朝から
「はあ」
何回目かのため息。見かねた桜井穂波は声をかける。
「奥様、体調が優れないようであれば…」
「いえ、大丈夫よ。それより空港に着いたら、例の子を探して頂戴」
「はい。確か桐生斬君でしたね」
「ええ、お願いね」
久しぶりの旅行だというのに、真夜は人を一人つけると言う。護衛など間に合っていると言ったのに、何も聞きやしない。相変わらずわがままな妹だ。それも深雪と
「あの、ばか真夜!」
深夜の声は小さく、隣の穂波にも聞こえなかった。
-○●○-
到着早々、荷物を持った穂波は少年を探そうとしたが、結果的に不要だった。出口には『司波家御一行様、いらっしゃいませ!』の看板を持った少年が立っていたのだ。
「君が桐生斬君?」
「はい。お待ちしておりました、司波深夜様」
「いえ、私は桜井穂波です。奥様は後からいらっしゃいます。私は預けた荷物を受け取ってくるので、待っててくださいね」
「はい。承知しました、桜井様」
看板を持ちながら器用にお辞儀をするザンに、穂波は苦笑する。
「私は穂波でいいわ。様もいらない。よろしくね」
「俺はザンでいいですよ、穂波さん」
砕けた口調になったザンを確認し、穂波は荷物を受け取りに行った。ちなみにザンは司波深夜の顔を知っているが、わざと知らないふりをしていた。数分後、親子らしき人影がザンの元にくる。
「あら、穂波さんは荷物を受け取りに行ったのかしら。達也、あなたも行って来なさい」
「はい、奥様」
会話を聞いていたザンは、親子というより主従関係の様だと感じていた。
「あなたが桐生斬さんね。これからよろしく。こちらは娘の司波深雪」
顔こそ笑みを浮かべているが、値踏みをしているようだ。確かに良く似ている。顔も、その性格も。
「よろしくお願いします、司波深夜様、深雪様」
そうすると、穂波と達也が荷物を受け取ってきた。
「桐生斬です。よろしくお願いします、司波達也様」
「達也に敬語は不要よ、桐生さん。さあ、行きましょう」
どうやら、この一家もいろいろありそうだと、心の中で嘆息するザンだった。
-○●○-
「着いたよ、ザン君」
恩納瀬良垣の別荘に着くと、穂波はザンを起こした。大人しくしていようと思っていたザンは、気が付くと寝ていたのだ。
「はぁ、すごいな。こんな別荘を持っているんだ。いい景色だ」
「そうね。初めて来たけれど、良い景色だわ」
「へ?」
同意を示す深夜の台詞に、思わず声が出た。
「ああ、この別荘は今回の旅行のために用意されたものなのよ。達也君、手伝ってもらえる?」
「はい」
「あ、俺も手伝いますよ、穂波さん」
「ありがとう。お願いするわ」
金持ちは何処の世界にもいるもんだなと、現実逃避するザンだった。
-○●○-
「さて、桐生さん」
「俺のことはザンとお呼びください、深夜様」
「そう。それではザンさん、妹に、真夜に取り入ってここまで来て、あなたは何を考えているのかしら?」
達也と深雪は部屋に入り、今はいない。リビングにいるのは深夜と穂波とザンだけだ。ザンは笑みを浮かべる。
「本当に妹さんとそっくりなのですね、深夜様。しゃべり方から思考までそっくりだ」
深夜の額に青筋が入ったのを、穂波は見逃さなかった。
「俺は、真夜様の命によりこちらに参りました。それ以上もそれ以下もありません。まぁ、真夜様は前の仕事の慰労とおっしゃっていましたが、その真意まではわかりません。私のことは、真夜様から伺っているのでしょう?」
「…真夜は肝心なことは何も言わなかった。言ったのはあなたが中学に上がった12歳ということぐらいよ。何故、ここに送ったのかなど何ひとつ、話そうとはしなかった」
ねめつける深夜に対し、一回肩をすくめるザン。ため息をつくと再び笑みを浮かべた。
