さて、深夜が急に上機嫌になってからしばらくして、深雪が部屋から降りてきた。
「お母様、少し歩いてきます」
気分転換のために風でも当たってくるのだろう。散歩をしてくると言い出した深雪に対して、深夜は達也を連れて行くように告げる。深雪は一瞬不機嫌そうな顔を見せたが、承諾した。そのときあることを穂波は思いついた。
「奥様、それであればザン君も同行させてはいかがでしょうか。取り急ぎの仕事があるわけでもありませんし、このあたりを知るのにも良いでしょう?」
深夜は少し考え込んだ。真夜の話をまだ穂波に話していないが、確かに良い機会だろう。少しでも会話してくれれば二人とザンは打ち解けるのではないかと。
「…そうね。ザンさん、頼めるかしら」
「はい、深夜様。深雪様にご了承いただけるのであれば、問題ございません」
そういわれてしまえば、深雪も反対できない。しぶしぶながら深雪も承諾した。
そうして深雪は二人を引き連れて出かけることになった。
-○●○-
ザンは絶賛気まずい選手権出場中(決勝進出)な気分だった。深雪が先に歩いており、達也とザンはその後を付いて歩いているのだが、深雪はこちらの方を、正確には達也のほうを見ようとしないのだ。達也は達也で一定の距離を保って歩いている。
―なんとかならないかな、この雰囲気。息が詰まる―
ザンはそんなことを考えていた。ザン自身、二人とろくに話もしていない。せっかく外に出たのだから少しはこの関係を何とかしたいと思っていたとき、突如達也が深雪の腕を引き引き寄せる。
「おいおい、イテェじゃねぇかよ。どこ見て歩いてんだよ?」
深雪がぶつかってしまったんだろう。達也達の目の前には、だらしなく軍服を着た黒い肌の男が難癖をつけていた。
『
前に出てきた達也を見て、男達は嘲笑う。深雪は恐怖で動けないでいた。
「ビビッて声も出ねぇのか?」
「ハッ、チキン野郎が!」
達也は周りには聞こえないような小声で深雪をザンに頼むと、いったんため息をついた。
「侘びを求めるつもりはない。来た道を引き返せ。それがお互いにとってベストだ」
異様に落ち着いた言動に、思わずザンは口笛で同意を示そうとした。その前に目の前の男達は動き出した。
「…なんだと?」
「聞こえたはずだが?」
どこをどう聞いても相手を挑発しているようにしか聞こえず、深雪は震えが止まらなかった。最初に難癖をつけてきた男の目に怒りの光が灯る。
「地面に頭を擦りつけて許しを乞いな。今なら、まだ青あざぐらいで許してやる」
その台詞に、思わずザンが答えてしまった。
「土下座しろって言う意味なら、『頭』じゃなく『額』じゃないか?」
その言葉が引き金となったのか、男は達也に殴りかかる。思わず深雪は目をつむってしまった。
両手で男の拳を止める達也に、男は驚愕していた。
「…面白い。単なる悪ふざけのつもりだったんだが」
男はにやりと笑い、腕を引くと構えた。どうやら本気になったようだ。その様子に、さらに達也の台詞が挑発する。
「いいのか?ここから先は洒落じゃすまないぞ」
「ガキにしちゃ、随分と気合の入った台詞を吐くもんだな!」
言うと同時に男の拳が達也を襲う。しかし、拳が届く前に達也の拳が男の胸板に突き刺さっていた。
両膝が地に着きもだえる男を尻目に、達也は深雪に帰ることを促す。
達也達が帰り始めたころ、男の仲間が激高した。
「てめぇら、そのまま帰れると思ってんじゃ…っ!」
最後まで告げることはできなかった。ザンが放った殺気が、最後まで告げさせなかったのだ。
突然のことでブルブル震える深雪に、すまないとザンは声をかけてポンと肩をたたくと、深雪の震えがすうっと止まった。
そして散歩から帰ると、穂波が深雪の様子に気がつき声をかけると、深雪はことの経緯を話した。聞いた穂波は大丈夫か慌てて確認すると、深雪は大丈夫だといって先に部屋に戻ってしまった。
―ああ、結局ろくに話すことができなかったな―
ザンは誰に言うことなく嘆息した。
パーティの話を組み込むと個人的には長くなりそうだったので、ここまでとしました。
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