旅行初日としては、日程が詰まっていた。パーティが終わり別荘に帰ってきた時はその日をまたごうとしていた。だが翌日、夜が明ける前にザンは起きてしまった。今の季節なら明けてから起きてトレーニングをしているのだが、環境の変化の影響もあるだろう。堅苦しいパーティなどは、元々興味の無いザンである。昨夜の件も自分は不要だったのではと考えている。さらに黒羽貢から睨まれてしまったが、それは自業自得か。眠気も覚めてしまい、せっかくなので気分転換をしようかと思考が外への向いていった。
「しょうがない、軽く走ってくるか」
着替えると、スポーツドリンクを水筒に入れて腰のベルトに水筒のフックを引っ掛ける。ザンは適当な方角に走り始めた。
-○●○-
「もう少し手前で帰ってこればよかったな。フーッ」
汗だくで別荘まで帰ってきたのは2時間ほど経っていた。海岸沿いを走っていたのだが適当な目標が見つからず、その先も気になったが切り上げてきたのだ。
「34562歩って、どのくらいだ?…ん?」
裏手から音がするので見に行ってみると、達也がいた。流れるようで鋭い動き。どうやら空手か拳法の型のようだ。
「おはよう、達也。どうしたんだ、こんなに朝早く。日課のトレーニングか?」
「おはよう、ザン。そのようなものだ。いつもしているものだから、やらないと落ち着かないんだ。…大汗をかいているけどどうしたんだ?」
冗談のつもりで聞いたら肯定が返ってきたものだから、ザンは内心驚いていた。この少年は日常から鍛えているらしい。
「ああ、ちょっと早く目が覚めてしまったんで、軽く走ってきた。…そうだ、組み手をやらないか?一手ご指導をお願いしたいんだけど」
「いいだろう」
軽いザンの提案に苦笑しながら達也も乗った。一礼をして互いに構える。初手は達也の右拳からだった。
「フッ!」
ザンは左手でいなすと同時に右拳を繰り出す。達也も同じようにいなすと左ひざで迎撃を試みる。ザンは一歩引いて間をとった。それからは組み手というよりまるで真剣勝負のようだった。己が体を武器とし相手に繰り出すと、いなし、かわし、受け、カウンターを狙う。打つ、蹴る、投げる、極める。かれこれ数十分ほど経つと、二人は組み手を終え、座り込んだ。
「…ッハーッ。凄いな、達也は。これほどの鍛錬をしていたのか」
「ザンこそ、見事な動きだった。時折見た事のない動きもあったが、あれは何だ?」
「昔ならった拳闘術の型のひとつだよ。相手の虚を突く事が目的だからな、意味があり、意味がない」
「動きに虚実が含まれているということか、なるほど」
「まーなー。達也は真面目そうだから、引っかかると思っていたよ」
「ふむ、注意しないといけないな」
ほぼ冗談で言った事をまともに受け止められてしまったザンは、自分の発言を撤回しようとしたが止めておいた。戦場における思考の柔軟性を重要視していたが、達也にそこまで要求する必要はないと考えたからだ。それより、気になっていたことをザンは聞いてみた。
「一つ聞いていいか?お前と深雪ちゃんて、仲悪いの?」
「…」
「話し辛いことなら、今は答えなくていいよ。ただ、昨日散歩に行ったときも特に話す訳でもなく、パーティのときでもそうだ。『ガーディアン』ってのが絡んでいるとも思っているが、それだけでもないだろう?」
「…ああ、これは俺の問題だ。お前には関係ない。だが、ありがとう」
達也の口からは、否定と感謝の言葉だった。そしてもう一つ。
「俺は、深雪のことを大切に思っている。それは確かだ」
「そうか、分かった。…すまなかったな、家庭内の事情に踏み込んでしまって。さて、俺はシャワーを浴びてくるよ。達也は?」
「そうだな、俺も上がるか」
小さな目を気にすることなく、二人とも別荘に戻っていった。部屋の窓から見ていた深雪は二人が戻ったことを確認してから身をベッドに移した。
何気なく窓の外をみたら、兄がトレーニングをしていた。少ししたら桐生斬という少年が外から帰ってきて、少し話していると急に殴り合いが始まった。慌てたが良く見ていると演武の様でもあった。互いの拳は決定打にいたらず引き分けたようだった。その後も少し話しているようだったが、二人とも10分も経たず別荘に入ってしまった。その時、兄とそしてもう一人の少年に魅入っていた自分に気がついた。
