「うっぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
悲鳴と共にルフィが目を覚ましたのは、あらかたの血肉を洗い落とした頃だった。
「い、岩っ!? 岩が、降って……!!」
え、そっち? 狼じゃなくて? ひょっとしてルフィの心に致命傷を与えたのって俺だったりする?
「あー、まぁ……落ち着け、ルフィ」
他にどんな言葉を掛けるべきか解らなくて、俺はとりあえず宥めることにした。
「へ? あ、ユアン! ……ここどこだ?」
キョロキョロと周りを見渡して不思議そうな顔をするルフィ。
「ここは川。お前があまりにも汚れてたんで洗ってるところだ。狼は死んだ」
「狼……」
ルフィは少しキョトンとしてたけど、段々意識を失う前のことを思い出してきたらしく、くしゃりと顔を歪めた。岩が降ってくるという衝撃で一時的に頭から吹っ飛んでいたらしい狼の恐怖が蘇ってきたんだろう。
「ユ、ユアン~!」
思い出してしまうとよほど怖かったんだろう。ルフィは俺にしがみ付いて泣き出してしまった。
あ、ちなみに、川に着いた時点でルフィはもう元のサイズに戻してある。
「こ、怖かった! 死ぬかと……また、く、食われるかと……!!」
また、と言う言葉に俺はふと原作でのことを思い出した。
そういえば時期的に考えて、ルフィはごく最近近海の主に食われそうになった経験があるはずだ。ついでに言うなら、山賊・ヒグマが美味しくパックリ頂かれちゃったのも目の当たりにしたはずだ。
普通なら、それだけでもうトラウマになってても可笑しくないのに、今回は狼に食われかけて……その恐怖はひとしおだろう。
「……うるせぇっ!」
それまで黙ってこっちを見ていたエースが、苛立たしげな声を上げた。
「そんなに怖かったなら、言えばよかっただろうが! そしたら助けてやるって言っただろ!? あんなヤツぐらい、おれならさっさと追っ払えたんだ!」
……確かに、エースの言葉も正しいといえば正しい。生き延びることを最優先に考えるなら、むしろそうすべきだろう。けど……。
「ウッ……ヒグッ……な、何も聞いてねぇったら聞いてねぇ!」
ボロボロ涙を溢しながらまだ言い張るルフィに、俺は今度こそ天を仰いだ。
「お前! まだ言うのか!?」
エースはまたカッとなってこっちを睨んできた。
もう認めないわけにはいかない……俺はやりすぎた。そして……甘かった。
「ルフィ、もういい。別にエースやサボ……あっちにいるヤツには、言ってもいいんだ」
俺がそう告げるとルフィは一瞬またキョトンとした顔を浮かべたけど、すぐにより泣き出してしまった。多分、気負っていたものが一気に緩んだんだろう。
「ウェッ……ヒック……ウゥ!」
原作では声高に大泣きしてたけど、今俺の目の前にいるルフィは必死に嗚咽を押さえてる。多分、俺という『年下』がいるからなんだろう。その前で大泣きするのはみっともない、とでも思ってるのかもしれない。
それでも、沸点の低くなってるエースをさらに苛立たせるには充分だったらしい。
「鬱陶しい! おれは弱虫も泣き虫も嫌いなんだよ!」
言われ、ただでさえ堪えているのにもっと我慢するルフィ……うわ、健気。
「大体、お前だって聞いてただろ!? おれはユアンの能力のこと知ってるって! なのに何で言わねぇんだよ!」
「だ、だって……『誰にも』言わねぇって、約束した……! 約束破ったら、ユアンは許してくれねぇ……エースだって、約束守れないヤツなんて信用してくんねぇ……! もう、友達になれなくなる!」
流石ルフィ。多分ただの直感だろうけど、ちゃんとその辺は見抜いていたか。
「それでも、死ぬよりいいだろ!? 何だってそんなに友達になりたがるんだよ!!」
あ、コレは……セリフが原作と重なってきたな……ってことは……。
「だって他に! 頼りがいねぇ!!」
村にも戻れない、山賊は嫌い……それはルフィの偽らざる本心だろう。
「お前らを追いかけなかったら、おれは1人になる……!」
1人になるのは痛いより辛いというルフィ。
……だろうね。俺もエースがいなかったらかなり歪んだ人間になってた自信がある……今もそこそこ歪んではいるけどさ。
「つまりお前は……おれたちがいれば寂しくないのか? おれたちがいないと困るのか? お前はおれに……生きてて欲しいのか?」
「当たり前だ……!」
エースの問いかけに何の躊躇もなく答えるルフィ……うん、これも原作通り。
エースは、何かを堪えるような表情をしている。一緒に育ってきた俺でもなく、何年もつるんできたサボでもなく、ほんの数日前に会ったばかりのルフィに言われたからこそ実感できたんだろう。必要とされるというのがどういうことか。はっきり言って、俺たちじゃエースに近すぎるんだ。近すぎて、当たり前になってしまっているから。
おそらく、もうエースはルフィを受け入れ始めている。少なくとも、あの状況でも秘密を喋らなかったということで、警戒心はあらかた解いているだろう。
けれど、俺は……。
俺は、思う。
今回俺が行動を起こした意味があったのだろうか、と。
確かに、エースとルフィの歩み寄りは約3ヶ月前倒しされた。だが、それだけだったとも言える。
エースの無茶は海賊の拷問よりずっとマシなはずだと思った。それはその通りだったけど、結局は狼の出現でルフィは命の危機を感じた。そういう意味では大差ない。
さっき2人の間で行われた問答も、原作とほぼ変わらない内容だった。
結果は同じ、過程も大差ないなら……俺のやったことに意味は有ったのか?
この結果が単なる偶然ならいい。けれどもし……原作という運命に世界が沿おうとしているのだとしたら?
この程度のことでそんなことを考えるのは大袈裟だと思う。これは世界を巻き込んだ頂上戦争とは違うんだ。ただの、世界の片隅にいる数人の子どもの出会いに過ぎない。それでも……まるで、展開を変えることの難しさを突きつけられているような気分だ。
だって、逆に言えば……こんな些細なことでも変えられないなら、あんな大戦争の結果を変えようなんて、途方もない無謀だってことになる。
しかも、今回の策……途中まで上手くいっていたことが余計に腹立たしい。
半ばまで成功した作戦は、始めから失敗していた作戦にも劣る。防げたかもしれない失敗なら尚更だ。
今回俺があの石を持ってたのは、本来ならエースへの牽制のためだった。
結果的に何とかなったとはいえ、そんなことに意味はない。エースが助けてたはずだ、なんてのは無責任にも程がある。
元より、卑怯な作戦だったんだ。それならせめて、安全には最大限気を配るべきだった。
それなのに、俺は全く考えていなかった……そこまで考えて考えて、考え得る全ての可能性への案を出しておいて初めて、策を弄することが許されるはずだ。
コルボ山の猛獣なんて、本当なら真っ先に考えておかなきゃいけない可能性だったのに。そしてその対応策まで練っておいてかなきゃならなかったんだ。
それなのに、エースとルフィの関係性にばかり気を取られてその周りを見ていなかった。
俺は……甘かった……何よりも自分に。
策士策に溺れる。あの時浮かんだこの言葉は正しかったことを、俺は実感していた。