうだ。
『エイト君。約束を、覚えているかい』
ディスプレイ上に小さなウィンドウが開き、パイロットスーツ姿のナノカの顔が映し出された。ナノカのアバターは、普段の服装はカガリのドレスだが、パイロットスーツはポケ戦のクリスのものを使っている。赤いからだろうか。
『キミが強くなったなら――私の事情や理由や目的を、キミに話すといったね』
「はい。覚えて、います」
『だから、このミッションを無事クリアしたら、話そうと思う』
「……はい」
『おや、そんなものかい? もっと反応があると思っていたのだけれど』
「いや、嬉しいです。でも、僕は、先輩」
エイトは左右のコントロールスフィアを握りしめ、F108をカタパルトに乗せた。
「どっちにしろ、勝ちたいです」
ウィンドウの向こうで、ナノカが驚いたような顔をしていたが、それも一瞬。満足げな、優しい微笑みに変わる。
同時、快活な男声のシステム音声が、高らかにミッションの開始を宣言した。
『MISSION START!!』
「ビス丸サマの出撃だァッ! ドムゲルグ、出るぜェェ!」
『ジム・イェーガーR7。ナノ。始めようか』
「ガンダムF108、アカツキ・エイト。出ます!」
第四話予告
《次回予告》
「さーて、さてさて。はーじめーるよー。さっちゃん先輩のー、なんでも聞いてねGBO講座ー。どんどんぱふぱふー」
「ではではさっそく質問や、さっちゃん先輩。ビス子さんが欲しがってた〝タグ〟て、ついてると何かイイコトがあるのん?」
「んまー、ぶっちゃけ金だよねー。GBOではー、いっしょに出撃した青タグ一人につき1%、クリア報酬のゲーム内マネーが上乗せされちゃうんだよねー。そして赤タグならなんとー、5%も上乗せされちゃうんだよー。おっとくー!」
「ひゃあ、すごいやん! 赤タグつけまくりゃあ、ビスト財団もメじゃないで!」
「あっひゃっひゃ♪ そーはいかねーよ、金の亡者め。赤タグは三人までしかつけらんねーんだよー。ケツの穴ちっせー運営だよねー、滅べよな」
ガンダムビルドファイターズDR・第四話『レベルアップ・ミッションⅡ』
「ところでさー、この関西弁スパッツ幼女だれよー?」
「えへへー。ウチの登場は、もう少し先やでー♪」
◆◆◆◇◆◆◆
私の中で、ビス子が勝手に動き出しました。なんだこの現象。気持ち良い!
感想等いただければ幸いです。よろしくお願いします。