「…何の話をしていたのかしら?」
誰に言うでもないその問いに、答える者は無い。
-○●○-
「何をしているのかしら?」
部屋から出てきた深夜が、開口一番疑問を呈してきた。
「おはようございます、深夜様。昨日からお世話になりっぱなしでしたので、朝食を用意いたしました。お口に合えばよいのですが」
食卓には、ご飯、味噌汁、焼き魚、卵焼き、お浸し、etc…。旅館の『ザ・朝食』といった形だ。
「食べられるの?これ」
「さすがにひどくは無いですか?これでも真夜様のお墨付きいただいているんですから、自信があります」
胸を張るザンに対し、深夜は驚いていた。あの深夜が少年が作った料理を口にしている。四葉の当主として考えられない行動だった。
「どく…味見は私がしておりますので問題ございません、奥様。丁寧な仕事をしておりましたよ」
穂波が口ぞえをするが、フォローにはなっていなかった。ジト目で見るザンを穂波はスルーすることにした。そんなことをしていると、深雪が部屋から降りてきて、すぐ後に達也も来た。
「…では、いただきましょうか」
四人とも思い思いに食事を取る。穂波や深雪は満足そうだ。深夜もあまり表情には出ないが、不満を持っていないように見える。達也も同様に表情には出ていないが、ご飯をお代わりしているので問題ないだろう。ザンは正直ほっとしていた。最後の方で穂波が軽く凹んだあとザンを睨んでいたことが気にはなったが。
食後にザンが全員にお茶を入れて一息ついたところで穂波が深夜に予定を聞いた。
「奥様、今日のご予定は決めていらっしゃいますか?」
「そうね。暑さが和らいだら、皆で沖にでるのもいいですね」
「では夕方から、セーリングヨットをご用意しておきましょうか」
「ええ、それでお願い」
大まかな予定が決まった。次に穂波は深雪に予定を聞いた。
「深雪さんは、夕方までどうされますか?」
「特に決めていませんけど」
「それでは、ビーチで日光浴なんかいかがですか?気持ちいいと思いますよ」
「そうですね、そうします」
にっこり笑って同意した深雪だったが、何故か直後に冷や汗が流れる。気がつくと穂波は目がキランッと光っており、両手を肩の辺りまで上げ掌はワキワキ動いていた。
「…ほ、穂波さん?」
「では、日焼け止めを塗らなくてはいけませんね!南国の太陽は紫外線が強烈ですよ」
「だ、大丈夫です!自分でできます!」
「いえいえ、塗り残しがあっては大変です。ささ、遠慮なさらずに、水着の下までしっかり処置をしておきませんと!…ジュルッ」
不穏当な音が聞こえた様だったが、深夜、達也、ザンは
-○●○-
達也とザンは一足先にビーチにいた。ビーチパラソルやシートを準備していたのだ。しばらくすると深雪がやってくる。
「…もう、穂波さんは。あ、あんなところまで…」
顔を真っ赤にしていたのは、暑いからだけではなさそうだ。
「お待たせしました」
「いらっしゃいませ、お嬢様。ささ、こちらへどうぞ」
恭しく会釈をしてシートへ誘導するザン。しかし深雪はジト目で応えていた。
「いかがいたしました?」
「桐生さんは…」
「私のことはザンとお呼びください、お嬢様」
「それなら、私のことは深雪と呼んでください。それより、さっきは何故助けてくれなかったんですか!?」
「いや、あれはまさか『深雪ちゃんに日焼け止めを塗るのは俺だ!隅々まで…。』怖い、怖いよ達也」
達也は怨敵を見るようにザンを睨みつけていた。慌ててザンは説明する。
「だから、俺がそんなこと言えるわけ無いだろう?だから残念ながら見送るしかできなかったんだよ」
「…そうですか?それにしてはやけに良い笑顔だったような気がしたんですけど」
「深雪ちゃん、勘弁して!達也が怖い!」
ふう、と一息ついて深雪が許した。
「わかりました、もういいです。それにしても、急に『ちゃん』付けなんですけど」
「ああ、あまりに達也が怖くて地が出ちゃった。…ん、失礼いたしました、深雪様」