「先ほども申し上げましたが、私は真夜様の真意は分かりかねます。俺自身についてどう伝えてよいのかも分かりませんが、ひとつだけ」
人差し指を立て、ウインクをする。その行為はさらに深夜はイラつかせた。
「俺は『ケルン・ジークフリード』を知る者です」
目を見開き驚いている深夜を尻目に、ザンはリビングを出て部屋へと向かってしまった。
事情を知らない穂波はオロオロするだけだった。
-○●○-
「何?姉さん。私はそれほど暇じゃないんだけど」
「どういうことよ、真夜!彼、彼よっ!ケルン・ジークフリードよ!何故あの子は知っているの!?あの子は何者!?」
あまりの深夜の剣幕に、引く真夜だった。画面には深夜の目しか写っていない。
「ちょっと、落ち着いて姉さん。顔近い、近いから」
「フーッ、フーッ…」
穂波が用意した紅茶を一気に飲み干すと、少し落ち着いたようだ。ぷはーっという声は、真夜は聞かなかったことにした。
「そう、あの子ったら話しちゃったのね。せっかく後で教えて自慢したかったのに」
「何も聞いていないわよ!ただ、『ケルン・ジークフリード』を知る者だってだけよ!真夜、あなたねぇ、彼が『四葉』にとってどういう存在か分かって…」
「分かっているわ、姉さん。でも今回の旅行には関係ないから、あまり伝えるつもりは無かったんだけど、仕方ないわね。長くなるけど、いいかしら」
-○●○-
「はぁ?」
深夜の声は、心底「何言っちゃっているの、この子。頭大丈夫かしら?」という意味を含んでいた。もちろんそれは真夜にも伝わっている。
「何よ、せっかく一から経緯を話したというのに、何その態度。失礼しちゃうわ」
「いや、だって、信じられないでしょうが。異世界人?救世の英雄?あの子が?」
「でも、あの子はケルン・ジークフリードを知っていた。経歴から何まで。また、あの子の特殊性がさらにそれを裏付けるの」
「特殊性?」
「突然四葉邸の庭に現れたあの子は、魔法を受け付けなかった。いったん家に招き入れて薬入りの紅茶を飲ませたんだけど、その薬すら効かなかったわ。どうやらあの子の『力』に関連することらしいんだけど、そこまで話は聞けていないわ」
ため息をつくと、ジト目で真夜を見る。
「そんな子を引き取って、懇切丁寧に知識を与え、学校に行かせて、CADを与え、さらに仕事もさせたというの?バカなの?あなた」
「うるさいわね、私にも考えがあるのよ。あの子は確かに他と違うけど、私達と違って純粋なの。あと、あの子の『力』は、私達の手に負えない『理不尽』に対して、強力な武器となるはずよ。あの子が自らの意思で出て行くと言うまで、私はあの子の保護者となるつもりよ」
「ふ~ん」
意地の悪い笑みを浮かべる深夜。
「…何よ?」
「いーえ、別に。まさか、真夜がショタコンだったとはねぇ」
「そんなんじゃないわよ!」
「そんな真っ赤な顔をして言われても、説得力ないわよ。ようやく来た春だけど、犯罪よ真夜」
「違うっていっているでしょ!…もう、この話はおしまい!」
真っ赤に顔を染めて切ろうとする真夜だったが、深夜にはまだ聞きたいことがあった。
「ちょっと待ちなさい、真夜。まだ聞いていなかったわ。何故あの子をこちらに送ったの」
「ああ、簡単なことよ。達也さんと深雪さんに同世代の友人をプレゼントしようと思って」
「…本当に?それだけ?」
「誰に似てそんなに疑い深くなったのか知らないけど、それだけよ。ガーディアンは口実。それに、ザンはガーディアンが何か知らないわ」
「はぁ、まったく。面倒事はこっちに押し付けるんだから。わかったわ。預かるわよ。…それにしても、あの子を呼び捨てなのね」
「うるさい!バカ姉!」
真っ赤になったまま切られてしまった。でも、久しぶりに真夜の焦った顔をみた深夜は、うれしさを噛み締めていた。
性格改変が進んでいくw