「ふふっ。いいですよ、お母様がいないところでは。それにあまりサマになっていませんし。ただ、子ども扱いされているように感じるので、『ちゃん』は無しでお願いします」
「ひどっ。でも助かるよ。これからどうする?」
「しばらく横になっています」
「なら、俺達はココにいるよ。な、達也」
その声に達也もうなずいていた。深雪は達也の隣で体をうつぶせにする。チラッと二人の方を横目で盗み見た。
―兄は鍛えているから、すらっとしていても筋肉はついているんですね。中学でも文武両道の模範とまで言われている理由が分かった気がする。ザンさんも同じように鍛えられているんだけれども、背中以外いたるところに傷痕がある。どんな生活をしたらそうなるんだろう?―
そんなことを考えて深雪は眠気を覚え、すうっと意識が落ちていった。
-○●○-
―司波達也はトラブルに愛されていた。やっぱり書き出しはこれかな。あ、これだと俺じゃ無くて達也の自伝になっちゃうか。―
などと現実逃避をしていたザンだったが、事態は悪いほうに転がっていった。ビーチで所謂チンピラ同士のトラブルはあるだろう。自分の女に声をかけただのなんの、それが仲間を呼び騒ぎが大きくなってきた。これでは深雪が起きてしまうなとザンが考えたとき、達也は立ち上がって他でやれのような事を言ってしまった。当事者はすでに熱くなっている状態だ。売り言葉に買い言葉、乱闘が始まるのは自明の理か。
達也が蹴り飛ばした、文字通り飛んでくるチンピラ達を右へ左へ、時にはそのまま突きかえし深雪に近づかせないようにしていたが、埒が明かない。これは二人でやったほうが早いなとザンは立ち上がった。
「さっさと終わらせるぞ、達也。眠り姫が起きちまう」
「ああ」
ザンの申し出に達也は苦笑した。自分一人でも問題無いが、確かに喧騒で深雪が起きてしまうかもしれない。二人は乱闘に突っ込んだ。
それから30分経っただろうか、深雪は暑さで起きた。その時に、自分に上着がかけられていることに気がついた。
「どのくらい眠っていました?」
「およそ二時間ほどです」
何事も無かったように、達也は答える。深雪は周りを見渡すと、ザンがいないことに気がついた。
「ザンさんはどうされたんですか?」
「ザンは、先ほどトイレにいきました」
「そうですか。あら、身体に砂がついている。風に飛ばされたのかしら。ちょっと水に入って落としてきます」
そう言って深雪は海へ入ろうとしたとき、ずいぶんと砂浜が荒れていることに気がついた。
―ビーチボールで遊んでいたのかしら?それに気づかず寝ていたなんて、よほど熟睡していたのね。でも、遊んでいただけでこれほど荒れるものかしら?―
-○●○-
ビーチから戻り深雪が部屋に戻った後、達也が穂波に経過報告をした。ザンはそおっと抜け出そうとしたが穂波に捕まった。先ほどの乱闘に絡んでしまったこと怒っているようだ。
「達也君、ガーディアンにも日常生活はあるんですよ。さっきの事だって、深雪さんを起こして逃げればよかったんです。いくらガード対象の意思と自由を最大限に尊重するといっても、お昼寝の邪魔をされたくないという理由で、他人の喧嘩に巻き込まれる必要は無かったんです!それにザン君、君もいながら一緒になってどうするんですか。いくら相手を病院に置いてきたからって、良いものではないでしょう!?」
「反省しています」
「申し訳ありません。あ、でも俺ら、怪我はしなかったですよ?」
「そういう問題じゃありません!本当に反省してくださいよ?逃げるのも立派な戦法なんですから。特に達也君はもう少し融通を利かせる事を覚えてください」
ため息をつくと、穂波は部屋から出て行ってしまった。その時ザンの端末から呼び出し音が鳴る。達也に別れを告げて外に出ようとしたとき、深雪の部屋の扉がしまったように見えた。気になったが呼び出し音がなり続けているため、ザンは外に出ざるをえなかった。
―あの砂浜の荒れ具合は、兄が戦った跡だったの?もしかして、いつも見えないところで私を護っていてくれたのですか?もしそうなら、きっとまだ分かっていないんだ。あの人のことを、まだ何も―
部屋で一人深雪は落ち込んでいた。
書きながら思いました。深雪逃げてー。超逃げてー。